2016年11月25日

「パイナッポーアッポーパン」 (美味しかった19)

2016年11月24日

ピコ太郎の「PPAP」ではなく、「PAP」が売っていた。
「パイナッポーアッポーパン(PAP)」は、岐阜市南部にある
ショッピングセンター「カラフルタウン」の1階食品売り場にあった。

「パイナッポーアッポーパン」のポップが目を引き、吸い寄せられた。
『なんだこれは、面白いやん!噺の種になるぞ。』と思った。

新商品としてワゴンの上に置いてあり、訪れた昼過ぎには数が少なくなっていた。
パンを見ると、丸いパンの上にパイナップル1切れとリンゴ2切れが載っていた。


お手頃価格だったこともあり、つい買ってしまった。
メーカーはどこかと裏側を見ると、岐阜市の「コガネパン」だった。

家へ帰り、ピコ太郎の歌を思い出しながらいただいた。
(「ペン」のところを「パン」に変え、♪パンパイナッポーアッポーパン・・・)

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 12:20Comments(0)美味しかった

2016年11月05日

京都「名勝 渉成園(枳殻邸)」 (名園巡り6)

2016年11月2日 JAPAN KYOTO GARDEN 「SHOUSEIEN」

京都市の渉成園を訪れ、美しい庭園や建物を鑑賞してきた。
”とても良かった!!” 京都でも有数の素晴らしい庭園だった。

「渉成園」は、東本願寺の飛地境内地(別邸)である。
庭園は「池泉回遊式庭園」で、詩仙堂で有名な石川丈山作と伝わる名園である。

また、広い園内には趣ある名建築が点在しており、
散策途中で外観を鑑賞できる。

<印月池> 広い庭には素晴らしい景観が多数あるが、この景色が一番良かった。
園全体の約6分の1を占める池と周りの緑がマッチして、美しい景観を作っている。


<高石垣> 門を入って正面にある美しい石垣。様々な石材を美しく組み合わせてある。


<侵雪橋> 京都タワーが借景になり、いい感じ。


<印月池> ヒツジグサ?の葉が陽に反射し、いい感じ。


<茶室 縮遠亭> 茶室と庭の大石組が、いい感じ。


<印月池と臥龍堂(南大島)> ヒツジグサ?の葉が浮かび、いい感じ。


<侵雪橋と縮遠亭> 一本の松が良いアクセントになっている。


<回棹廊> 檜皮葺の屋根付きの橋が、濃い緑に溶け込んでいる。


<塩釜の手水鉢> 全国の庭園にある「塩釜の手水鉢」の手本となるもので、園内の景物で最重要。


<臥龍堂(南大島)> 石組と「源融ゆかりの塔」がマッチして、いい感じ。


<侵雪橋> 京都タワーが借景になり、いい感じ。


訪れた時は特別拝観が行われており、園林堂の「棟方志功」様の襖絵なども拝観できた。
大胆な筆使いでとても良かった。

受付で立派なパンフレットをいただき、帰ってからも楽しめた。
園内の見所の説明が載っているので、照らし合わせながら巡ることをお勧めする。

園内には桜も植えてあり、桜の季節にも訪れてみたい。

以上

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:03Comments(0)名園巡り

2016年11月03日

<大徳寺総見院&本能寺&安土城跡>岐阜城主「織田信長」様ほか (武将のお墓参り15)

「織田信長」様の墓碑や供養塔は、全国に二十カ所以上あるらしい。
岐阜城主として約十年間を過ごした岐阜にも墓所があって紹介済だが、
他も順次紹介していきたい。

face02★2016年11月2日
・「京都市北区紫野大徳寺町」にある臨済宗大徳寺派大本山「大徳寺」では、
四つの塔頭で「大徳寺塔中 秋の特別公開」が行われている。

その一つ総見院は、10月8日から11月30日(11月6日は拝観休止)に公開されており、
織田信長様たちの墓参をしてきた。
そして、本堂案内が毎時00分と30分に行われており、お話を聞くことができた。

・総見院は、大徳寺の二十二の塔頭寺院の一つであり、織田信長様の菩提寺として有名である。
正門の前には、「信長公廟所」と刻まれた石柱が建っている。



当院は、豊臣秀吉様が天正十一年(1583)信長様の一周忌に追善のため建立した。
明治時代の廃仏毀釈で多くの堂塔や宝物が灰燼と化すが、大正時代になって再興されたのだ。
現在は、創建当時の建造物として正門や土塀、鐘楼が残る。

また、境内には、茶室や秀吉様が植えた侘助椿(わびすけ)、加藤清正様が朝鮮から持ち帰った朝鮮石で
作った井戸などの見所がある。

・木造「織田信長公坐像」は、秀吉様が仏師に二体彫らせた。
仏師は生前の信長様に会ったことのある人で、秀吉が完成後の坐像を見て「よし」と言ったそうだ。
そうすると、等身大の坐像のお姿は、信長様の姿に相当似ていると思われる。

一体は、葬儀の際に信長様の遺体の代わりに燃やされ、本能寺の灰と共に葬られたという。
香木で造られており、燃やされた時は良い匂いが漂ったそうだ。

残りの一体は、今も総見院に安置され、それを今回は拝見できたのだ。
坐像は、明治の廃仏毀釈の際に大徳寺本山に移されて難を逃れていたが、
昭和三十六年(1961)に総見院に戻すことになった。
その時には、立派な輿(こし)を作って坐像を載せて移したそうだ。

なお、岐阜城天守閣の3階には、この坐像の複製品が展示されている。
坐像の由来を思って見ると、見る目も思いも違ってくる。

・境内左方にある墓地の最奥に「織田信長公一族墓所」がある。
墓主がわかるように案内板があってありがたい。
墓所はコの字型になっており、正面の上段に五輪塔が七基並んでいる。


左から順に、「織田秀雄(信雄嫡男)」様、「織田信雄(信長二男)」様、「織田信長」様、
「織田信忠(信長嫡男)」様、「羽柴秀勝(信長四男)」様、
「織田信高(信長七男)」様、「織田信好(信長十男)」様の墓碑である。



正面の右端には、「徳姫(信長息女)」様の五輪塔がある。
左方には、正室「帰蝶(濃姫)」様の五輪塔、側室「お鍋の方」の自然石の墓碑が並ぶ。合掌。



face02★2016年7月
・「京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町532」の法華宗大本山「本能寺」を訪れ、
本堂の右後方にある「織田信長」様廟所で墓参をした。


・廟所前に「信長公廟」の案内板があり、墓所と定められた経緯などが記してある。
奥に立派な宝塔型の墓碑が立っていた。合掌。



face02★2015年12月
・「滋賀県近江八幡市安土町下豊浦」の「安土城跡」を訪れ、
二の丸跡の「織田信長」様や大和宇陀松山藩主「織田信雄」様四代の墓参をした。

・安土城跡は山城だった。山全体が城塞となっており、麓から広い石階段が天守台に続いていた。
建物は無いが、石垣が良く残されており、見応え十分だ。
麓に城跡の案内板があり、地図で廟所の位置もわかる。


・「織田信長」様の廟所は、本丸の手前にあった。
本丸へ続く通路の左側に石階段がある。


石階段を登りると、「織田信長公本廟」と刻まれた小さな石柱がある。


奥へ進むと、木立の中に石垣で囲まれた広い廟所がある。石塀の正面に門があり、そこからは入れない。



廟所の中央奥に石垣が組まれ、上に墓石があった。遠くから合掌。



その後、天守台に登り廟所を見下ろすと、廟所の様子がよくわかった。



・大和宇陀松山藩主である「織田信雄公四代供養塔」は、二の丸跡の下方に位置する。
本丸へ続く通路の左側に低い石階段があり、上った奥の方にひっそりと四基の五輪塔が並んでいた。



その脇に、墓主の名前と法名などを記した案内板がある。
右から順に初代「織田信雄」様、四代「織田信武」様、三代「織田長頼」様、二代「織田高長」様である。合掌。



今回は以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:44Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月21日

名古屋市千種区「平和公園」&「相應寺」 (武将のお墓参り14)

face03<平和公園>
名古屋市千種区の「平和公園」にある武将達のお墓を紹介する。
なお、平和公園は山の斜面に造成されているので、
墓碑巡りには坂道を登ったり下ったりしないといけない。歩いて回るには覚悟が必要だ。
(駐車場が所々にあるので、車だったら目的地近くに停めると良い。)

公園内には著名人のお墓がいくつもあり、おおまかな案内図があった。


①★尾張藩七代藩主「徳川宗春様」墓所
平和公園内の中央やや東寄りに「建中寺墓地」があるが、
途中に「徳川宗春墓碑→」の案内があるのでわかりやすい。


「建中寺墓地」石柱の右方にある僧侶墓碑群の前に、徳川宗春様の立派な墓碑が建っている。合掌。



墓碑の右横に、宗春様と墓碑についての簡単な説明があった。


②★徳川家康様の第八男「松平仙千代様」墓所
平和公園内の中央やや西に「高岳院霊苑」がある。
霊苑の入口脇に「徳川家康公 第八男 仙千代君墓所」と刻まれた石柱があり、わかりやすい。



階段を登り、真っすぐ行った突き当りに「松平仙千代様」墓所がある。


石柱で囲まれた中に五輪塔の墓碑が建つ。風化か戦火のため、劣化が激しい。
墓碑前に「仙千代君」と刻まれた小さな石柱が建つ。合掌。



仙千代様は、母が「お亀の方」で、尾張藩初代藩主徳川義直様と同母の実兄にあたる。
6歳のときに大坂で早逝されたため、菩提のために高岳院が建立され葬らた。

③★犬山城主「平岩親吉様」墓所
平和公園内の中央南西あたりに「平田院墓所」がある。
残念ながら、「平岩親吉様」墓碑の案内は何もない。


墓所に入り、最奥の中央あたりに「平岩親吉様」墓碑が建つ。
両脇に石灯籠が建ち、墓碑には「平田院殿・・・」と刻まれている。合掌。


平岩親吉様は、尾張藩初代藩主「徳川義直」様の守役を勤めた方である。
義直様は、4歳で甲府城主、11歳で清州城主となる。
その間、義直様は駿府で父母と共に暮らしていたので、犬山城主の平岩親吉様が清州で政務をとっていた。

④★織田信長様の守役「平手政秀様」墓所
平和公園内の南西隅に「政秀寺霊地」がある。
大きな宝篋印塔の脇にある階段を登ると、丘の上に出る。


そこをさらに真っすぐに進むと、平手政秀様の墓所にたどり着く。


石塀で囲まれた中に墓碑が建つ。合掌。


政秀寺霊地には、平手政秀様墓所の案内がなくて残念だった。
霊地は丘の斜面にあり、麓には立派な墓碑がいくつも建っていた。
そこかと探すも見つからず、広い霊地を探し回った。
霊地の最も奥の方で、やっとのことで見つけることができた。

平手政秀様は織田信秀様の家臣で、織田信長様の守役を仰せつかっていた。
信秀様の死後、信長様を諫めて自刃。信長様は政秀様の忠誠を惜しみ、政秀寺を建てたと伝わる。

face02<相応寺>
⑤★徳川義直様の生母「お亀の方(相応院)」墓所
「相応寺」は、名古屋市千種区城山町1-47の静かな住宅地にある。
寺の入口は敷地北側にあり、門前の石柱に「阿弥陀如来四十八願所第二番札所 相應寺」と刻まれている。


門を二つ潜り、本堂に向かう境内は紅葉の名所で、楓がたくさん植えてある。



階段を登りきると本堂があり、その右端前に石柱で囲まれた「お亀の方(相応院)」の墓所がある。
上部が折れ、補修された墓碑が建つ。合掌。



「お亀の方(相応院)」は、徳川家康様の側室で、尾張藩初代藩主義直様の生母である。
義直様は、お亀の方の没後、菩提を弔うため相応院を創建された。
寺の歴史等は、現地には簡単な案内があるのみで物足りないが、
相応寺ホームページに詳しく載っているので、訪問する前に読んでおくとよいと思う。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:09Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月17日

尾張藩附家老・美濃今尾藩「竹腰家」墓所 (武将のお墓参り13)

尾張藩附家老竹腰氏は、岐阜県美濃地方にもゆかりのある武将であり、
岐阜県と愛知県にあるお墓をご紹介します。

①★尾張藩附家老(美濃今尾藩五代)「竹腰正武様墓所」
「岐阜県関市志津野665」 正武寺は、通りから奥に入った静かな山麓にあった。

通り沿いに小さな寺の案内がある。そこから狭い道を奥に入って行くと、
T字路に「永平寺直末 禅・曹洞宗 正武寺」と記した看板がある。


そこから左に入ると、小さな山門があり、左の道を進むと境内だ。
本堂でお参りをしてから、本堂左後ろにある墓地に参る。

墓地は、緩やかな坂になっている。
真ん中が参道で、両脇に墓が並び、奥の突き当り上段が「竹腰正武様の墓所」である。
墓地や寺を見下ろす位置にある。



墓所右側に「関市指定遺跡 竹腰正武候本廟」と記された案内柱があるが、
なんの説明もなく残念だ。


墓所敷地に入ってすぐの左右に、2対の石灯籠がある。


そこから石階段を少し上ったところが、石柱で四角く囲われた廟所だ。


石柱囲いの正面が鳥居風で高く、中央が唐破風で下に梅鉢紋が付いている。
このタイプは珍しい。中央奥に立派な五輪塔が立っている。合掌。



尾張藩附家老竹腰氏は、美濃今尾藩三万石を領していたが、
飛び地で志津野村(現関市)等に領地を有していた。
五代正武様は、領地である志津野を見廻り、菖蒲谷を気に入られ、自らの菩提寺を建てたと伝わる。

正武様は、尾張藩家老「石河章長」様の子であり、竹腰家へ養子に入っている。
私考であるが、関市内には石河家菩提寺の蓮華寺があり、
正武様は領地見廻りのついでに父らの墓参に訪れていたかもしれない。

②★尾張藩附家老(美濃今尾藩)「竹腰家墓所」
愛知県名古屋市千種区の「平和公園」は、昭和22年から昭和32年頃にかけて、
名古屋市内に点在した各宗派280の寺院のお墓、約18万8千基を寺院別に区画して移した所だ。


平和公園の中央東寄りにある「相應寺墓域」に、竹腰家の立派な墓碑が5基並んでいる。
しかし、案内となるものは何もなく残念だ。



右から順に、「竹腰正辰」様(初代正信様の三男、四代正映様の父)、「七代竹腰睦群」様


真ん中の一番大きい「初代竹腰正信」様の墓碑の前には、石板があり文字が刻んである。



次が「二代竹腰正晴」様、「三代竹腰友正」様である。


墓碑の裏側には墓主の名前などが刻んであり、どなたのお墓かすぐにわかる。合掌。


相應寺は、尾張藩初代藩主徳川義直公が、生母「お亀の方(相応院)」の菩提のため創建。
諸説あるが、お亀の方が徳川家康様の側室になる前に結婚していたのが竹腰正時様であり、
その間に設けた子が竹腰家初代正信様である。
その縁からか、相應寺は竹腰家の菩提寺となったと思われる。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:15Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月01日

<岐阜市の崇福寺>岐阜城主「織田信長様&信忠様」&「斎藤利匡様」墓所 (武将のお墓参り12)

2016年10月1日
「岐阜市長良福光2403-1」にある岐阜城主織田家の菩提寺「崇福寺」を訪れた。
午前中には、岐阜信長まつり「織田信長公追悼式」が営まれた。

本堂裏に「織田信長父子廟&位牌堂」があり、「斎藤利匡」様の墓所もある。
全国にたくさんある「織田信長」様と「織田信忠」様の墓所の一つが、ここにあるのだ。


諸説あるが、「崇福寺のしおり」等によると、
「崇福寺は、美濃国守護代斎藤妙椿の家系の斎藤利匡が永正8年(1511)に再興された。
永禄10年(1567)信長が岐阜に入ったとき、
若くして亡くなった側室吉乃(信忠の母)の菩提所として、江南市「久昌寺」から位牌を移された。

当時の崇福寺住職が、信長の家臣鳴海助右衛門の援助を得て、織田家菩提所指定に尽力された。
本能寺の変後、信長の側室小倉氏おなべ(お鍋)の方が、
信長の遺品を当寺に葬り、信長・信忠父子の位牌所に指定された。」とある。

通り沿いの左右に石柱があり、左側は「織田信長公霊廟所」と刻まれている。


そこから参道を進むと山門があり、織田家「木瓜紋」が入った幕が掛かっていた。


山門を潜り、突き当りが本堂である。


受付の方に挨拶して、本堂内部を拝観。テープで由緒や寺宝などの説明が流れる。
信長禁制書、清州城鯱瓦、土岐頼高筆の鷹図などの寺宝や、
関ケ原の前哨戦で落城した岐阜城の床を使った血天井を見させていただいた。

本堂の左前に、本堂前に入る潜り戸がある。入ると、左側に素敵な枯山水庭園がある。



庭園を見ながら奥に進むと、自然に右手に折れていく。
小路の先に小さな門があり、中が廟所である。
門の扉には、桔梗紋が彫り抜いてある。



門を潜り、突き当りが「織田信長父子廟」である。
位牌形の墓碑1基に、信長様と信忠様二人の法名が左右に並べて刻まれている。合掌。




墓碑の右側に格子塀に囲まれた位牌堂(小堂)が建っており、彩色が施されていて美しい。合掌。



位牌堂の前には、読経堂が建つ。その奥に、「開基斎藤利匡墓」と記された案内板がある。


その先に、宝篋印塔7基がひっそりと立ち並ぶ。
「斎藤利匡(としただ)」様や一族の方々、「稲葉一鉄の父通貞」様のお墓である。合掌。



なお、当寺は「稲葉一鉄」様が修行された寺でもあり、寄贈された梵鐘があった。



山門の上に、新しいが珍しい「あうんの龍」の飾り瓦があるので必見だ。
徳川家にゆかりがあり、本堂や山門などの屋根瓦に葵紋が入っている。



当寺は境内の各所に案内板があり、大変ありがたかった。(感謝)

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:55Comments(0)武将のお墓参り

2016年09月19日

関市板取「清流川魚料理 徳兵衛茶屋」 (美味しかった18)

2016年9月3日

★「清流川魚料理 徳兵衛茶屋」に行ってきた。
(岐阜県関市板取一里保木5822-1、火曜日定休、11時~)

川魚料理が美味しいと、知る人ぞ知る名店だ。
山奥にあるが、行列ができる人気店でもある。
玄関を入ると魚を焼く煙で煙っていて、天井まで黒っぽい。

メニューは、あまご、いわな、鮎、うなぎを使った様々な料理があり、どれにしようか悩む。
悩んだあげく注文したのは、「川魚三昧定食」1,880円。

メニュー表には、「杉板と味噌の香りを楽しんでください」と書いてある。楽しみだ。
料理内容は、「あまご塩焼き1匹、いわな唐揚げ1匹、あまご杉板焼き1匹、山菜、デザート、ご飯、赤だし」だ。

「あまご塩焼き」 焼き加減が最高!


「川魚三昧定食」 料理はお盆で出てくるが、あまご塩焼きは載りきらない。


「いわな唐揚げ」 カリカリで骨まで食べられる。うまい!


「あまご杉板焼き」 杉板に包んで出てくる。いい香りだ。
あまごの上に、味噌がかかり、そばの実がまぶしてある。美味しいし、良い食感だ。


「デザート」


どれも美味しくいただき、魚料理を楽しめたことに感謝。

「店内からの良い眺め」 今日の席は窓際で、清流の流れる渓谷を見下ろせる一等席だ。


「店の名刺」


★帰りに、大変有名になった「名もなき池(通称モネの池)」に寄った。
相変わらず、大勢の人が観にきていた。
以前訪れた時にいなかった「ハートの鯉」を見ることができた。良いことがありそう。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 23:15Comments(0)美味しかった

2016年09月17日

「源頼政」様&尾張藩家老「石河家歴代墓所」 (武将のお墓参り11)

岐阜県関市植野の「蓮華寺」で、「源頼政様首塚」と「尾張藩家老石河(いしこ)家歴代墓所」にお参りした。



★寺伝等によると、「頼政は治承四年(1180)以仁王に従って平清盛と宇治平等院で戦い、敗死した。
頼政の首は部下の渡辺省によって、頼政の伯父にあたる美濃山県郡の山県国直の領地、植野山に葬られた。

国直の妹、即ち頼政の伯母がその地に一寺を建立。これが、蓮華寺である。
首塚と言われているものは、当寺の横の山にある。

後になり荒廃していた蓮華寺は、寛文6年(1666)石河氏の菩提寺として再興され、
石河氏歴代領主他の墓碑が立つ。
石河氏二代正光は、寛文六年(1666)に頼政の顕彰碑を建立。

植野は石河氏の領地ではあったが、本拠は駒塚(現羽島市)であり、なぜ当寺を選んだのかは不明。」

★「源頼政様首塚」
通り沿いにある石柱に「源頼政公史蹟 石河家菩提所 金光山蓮華寺」と刻まれている。


そこから参道を進むと、寺の建物が見えてくる。境内左端が首塚の参道で、石灯篭が立ち並んでいる。


10m程進むと「源頼政古蹟 蓮華寺」と刻まれた石柱がある。


そして、奥の階段を上ると亀趺碑がある。墓碑ではなく、二代石河正光様が建てた顕彰碑である。




亀趺碑の前方に山へ続く薄暗い坂道がある。その坂を少し登って行くと、森の中の開けたところに出る。



奥の方に石灯篭と「源頼政首塚」と刻まれた石碑があり、その奥に五輪塔の墓碑がある。合掌。



ここも、塚の由来などの案内はなく残念だ。
なお、墓所に着くまでに、蜘蛛の巣があって引っかかり、蚊に刺された。お参りされる方は、注意されたし。

「源頼政」様であるが、
平安時代末期の武将で、京都で天皇らを悩ませた怪物ヌエを退治したことで高名な方である。
保元平治の乱では勝者方に付き、源氏でありながら平清盛様の下で破格の出世をした。
平治の乱で後白川法皇は、清盛様の推した二条天皇派に敗れ、幽閉された。

法皇の第三皇子「以仁王」は、次期天皇の望みを絶たれ、打倒平氏に立ち上がった。
頼政様は、以仁王に加勢することにした。ところが、敵方に計画途中で露見し、
園城寺(滋賀県)に先に逃れていた以仁王と合流。

奈良へ向かう途中、宇治平等院で休息するが、敵方に急襲された。
頼政様は以仁王を逃がすべく平等院に籠り抵抗するも、自害。享年77であった。

墓所は、終焉の地である宇治平等院にあるが、
他にも関市の蓮華寺の首塚、千葉県印西市の結縁寺の頼政塚、茨城県古河市の頼政神社の首塚伝説、
兵庫県西脇市の長明寺の頼政墓がある。

★「尾張藩家老石河(いしこ)家歴代墓所」
山門前を右方向に進むと、山際に石河氏の歴代領主や一族の墓が立ち並んでいる。
墓所左端に標柱があり、「関市指定重要文化財 石河家菩提所」と記されている。


大小さまざまな墓石101基や灯籠が並ぶ様は壮観である。




墓石の形は、五輪塔の他にもいろいろな種類があって、大変興味深い。合掌。
墓主の案内はなく、どれがどなたのお墓なのかわからず残念だ。
石河氏についての案内もない。




「石河氏」であるが、清和源氏頼親の後裔とされる。信長様、秀吉様、家康様に仕え、
慶長15年(1610)に1万石が与えられ、慶長17年(1612)に尾張藩主徳川義直様の附家老、
その後、名古屋城代を経て尾張藩家老を歴任。

なお、享保11年(1726)に石河氏が駒塚(現岐阜県羽島市竹鼻町駒塚)に居を構えた。
そこは傳法寺の向かいで、「史跡 石河邸跡」碑があり、

「駒塚石河氏は、慶長17年に尾張藩附属となり美濃国、摂津国に一万石を領していた。
寛文9年に駒塚村を在所とすることを命じられ、一万八千平方メートルの宅地に壮大な館舎を営んでいた。」
と記されている。現在、残念ながら遺構らしきものはない。

歴代は、初代光忠、二代正光、三代章長、四代正章、五代忠善、六代光當(みつなお)、
七代光籌(みつかず)、八代光豊、九代光美、十代光晃(明治維新を迎える)。
PS 初代光忠様の墓所は京都にあり、蓮華寺にお墓があるか否かは調べられなかった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 11:45Comments(0)武将のお墓参り

2016年09月10日

岐阜市の名建築(其の15) 岐阜駅前・玉宮町界隈の町歩き 

岐阜市の玄関口「JR岐阜駅」の北側、「名鉄岐阜駅」の西側を歩いて、
気に入った建物などをご紹介します。

face02「鮮魚 魚ぎ」 岐阜では珍しい店先看板、いい感じだし貴重だ


face02「千成寿司本店」 斬新なデザインがいいね、角地をうまく利用している


face02「タカサゴファミリア歯科」 動物や木のオブジェが面白い、どんな動物がいるかな?


face02JR岐阜駅前広場「金の信長像」 像の高さが周りの建物群にマッチして丁度いい


face02「肉の玉宮」 タイル壁などのレトロ感がいいね


face02BEER「YELL! ALE!! GIFU」 今よりも元のダンスホールのタイル壁の方が好きだったな。でも、ここの夜景も素敵だ。


face02「エグゼクス スウィーツ」 玄関わきの蘇鉄と玄関天井の市松模様がいいね


face02「カフェ&バー オクムラ」 新旧ミックスの建物が面白い


face02「Reve」 1階アーチ群と三角屋根群がいいね



face02「VOCE VERITA 」 建物前後で異なるデザイン、斬新な建物で面白い


「まち歩き」をすると、素敵な建物や風景に出会えて楽しいね。

以上




  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:29Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)

2016年08月21日

岐阜市の名建築(其の14) 梅林地区の町歩き 

今回の「まち歩き」は、岐阜市の梅林地区です。
出会った建築を中心にご紹介します。

face02「溝旗神社」
青銅製の狛犬と鳥居は、緑色がかっていい感じ。拝殿の破風と緑色の屋根も美しい。
阿吽の狛犬は、拝殿前に凛とした姿で座っており、市内でも有数の良い作品である。




face02「民家」 門がいい感じ。



face01「天王坊稲荷」 大灯篭がいい感じ。市内の寺社で一番大きいかも。


face02「瑞龍寺」 均整のとれた総門が美しい。
(突き当りにある本堂は通常非公開だが、3月の梅林公園「梅まつり」には特別拝観ができる。)

face02「瑞龍寺悟渓国司墓所の門」 美しい唐門だ。


face02「瑞龍寺鐘楼」 鐘楼が周りの緑と風景にマッチしている。


face02「きみ美容室」 赤と白のテントシートがいい感じ。


face02「喫茶ロマン」 ややレトロっぽい店構えがいい。


face02「角の民家」 味のある木造建築だ。


face02「喫茶春美&いな川生花店」 テントシートがいい感じ。


face02「斜面のアパート」&「民家」 ややレトロさがいい感じ。





face02「橿森神社」 赤鳥居が美しい。


face02「粕森公園」 流水式滝がいい感じ。


以上

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:07Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)

2016年08月15日

岐阜市の名建築(其の13) 加納地区5「加納城跡周辺他」の町歩き

「勝手に名建築認定」の岐阜市加納地区の最終回である。
主に加納城跡周辺をご紹介する。

加納城下町&宿場町は、二次大戦の空襲などでほとんど焼けてしまい、
古い建物がほとんど残っていない。
しかし、まち歩きをすると、良い建物や風景があちこちにあって楽しい。

face02「銭湯松乃湯」のれんが、季節により替わっていいね。



face01「YuYu朝日浴場」2階にスパイダーマンがいる。


face02「加納城跡西の民家」趣があっていい。




face01「加納小学校の旧正門(2016年1月撮影)」今年、建て替えられてしまい残念。旧門は頭部分が残されたが、なんとも寂しい。


face02「渡辺養蜂場」素敵な木造建築だ。


face01「ぎふ永田会計」ガラス窓に映った向かいの家々が面白い。


face02「角の民家」一部だけモルタル(?)壁が、いい感じ。


face02「光国寺」亀姫ゆかりのお寺。塀や門がいい感じ。



face01「木造民家」落ち着いたたたずまいがいい感じ。



face02「加納駅南の遺構」何かわからないが、古そうだ。


face02「専福寺」どっしとした屋根と黒塀がいい感じ。


face02「浅野商店」青いタイルの壁がいい感じ。


face02「荒田川北の蔵」壁が新しくなってしまったが、それでもいい感じ。


face02「民家」個性的でいい感じ。



face01「旧伊藤製作所」和洋折衷がいい感じ。


face02「岐阜駅南交番」昼間もいいが、夜もいい感じ。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:33Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)

2016年08月02日

岐阜市の名建築(其の12) 徹明小学校界隈の町歩き

今回は、徹明小学校周辺を散策したので、
出会った「建物」だけでなく、ユニークな「公園遊具」、「建物と樹木」も紹介します。

face02「金岡公園」の遊具がユニークだ。
他では見かけない遊具がいろいろあって楽しい。








face02徹明小学校の南西角
美しいレンガの壁、そしてギザギザ屋根がいいね


face03角の民家(1)
昔は店舗であったと思われる木造建築、複合屋根がいい感じ


face02岐阜ベルト
堂々とした建物、白い壁の1階と黒っぽい2階のコントラストがいい感じ


face02クボタ電動カート取扱店
「なんだこれは」、ノウゼンカズラが壁に添って3階まで登っている


face02清楚な民家
小さなタイルを貼った4本の柱がいい感じ、花木の配置もいい感じ


face01角の民家(2)
もっこりと盛り上がった庭木がいい感じ


以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:16Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)

2016年07月30日

岐阜城主「斎藤利永」様&美濃国守護「土岐頼益」様 (武将のお墓参り10)

平成27年(2015)11月訪問

face02<稲葉山城主(金華山城主)「斎藤帯刀左衛門尉利永(越前守)」様>
「斎藤利永」様は、美濃国守護代を父宗円(利明)様から継いだ。
そして、美濃国守護「土岐持益」様の執権として実権を掌握し、権勢を揮った方である。

稲葉山城は、前城主「二階堂行藤」様が去った後、城主不在となっていたが、
約100年後の応永の頃になり、利永様が修築し居城とした。

その後、文安二年(1445)川手城(革手城)の持益様の後見のため、近くに加納城を築いて移った。
(旧加納城は、利永様が最初に築いたと伝わる。)

利永様は、寛政元年/長禄四年(1460)病没。和巌大功崇輔居士。
墓所は、岐阜県各務原市の中山道鵜沼宿の北方に位置する臨済宗「大安寺」にある。

face01<美濃国守護「土岐頼益」様>
持益様の父である美濃国守護「土岐頼益」様が、応永二年に「大安寺」を創建した。
頼益様が斎藤氏を守護代に抜擢したと伝わる。

頼益様は、将軍足利義満様・義持様から信頼され、評定衆に列し、
応永十年(1403)の着座で諸将の筆頭として破格の扱いを受け、室町幕府七頭の一家となり、
同年に侍所頭人、宿老を歴任して幕閣の要人として重んじられた方である。
応永二一年(1414)没、「大安寺」に眠る。

face02<各務原市「大安寺」>
寺の入口は境内の南東にあるが、墓所の入口はその左方にある。案内表示はない。
下から見上げると、小さな森になっている所が墓所である。


少し荒れた墓所参道を登ると、墓所前の石段にたどり着く。
石段を上がった所は平らになり、周りは樹木に囲まれている。
そこは、高台になっており眺めが良い。


平地の奥に墓所があり、3段の石垣の上に土岐氏の桔梗紋が彫られた石塀がある。
その中に宝篋印塔が二つ並んでいるが、案内表示はない。
左側の方が大きいので主家である「土岐頼益」様で、右側が「斎藤利永」様であろう。
木陰の中で二人仲良く並んでいた。合掌。


寺の参道を入ってすぐに「落慶香語」の石碑があり、建物の変遷等が書いてある。



寺の参道は、きれいに整備してあり、山門へと続く。
境内の左方奥が墓地になっており、その墓地からも利永様・頼益様の墓所に行けるが、わかりずらい。


face02<岐阜市長森岩戸「慈眼寺」&「巌窟観世音菩薩」>
斎藤利永様は、金華山麓の厚見郡岩戸(現・岐阜市長森岩戸)に観音寺を建立している。
寺は慶長5年の兵火で焼失、元和年中に再建され、園通山慈眼寺と改めている。
(注)善龍寺という説もある。


また、岩戸の金華山登山口前には、「巌窟観世音菩薩」がある。
傍らには、「金華山城主斎藤利永 守本尊窟観世音 是より八丁」と彫られた石柱もある。
その石柱は半分に折れており、どこからか移設したらしい。境内は荒れた感じで残念だ。
観音周辺では、明治40年に滝開きをし、一時は観光客で賑わったらしいが、今は寂れている。


そこで、私見であるが、当時の稲葉山城へのメイン登城口は城の南側の岩戸だと思う。
岩戸公園の辺りに侍屋敷や町もあったかもしれない。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:18Comments(0)武将のお墓参り

2016年06月14日

揖斐郡池田町青柳「御食事処 白喜屋」の「お昼のおまかせランチ」 (美味しかった17)

2016.6.14(火)
岐阜の「生活情報誌月刊ぷらざ」に毎月のように掲載されており、
ずっと気になっていた「白喜屋」にやっとで行くことができた。

注文したのは、「お昼のおまかせランチ」1080円。
初めてなので、どのような料理が出てくるか楽しみであった。

しばらく待つと、お膳に載った料理が運ばれてきた。
丸籠に天ぷら、刺身、カニが載った卵豆腐、ハムなど入っていた。


天ぷらは、プリプリの海老、玉ねぎ、ししとう、ナスで、あつあつなのがうれしい。
衣が厚すぎず、素材のうまさがわかるのもいいね。

刺身も新鮮でおいしい。
具だくさんの味噌汁もうれしい。

さらに、「鮎の塩焼き」と「玉ねぎの甘酢漬け」が付く。
「鮎の塩焼き」もあつあつだし、程よい塩加減でとてもおいしい。
「玉ねぎの甘酢漬け」は、酢が強すぎず、程よい味付けでおいしい。


食後の飲み物はコーヒーにした。
ぷらざのクーポンで、デザートにメロンとチーズケーキをいただいた。


ああ、美味しかった、御馳走さまでした。
料理はどれも美味しいし、お値打ちで大変良かった。
本当に1080円でいいの?って感じ。大満足でした。

ちなみに、日によって仕入れが変わるので、料理内容も変わるそうだ。
「鮎の塩焼き」は、鮎の仕入れができた日に「お昼のおまかせランチ」に付けるそうだ。
また行きたいと思った。次はどんな料理か楽しみだ。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:00Comments(0)美味しかった

2016年05月16日

岐阜市の名建築(其の11) 市役所界隈&西柳ケ瀬界隈の町歩き

岐阜市役所界隈と西柳ケ瀬界隈を歩いて選んだ名建築です。

face02<岐阜市役所界隈>
「民家」 門を始め、とっても気に入っている日本家屋です。素晴らしい!




「民家」 二階の意匠を気に入っています


「神暢」 玄関部分が特にいい(地面に組み込まれた石やショーウィンドウ下の竹組など)


「民家」 ガラス戸の感じがいい玄関です


「村瀬米穀」 ややレトロなところがいい、伸び伸びした感じの建物です


「民家」 重厚な石造の入口がいい


face02<西柳ケ瀬界隈>
「起き上り本舗 旧店舗と新店舗」 ダルマのレリーフが「だるま最中」を思い起こさせていいね



「和食うなぎ 田なかや」 青いエントツが印象的で、メニューをガラスにいっぱい貼ってあるショーウィンドウも好きだ


「珈琲館 恵風論」 レンガの壁がいい感じ、二階部分とのアンバランスさもいい 


「グランヴェール岐山付近」 周りの建物との新旧のコントラストがいい感じ 


「西柳ケ瀬西入口」 よく見るとかわいいライオンの顔、少女のモニュメントの仕草もかわいい


「西柳ケ瀬東入口」 丸にスタープレイス・ヤナガセの文字が印象的


「まち歩き」って楽しいね。

今回は以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:38Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)

2016年05月15日

岐阜市の名建築(其の10) 美殿町界隈&伊奈波界隈の町歩き

気に入った建物や風景に出会えることも、町歩きの楽しみのひとつである。
今回も、岐阜市内を歩き、私が勝手に選んだ名建築をご紹介する。
皆様の参考になれば幸いである。

face02<美殿町界隈(柳ケ瀬商店街の東)>
「美殿町の西入口付近にある看板」 レトロな絵がいいね


「コーヒーショップ・トタニ」 赤いテントシートが印象的


「喫茶FIELD」 ひっそりと佇む隠れ家喫茶店だ


「銭湯のはら湯」 市内に残る貴重な銭湯、正面の壁の「鵜」のレリーフがいいね、内部もレトロらしいよ



「開楽亭」 二階のアーチの意匠がいいね


「民家」 軒下の意匠が珍しい 


「ファッションウィッグ・ローレル岐阜&ファッションハウス・リーベ」 切妻屋根と入母屋屋根が混じり珍しい


face02<伊奈波界隈>
「和食 布武」 古民家を利用した貴重な店であったが、残念ながら先月閉店して移転してしまった


「麩兵 旧店舗」 風情のある古民家で、店名が入ったレトロな門灯がある(市内では珍しい)


「高田医院」 1階、2階、屋上と意匠の異なる様がいいね


「醸造会館」 茶色の寄棟屋根と入口の意匠がいいね


「誓願寺」 新しくなった門の獅子の彫刻が美しい


「古民家」 格子窓が美しい(市内に残る古民家は、だんだん少なくなってきており貴重だ)


「まち歩き」っていいね。

今回は以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:42Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)

2016年04月18日

岐阜市「和食料理 そば切り すず野」 (美味しかった16)


2016.4.18
知人に教えてもらった「岐阜市の美味しいそば屋」に行ってみた。

それが、「和食料理 そば切り すず野」だ。岐阜市白木町の御鮨街道沿いにある。
古民家を利用した風情ある店だった。格子窓が美しい。
通り沿いには犬矢来が設けてあり、岐阜内では珍しい。


店の看板は小さいが、入口横の白壁にカブが鏝絵で描いてあるので目印になる。
店内には、番傘が広げて飾ってあり、奥の席からは庭が眺められる。
客席は全て椅子に座るので、足が楽である。ありがたい。


メニュー表は、「お蕎麦」と「季節のおすすめ」の2つある。
食べたい料理がいろいろあって、どれを注文するか迷ってしまう。

迷ったあげく、「季節のおすすめ」メニューから、「山菜の天ぷらとざる蕎麦」に決めた。
そばつゆは、好みで「濃いめ」か「薄め」かを選ぶことができる。
ざる蕎麦は細い麺で食感が良く、美味しかった。



「山菜の天ぷら」の内容は、筍、うど、タラの芽、コシアブラ、コゴミだった。
貝殻の形の器に盛られた塩を付け、あつあつを食べる。美味い。


頼もうとした頃に出てきた「そば湯」は、濃厚で、これまた美味しかった。


デザートは、「黒砂糖のプリン」だった。
甘すぎないプリンが美味しいし、凝った器等がいい感じだ。


初めて入店したが、とても美味しくて、知人の言うとおりだった。
私たちが食べている間に、お客が次々にやってきて満席になった。人気店だったのだ。


PS
店では、厳選した日本酒も用意している。お酒のメニュー表を見ていたら、飲みたくなってしまう。
残念ながら、車のため諦めた。(駐車場は、店の西南奥に7台分あり)

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:39Comments(0)美味しかった

2016年04月16日

岐阜城主「斎藤龍興」様 (武将のお墓参り9)

face021.「斎藤龍興」様の墓所

2016.4.11稲葉山城主「斎藤龍興」様のお墓参りに行ってきた。斎藤龍興様は、斎藤道三様のお孫さんである。
父義龍様が病死したため若くして稲葉山城主になるも、織田信長様に攻められて、岐阜を追い出された。

その後は、あちこちの反信長勢力に与し、最後は縁戚である越前の朝倉軍に加わるも、
「刀根坂の戦い」(福井県敦賀市の南東端)で、朝倉軍の多くの有力武将らと共に討死した。
(ただし、その時には討死せず、生きて富山に逃れたという説もある。)

墓所は、刀根坂の北東にあたる敦賀市疋田(愛発地区)にあるが、探すのに大変苦労した。
国道8号線と国道161号線の合流点に観光案内の看板があり、
「戦国時代武将の墓」が載っていたので、その付近を捜したが見つけられなかった。

そこで、近くの交番に立ち寄り尋ねたが、ご存じなかった。しかし、愛発地区の歴史マップをいただけた。
マップは先ほどの看板と同じ内容であったが、もう一度捜しに行ってみた。

それでもわからず、付近を通りかかった地元の方に尋ねたところ、
誰の墓かわからないとの前置きで、墓所の場所を教えていただいた。
(マップの中央左寄り、五輪塔の左に赤丸を付けたところ)


そこは、国道の合流点を東(8号線側)に行ってすぐの橋を渡り、すぐ左側やや奥であった。
墓石は山際にひっそりと建っていた。 (車は、反対側にあるチェーン脱着所に停めた。)


付近には案内になるもの何もなく、墓所の手前に朽ちて倒れた案内板があった。
それは、赤く錆びて、文字も満足に読めない状態であった。


その案内板に亡くなった武将名がたくさん書いてあるが、
かろうじて「一色治部大輔」(龍興様)の文字も読めた。

墓所には、五輪塔や石仏などがたくさん並んでいるが、破損したものがほとんどだ。
五輪塔も五石が満足に揃っていない。



付近から出土したものを寄せ集めたって感じだ。鉄兜を被せてある墓石もあった。
墓石の主の案内がなく、残念ながら龍興様のお墓を特定できなかった。
墓所の前で合掌。



face022.龍興様の菩提寺
後斎藤氏三代の菩提寺は、岐阜市の常在寺が有名であるが、
最近になって知った龍興様の菩提寺情報をお知らせする。

岐阜市梅林公園内にある龍興寺の前の石柱には、
「大雲山龍興庵」、「斎藤龍興公念持仏 本尊知恵観世音菩薩」、「谷汲山御分身」とある。



ご住職に『室町時代に龍興が今の加納竜興町あたりに創建し、盛徳寺の末寺であった。
その後、明治時代になって梅林公園内にお堂を建てて、龍興の念持仏と谷汲山ご分身を祀った。

戦後になって、寺は「~寺」か「~院」と名乗ることになり、今の名称は「龍興寺」となっている。
当寺には、龍興に関する資料は伝わっていない。』と教えていただいた。

その後、図書館で「加納町史(昭和16年7月)」を調べ、要約すると次の通り。
ただし、「後日の考証を待つ」という内容もあるのであしからず。

『斎藤龍興(岐阜城主)が、永禄七年(1564)に菩提所として、
現在の岐阜市加納竜興町1丁目に龍興庵を建立。

そこは、守護代斎藤妙椿の家臣である石丸利光が、菩提寺として創立した
大雲山龍光寺の跡地である。(利光は、戦功により斎藤の名を許された。)

岐阜城落城後、龍興北国に戦死し、寺も退転。

明暦元年(1655)、大安祖林首座が加納城主松平丹波守光重公に願出で、
加納宿本陣の松波家の尽力で庵を再興。
松波家は斎藤氏後裔であり、祖先の霊を回向供養するために創立したのであろう。

「元禄八年頃松平丹波守光永時代 加納藩家中之図」には、
城下の南西はずれに「龍興庵」が載っている。

明治11年(1878)4月、岐阜市の梅林公園内の現在地に移転。』

現在の加納竜興町には、地名のみが残り、「加納竜興町」名のバス停がある。
竜興町の西隣には、「穴釜墓地」という変わった名の墓地があるが、
龍興庵の旧墓地だったのだろうか?(今後調べてみたい。)

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:17Comments(0)武将のお墓参り

2016年04月11日

岐阜市岐阜公園内「日中友好庭園の桜」 (岐阜市の桜10)

2016.4.11
岐阜市の日中友好庭園の「枝垂れ桜」と「八重桜」が見頃です。
そして、ケヤキなどの新緑も鮮やかで素晴らしい景色でした。



庭園は、岐阜市と中国杭州市の友好都市10周年を記念して造られました。
今の季節、この庭が一年で一番美しい時です。


赤い柱で三本足の東屋が、アクセントになっていい感じです。



庭園は、後方の金華山が借景になり、ポツンと見える岐阜城もアクセントになっています。
桜の本数は多くありませんが、岐阜公園で一番の桜の名所だと思います。


見る角度を変えると、ホテルパークさんが借景になります。


ソメイヨシノは散り果てましたが、枝垂れ桜は先日から見頃を迎えています。
あと2日くらいは見頃だと思います。絶景をまだ観てない方は、お急ぎを。



以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:56Comments(0)岐阜市の桜

2016年04月09日

美濃加茂市の「飛び出し坊や」 (飛び出し坊や15)

「ヤッター!」
久しぶりに珍しい「飛び出し坊や」達に出会えました。

岐阜県美濃加茂市伊深町には、「飛び出し坊や」があちこちに立っていました。
赤いリボンを付けたかわいいウサギの姿をしており、裏側には「うさたん」と書いてあります。



伊深小学校のPTAが造ったもので、手作り感があって、とてもいい感じです。
それぞれの姿は、わずかに異なり、間違い探しみたいに違いを探すのが楽しいんです。



美濃加茂市加茂野町では、「飛び出し坊や」と「交通安全のお姉さん」が立っていました。
「飛び出し坊や」は何かのキャラクターですが、何かわかりません。
赤い手足と頭、白い顔とお腹です。大きな眼で、明るい表情がいいね。


「交通安全のお姉さん」は、交通安全協会加茂野が造ったものです。
他では見たことがなく、珍しいものです。
青い服を着て、黄色い帽子とタスキ姿で、笑顔の優しいお姉さんです。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:38Comments(0)飛び出し坊や