2019年02月10日

ブログ最終回◆ポルトガル旅行記 その12 「リスボン観光(後半)」&「帰国」

≪ポルトガル旅行記 その12≫ 
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。
お役にたてば幸いです。(今回で最終回)


<6日目 2019年1月13日(日曜日)-2/2>
「リスボン観光(後半)」(発見のモニュメント、昼食、フリータイム、夕食)

★★リスボン
◆発見のモニュメント
・「発見のモニュメント」は、ベレン地区にある。
これは、1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念し、
大航海時代に活躍したメンバー33名を称えるために作られたそうだ。


モニュメントはテージョ川岸にあって、船をモチーフにしている。
乗船しているのは、先頭がエンリケ航海王子だ。
3人目にバスコ・ダ・ガマ(インド航路を開拓)、5人目にマゼラン(初の世界一周)がいる。


・さらに、後ろから2人目が、
皆さんご存知のフランシスコ・ザビエル(日本でもキリスト教を布教)である。


・反対側の後ろから2人目の跪いている方が、航海の無事を祈るエンリケ航海王子の母である。
両面合わせて、女性はこの方だけである。



・近くの地面に世界地図があり、ポルトガルに発見された年号が書かれている。
日本は1541年で、ポルトガル船が豊後に漂着した年だそうだ。


◆昼食
・バスでリスボン市中心部へ移動し、昼食となる。
リベルダーデ通りでバスを下車し、徒歩でレストランに向かう。

リベルダーデ通りでは、骨董市が開かれており、様々な物を売っていた。
売っているものに興味があったが、横目に見ながらレストランに向かった。



・坂道を上り、5分くらいでレストラン「フォーノ ベルホ」に着く。


・ここのパンは数種類あった。いつも1種類だけだったので良かった。


・茶色の器に入ったサラダスープ、バカリャウ(棒鱈)のリゾット、
デザートはサラーダ・デ・フルータ(フルーツのシロップ和え)だった。美味しかった。





◆フリータイム(自由散策)
・バスでレウタウラドーレス広場前に行き、下車後はフリータイムの観光となる。

観光後にホテルまで戻る方法は二通り。
各自で戻るか、下車したところに午後4時に集合してバスで戻るか選択することなる。
自分たちで戻るには困難なので、バスで戻ることにした。

下車したのは午後2時近くなので、2時間弱バイシャ地区周辺を観光した。
12番の市電乗り場まで添乗員さんが案内してくれるというので、ついて行った。

・途中に泊まってみたいレトロないい感じのホテルがあった。


・派手な缶詰専門店が何軒かあった。缶詰のデザインが美しく、種類も豊富だ。
自分の生まれた年が書いてある缶詰を買った人もいた。


・ここにも焼き栗の露店がある。


・市電乗り場で、かわいい電車たちを見かける。


・12番線の市電に乗車した。
切符は、世界遺産ジェロニモス修道院近くのキオスクで、ガイドさんの支援で買っておいた。
始発なのに満員だ。
サン・ジョルジェ城の周りを1周した。狭い道を電車が通り、すぐ脇を人が歩いていた。


・市電下車後は解散、歩行者天国のアウグスタ大通りを歩いた。
中央にイスが並べられ、食事や寛いでいる人がいる。いろんな店が並んでいる。





また、いろんな路上パフォーマンスをする人たちがいた。楽しいね。



・大通りの突き当りには、凱旋門のような「勝利のアーチ」がある。



・町のあちらこちらに土産物店がある。きれいなパッケージの缶詰もたくさん売っている。


・コルク製品もたくさん売っている。鍋敷きも何種類かあり、お土産に2個買った。
ダメ元で、身振り手振りと簡単英語で値引き交渉をしたら、割引していただけた。やってみるもんだね。


・ロシオ広場には噴水があり、初代ブラジル国王となったドン・ペドロ4世の像が立っている。
奥には、ドナ・マリア2世国立劇場の立派な建物が見える。


・周辺の建物や店を見て歩くのも楽しい。



・ロシオ駅は、レトロな造りだ。半分は足場があり、シートが被さっており、少し残念だった。
中に入り、エスカレーターで3階まで上がると、列車のホームがある。終着駅なのだとわかる。



ホームと反対側に行き、テラスに出ると、茶色と白色の美しい町が眺められる。



・レウタウラドーレス広場前に戻り、広場の反対側を見ると、ハードロックカフェがあった。


◆夕食
・バスでホテルに戻り、身体を休めると共に、荷作りの準備をした。

・バスでリスボン市内のレストラン「ア バレンシア」へ向かった。
レストラン近くでバスを下車し、少し歩く。道沿いの壁に見事な落書きがあった。
落書きは、文字がほとんどだが、たまに素晴らしい絵もあった。


・レストラン横には、持ち帰りスペースもあり、多くの客がいた。
炭火で焼くチキンが人気の店だそうだ。


・今までの店は、パンに塗るのはバターしかなかったが、この店はイワシペーストもあった。


・野菜スープ、ダックライス(鴨肉)、デザートはパイナップルのシロップ漬だった。美味しかった。




◆VIP エグゼクティブ・アーツ(ホテル・3泊目)
・ホテルに戻ると、フロントで翌朝用の朝食セットが配られた。
中味は、ハムサンド、ジュース、ヨーグルト、リンゴ1個、カップケーキだ。


<7日目 2019年1月14日(月曜日)> 
ポルトガル「リスボン」出発~ドイツ「フランクフルト」乗継

★★リスボン
◆VIP エグゼクティブ・アーツ(ホテル)
・3泊したホテルをチェックアウトし、バスに乗車。予定通り午前3時に出発した。眠い!

◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。

空港に着いたら、預かっていたeチケットと搭乗券を皆さんに渡す。
チェックインカウンターに並び、受付を済ませたら、次は手荷物検査。
その前に、昨夜配ったジュースやヨーグルトは食べておいてください。

4時過ぎにリスボン空港内の免税店がオープンする予定。コーヒーショップも開く。

明日は、フランクフルト空港の手荷物検査職員がストライキをする。
そのため、振替で今日の便に変更する人が多いので、
リスボン空港やフランクフルト空港は混んでいると思う。

帰国日は朝到着して眠いと思うが、夜まで眠らないほうが良い。
その方が早く時差を解消できる。

★★リスボン空港
・バスは10分くらいで空港に到着。
添乗員さんの案内で、チェックインカウンターに並び、受付とスーツケース預けを済ませた。



手荷物検査はゆっくりで、厳しく、時間がかかった。

・免税店は、4時になり灯りは点くがオープンせず。
しばらくして、やっとオープン。のんびりしている。

搭乗ゲートNO.が4:10に表示されるとボードに出ていたが、5分遅れで表示された。
空港内に動く歩道はない。搭乗ゲートは10分弱歩いた端っこだった。思ったより遠かった。

◆飛行機
・5:05発ルフトハンザ航空(LH)1173便に登場。フランクフルトまで約3時間5分のフライトだ。
機内では、朝食とドリンクのサービスがあった。CAの笑顔の対応がいい。

★★フランクフルト空港(乗継)
・9:10頃着。雨だった。広い空港には、飛行機がいっぱい停まっている。
ほとんどがルフトハンザ航空機だ。


着陸後、機体を空港ビルに接続するかと思ったが、そうではなかった。
駐機スペースに止まり、迎えのバスを待った。
着陸後30分くらして、やっとバスが来たが、なかなか全員は乗れなかった。
雨の中、タラップを降りて、バスまで走った。

空港ビルに着いて、出国審査を受ける。
その後は待ち時間約4時間30分もあり、解散して空港内のフリータイム。

ゲートの変更はよくあるそうで、ボードで確認してから搭乗ゲートに向かわないといけない。
搭乗ゲートはボードになかなか表示されなかった。

空港内は割と涼しく、眠れるところは少ない。楽なイスも少しあるが、先客がいた。
免税店などを見て時間を過ごした。
コーヒーショップで、ドイツ名物のプレッツェルをいただいた。塩味がきつかった。


搭乗ゲートは、出発時間の1時間前くらいにやっとで表示された。


◆飛行機
・13:45発ルフトハンザ航空(LH)1736便に搭乗。
中部国際空港まで約11時間35分のフライトだ。

・夕食はチキンとレモンライスにした。


<8日目 2019年1月15日(火曜日)> 
日本帰国「中部国際空港」到着

・翌朝、朝食も出た。行きと同じく、機内では余り眠れなかった。


★★中部国際空港
・9:20頃、無事に帰国。
疲れて眠いが、楽しい旅の思い出がたくさんできて良かった。皆さんに感謝だ。
機会があれば、再びポルトガルを訪れたい。

おしまい

追伸
ブログ事務局から、「平成31年3月末でみのっちブログを閉鎖する」との連絡があり、
これを機にブログを卒業することにしました。
今まで読んでいただいた方々、ありがとうございました。  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:24Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年02月09日

◆ポルトガル旅行記 その11 「リスボン観光(前半)」

≪ポルトガル旅行記 その11≫ 
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<6日目 2019年1月13日(日曜日)-1/2> 
「リスボン観光(前半)」 ケーブルカー乗車、世界遺産ジェロニモス修道院、世界遺産ベレンの塔

★★リスボン
◆VIP エグゼクティブ・アーツ(ホテル)
・ホテルで朝食。
今日は、リスボン市内のベレン地区にある二つの世界遺産を見学できるので、大変楽しみだ。


◆専用バス
・ホテル前で現地ガイドの小橋さんとカティアさんと合流し、バスに乗車。
小橋さんから次の案内があった。

今日は日曜日なので道が空いていて、町の中心部まで30分程で着ける。
リスボン市の人口は30万人だが、近郊まで含めると300万人になる。
市民は、混雑緩和のため時差出勤をしている。

リスボンは丘の上にある町で、中心部は坂が多い。
ケーブルカーが3本あり、その中のグロリア線の始発に乗車する。
下車するとすぐ展望公園があり、眺めが素晴らしい。
ケーブルカーは、日曜日は9:15からしか動かない。

路面電車が6路線あり、28番線が人気。片道50分程、全区間が混んでいる。
12番線も人気で、サン・ジョルジェ城の周りを20分程で1周でき、お勧めです。
フィゲイラ広場に乗場がある。1両編成で15分おきに出発する。

有名なサンタジュスタのエレベーターは、混んでいて並ばないといけない。
ロシオ駅は工事中で、ホームは建物の3階にある。

リベルダーデ通りは、パリのシャンゼリゼ通りを模して作った。
バイシャ地区のアウグスタ大通りは、歩行者天国になっており、店がたくさん並んでいる。

闘牛場があるが、夜遅くに行こなわれるため、ツアーには組まれない。
冬には行われない。ポルトガルの闘牛は、牛を殺すまではやらない。

◆リスボン名物ケーブルカーの乗車体験
・始発のグロリア線のケーブルカーに乗車する。

坂の下にある駅で待っていると、上からケーブルカーが下りてきた。
車両の正面に大きな落書きがしてある。


・よく見ると、車両だけでなく、線路沿いの壁一面に落書きがあった。
消しても、また書かれるので、そのままにしてあるそうだ。



そういえば、今まで見て来た高速道路の壁や、倉庫などの壁にも大きな落書きがあった。
日本でも落書きがあるが、ポルトガルのは規模が大きく量も多い。これはポルトガルのの文化?

・ケーブルカーは、急勾配の坂をあっという間に上がり、上の駅に到着する。


◆サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台
・ケーブルカーを下車してすぐの所に、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台がある。
眺めが良く、リスボンの街を眺められる。



◆専用バス
・現地ガイドの小橋さんから次の案内があった。
今日は日曜ミサがあり、世界遺産ジェロニモス修道院の教会は10時オープンで
10:20までしか見学できない。

◆世界遺産ジェロニモス修道院
・バスでリスボン市内のベレン地区に移動。
世界遺産ジェロニモス修道院は、白い壮大な建物だった。


立派な南門には、聖ジェロニモスの生涯が彫られている。


・オープンと同時に、西門から修道院内にあるサンタ・マリア教会に入った。
堂内はうす暗く、入ったすぐの天井はアーチ状になっている。




・堂内に入ると、右側にポルトガルの詩人カモンイスの立派な棺がある。
棺は大理石でできており、上にカモンイス像が横たわっている。
棺の脇中央には、ペンと竪琴が彫られている。



・反対側には、バスコ・ダ・ガマの立派な棺がある。
こちらも大理石でできており、上にガマ像が横たわっている。
棺の脇中央には、カラベル船が彫られている。


・奥は天井が高く、彫刻が施された柱はヤシの木を模したといわれる。




・壁にも美しい彫刻が施されている。



・ステンドグラスも美しい。



・中央奥の内陣は、王家の霊廟となっている。


・教会を見学後は、回廊や食堂を見学。
中央に四角い広場があり、周りが回廊となっている。






回廊の窓は、美しい彫刻が施されている。
サンゴやロープなどの大航海時代を象徴する物が彫られている。
窓によって彫刻デザインが異なるので、何をデザインしてあるか見るのも楽しい。


窓越しの眺めが素敵だ。


・食堂は、天井のデザインも凝っている。


食堂の一番の見所は、美しい壁のアズレージョだ。







聖ジェロニモスが描かれた絵も飾られている。
その絵には、聖ジェロニモスの象徴であるライオンも一緒に描かれている。


・修道院前に市電の駅があり、かわいい電車も通る。


◆エッグタルト1個のおやつ
・世界遺産ジェロニモス修道院の近くに、店が並んでいる。


・パステル・デ・ナタ(エッグタルト)の店「パステイス・デ・ベレン」もある。
1837年創業、ジェロニモス修道院から伝えられた製法を守り、長い行列が絶えない有名店だ。


現地ガイドのカティアさんが私たちの代わりに並んで買って、ツアー客に配ってくれた。
まだ温かくパリパリのパステル・デ・ナタに、シナモンをかけていただいた。
今まで食べた中で一番おいしかった。幸せ!
以前、テレビでこの店を紹介したのを見て、ここのを食べたいと思っていたので感謝だ。


◆世界遺産ベレンの塔
・ベレンの塔の近くに、初めて大西洋横断をした飛行機のモニュメントがある。


・ベレンの塔は、1520年に完成した川に浮かぶ建物だ。
塔に渡る橋があり、歩いて入場できる。


塔は、テージョ川を往来する船を監視し、河口を守る要塞として築かれ、
後に税関や灯台の役目を果たした。

・2階に上がると外に出られ、塔の美しいデザインを堪能できる。






その上へ行く螺旋階段は狭く、一人が通れるほどの広さしかない。
信号で交互通行になっている。
訪れた時は信号が故障していたので、通行がスムーズにいかなかった。

・一番下は堡塁になっており、砲台があり大砲が並ぶ。


・塔の近くに土産物店が並び、ポルトガル土産が揃う。



次回は、リスボン観光(後半)です。 
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:07Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年02月06日

◆ポルトガル旅行記 その10 「シントラ観光」&「ロカ岬」&「ファドディナーショー」

≪ポルトガル旅行記 その10≫ 
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<5日目 2019年1月12日(土曜日)-2/2>
「シントラ」世界遺産シントラ王宮・レプブリカ広場、旧市街&「ロカ岬」&「ファドディナーショー」

★★シントラ
・現地ガイドのアレクサンドラさんと合流、王宮内を丁寧に案内していただいた。

◆世界遺産シントラ王宮&レプブリカ広場
・王宮前のレプブリカ広場の隅に、焼き栗の屋台が出ていた。
(ポルトガルでは、この焼き栗屋台をあちこちで見かけた)


・王宮の壁は白亜で、隅に黄色のアクセントがあり、美しい建物だ。


・王宮入口付近からは、レプブリカ広場と旧市街を見ることができる。


・王宮内は、至る所に美しいアズレージョがある。


・各部屋の入口も装飾が施されている。


・「白鳥の間」。壁はアズレージョや絵で飾られ、天井は27羽の白鳥が描かれている。
白鳥は、それぞれ異なった姿だそうだ。




・王宮のシンボルの二本の白い煙突。煙突の下は、調理室になっている。


・美しい調度品もあちこちで見ることができる。


・「カササギの間」。床、調度品、壁のアズレージョ、天井のカササギの絵が見事だ。



・壁の絵も興味深い。


・海運で栄えた町なので、天井に船の絵も描かれていた。


・「紋章の間」。美しい壁は、天井画やアズレージョで埋め尽くされている。


・礼拝堂の装飾も素晴らしい。



・室内中央に水が出るようにしてあったそうだ。


・美しいアズレージョ。様々な模様が描かれている。


・調理室の壁に王家の紋章がある。壁は白いタイルだ。



・立派なシャンデリアのある部屋もある。


・壁の全面がアズレージョで飾られた場所もある。素敵だ。


・王宮の建物を出た所では、美しい景色が見える。


さすが世界遺産だと思う素敵なところだった。

◆旧市街
・王宮を見学後、1時間のフリータイム。王宮前の旧市街を散策した。

・添乗員さんに教えていただいたシントラ銘菓「ケイジャーダ」を売っている店に行った。


ケイジャーダとは、ケイジョ(チーズ)を使った焼き菓子。
チーズの匂いはせず、程よい甘さで美味しかった。


・石畳の急坂には土産物店や飲食店が並ぶ。十字軍の剣と盾も売っていた。



・小規模の教会もある。堂内は美しく飾られていた。




◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。
ロカ岬は、ユーラシア大陸の西の果て(最西端)に位置する。

断崖の前に十字架の塔があり、
下部にポルトガルの詩人カモンイスの詩碑「ここに地果て、海始まる」がある。

今日は海がおだやかで良いが、雨と強風時は大変だ。
十字架塔まで行くことを断念することもある。

現地の観光案内所に皆さんの名前入りの「ユーラシア大陸最西端到達証明書」を
予約してあるので、見学後にお渡しする。

★★ロカ岬
・岬には、バスや車がたくさん、混雑していた。40分のフリータイムとなる。
バスを下車すると、小さな赤い灯台が目に入る。


・十字架塔へ向かう。その向こうに大西洋が広がっている。


・詩人カモンイスの詩碑には、「CABO DA ROCA」の文字も刻まれ、
記念撮影する人が絶えない。


・少し風が強く寒かったが、青い空と海がきれいで、気持ち良かった。


・見学後、バスに戻ると「ユーラシア大陸最西端到達証明書」が配られた。

◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。
リスボンまで、スムーズにいけば1時間もかからない。
ホテルに着いて休憩してから、バスで夕食のファドディナーショーに出かける。

「ファド」はポルトガルの民族歌謡で、哀愁を帯びた唄とギターが特徴。
もともとは下町の大衆的な音楽で、日々の辛い生活を紛らすための娯楽だった。
それが他の音楽の要素が加わり、庶民の音楽となった。

★★リスボン
◆夕食・ポルトガル民謡「ファドディナーショー」 
・バスで夕食会場の近くまで行き、少し歩いた。店付近は道が狭く、バスが入れない。
店名は「ティンパナス」。


・店内はうす暗く、舞台は小さい。
最初は5人組の民族歌謡と踊り。主旋律はアコーディオン。軽やかな曲だ。
狭い舞台なのに、軽快に上手に踊る。



・次は、ファディスタ(歌い手)、ギターラ(琵琶に似たポルトガルギター)、
ヴィオラ(クラシックギター)の3人組が、哀愁のこもった曲を披露。
歌い手の声とギターの美しい音色が素晴らしい。

・最後は出演者全員で唄と演奏。


・食事は、ショーを見ながらいただいた。
パン、サラダ、ポークとポテト、アイスクリーム。ショーに夢中で、味は覚えていない。



テーブルにあるワインと水は料金に含まれている。
食後のドリンクも料金に含まれており、紅茶を頼んだ。


◆VIP エグゼクティブ・アーツ(ホテル)
・リスボン市内では、電動キックボードをあちこちで見かけた。ホテル周辺にも置いてあった。


・ポルトガルの伝統音楽を聴くことが出来て良かった。

明日はリスボン市内観光の予定です。 
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:10Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年02月03日

◆ポルトガル旅行記 その9 「オビドス観光」

≪ポルトガル旅行記 その9≫ 
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<5日目 2019年1月12日(土曜日)-1/2> 
「オビドス観光」&「シントラで昼食」

★★リスボン
◆VIP エグゼクティブ・アーツ(ホテル)
・ホテルで朝食。パンやデザートの種類が多かった。
「マッサァン・アサーダ」という焼きりんごもある。ポピュラーなデザートだそうだ。


◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。
今日は土曜日なので、オビドスまで1時間くらいで着く。現地は1時間程のフリータイムです。
オビドスは、丘の上にあり、城壁で囲まれた小さな美しい町です。

町へは水道橋が通り、現在も残っている。
町の奥の最高部に、かつての城があり、現在はポサーダ(ホテル)になっている。
城壁の上を歩くこともできる。旧市街地には土産物屋がたくさんあるので、見て歩くと楽しい。

オビドス名物に「ジンジャ(サクランボを漬け込んだリキュール)」がある。
アルコール20%くらいで、チョコレートでできたミニカップ1杯が1ユーロくらい。

★★オビドス
・町の入口は城門。門の前には、クリスマス飾りがまだ残っていた。


・町には、青と白の壁の建物が多い。きれいだ。




・オビドス名物「ジンジャ」を売る店もあちこちにある。




・道は石畳で、緩い坂になっている。


・トイレのある建物の上に上がると、素晴らしい眺めだった。
焦げ茶色の屋根と白い壁の街を見渡せる。




・土産物屋は、小さい店が多い。店の外に品物を飾っているところもある。



・町には、絵になる景色があちこちにある。いいね。



・町の奥に15世紀の城を利用した「ポサーダ・カステロ・オビドス」がある。



小さなホテルなので、部屋数は少ないそうだ。眺めも良く、泊まってみたい。



立派な城門もある。



高い城壁の上を歩けるが、ちょっと怖い。


・美しい町を見ながら戻った。




・土産物屋の看板や品物も見ていて楽しい。



スノードームや陶器も売っていた。




素敵な町でした。あっという間の1時間でした。

◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。
これから向かうシントラまで1時間ちょっとで着ける。

リスボンの西28kmにあり、海と川に囲まれ、霧が出やすい。
丘の上にある町で、ポルトガル王家の夏の離宮(王宮)がある。
駅近くのレストランで食事後に王宮を見学する。見学後は少しフリータイムを設ける。

★★シントラ
◆昼食
・シントラの「レストラン チロル」で昼食。


・パン、サラダ、魚(タラの仲間)フライとトマトリゾット、ケーキをいただいた。
サラダがあってうれしい。




・レストランの周辺には、アズレージョの道案内、レトロな建物がある。




次回は、シントラ王宮とロカ岬、リスボン市内のファドディナーショーです。 
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:40Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年02月01日

◆ポルトガル旅行記 その8 「トマール観光」&「リスボン宿泊」

≪ポルトガル旅行記 その8≫ 
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<4日目 2019年1月11日(金曜日)-2/2> 
「トマール」 世界遺産キリスト教修道院、サン・ジョアン教会、旧市街&「リスボン宿泊」

◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。
これから向かうトマールは、今年からコースに入った小さな町である。

トマールの人口は1万人くらいで、12世紀の城下町が残る。
キリスト教修道院は、修道院としてはポルトガル最大の規模。
テンプル騎士団の本拠地だったところで、世界遺産に登録されており、見所の多い修道院です。

★★トマール
◆世界遺産キリスト教修道院
・丘の上に建つ修道院の脇でバスを下車。現地ガイドのミゲルさんと合流。
修道院は、高い石垣と土塁で囲まれており、お城みたいだ。

・最初の門は、上部に鍵型の穴がいくつも開いている。


・門の先は、カーブした石畳が続いており、高い壁が聳えている。


・次の門の先には真っ直ぐな道があり、突き当りに修道院の建造物が見える。美しい景色だ。



・階段の手すりの端には円い飾りがあり、その先に堂々とした建物が聳えている。



・南門には美しい装飾があり、中心は聖母マリア像だ。



・内部の回廊の壁は、美しいアズレージョで飾られている。



・連続する美しいアーチの回廊もある。


・エンリケ航海王子が暮らした廃墟に大きな木が立っていた。


・バスコ・ダ・ガマで有名なガマ家の墓もあった。



・豪華なテンプル騎士団聖堂もある。入口の曲線が素敵だ。


・堂内は、柱や壁が絵や彫刻で埋め尽くされている。素晴らしい!






・主回廊前の広場には噴水もある。


・マヌエル様式の窓。外壁にも装飾が施されている。



・窓から入る光が、室内に程よい明るさをもたらしている。



・ミシャの回廊。美しい景観にあちこちで出会える。


・通路の足元も美しい。


・回廊から見上げる建物も素晴らしい眺めだ。


・トマールの「タブレイロスの祭り」で用いられるタブレイロ(お盆)。
お盆には、花や色紙で飾られた串刺しのパンが身長と同じ高さまで積まれる。
祭りはポルトガルで最も華やかな祭りといわれ、見てみたいものだ。


・修道院近くの風景。のどかだ。


◆サン・ジョアン教会
・バスで修道院から丘の下にある旧市街まで移動。
下車後は、石畳の旧市街を歩いてサン・ジョアン教会へ向かう。


商店のショーウインドウがいい感じ。


・教会は、レプブリカ広場に面して建っている。時計塔のとんがり屋根が印象的だ。


・堂内の主祭壇の周りは、細やかな細工が施されている。


・きれいなキリスト像、マリア像もある。



・美しいアーチもある。


・「タブレイロスの祭り」で用いられるタブレイロ(お盆)も展示してあった。


◆旧市街
・旧市街は、通りの名称がアズレージョで表示されている。


個性的な扉の建物が多く、面白い。二階に小さなバルコニーがある建物もある。


・世界遺産キリスト教修道院の「マヌエル様式の窓」を模したアズレージョがある店もあった。
美しい青色だ。



◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。
今からリスボンに向かう。今日から3泊するホテルは、万博で開発された新しい地区にある。
リスボンは宿泊税が必要だが、ツアー代に含まれている。
スーツケースを部屋まで運んでくれるホテルのポーター代も含まれている。(うれしいね)

★★リスボン
◆夕食
・リスボンに到着前、きれいな夕焼け空を見ることができた。
レストランに到着時は、もう暗かった。「レストラン シンフォンヤ」で夕食だ。


・パン、チキンスープ、チキンとポテト、白いご飯、アイスクリームをいただいた。




◆VIP エグゼクティブ・アーツ(ホテル)
・「VIP EXECUTIVE ART'S」にチェックイン。
住所 ドン・ジョアン通り(AVENIDA D.JOAO)11 NO.47 LISBON 1009-028

・14階建の4つ星ホテルだ。ロビーは広く、天井が高い。


・オリエンテ駅まで徒歩10分程で、空港へも車で10分程。
線路際に建っており、部屋では列車が通る音が聞こえる。


・フロント横にリスボン市内地図が置いてあった。


◆オリエンテ駅&スーパー
・希望者は、添乗員さんにスーパーへ連れていってもらえた。
バスコ・ダ・ガマSCの向かいにオリエンテ駅がある。ライトアップされて美しい。



・ホテルから歩いて10分くらいで、バスコ・ダ・ガマSCに到着。


中に広いスーパーがあり、入口で解散。珍しい品を見て歩いた。
ワインが超安いのに驚いた。買って帰りたいが、重いので断念。


明日は、オビドスとシントラの観光だ。 
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:27Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年01月31日

◆ポルトガル旅行記 その7 「世界遺産コインブラ観光」

≪ポルトガル旅行記 その7≫ 
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<4日目 2019年1月11日(金曜日)-1/2>
「コインブラ観光」 世界遺産コインブラ大学、旧カテドラル、旧市街、昼食

★★ヴィゼウ
◆ポサーダ・デ・ヴィゼウ(ホテル)
・朝食を1階レストランでいただいた。
パンやジュースの種類が多い。エッグタルト(パステル・ダ・ナタ)もある。



◆専用バス
・添乗員さんから案内があった。
コインブラへは1時間半くらいで到着する。
コインブラは大学、文化の町です。人口は10万人ちょっとで、ポルトガルで6番目。

丘の上までバスで行き、旧大学を見学する。
その後、坂を下りながら町を見学する。坂を降りると、店やカフェがあり、少しフリータイムにする。

金平糖(コンフェルト)やパンを売る店もある。金平糖はリスボンでは余り見かけない。
「パン」をポルトガル語・スペイン語では日本と同じ「パン」、英語は「ブレッド」という。

大学の敷地内で、マントを着た学生が本などを売っていることがある。
マントはポルトガル語で「カッパ」といい、日本に伝わった。
ポルトガルで最初の大学は、リスボンに創られたがコインブラに移された。

★★コインブラ
◆世界遺産コインブラ大学(図書館含む)
・丘の上の大学近くでバスを下車し、現地ガイドのティアゴさんと合流。
ティアゴさんの説明を添乗員さんが通訳して見学する。
ティアゴとはポルトガル語。英語はジェイコブ、パウロとかヤコブとか言語によって異なる。

・丘の上のコインブラ大学の建造物群と下町ソフィア地区が世界遺産に登録されている。
現在、大学は新大学と旧大学に分かれており、旧大学を見学する。

・入口は「鉄の門」と呼ばれており、装飾が施されている。



・門の前の床には、白い石と黒い石で女性や文字が描かれている。


・門を潜ると、広場の周りに美しい建造物が並んでいる。
白い壁と茶色の屋根がマッチしている。



・大学のシンボルである時計塔もアクセントになっている。


・美しい門やアズレージョもある。




・時計塔の右側の建物の外壁には、世界遺産登録の円いプレートがある。


・中は美術館のようだ。壁は絵やアズレージョで飾られている。



・天井にフレスコ画が描かれている。素晴らしい。


・図書館入口は階段を下りたところにある。


・円い天井の図書館には古い本が並び、大学の古い写真もある。



・礼拝堂には、美しい主祭壇や天井画、彫刻、アズレージョなどがある。




礼拝堂は、見ていて飽きない。





・ジョアニア図書館は、撮影禁止。
まるでハリーポッターの世界だった。「なんて豪華ですごい空間なんだ!」と思った。

蔵書を収納する棚や天井も彫刻や金色の装飾が施され、見る者を圧倒する。
下方から高い天井近くまで、ぎっしり詰め込まれた蔵書は、全てラテン語だそうだ。
なんと、この図書館内にコウモリが住んでいて、虫を食べてくれるそうだ。

・売店へ立ち寄ると、図書館のタペストリーがあり、撮影できた。


◆旧カテドラル
・旧大学を出て、脇にある坂を下る。白い壁と茶色の屋根が美しい。


・坂を下りてすぐ左手に「旧カテドラル(大聖堂)」が見えてくる。
横目に見ながら、さらに坂を下りていった。



◆旧市街
・坂を下り、アルメディーナ門を潜る。


・そこから先は平坦になっており、飲食店や土産店が立ち並ぶ。ここで少しフリータイム。



・金平糖(コンフェルト)を売っている店を添乗員さんに教えていただいた。



・イワシの缶詰を売っている店もある。デザインは良いが、値段は高い。



・立派で美しい建物もある。



◆昼食
・レストラン「ドン・ペドロ」は、ガイドブックに次のように記載されていた。
コインブラの名門レストラン。郷土料理が揃い、レイタオン・アサード(子豚のロースト)などが人気。

・店内は、うす暗く、青色のテーブルクロスが印象的だ。
テーブルには、パンとバター、水が置いてあった。


・名物スープはカルトベルデといい、キャベツの緑色だ。


・「ポークとポテト」と案内されたが、これがレイタオン・アサード(子豚のロースト)かな。


・デザートはプリン。ポルトガルで最もポピュラーなデザートで、ポルトガル語では「プディン・フラン」。
どれも美味しかった。


次回は、トマール観光とリスボン宿泊です。 
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:27Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年01月30日

◆ポルトガル旅行記 その6 「ヴィゼウ」

≪ポルトガル旅行記 その6≫ 
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<3日目 2019年1月10日(木曜日)-3/3> 
「ヴィゼウ」 ポサーダ・デ・ヴィゼウ、ミゼリ・コルヂィア教会、カテドラル、旧市街、夕食

★★ヴィゼウ
◆専用バス
・ポルトのポートワイン工場近くから専用バスに乗って南下。

・添乗員さんから案内があった。
「約1時間45分でヴィゼウに到着する。ヨーロッパの他国は移動距離が長く時間がかかるが、
ポルトガルは国が小さいため、移動時間が短くて済むのでありがたい。

ヴィゼウは台地の中央に町がある。近くで「ダオン」という有名なワインを作っている。

早く到着するので、ゆっくりできる。
コース予定に入っていないが、希望者にはカテドラル(大聖堂)やスーパーを案内する。」
と言われ、参加することにした。

◆ポサーダ・デ・ヴィゼウ(ホテル)
・まだ明るいうちにホテルに着いた。
今晩泊まるホテルは、「ポサーダ・デ・ヴィゼウ(POUSADA DE VISEU)」 
住所 オスピタル通り(RUA HOSPITAL)3500-161 VISEU PORTUGAL

・ポサーダとは、古城や修道院など伝統ある歴史的建物を改装したり、景勝地に建てられ、
ポルトガルらしさを感じることができるホテルである。泊れてうれしい。


・ここは1842年築のサン・テオトニオ病院を改築し、2009年オープン。
エントランスに信仰・希望・慈愛の三つの像がある。素敵な建物だ。

・入口を入ると小さなフロントがあり、天井が高くいい感じ。


・その先に進むと吹き抜けの四角い広場がある。
広い広場には、ソファがいくつもあってくつろげる。隅には教会のパイプオルガンの模型もある。



・広場の周りや客室へ向かう廊下も、古い造りを活かしてあって素敵だ。


・客室には、バスローブ、スリッパ、無料の水(部屋に1本)、
湯沸かし用ポット&珈琲・紅茶、便箋もあってうれしい。



ベッドの上にメッセージとウエルカムチョコレートが置いてあった。
バスタブは、広くて深く、ゆったりと入浴できた。


◆ミゼリ・コルディア教会
・添乗員さんの案内で、夕暮れ時のヴィゼウ旧市街を歩き、丘の上の教会へ向かった。
石畳の坂を少し下ってから上り、10分くらいで「ミゼリ・コルディア教会」に到着。
正面の両脇にある塔が印象的で、美しい建物だ。


・無料で見学ができた。清楚だが美しい主祭壇だった。



・帰るころに見た、ライトアップされた建物も美しかった。


◆カテドラル
・ミゼリ・コルディア教会の向かいにあるのが、カテドラル(大聖堂)だ。
こちらも美しい建物だった。正面前は広場になっている。


・正面の壁には、6人の聖人像と4つの鐘があり、絶妙の配置だ。


・堂内の回廊は、美しいアーチになっており、周りの壁にアズレージョの絵がある。






・堂内は静かで薄暗く、とても神聖な雰囲気だ。
天井が高く、太い柱が美しいアーチになっている。



・主祭壇や脇の祭壇は、美しい金箔の装飾が施されている。




◆旧市街の夜景
・教会を見学後、近くの土産屋を見てから、ホテルの方へ戻った。



陽が沈み、空は濃い藍色で、三日月も見える。藍色の空と旧市街の夜景もいいものだ。



店の灯りと、石畳に映る灯りが、美しい風景を作っている。



◆スーパー
・スーパーに立ち寄り、解散。
ホテルから5分程のところにあり、思い思いに買い物を楽しんだ後にホテルに戻る。
お値打ちにお土産も買うことが出来た。


・日本とは異なる品々を見るだけでも楽しい。
中でも目を引いたのは、山積みの大きな干しタラ(バカリャウ)だった。


◆夕食
・ホテルに戻って休憩後、徒歩で5分の「ホテル・グラオ・バスコ」に向かった。
そこのレストランで夕食だ。


・パン、スープ、仔牛のソテー、デザートのチョコレートムースを美味しくいただいた。



今日も一日、晴天で良かった。明日は、コインブラとトマールの観光だ。 
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:43Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年01月29日

◆ポルトガル旅行記 その5 世界遺産ポルト歴史地区(下)

≪ポルトガル旅行記 その5≫
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<3日目 2019年1月10日(木曜日)-2/3> 
「世界遺産ポルト歴史地区 2/2」 ボルサ宮、エンリケ航海王子像、サン・フランシスコ教会、
旧市街、昼食、カイス・ダ・リベイラ地区、ドン・ルイス1世橋、ポートワイン工場

◆ボルサ宮
・ボルサ宮は、1834年にポルト商業組合の建物として建てられた。
最近まで証券取引所として使われ、「証券取引=ボルサ」からボルサ宮というそうだ。
内部には、豪華な「黄金の間」などの見所があるが、ツアーでは外観のみの見学。

・建物中央の屋根の上に円いドームを冠した時計塔があり、特徴的だ。


◆エンリケ航海王子像
・ボルサ宮の前は、芝生広場になっており、エンリケ航海王子の像が立っている。


◆サン・フランシスコ教会
・ボルサ宮の横に建つ教会が、サン・フランシスコ教会。
入口脇のねじねじの柱が珍しい。屋根上に聖人像があり、どれも躍動感がある。


・堂内は撮影禁止。金箔を施した装飾が見事だ。日本の24聖人像も祀られていた。
教会前からは、ドウロ川が近い。川向こうのポートワイン工場群が見える。


◆ポルト旧市街
・サン・フランシスコ教会から徒歩で、旧市街の狭い路地を歩いた。






・昼食まで少し時間があり、フリータイムになった。青い壁の建物もある。
ミニスーパーや土産店を見て回り、ポルトガル名物のイワシ缶詰などを買った。



◆昼食
・カイス・ダ・リベイラ地区の手前にある「レストラン ポルト・クルズ」で昼食。
店内に丸や四角の鏡などが飾ってあった。


・テーブルに、パン、バター、黒いオリーブが置いてあった。


・ニンジンスープは、壺に入れて運んできた。



・ツナパイは5人分を持ってきて、テーブルで各自の皿に乗せてくれた。
特に美味しかったのはこれだ。


・デザートは、上がオレンジ色のケーキ。滅茶苦茶甘かった。


◆カイス・ダ・リベイラ地区
・レストランから「カイス・ダ・リベイラ地区」を通って、ドン・ルイス1世橋へ向かった。


・「カイス・ダ・リベイラ地区」はドウロ川沿いにあり、レストランが立ち並ぶ。
テラス席で、大勢の人たちがランチを楽しんでいた。



・テントの土産店も並んでいる。



◆ドン・ルイス1世橋
・朝は橋の一番上を途中まで歩いたが、今度は下方の歩道を歩いて対岸に渡った。


・真ん中が車道で、両脇の歩道は狭かった。



◆ポートワイン工場
・橋を渡った右側には、ポートワイン工場が立ち並ぶ。


・工場前の川沿いに、帆船(ラベーロという)が浮かんでいる。
昔は帆船で対岸にワインを運んでいて、今は観光のために浮かべてあるそうだ。


・対岸の旧市街の町並みが美しい。


・ワイン工場「カレム(CALEM)」を見学。
ヒゲのお兄さんが丁寧に歴史から醸造まで案内してくれた。
ドウロ川上流で収穫されたブドウを運んできて、ワインを作っている。


・うす暗い中に並んでいる大きな樽に圧倒される。


・案内が済むと、広いワイン試飲室に通される。
小さなカップが二つ置いてあり、赤と白のポートワインが入れてあった。
飲んでみたら、超甘かった。大して入ってなかったのに、残してしまった。
申し訳ない。こんなに甘いとは思わなかった。

・売店でちょっぴりフリータイム。ワインは、高級品からお値打ち品までいろいろ揃う。


試飲ができないので、悩んだあげく、記念に一番安い小ボトルを買った。

次回は「ヴィゼウ」です。 
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:40Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年01月26日

◆ポルトガル旅行記 その4 世界遺産ポルト歴史地区(上)

≪ポルトガル旅行記 その4≫
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<3日目 2019年1月10日(木曜日)-1/3>
「世界遺産ポルト歴史地区 1/2」 カテドラル、ドン・ルイス1世橋、旧市街、サン・ベント駅

★★ポルト
◆「アクシス・ポルト・ビジネス&スパ・ホテル」(朝食)
・パンやケーキ、デザートの種類が多く、全部の種類までは食べられない。どれを食べようか悩んだ。


◆専用バス
車内で添乗員さんから案内があった。

・本日は、予定通りいけば16時半にはヴィゼウのホテルに着ける。
・昔、ポルトは「カレ」と呼ばれ、ポルト(港)と合わさって、国名「ポルトガル」になった。

・ポルトガルでは、美しいアズレージョ(タイル、アラブ語でモザイク)をあちこちで見ることが出来る。
アズールとは、ポルトガル語で青色。
最近の建物の外壁には黄色やピンク色など様々な色のタイルが使われている。
暑さ対策に有効で、触れるとヒンヤリする。

ポルトガルでは、アズレージョを使ったり模したりした土産がポピュラーである。
本日見学するサン・ベント駅のアズレージョは見応えがある。

★★世界遺産ポルト歴史地区
◆カテドラル
・バスは丘の上にあるカテドラルの脇で停まり、下車。
そこからは美しい旧市街を見渡せる。



・サン・ベント駅や青いアズレージョの壁の教会も望める。



・カテドラルは、要塞を17~18世紀に教会に改修した建物である。
「旅のしおり」に記載されていないが、内部拝観ができた。(回廊と宝物館は拝観せず)

・建物の上部には円いドームが二つある。入口は両脇に円柱、上部に装飾があって美しい建物だ。




・堂内は、静かで神聖な雰囲気が漂う。また、金色の装飾が目立ち豪華だ。
特に主祭壇周辺は、装飾が細かで豪華さが際立つ。



・聖人像の周りの装飾も金色で細かく豪華だ。




・外にある壁のアズレージョも美しい。


◆ドン・ルイス1世橋
・カテドラルから徒歩5分で、ドン・ルイス1世橋に到着する。
橋は、スペインが源流のドウロ川に架かっている。

・橋の最上部は歩道とトラムの線路となっており、橋の途中まで歩く。
橋の渡り始めは、右手に崖に立ち並ぶ建物群が目に入る。


・線路との境には低いポールがあるが、トラムが来たときは接触に要注意だ。


・大変高い場所にあり風が強いので、帽子などが飛ばされないように注意が必要だ。
先に進むと、絶景を見ることが出来る。真下を見たら怖いだろうが、フェンスがあり怖くなかった。



◆旧市街
・橋をカテドラルまで戻り、そこから坂を下ってサン・ベント駅へ向かう。途中の景色も絵になる。



◆サン・ベント駅
・広いホールに入り、息を飲んだ。四方の壁を飾るアズレージョに圧倒された。
このアズレージョは、今回のポルトガル旅行でも一番の素晴らしさだ。





・ジョアン1世のポルト入城など、ポルトの歴史的出来事を描いている。






・駅には改札口がない。
ホームまで自由に入れ、終着駅に停まっている列車の写真を撮ることが出来た。


次回は、世界遺産ポルト歴史地区(下)です。
つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:31Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年01月23日

◆ポルトガル旅行記 その3 スペイン「世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ」後半

◆ポルトガル旅行記 その3 
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<2日目 2019年1月9日(水曜日)-2/2> 
スペイン「世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ」
カテドラル(サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂)、旧市街、歓喜の丘

★★スペイン世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」観光
◆カテドラル(サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂)
・とても広いカテドラル内はフリータイム。荘厳な美術館みたいな感じだった。


・入場口は、オブラドイロ広場にある正面ではなく、大時計の塔の左側にある「銀細工の門」だった。
門の細かな彫像も見事だ。


・門の前に並ぶ人はなく、すんなり入れた。シーズンには1時間待ちもあるそうだ。
添乗員さんからいただいた堂内マップを参考に見て回った。

・門を入ってすぐ、キリストの一生を表したと思われるミニチュアの建物と人物があり、興味深い。
文字の読めない人への絵解きであろう。



・天井は高く、太い柱の上部はアーチになっている。






・多くの聖人像が堂内のあちこちに祀られている。素晴らしい。







・荘厳な雰囲気の主祭壇の中央に聖ヤコブ像を祀る。
祭壇裏の狭い階段を上ると、像の後ろに至る。巡礼者は、聖ヤコブ像を抱擁し接吻する習わしがあるそうだ。


・祭壇の地下が墓地になっており、聖ヤコブらが埋葬されている。合掌。

・堂内に売店があり、オリジナルグッズが買える。


◆旧市街
・バスが待っている所まで旧市街を歩いた。

・「カフェ・バー ベロ」へ立ち寄った。
ガリシア地方の伝統菓子「タルタ・デ・サンチャゴ(サンチャゴケーキ)」を売っている店だ。


サンチャゴ・デ・コンポステーラの修道院で作られたのが始まりの、
アーモンドと卵と砂糖だけで作られたケーキだ。試食をさせてくれ、記念に1つ買った。
やさしい味で美味しかった。


今はスペインを代表するお菓子となっており、途中のSAなどでも売られていた。

・その近くに小さいながら、美しい聖堂があった。


◆歓喜の丘
・バスで郊外の「歓喜の丘」に向かった。
丘には、巡礼者2名の大きな像がサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かって立っている。


・「歓喜の丘」は、巡礼者がはるばる巡礼最終地にやってきて、
遠くサンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の塔が見えたので喜んだことから名づけられたそうだ。


・像の後方に、日本国交400年記念碑がひっそりと建つ。

◆専用バス
・ポルトへの戻りで、再び国境を越え、時差変更を経験。1日に2回も貴重な体験ができた。

・途中のSAバルセロスで休憩。雄鶏の置物やコルク製品、ワインなどの土産が並ぶ。
ポルトガルは、コルク生産量が世界一だそうだ。知らなかった。

・車窓からは夕暮れの小さな町が望めた。


★★ポルト(ポルトガル)
◆レストラン オ・フォーノ(夕食)


・料理は、パン、スープ、鱒のグリル、サラダ、アイスクリーム。特に「鱒のグリル」が美味しかった。





◆「アクシス・ポルト・ビジネス&スパ・ホテル」(宿泊)
・20:40頃帰着。まだ体はポルトガル時間になれていない。おやすみなさい。

明日は、世界遺産ポルト歴史地区の観光だ。楽しみ。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:35Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年01月22日

◆ポルトガル旅行記 その2 スペイン「世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ」前半

≪ポルトガル旅行記≫ その2
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。お役にたてば幸いです。


<2日目 2019年1月9日(水曜日)-1/2> 
スペイン「世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ」昼食、アラメダ公園、市街地風景、
オブラロイド広場、パラドール・デ・サンチャゴ、サン・マルティン・ピナリオ修道院、キンターナ広場

★★ポルト「アクシス・ポルト・ビジネス&スパ・ホテル」(朝食)
・朝食は、パンやケーキの種類が豊富だ。



★専用バス
・本日から11日にリスボンに着くまでは、黄色いバスだ。どこでも目立つので良かった。


・本日は、スペインの世界遺産サンチャゴ・デ・コンポステーラ向かう。ポルトから北へ約3時間半かかる。

◆添乗員さんから次の案内があった。
・今日は日本ではできないことを二つ経験できます。

・1つめは陸路の国境超え。高速道路上で国境を超えるが、道路に国境線はなく看板があるだけ。
あっという間にスペインに入ります。
・2つめは陸路での時差変更。行きは1時間進み、帰りは1時間遅れます。

◆サンチャゴ・デ・コンポステーラへ着くまでに休憩があった。

★★スペイン世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」観光
◆キリスト教の世界三大聖地のひとつであるサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着した。
聖ヤコブ(スペイン語でサンチャゴ)の墓が発見され、聖地となった町である。

巡礼路の最終到達地となっており、現在も巡礼者が訪れる町である。
巡礼のシンボルは帆立貝である。巡礼者が身に着けているし、町のあちこちに帆立貝の飾り等がある。

◆レストラン ドンキホーテ(昼食)
・店の入口にミシュランマークがあり、店内は額絵や鏡がたくさん飾ってある。



・料理は、パン、ガリシア風スープ、シーフードパエリア、アイスクリームだ。特にパエリアが美味しかった。




・「パン」は英語で「ブレッド」だが、ポルトガル語は「パン」で日本と一緒なのだ。

◆アラメダ公園
・食後、現地ガイドと合流して案内して頂いた。
・公園は丘の上にあり、旧市街地を見下ろせる。遠くにカテドラルも望め、絶景である。



◆旧市街を徒歩移動
・旧市街は、石造りの建物に石畳の道が続く。


・道の脇には、飲食店や土産物店が点在する。「SUSHI」屋もあった。



・教会や修道院もある。




◆オブラドイロ広場
・オブラドイロ広場は広く、歴史的な建物に囲まれている。


・カテドラルの堂々とした建物がそそり立つ。上部の聖人などの彫刻が美しく、見事だ。






・地面に巡礼の終点マークの帆立貝がある。


◆パラドール・デ・サンチャゴ
・オブラドイロ広場に面したパラドール・デ・サンチャゴ(ホテル)は旧王立病院。


・その入口周辺には、アダムとイブなどの見事な彫刻がある。




◆サン・マルティン・ピナリオ修道院
・オブラドイロ広場からカテドラルの下を抜けると、左手にサン・マルティン・ピナリオ修道院がある。


・上部に美しい彫刻がある。



◆キンターナ広場
・カテドラルを挟んで、オブラドイロ広場の反対側にあるのがキンターナ広場。
こちらも歴史的な建物に囲まれている。




・カテドラルの「免罪の門」もある。
7年に一度、7月25日の聖ヤコブの大祭が日曜日になった時以外は開かないといわれる門である。


次回は、一度は見るべきと思った素晴らしい「カテドラル(大聖堂)」をご紹介。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:06Comments(0)ポルトガル旅行記

2019年01月21日

◆ポルトガル旅行記 その1 中部国際空港(セントレア)出発~ポルト到着

≪ポルトガル旅行記≫その1
中部国際空港(セントレア)出発~ポルト到着

★はじめに★
ポルトガルに興味がある方に、参考になるように作ったブログです。
少しでもお役にたてば幸いです。

1.感想
◆ポルトガルを初めて訪れたが、また訪れたいと思う大変良い所でした。

◆ポルトガルは親切で優しい人が多いと聞いたが、その通りでした。
バス運転手や現地ガイド、ホテルやお店の方々も愛想が良く、優しい笑顔で感じが良かった。

ポルトガル語は、おはよう「ボン ディア」と、
ありがとう「オブリガード(女性はオブリガーダ)」しか話せなかったが、
声を掛けると笑顔で返していただけた。

バス運転手さんの見事なハンドルさばきに感激。細い道やV字道での右折は名人技です。
無理なんじゃない、と思うのに上手に曲がります。

◆世界遺産や美しい町並みに風景、教会・修道院の数々、
美しいアズレージョ(ポルトガル伝統の装飾タイル)や彫刻をたくさん見られて良かった。
都市間の移動は高速道路で、道添いの田舎や自然の風景も良かった。

ポルトガル料理や名物お菓子を食べることができて良かった。
土産店やスーパーで、ポルトガル土産を見たり、買うことができて良かった。

◆今回は、添乗員の梶田さんのおかげで、安心して旅ができた。
添乗員さんの力は安心の上で、大きなウエイトを占めている。
徒歩での観光や移動もゆっくり歩いていただき助かりました。

また、ツアー客は21人。
どなたか、強烈な晴れ女・晴れ男の方がいらしたおかげで、全行程を晴天で過ごせた。

超、ラッキー!でした。皆さんに感謝です。

◆旅行日程は2019年1月8日~15日、日本と大差なく寒かった。
ツアー名は<JTB旅物語 プレミアムエコノミークラスを体験!「ポルトガル8日間」 
憧れのポサーダにゆっくり滞在!安心の全食事付(2~6日目)>


2.アドバイス
ご存じの方もあると思うが、添乗員・梶田さんから教えていただいたことと自分の経験からのアドバイスです。

◆パスポート再発行に必要な書類
・紛失時の再発行に必要なパスポート写し、戸籍謄本、写真を持参しよう。
(再発行には、戸籍謄本も必要となり、なければ日本から取り寄せないといけない。

取り寄せるのも大変な手間と時間がかかる。
過去には、取り寄せに時間がかかり、何日も帰国できなかった人もいる。
戸籍謄本は内容に変更なければ多少古くても大丈夫。)

・必要種類一式は、パスポートとは別に携帯することが肝心。
(パスポートと一緒に失くしたら意味がない。)

◆靴・スリッパ
・たくさん歩くので、靴は履きなれて歩きやすい、かつ滑りにくい物にしよう。

(歩いたのは石畳がほとんどだった。
ほとんどの観光地は丘の上にあり、緩い坂や急な坂・階段を上ったり下ったりした。
中には濡れていなくても滑りそうになった坂があった。雨天ならもっと滑りやすい。)

・ホテルは部屋履きスリッパがない所が多いので、スリッパを持参しよう。

◆水の持参
・スーツケースに2本程度の水(ペットボトル)を持参しよう。
(ホテルは、湯沸かし用ポットやミネラルウォーターが置いてないことが多い。)

◆トラブル・治安
・旅にはトラブルがあるかもしれないと覚悟しておこう。
(今回のツアーではトラブルに遭遇しなかったが、添乗員さんの話では過去のツアーで遭遇したそうだ。)

・治安は良いと言われているが、盗難には要注意。
(混雑場所でスリが増えている。海外では荷物を盗まれることもあることを意識する。)

・飛行機が遅れたり、飛ばないこともあると覚悟しておく。
(天候だけでなく、飛行機や飛行場関係者のストライキで、飛行機に影響がでたこともある。
今回も帰国日の1日後は、空港の手荷物検査職員のストライキがあり、フライトに影響が出るそうだ。)

◆時差・時計
・帰国後、時差ボケを早く治すには、帰国日は頑張って夜まで眠らないこと。
・自分の時計をその都度、現地に合わせること。
(外には余り時計がないし、あっても壊れていたり、違っていることがある。)

◆乾燥対策
・水を飲んだり、のど飴をなめたり、乾燥対策をしよう。うがい・手洗を励行しよう。
(晴天が続いたので、空気が乾燥していた。ホテルの部屋も同様で口が乾く。鼻・喉をやられてしまった。)

◆フリータイム
・添乗員さんの案内で、スーパーに立ち寄ったり、観光することもできた。
(どのように過ごすか悩んでいたので感謝。ただし、すべての添乗員さんがそうとは限らない。)

◆観光地情報
・観光地やホテルの情報を事前に知りたければ、自分で調べよう。
(今回のツア-は、チラシに観光先等の詳細情報は掲載されていないし、ミニガイドブックも配布されない。
ただし、添乗員さんが移動中や観光中に歴史も含め、細かく案内してくれた。)

◆混雑
・シーズンオフなので、有名観光地も空いていて、スムーズに観ることが出来た。
(シーズン中は1時間待ちのところも並ばずに入れた。)

≪1日目 2019年1月8日(火曜日)≫
★中部国際空港(セントレア)★
◆7;40、名鉄電車で「中部国際空港駅」に無事到着、第一関門を突破だ。

◆8:45集合だが、JTBカウンターは8:00受付開始、eチケットやイヤホンガイドなどを受領。
JTBカウンター横の両替所でユーロに両替。(現地よりレートが良いそうだ。)

◆ルフトハンザ航空カウンターに並ぶ。
8:15受付開始、搭乗券を受け取り、スーツケースを預けた。
◆いつのまにか出国審査は顔認証になっており、自分で機械にパスポートをかざす。

★ルフトハンザ航空(ドイツ航空)、フランクフルト空港行★
◆搭乗するのは、10:45発「フランクフルト行LH737便」(所要時間約12時間35分)


◆初めての「ルフトハンザ航空(ドイツ航空)」、初めての「プレミアムエコノミークラス」でワクワク。
◆機内サービスは、離陸後すぐにドリンク、クラッカー。ランチは牛肉ハンバーグ又はソース海老かつ丼を選べる。
デザートにキットカットが付いていた。



◆軽食はケーキ又はおにぎりを選べる。さらに夕食はパスタ又は焼肉を選べる。



◆男女のCAは、皆さん笑顔で大変良い感じだ。ほとんど揺れず快適だった。
◆だが、なかなか熟睡できなかった。

★フランクフルト空港(ドイツ)で乗継★
◆15:20着(日本との時差は、マイナス8時間)、乗継の待時間は約5時間。

◆空港到着後、EU入国審査と手荷物検査がある。手荷物検査は念入りに行われており、時間がかかった。
◆待っている間に空港内の「エアーポートマーケット」に立ち寄った。
◆搭乗飛行機の搭乗ゲートは、出発ボードになかなか表示されなかった。

★ルフトハンザ航空(ドイツ航空)、ポルト空港行★
◆20:30発「ポルト行LH1180便」(所要時間約2時間45分)

◆機内サービスは、軽食でチーズサンドとドリンク。
◆到着前にはポルトのオレンジ色の美しい夜景が見えた。照明はオレンジ色だ。


★ポルト空港(ポルトガル)★
◆22:15着(日本との時差は、マイナス9時間)。

◆手荷物検査はなく、スーツケースを受け取り、すんなりとポルトガルへ入国。
◆空港からは専用バスでホテルへ向かう。

★ポルト市郊外「アクシス・ポルト・ビジネス&スパ・ホテル」(宿泊)★
住所:マリア フェリシアーナ通り(RUA MARIA FELICIANA)100 
4465-283 PORTO PORTUGAL
◆23:00頃、ホテルに到着。2泊する。

◆ホテル外壁には、4つ星がついている。


◆部屋は清潔で過ごしやすい。
ポットやアメニティグッズはあるが、スリッパやヒゲソリ・歯みがきセット等はない。


◆8日出発で、家を出てから約26時間たったのにまだ8日だ。長い一日だった。
大変疲れたので、部屋に入ったらすぐに就寝。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:37Comments(0)ポルトガル旅行記

2018年12月02日

岐阜県山県市<中洞白山神社>明智光秀公の墓 (武将のお墓参り40)

★美濃国ゆかりの武将のお墓参り「明智光秀公の墓」
2018.12.2(日)参拝の報告


◆岐阜県山県市中洞の(中洞)白山神社に「明智光秀公の墓」がある。
来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で光秀公が主役なので、ここも脚光を浴びるだろうか。

国道256号の美山第一トンネルを北に抜け、右(東)に曲がると直ぐに細い旧道に入る。
旧道を左に進み、国道下を潜る。


ナビなら、「山県市中洞932-2、ウエルカモ美山(旧美山バルバリー)」を目標にし、
その前の道を北に進むと良い。

◆突き当りの山麓に白山神社がある。


◆橋を渡ると神社の境内に入る。午前9時半頃に到着、さほど広くない境内に車を停めた。


◆神社の入口左側に案内板「明智光秀公の墓」が立っている。


そこには次のように記されている。
「明智光秀公の墓(古文書を要約)
この地、中洞古屋敷白山神社の一角にある高さ一0六cmの石塔と高さ一一二cmの五輪の塔は、
まさしく明智光秀公の墓なのです。

天正十年(一五八二)山崎の合戦で羽柴秀吉に討たれ死んだのは、光秀の影武者荒木山城守行信でした。
光秀は荒木山城守の忠誠に深く感銘し、この事実を子孫に伝えんと荒木の「荒」、恩義を深く感じての「深」で、
自らも荒深小五郎と名乗り、西洞寺の林間に隠宅を建て、乙寿丸と共に住んでいました。

その後、光秀は雲水の姿となって諸国遍歴に出たのですが、
十八年後の慶長五年(一六00)関ケ原の合戦の時、東軍に味方せんと村を出発しましたが、
途中根尾村の藪川の洪水で馬と共に押し流され、おぼれ死んだため、
死骸を山城守の子吉兵衛が持ち帰りこの地に埋葬しました。

以来この地には荒深姓が多く、今でも年二回の供養祭を行っています。

光秀公の義弟、明智孫十郎直経の墓は、この地より国道に出て一Km北へ行ったところに
ありますのでお帰りの際、お立ち寄り下さい。  山県市」

◆案内板の右後ろに「光秀公ゆかりの うぶ湯の井戸跡」とあり、木製の井戸枠がある。


◆境内入口の右側には、木製の案内板があり、
「荒深小五郎の名でこの地に住んでいた 明智光秀公の墓⇒ 
供養祭 四月第二日曜日、十二月第一日曜日」と記されている。


◆境内に数台の車が停まっており、ちょうど地元の方たちが供養祭の準備をしているところだった。
お忙しいとは思ったが、声をかけたところ、チラシ「明智光秀公ゆかりの地を訪ねて」をいただき、
お話を伺うことも出来た。感謝。


◆供養祭の準備をしている方たちは、光秀公の子孫である荒深氏だそうだ。
供養祭は午後二時からで、私は都合がつかず参加できなかった。残念。
なぜ年二回も供養祭があるか尋ねたが、よくわからないそうだ。

◆供養祭が行われる参集殿


◆参集殿の左側に建つ「阿弥陀如堂」の扉が開いており、中の宝物を見せていただいた。


◆建物正面の壁に「阿弥陀堂の由来」が貼ってあり、次のように記されている。
「阿弥陀堂の由来
天正十七年(一五八七)光秀公の母が明智頼武(光秀公の弟)に土岐祖先の菩提を弔うため建立した。
母は自ら仏門に帰依し禅の道に一生を捧げ、天文十一年(一五四二)に大源寺を建立し自ら庵主となり、
後に弟子の月定宗輪禅尼に譲り仏光山西洞寺に入る。(庵の庭)

阿弥陀三尊 一、左尊 木造観音菩薩立像で観音像は両手に蓮台を捧持している姿である
一、中尊 木造阿弥陀如来立像 
一、右尊 木像勢至菩薩立像で勢至菩薩は合掌している姿である 

阿弥陀は観音と勢至を伴って両脇侍として三尊をなしており、
観音は宝冠の中に化仏をつけている、勢至は宝冠に宝瓶をつけている。

阿弥陀如来は西方極楽浄土に往し、四十八の大願がありてその一つである往生願は、
「この如来に念仏するものは必ず極楽浄土へ往き無限の生をうけることができる」と約束されている。
これは所謂来迎菩薩の相という。

また、光秀公は幼少の頃より聡明にして文学軍学兵法を学び、敬神の念も厚く白山神社(氏神)を
崇敬していたため、この白山神社は学問並びに出世の神様と言い伝えられている。」

◆阿弥陀堂内部には、正面に阿弥陀三尊像、
左側面に明智光秀公のご位牌や肖像画などが祀られていた。合掌。(了解を得て撮影)
10時半頃には供養祭の準備が終わり、阿弥陀堂の扉は閉じられ、地元の方たちは一旦帰宅された。


◆「明智光秀公の墓」への入口は、境内入口左にあり、案内板と石柱「灮秀墓」が立っている。
参道沿いには幟「明智光秀公の墓」が立ち並んでいる。


◆参道を進むと右に直角に折れ、緩い坂道となる。杉林の参道の突き当りに墓所が見えてくる。


◆墓所は整備されおり、墓碑と板碑が並んでいる。合掌。


◆明智光秀公の墓碑は、左に五輪塔、右に宝篋印塔。
左後方に石柱があり、「惟任将軍日向守光秀公之墓」と刻んである。


◆板碑には「灮秀卿古墳縁由 當國ノ太守・・・」と桔梗塚の由来を記してある。


◆いただいたチラシは旧美山町(合併して山県市)の発行で、随分昔に作成されたものだ。
表面には「光秀公は山崎の合戦で死んだのではなく、実は、そのとき死んだのは影武者であり、
ひそかに郷里中洞に落ちのびて荒深小五郎の名で住んでいた。」とある。


◆裏面に「明智光秀公ゆかりの地 美山町」として、次の記載がある。
「明智光秀は、美濃国美山町中洞の古屋敷で生まれたのである。

光秀公の遠祖は、土岐氏の流れを組む明智氏の一族で、
土岐美濃守の臣土岐四郎基頼と中洞の豪族中洞源左衛門の娘お佐多(のちに松枝と名乗る)との間に
大永六年(一五二六)八月十五日、長男十兵衛尉として生まれたのである。

また、光秀公の母が懐妊していたとき、岩の上に立って清流に水ごりして、
天下に将たる男子か然らずんば秀麗の女の子を授け給えと祈った行徳岩も
西武芸地内井ノ口用水の下方武儀川左岸にある。

十兵衛尉生まれてから母は中洞古屋敷にある白山神社を崇敬し、学問並に出世を祈願した為、
十兵衛尉は幼少の頃より聡明であったと言われている。
以来この地の山中にひっそりとこもった白山神社は学問と出世の神として地域の人に崇められている。

時を遷て、十兵衛尉七歳のとき、父基頼は病死してしまった。
このとき祖父中洞源左衛門は、亡き基頼の遺托をうけ、美濃国可児郡の明智城に伴い、
明智光綱に預けて,軍学兵法を学ばせ、土岐家の再興を図ったのである。

光綱は、預かった十兵衛尉の利発賢明を喜び、軍学兵法を教えるかたわら
文学をも学ばさんと多治見虎渓山永保寺に通わせたのである。

やがて光綱は、祖父源左衛門に懇願して十兵衛尉を養子として迎えたが十一歳のとき、
光綱は病死してしまった。そのため光綱の弟光安が城主となって、亡兄の志を継ぎ、
十兵衛尉を光綱の後継者として養育に心がけ元服して明智光秀と名づけ、後の日向守光秀となったのである。

明智氏は、土岐氏が衰えてからは、斎藤道三に従い、その子義龍と明智氏は君臣水魚の交わりとなった。
光秀も道三の保護指導をうけて勉学にはげむかたわら戦術兵法、鉄砲術をも伝授し、
また茶道についても京都仕込みの道三から学んだと言われている。

一方斎藤道三は、岐阜城を乗っとり息子の義龍に譲り自分は鷺山城に移り隠居していたところが、
義龍が謀反を起して父道三を攻め殺してしまった。

それを知った明智光安は怒って義龍と絶交するとの使者を送ったため義龍は、光安の態度に立腹して、
三千余騎の兵を立てて長山城を攻めたてた為、「もはやこれまでと知った」光安は、
光秀に「後日明智の家名をあげるため、ひとまずここを落ちのびよ。そしてわが子弥平治光春(秀満)と
甥の次郎光忠をたのむ」と言い残して城と運命を共にした。ときに弘治二年(一五五六)九月二十六日であった。

光秀は逃れて揖斐郡谷汲村府内に身をよせたが、やがて京都嵯峨の天龍寺へ落ちのびた。
ここに落ち着いた光秀は光春を伴い諸国修業の旅に出た。

北は越後の地で上杉謙信の弓矢の道を学び、駿河では今川義元の仕置を学び、
さらに伊勢から泉州堺に出て学識経験を積むこと六年、永禄八年(一五六五)三十八歳で
越前一乗谷城主朝倉義景に仕官し、十五代将軍足利義昭にも仕官、

ついで永禄九年(一五六六)信長に仕官して順次出世、
近江坂本城十八万石、丹波亀山城三十六万石併せて五十四万石の大名に累進した。

時を経て、天正十年六月三日(一五八ニ)羽柴秀吉との山崎の合戦に光秀利あらずして勝龍寺に引き上げ
最後の戦に末子の乙寿丸を伴い共に自害しようと近州観音寺に待期していた。
その時家臣の荒木山城守行信たちが馳せ参じ、
「まだ最後の時にあらず、此の処を一時のがれて再興を謀り給え」と光秀の脱げ捨てた鎧冑に具足を着て
身代わりとなり家来共々敵中に討ち入りて華々しく戦った。

山崎の合戦で、光秀は死んだのではなく、乙寿丸、中洞又五郎と共に百姓姿となって、
ひとまず洛中し大徳寺で味方の最後を見届けていた。
翌日、山城守は光秀の影武者となって山崎で討死した。

光秀は荒木山城守の忠誠に深く感銘し、この事実を子孫に伝えようと自ら恩義を深く感じて、
荒深小五郎と名乗り中洞又五郎に導かれ郷里美濃国中洞に帰って隠宅を建て乙寿丸と共に住んでいた。

天正十七年(一五八九)乙寿丸は十五歳に成長し荒深吉兵衛光頼と名乗った。
光秀は後々のことを中洞又五郎に托して雲水の姿となって諸国遍歴に出るかたわら
羽柴秀吉の敵と味方の大名を探しまわった。

慶長三年(一五九八)春江戸に至り、ひそかに家康と逢い諸大名の様子を談ずると家康は大いに喜び、
光秀の子孫を大名に取り立てることの約束をして帰国した。

後の慶長五年(一六00)八月関ケ原の合戦に東軍に参加するため一族郎党を引きつれて出陣の途中、
おりからの増水した藪川(根尾川)で馬共に押し流されて水死した。
時に慶長五年九月十五日、七十五歳であった。

その遺骸を又五郎らが持ち帰り中洞古屋敷に葬った。これが「桔梗塚」と呼ばれる明智光秀公の墓である。」


◆昔は荒深氏の住む民家が神社周辺に何軒かあったが、今は少し離れた所に住んでいるそうだ。
昔は絵馬を授与していたが、今は境内に掛けられている古い絵馬で偲ぶしかない。

◆境内入口右側に「光秀公が生まれた庵の庭跡地⇒ 山中」の案内標識がある。
その光秀公の母ゆかりの地は、神社の北東の山上にある平地で、登山道があって行くことが出来るそうだ。
矢印の向きは間違っている。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:45Comments(0)武将のお墓参り

2018年07月23日

岐阜県関市迫間<大雲寺> 旗本迫間大嶋家墓所 (武将のお墓参り39)

2018.7.18訪問 
<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>
★(迫間)大雲寺 岐阜県関市迫間1184
旗本「迫間大嶋家」の菩提寺・歴代墓所(初代光俊公~七代義順公)


◆訪れた7月18日は、迫間大嶋家初代(雲四郎)光俊公の命日で、
毎年「十六善神祭」が行われ、寺宝の公開と法要が営まれる。

◆大雲寺は、関市内中心部にもあるが、そちらは大嶋雲八光義公(光俊公の父)の菩提寺・墓所である。
こちらは、関市の東南部に位置し、周りは山の静かな里にある。

◆寺の周りに「大嶋雲四郎」ののぼりが立ててあり、
境内入口に「十六善神祭」などのポスターが掲示してあった。


◆今年の「十六善神祭」の内容は、次の通り。
13:00~13:30 ミニコンサート「クラビノーバ演奏で先祖を偲ぶ」
13:30~13:40 解説「豊中市大島町 大島鳩恩会来訪と六代目義苗公」
13:40~14:40 歴史講座「大嶋公と美濃の武将たち」
14:40~15:00 大嶋公供養、15:00 お餅配り

◆本堂で、寺宝の「十六善神」と「十六羅漢」の軸、六代義苗公愛用の鎧兜が公開され、
間近で拝見することができた。

十六羅漢は、個性的な姿でユニークだ。


◆十六善神は、雷除けに御利益があるそうで、手作りのお守りや御札を販売していた。
落ちないということで、合格祈願の受験生も求めるそうだ。

◆本堂には、大嶋雲八光義公(光俊公の父)と迫間大嶋家歴代の御位牌が祀ってあり、
本日の司会を担当される酒井氏(関市甲冑同好会)の案内で拝見することが出来た。

◆本日は、大嶋雲八光義公と大嶋雲四郎光俊公(光義公の三男、迫間大嶋家 旗本初代)の
御位牌は、ご本尊の前に並べてあった。合掌。


◆他の方の御位牌は、ご本尊の左側にあり、6段に並んでいた。合掌。


◆本堂の壁に、「大嶋家系図」や「大嶋雲八光義公」「大嶋雲四郎光俊公」他の略歴が掲示してあった。
系図などの一部史料は配布され、持ち帰ることが出来た。ありがたい。



◆本堂のすぐ左手に大嶋家歴代の墓所があり、本堂からも立派な墓碑を見ることが出来る。


◆墓所へ行くには、本堂左前に建つ観音堂の左の3段の石段を上る。


◆観音堂の後ろに回り、突き当りの山際が迫間大嶋家の墓所である。


◆立派な墓碑が3列に並ぶ。合掌。(境内も墓所もきれいに整備されている。)
当主たちの墓碑は上段で、他の墓碑よりも立派だ。


◆前列右端に石柱で囲まれた墓所があり、真ん中の石柱に「光重公墓」と刻まれている。
これは、大嶋光俊公(別名は光重)の墓である。囲いの中に墓碑はなかった。


◆上段の当主たちの墓碑は、9基並んでいる。
右から順に、七代義順公(よしのぶ、高勝院殿)、二代義治公(よしはる、大久院殿)、
初代光俊公(みつとし、巨積院殿)


◆次(右から四番目)は、大嶋雲八光義公(大雲寺殿)の墓碑である。


◆次は、二代義治公の弟光隆公(養浩院殿)、三代義雄公(よしお、性圓院殿)、
四代?の室(妙成院殿)、四代義高公(よしたか、大智院殿)、五代義敬公(よしゆき、大通院殿)、
六代義苗公(よしみつ、法名は削れて判読不可)である。


◆本日は縁あって、「大嶋雲四郎光俊公」の401回忌法要に参加することが出来た。
寺宝なども拝観できた。関係者の方々に感謝。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:35Comments(0)武将のお墓参り

2018年07月16日

岐阜県羽島市<願教寺> 稲葉山(岐阜)城主「斎藤龍興公」墓所その2 (武将のお墓参り38)

2018.7.16訪問
≪宝積山 願教寺≫ 岐阜県羽島市足近町市場71
織田信長公に追い出された斎藤龍興公(道三公の孫)のお墓参りをした。


◆『足近町歴史点描』に次のように記載されている。
【・稿本美濃誌には次のように記している。

「天正年中、斎藤竜興が石山で雑兵に混じって信長と戦った時に、
勢州長島願教寺第三世了願もまた石山にあって竜興と好を結んでいた。

天正八年信長と石山の和解が出来て共に美濃に帰り、当(足近)中島に住んだ。
天正十年五月五日、竜興が自刃したので了願は、佐波村字本養に本養寺と云う
元天台宗の寺があり、荒廃して塔頭誓浄坊だけが残っていたのと生国の願教寺を
移し合せて一宇を建立し、願教寺と称した。同寺に斎藤系図が残されている。

境内に竜興のものと伝わる連五墓碑(小さな一石五輪塔)あり。
「華貞院竜興 天正十年五月五日」

・寺に斎藤義竜の位牌「円城院殿釈義竜 永禄四年五月十六日薨」と記され立派。

・竜興の墓は二説ある。羽島説では「越前朝倉氏滅亡の時、竜興自身は甲冑を
臣下に着せ替えて戦死とみせかけ影武者となる。やがて石山において再び信長と戦う。

願教寺第三世了願を伴い美濃国直道村(現 足近町直道)へ来る。
この地にてひそかに再興の機をうかがうが、事ならず。天正十年五月五日自決する。
よって、この願教寺に墓がある。」

墓が小さく作られているのは、戦国の世において敵側の目をはばかるためと言われている。】

◆『羽島市史』にも同様の記載がある。そこで、願教寺を訪れることにした。
お寺は、神社の隣りにひっそりと建っていた。

◆ご住職にお会いしてお話を聞くことができ、
龍興公の五輪塔や斎藤氏三代の御位牌を拝見することが出来た。
そして、写真撮影とブログ掲載も快く了解いただいた。

◆ご住職と一緒に本堂へ入った。中央にご本尊、左に斎藤氏三代の御位牌が並んでいた。
ご本尊に合掌。

◆御位牌の後方には、東洋大学の井上氏書の掛軸「前金華山城主 斎藤家菩提所」と
「源平 洲俣合戦古跡」が掛けてあった。


◆御位牌は、右端が斎藤義龍公で表に「圓城院殿釋義龍」、
裏に「永禄四年五月十六日薨 謹菩提所願教寺納之 齋藤氏嫡流」と記されている。

真ん中が龍興公で表に「華貞院殿釋龍興」、裏に「天正十年五月五日薨 菩提寺納之 齋藤氏一族」、

左端が小兵衛義仁公(龍興公の子)で表に「圓融院釋義仁」、
裏に「寛永元年六月十二日卒 爲小兵衛菩提願教寺納之 齋藤氏」とある。



御位牌は、後世になって子孫の方が作ったらしい。

◆龍興公のものと伝わる連五墓碑(小さな一石五輪塔)は、
盗難防止のため本堂内に安置されており、奥から出して見せていただいた。
高さ35センチ程の大きさであった。合掌。


◆当寺は、大正時代に現在地へ移転。
旧地には龍興公の墓である塚があり、その上に大きな松と一石五輪塔があったそうだ。
移転後は農地となり、全て跡形もない。

旧地の墓地から骨片を集め、現在地の鐘楼南の「南無阿彌陀佛」石碑下に納めたそうだ。合掌。


◆ご住職の親切なご案内のおかげで、本では分からない事を知ることが出来た。
また、ご夫人の冷茶の御接待がありがたかった。ご縁に感謝。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:02Comments(0)武将のお墓参り

2018年06月09日

岐阜県恵那市岩村町<乗政寺城主墓地>岩村城主丹羽家廟所&松平家乗公廟所 (武将のお墓参り37)

美濃国ゆかりの武将のお墓参り
2018年6月5日訪問

岐阜県恵那市岩村町殿町122、恵那特別支援学校の北側
≪乗政寺城主墓地(大名墓地)≫の岩村城主丹羽家廟所と松平家乗公廟所


◆NHK朝ドラ「半分、青い。」で注目を浴びている岩村を訪れた。
その日は、ちょうど本町商店街で俳優の佐藤健君らが撮影をしているところだった。
ロケ地を遠巻きに見てから、商店街で五平餅を食べた。その後で岩村城主の墓参に向かった。

◆坂に沿って商店や飲食店が立ち並び、坂の上は岩村城跡に繋がっている。
岩村城跡の麓、商店街の外れに乗政寺城主墓地がある。
乗政寺城主墓地は、案内パンフレットには「大名墓地」と載っている。
そして、山の斜面にある墓地の下方入口には、「乗政寺山墓地」と刻んだ石標がある。


◆道路から坂を少し上ると、案内板「岩村町指定史跡 乗政寺城主墓地」があり、
次のように記してある。
【慶長六年(一六0一年)松平家乗(大給松平本家)が岩村城主となり、この地に龍巌寺を建立した。
寛永十五年(一六三八年)に松平氏は浜松(静岡県)へ移り、
三州伊保(愛知県豊田市)から丹羽氏がきて妙仙寺とした。

元禄十五年(一七0二年)に丹羽氏は越後高柳(新潟県)へ移り妙仙寺も同地へ移った。
丹羽氏の後へ信州小諸(長野県)から大給分家の松平氏が移り、
小諸城内にあった乗政寺をここへ移した。

この地は由緒ある地で城主や家臣の墓が多い。
乗政寺は明治四年(一八七一年)に廃藩置県となり住職も死んだのを機会に廃寺とし、
寺佛等を縁の深い隆崇院へ移管し建物も壊した。

城主の墓は、松平家乗、丹羽氏四代、分家松平氏の乗薀嫡子で林述斎の兄の乗国ほかがある。
特に丹羽氏の墓は巨大であるが、若くして死んだ丹羽氏明の墓は六地蔵を配してある。

分家松平氏家臣の墓も多く、役家の丹羽瀬、大野、佐藤家等や講談で知られた小兵の居合抜きの
名人「美濃の小雀」こと井野猪左衛門の墓、東京の実践女子学園の創設者で、
愛国婦人会長となった明治、大正の女傑下田歌子女史の墓もここにある。

この墓地一帯の山を今も乗政寺山と呼んでいる。】

◆岩村城主丹羽氏の廟所は、案内板の左にある階段を上り、突き当りを右に上った所にある。


◆入口に「岩村城主 丹羽家廟所」の石柱が建つ。廟所は山腹に横に広がっている。合掌。


◆右方に氏信公(左側)とその母(右側)の墓碑が並ぶ。


案内板に次のように記してある。
【丹羽氏信墓 丹羽氏初代岩村城主 三河伊保(現豊田市)より転封し、正保三年(一六四六年)没。
●●当初の御霊屋が朽ちたので、約百年後に法名と経過を刻んだ石柱を西川玄益が建てた。】

【丹羽氏次室 丹羽氏信母墓 長久手の戦いで大功たてた丹羽氏次の室で岩村城主丹羽氏信の母である。
当初の御霊屋が朽ちたので約百年後に法名と経過を刻んだ石柱を西川玄益が建てた。】一部判読不可

◆石柱「岩村城主 丹羽家廟所」の後方に、丹羽氏定公の墓碑があり、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏定墓 丹羽氏二代岩村城主 明暦三年(一六五七)没。桃蕚山妙法寺を開創した。
当初の御霊屋は朽ちたので、約八十年後に法名と経過を刻んだ石柱を●●】一部判読不可


◆その左方に四基の巨大な墓碑が並ぶ。右端「實相院殿・・・大姉」は三代氏純公の室、
右から二番目「曹渓院殿・・・大姉」は初代氏信公の室の墓碑である。


◆さらに左方には、丹羽氏家臣の墓が七十基ほどが積まれた無縁供養塔がある。
無縁供養塔の左奥にお地蔵さんがあり、その後方にも丹羽氏の墓碑が並ぶ。


◆右方には丹羽氏春公の墓碑があり、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏春墓 丹羽氏初代岩村城主氏信の三男で分家した。四代岩村城主丹羽氏明が急死したので、
氏春の次男氏音が養子し五代岩村城主となった。元禄九年(一六九六)没。】


◆その左は丹羽氏明公の墓碑で、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏明墓 丹羽氏四代岩村城主 貞享三年(一●八六年)疱瘡により二十歳で没す。独身。
若くして没した●●、地蔵、灯籠等を配し大●●かで、もっとも立派で●●】一部判読不可


◆お地蔵さんの真後ろは丹羽氏純公の墓碑で、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏純墓 丹羽氏三代岩村城主 明暦三年(一六五七)家督相続。延宝二年(一六七五)岩村にて没す。
三十八歳。氏純は大将陣に五仏寺を建て秋山信友夫妻らの霊を弔った。】 


◆その左方「芳春院殿・・・大姉」は、二代氏定公の室の墓碑である。


◆岩村城主松平家乗公廟所は、案内板「岩村町指定史跡 乗政寺城主墓地」を右に進み、
緩い坂を上った奥にある。合掌。


◆石垣の上に墓碑があり、案内板に次のように記されている。
【松平家乗墓 大給松平本家初代岩村城主 慶長十九年(一六一四)岩村城にて没。
当初は大きい御霊屋を建て、位牌等を安置していたが●●朽ちたので、石柱を建て墓●刻●】一部判読不可



もうひとつの案内板「岩村城主松平家乗公廟所」には、次のように記してある。
【松平家乗公略歴 
天正三年  三河国大給(現豊田市大内町)に生まれる。父真乗。幼名源次郎。
天正十年  八歳にして父の遺領を継ぎ、大給を領す。
天正十五年 徳川家康の御前にて元服、家康の家の字を賜り家乗と名乗る。
天正十八年 小田原の陣に従軍。家康公関東入国のとき、上野国那波(現群馬県伊勢崎市)一万石を拝領。

慶長五年  関ケ原の戦には、三河国の吉田城を守る。
慶長六年  美濃国岩村二万石を拝領。
慶長十九年 二月九日 岩村城にて卒、四十歳。 法名「大聖院殿乗誉道見大居士」 
嫡男乗寿が後を継ぎ、寛永十五年岩村から遠江国浜松に移され三万六千石余を領す。

後、上野国舘林に移され六万石余を領す。慶安四年老中となる。その子孫は、奏者番・寺社奉行・大坂城代・
京都所司代など幕府の重職を勤め、特に乗邑・乗完・乗寛・乗全は老中として幕政に活躍した。
所領は美濃国岩村ー遠江国浜松ー上野国舘林ー下総国佐倉ー肥前国唐津ー志摩国鳥羽ー伊勢国亀山ー
山城国淀ー下総国佐倉ー出羽国山形と替り、三河国西尾で明治維新を迎えた。】

◆松平家乗公廟所の上方左に松平家供養塔がある。(写真の中央の坂を上り、突き当りを左奥の方へ上る。)


◆大きな五輪塔が四基、お地蔵さんが一基並んでいる。合掌。


右端の五輪塔の案内板に次のように記してある。
【松平真乗供養塔 大給松平本家初代岩村城主松平家乗の父で、天正十年(一五八二)没。
三十七歳であった。家乗が岩村在城中の慶長十五年(一六一O)に父の冥福を祈って建てた。】

右から二番目の案内板には【松平乗国供養塔 乗国は大給松平分家三代岩村城主松平乘薀の長男で、
明和七年(一七七O)九歳で没した。林述斉の兄である。実母は供養塔を建て、法華経一千部を手書きして埋めた。】

三番目は「乗友公(大成院殿、四代乗保公の長男)供養塔」であるが、案内板は朽ちていた。
左端「松樹院殿供養塔」の案内板は見当たらない。

◆後日、図書館で調べたところ、「岩村町史」に次のように記載されていた。
【乗政寺経塚 
松平家供養塔が四基ある。盛塚はなく石垣で囲まれた地域内に四基が行儀よく並んでいる。
それは左の如くである。

梅香院殿清岸道翁大禅定門 (松平真乗) 慶長十五年七月
松樹院殿栄誉盛吸大信女 (松平家乗室) 寛永九年八月一日
大成院殿仁雄知道大居士 (松平乗友) 享和元年六月十八日
玄達院殿踏雲幼光大童子 (松平乗国) 明和壬辰十一月大祥日

これは塚はないが、やはり経塚であって埋経して建てた石供養塔で、決して墓ではない。
それは銘記の文章で明らかである。

先ず松平真乗は岩村初代城主松平家乗の父で、天正十年三月に没した人である。
慶長十五年家乗が岩村在城中に父の冥福を祈って建てたものである。

次の松樹院の供養塔は、寛永九年に松平乗寿が実母松樹院のために逆修として供養したものである。
松樹夫人は松平家乗の正室であり、大垣城主石川康道女である。
寛文元年十月に没したのであるが、この塔の建てられた寛永九年はまだ存生中である。
生前中に仏事供養をすることを逆修という。塔前に逆修也とある。

大成院殿は松平乗友で、松平乗保の嫡男である。享保元年六月十八日、二十歳で江戸で没した。
まだ相続していなかったので世代に入らないが、任官もし正室を迎えていた。
時期さえ来れば当然乗保の後を受けて藩主となるべき人が早世の故に部屋住の内に終わったことは、
父乗保も実母も悲歎が深く、上野春性院に墓を建てると共に岩村に供養塔を建てたのである。

玄達院は松平乗国で城主松平乘薀の嫡男である。三男は乗衡で後の林述斎である。
乗国は長男として生まれ、幼名永之助といった。成長すれば当然城主となるべき人であったが、
僅か九歳で明和七年十一月九日没したのである。
嫡男であったから上野春性院の墓地に歴代当主と列べて葬られたが、実母はその悲しみに耐えず、
国元岩村に供養塔を建てたのであるが、自ら法華経一千部を手書きして埋めた。
五輪塔の礎石に長文の銘文を刻した。】

以上  


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2018年05月13日

岐阜県八百津町<大仙寺>和知城主「稲葉氏」墓所、豊後高田藩主「松平重直公」墓所 (武将のお墓参り36)

2018.5.1参拝
<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

★★『大仙寺』 岐阜県八百津町八百津4345-1
大仙寺は和知城(稲葉城)主稲葉氏菩提寺で、城主四名の墓碑がある。
また、豊後高田藩主「松平重直公夫妻」の墓所でもある。


★稲葉氏について「八百津町史」には、
【稲葉一鉄の末子右近大夫方通(初代)は、安八郡西保城(岐阜県安八郡神戸町)より、
天正十八年(1590)和知に移封され、和知城を築き城主となった。

関ケ原の役に東軍に属して功をたて、四千四百三0石を賜う。
元和三年(1618)徳川家康の命により、尾張藩義直卿に附属せしめられた。
寛永十七年十月1日卒。大仙寺に葬る。
墓碑・鐡巌道堅居士右近大夫方通(城主としては質素な駒形石碑)

(二代) その子主計知通、家督を継ぎ、後隠居し、特に隠居料千石を賜った。
明暦三年(1658)8月卒。大仙寺に葬る。墓碑・鐡心道要居士主計智通

(三代) その子右近正通、家督を継ぐ。明暦三年八月卒し、大仙寺に葬る。
墓碑・鐡曳隆元居士右近正通

(四代) その子右近良通、父の遺領を継ぎ、延宝二年二月卒し、大仙寺に葬る。
墓碑・鐡龍春輪居士右近良通

(五代) 良通子無き為、幕府は命じて外孫、右平次屋通を嗣とし、旧邑を賜った。
延宝四年三月卒し、名古屋禅流寺に葬った。
子がなかったので家は断絶し、領邑は尾州藩に帰属した。】と記載されている。

◆大仙寺は山麓に建ち、入口に建つ江戸時代建立の惣門は、どっしりしている。


◆惣門の先は、緩い石段の参道になっている。参道の左側には、石仏が並んでいる。


◆石段の参道は突き当たると、右に進む。石垣と白壁が美しい。


◆次は、やや小さい山門を潜る。


◆山門を潜り左に進むと、立派な庫裏があり、その先が本堂前である。合掌。


◆本堂の左奥に墓地への入口がある。


◆本堂の後方の斜面が墓地になっており、階段を上る。


◆階段の突き当りを右に進む。


◆T字路を左に上がると、稲葉家の墓碑が並ぶ。稲葉家下段の墓所である。合掌。


◆一番手前(右端)が、初代稲葉方通公(鐡巌道堅居士)の墓碑である。


◆3代正通公(鐡叟隆元居士)の墓碑は、左から2番目である。


◆稲葉家下段墓所の右端を右に進む。


◆そして、階段を上った所が、稲葉家上段の墓所である。合掌。
右端が、2代知通公(鐡心道要居士)の墓碑である。


◆右から3基目(写真の右側)が、4代良通公(鐡龍春輪居士)の墓碑である。


★豊後高田初代藩主「松平重直夫妻」の墓所については「八百津町史」によると、
【墓碑(五輪塔):※東照院前丹州太守大心道鉄大居士(寛永十九年十一月)

墓地の丹後堂と称する所に大きな五輪塔が二基祀ってあるが、
この墓は九州臼杵の城主松平丹後守と申す領主が、非常に国師に帰依し遂に大仙寺で亡くなり、
後日城主の妻も遺骨が此処に葬られたと伝えられている。

国師に帰依した動機は,或年丹後守が参勤交代で江戸に登られ太田の渡しを越そうとした時、
国師も通り合わせ、その船に飛び乗られた所、家来共は無礼者として国師を船より下ろしてしまった。
国師はこの船は川の真中より進まないと仰せられたが、その通り船は動かなかった。

城主を始め家来の者共は、非常に驚き不思議に思ったが、どうすることもできない。
そこで国師の法力の偉大さに恐れ、国師を再び乗せたら船は楽々超すことが出来た。

城主は国師の偉大なる僧侶であることを知り深く帰依し、
遂に国師の手厚い看護を受けて死去されたとのことである。

※松平重直(寛永十九年十一月28日没、恵照院大心道徹)
(杵築藩能見松平家の松平重忠の娘婿)出羽上山藩主、摂津三田藩主、豊前龍王藩主、豊後高田藩主】
と記載されている。

◆「松平重直公夫妻」の墓所の参道は、本堂下の右方にある第二駐車場前にある。


◆斜面にある墓地の間の長い階段を上る。



◆上り切ると、左奥に立派な五輪塔が二基見えてくる。




◆左側が松平重直公、右側が夫人の墓碑である。
3m以上あろうかという巨大な五輪塔で、近くで見ると圧倒される。合掌。


★稲葉家墓所も松平夫妻墓所も、案内板は一切なく残念だった。手探りで墓碑を探した。
しかし、墓所も含め境内全体がきれいに清掃されており、良いお寺だった。

◆「稲葉家墓所」配置図を作成したので、参考になれば幸いである。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:07Comments(1)武将のお墓参り

2018年05月10日

山梨県山中湖村<食彩ペンションくりの木の下> (美味しかった21)

★食彩ペンションくりの木の下★
山梨県山中湖村山中1385☎0555-62-1026
「料理良し、富士山の眺め良し、お風呂良し」なのに、お値打ちな宿である。

2018.4.26宿泊
◆この宿に昨年初めて泊って大変良かったので、今年も訪れた。

◆宿は富士山の東北、山中湖の北方に位置し、高台に建っている。
到着時は、雲のすき間から富士山を見ることが出来た。


◆お風呂は、伊豆石という緑色っぽい石が湯船と床に貼ってある。
肌触りが良くて、いいお風呂だ。


◆夕食は、ダイニングでいただく。
料理はどれも、目で味わい、舌で味わえた。盛り付けも味も素晴らしい。(写真は料理の一部)





食後のハーブ入りフルーツティも美味しかった。


料理に大満足、「食彩」と謳っているだけあると思った。

◆料理担当はご夫婦二人。食べ歩きをしていると伺った、研究熱心なのだ。

◆夜は敷地内にキツネが来るそうで、部屋の灯りを消すと、子狐の姿を見ることができた。

◆翌朝は、宿から美しい富士山を裾野まで見ることが出来てラッキー。


◆朝食前に散歩にでかけた。宿は森の中にあり、ウグイスなどの小鳥のさえずりが聞こえる。
宿には、野鳥好きの方も泊まりにくるそうで、バードコールが置いてあった。


◆「花の都公園」まで徒歩5分程で到着。
早朝で公園には入れないが、公園前のチューリップ畑越に富士山を眺められた。美しい眺めだ。



◆朝食は、窓越しに富士山を眺めながらいただいた。贅沢だ。


おいしい朝食は、野菜がたっぷりなのもうれしい。(写真は料理の一部)



◆宿のご夫婦の笑顔も素敵だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:48Comments(0)美味しかった

2018年04月11日

★イタリア旅行記★その13 「ナポリ車窓見学」「カンツォーネディナーショー」「帰国」

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着

イタリア旅行記も今回で最終回です。6日目~8日目帰国までの内容です。

<6日目 2月25日の2> 「ナポリ車窓見学」「カンツォーネディナーショー」「ローマ宿泊」
★★★ナポリ
★バス(車窓)
◆ポンペイからバスでナポリへ向かう。
途中で右手にヴェスヴィオ火山が見える。進むにつれて、山の形が変わっていく。


★ナポリ(車窓見学)
◆ナポリは、南イタリア最大の都市である。
「人情味溢れる下町気質の陽気な人々、自然の恵みがたっぷりの美食、歴史を感じる史跡など、
魅力がつまった都市」とガイドブックに書いてある。

◆ナポリの新市街のビル群が見えた。


◆旧市街には、レトロな建物が立ち並ぶ。脇道は、歩道は広いが車道は狭い。



◆海沿いのお城を見ることが出来た。


◆ナポリは、車窓から見ただけでは物足りなかった。
次にイタリアを訪れることができたら、下車観光をしたい。

★バス(車窓)
◆ナポりからローマに戻る。ナポリの北から見たヴェスヴィオ火山。街まで近い。


◆傘松が並んでいるのが見えた。途中で、トイレ休憩あり。


◆美しい風景もあった。


★★★ローマ
★(ホテル}「シェラトン パルコ デ メディチ」(休憩)
◆ローマは雨だった。ナポリからホテルに戻り、部屋で1時間ほど休憩。

★カンツォーネディナーショー
◆オプショナルツアーの「カンツォーネディナーショー」行のバスが来た。
ローマ旧市街へ向かう。ドライバーはアントニアさん、現地ガイドは日本人の出口さん。

◆ガイド出口さんの案内とレクチャー
・今日はサッカー観戦の車で道が混んでいる。

・ディナーショーのメニューは、リボン形のパスタ、ローマ名物「サルティン・ボッカ(ポーク)
生野菜の付け合わせ」。デザートはベリーたっぷりのケーキ。

テーブルに最初からパンが置いてある。
一人に2グラス、テーブルに置いてあるワインと水は、セット料金に含まれている。

・レストランは薄暗い。オペラ歌手が、イタリア民謡やオペラを歌ってくれる。
舞台はなく、各テーブルにも来てくれる。フラッシュ撮影もOK、記念撮影OK。

・歌のリクエストOK。よくリクエストされるのは、サンタルチア、オーソレミオ、
フニクリフニクラ、オペラのトゥーラントッドなど。

・歌い終わったら、自分のCDを売り込みに来る。気にいったら買ってね。
チップは、紙幣を折り畳み、握手した際に渡すと良い。

・歌手は気分がのってくるとサービスしてくれる。歌手が男性1人なら「ブラボー!」、
女性1人なら「ブラバー!」、男女ペアなら「ブラビー!」と声をかけてみましょう。

◆レストラン「カサノバ」に到着。
「カンツォーネディナーショー」の参加者10人は、1テーブルに通された。
先客がいて、男性歌手が歌っている最中だった。

◆テーブルの上には、赤と白のワインが各1本置いてあった。10人でシェアする。


◆歌手は男性1人、ピアノの男性1人だった。
とても良い声で歌い、聞きほれた。「ブラボー!」と声を掛けた。
聴いたのは、サンタルチア、オーソレミオ、フニクリフニクラ、タイムトゥーセイグッバイなど。



◆手招きすると、我々のテーブルに来てくれた。記念撮影にも快く応じていただいた。
CDを買うツアー客もいた。


◆料理は、歌っている最中に出てきた。ガイドさんの案内通りの内容だった。
リボン形のパスタ、ローマ名物「サルティン・ボッカ(ポーク)、ケーキ




◆デザートを食べ終えると、我々のショータイムは終わり。
帰る前にもテーブルに来てくれたので、握手をしてチップを渡した。
良い時間を過ごさせていただいた。参加して良かった。

★(ホテル}「シェラトン パルコ デ メディチ」(宿泊)
◆バスでホテルに戻り、気分良く寝ることが出来た。

<7日目 2月26日> 「帰国 ローマ~ヘルシンキ」
★★ローマ
★(ホテル}「シェラトン パルコ デ メディチ」
◆ローマの朝は雪だった。少し積もっている。波乱の幕開けだった。

添乗員さんによると、ローマでは2012年以来6年ぶりの雪だそうだ。
「めったに見られません。ぜひ写真に撮ってください。」と言われた。


◆朝食はホテルのレストラン。まだ準備中だったが、中に入れた。
ベーコン、サラダなどは、まだ用意されていなかった。でも他の料理で十分だった。


◆今朝の出発は7:45。バスで空港に向かう。

★ローマ フィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ビンチ空港)
◆ホテルからバスで約15分。
道路の端に雪が残るが、無事に空港に到着。空港に近いホテルで良かった。

◆添乗員さん情報・・・フランクフルト空港やパリ空港は、雪に弱く、閉鎖になることもある。
ヘルシンキ空港は雪に強いので大丈夫だ。

◆空港到着時には、フィンランド航空(フィンエアー)のチェックインカウンターに誰もいなかった。
並んで待っていると、あっという間に後ろに列ができた。


しばらくすると、やっとで係員1人が来て受付開始。

◆順番が来ると、スーツケースを預けた。
スーツケースや手荷物に付けるタグは、自分たちで付けた。

係員は、列が長くてもゆっくりと手続きをする。決して急がないのがイタリア流だそうだ。
搭乗券を受け取り、他のツアー客のチェックインを待つ。

◆もう一人係員が遅れてやってきた。ほかの係員は、雪でいつ到着するかわからないそうだ。

◆添乗員さんによると、「他の空港から飛行機が到着しないため、遅れている便がたくさんある。
だが、我々が搭乗する飛行機は昨夜ローマ空港に到着しているから、少し遅れる程度だと思う。」

でも、搭乗ゲート係員はチェックインカウンター係員が兼ねており、
搭乗客全員のチェックインが終わらないと搭乗できないそうだ。心配だ。

◆手荷物検査をスムーズに終え、搭乗ゲートに向かう。
この時点では、出発便ボードに我々の乗る便の遅れは表示されていなかった。


◆搭乗ゲートへの通路脇に土産屋や飲食店などが並んでおり、買い物を楽しんだ。
そして、添乗員さんお勧めの店でジェラートを食べた。美味しかった。


◆搭乗ゲートには出発予定時間より早めに向かった。
着いた時には、周りの搭乗ゲートも含め、長い長い列ができていた。
とりあえず、搭乗ゲート近くで待った。

周りの搭乗ゲートも含め、列が動かないので心配になったが、待った。
左側の搭乗ゲートの列が動いた。こちらもと期待して待った。

右側の搭乗ゲートの列も動いた。こちらもと期待して待った。
添乗員さんが確認したところ「飛行機まで行くバスの運転手が少ししか出社しておらず、
このようなことになっている。」とのこと。信じられない、アンビリーバボー!!

添乗員さんから「ヘルシンキ空港で乗り替えだが、中部国際空港行は17:15なので、
待っててくれると思うがはっきりとはわからない。待ってなければ、ヘルシンキ泊まりとなる。」
どうなるやら。待つ間、土産店で菓子などを買って食べた。

◆両端の搭乗ゲートの列がなくなった。しばらくして我々の便の搭乗案内があった。
やれやれ、最後かよ。

★フィンランド航空(フィンエアー)ヘルシンキ行
◆空港ビルから連結バスで飛行機まで行った。
空は晴れ、滑走路には雪もない。出社が遅れたバス運転手をうらんだ。

◆バスを降り、前後にあるタラップで飛行機に搭乗。


搭乗してからも40分ほど待った。結局、10:55発が14:55に変更となった。4時間遅れの出発だ。
ローマ空港に7時間ほどもいたことになる。こんなことになるなんて。

◆機内サービスは、最初にチョコヌガーの小さいのを1個、腹が減っていたので美味しかった。
ドリンクは、コーヒー、紅茶、ブルーベリージュース、水のうち1つを選ぶ。

◆離陸してしばらくしてから、機内アナウンスがあった。何を話しているかわからない。
添乗員さんから「乗り継ぎ便がヘルシンキで待っている、とアナウンスがあった。」と知らせてくれた。
ホッとした。

◆ヘルシンキ上空で、美しい夜景が見れた。
街灯をはじめ、街の灯りはオレンジ色が多く、暖かい感じがする。

★★ヘルシンキ
★ヘルシンキ空港
◆ヘルシンキ空港に18:53(ヘルシンキ時間)着陸、約3時間のフライトだった。

◆出発便ボードの我々の便には「最終案内」と表示されていた。


EUの出国審査では、出発時間を大幅に過ぎているが大丈夫か尋ねられた。
添乗員さんが「OK」と言ってくれて無事通過。
ツアー客全員の出国審査が済むと、大急ぎで搭乗ゲートへ向かった。

★フィンランド航空(フィンエアー)中部国際空港行
◆中部国際空港行の便は、待っていてくれた。3時間以上も待っていてくれた。「ありがとう!」
17:15発の予定だったのに、20:30頃の離陸となった。

◆座席は、2・4・2列。席に枕・毛布・ペットボトル(小)の水がある。前にTV画面もある。
フライト予定時間は、9時間15分とアナウンスがあった。

◆機内食の夕食は、「照り焼きチキンとライス」か、「ミートボールとポテト」かを選べる。
残念ながら、どちらも味付けは甘ったるくて、我々の好みではなかった。



◆ドリンクは無料。コーヒー、ビール、ワインなど。いろいろあって良かった。

◆帰りは、行きと飛ぶコースが異なる。行きよりも南を飛ぶ。


それでも、暫くは雪景色の中を飛んだ。



<8日目 2月27日> 「帰国 ヘルシンキ~中部国際空港」
★フィンランド航空(フィンエアー)中部国際空港行
◆朝鮮半島に近づいた10時(日本時間)頃に朝食が出た。
玉子焼き、ウインナー、ポテト、温野菜、ヨーグルト、胡麻パン、マフィンだった。


★★帰国
★中部国際空港
◆日本時間12:03着陸。予定より2時間20分遅れだが、無事に帰国できてよかった。

◆スーツケースを受け取り、添乗員さんに御礼を言って出口へ。頼りになる添乗員さんで良かった。
◆空港内の「風の湯」にゆったりと浸かってから帰宅した。広い湯船はいいね。

★★最後に
◆今回の旅は、観光中の悪天候有り、帰国便の遅れ有りで、大変な旅になった。
こんな大変な旅は、初めてだった。

しかし、素晴らしい観光地を巡り、ツアー客の方たちとのおしゃべりができて、
全体では大変楽しいイタリア旅行だった。思い切って行って良かった。
「添乗員さん、ツアー客の皆さん、現地ガイドさん、ドライバーさん、ありがとうございました。」

おしまい

PS カメラの日付は、日本時間のままなので、実際の日付と合わない写真もあります。あしからず。

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 13:44Comments(0)イタリア旅行記

2018年04月08日

★イタリア旅行記★その12 「世界遺産ポンペイ遺跡」

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス★イタリア決定版8日間★ 中部国際空港発着
<6日目 2月25日の1> 「ローマのホテル」「世界遺産ポンペイ観光」 

★★ローマ
★「「シェラトン パルコ デ メディチ ローマ ホテル(3号棟)」
◆ローマの朝は晴れていた。


◆朝食は、ホテルのレストラン。今回の旅では一番良かった。
メニューは、クロワッサン、ケーキ、ハム、チーズ、マフィン、ラスク、ジャム(瓶入り)など。
サラダもあって良かった。



◆フルーツは、生のパイナップル、メロン、ドライのクルミ、プルーン、アンズ、バナナなどもある。


◆本日は終日、自由行動である。
しかし、我々はオプショナルツアーで、「ポンペイ・ナポリ観光」と「カンツォーネディナーショー」の予定だ。

8:00出発、バスに乗車し、ポンペイに向かう。
ドライバーはロレンスさん、現地ガイドはシモーネさん。
シモーネさんは、日本留学の経験があり、日本語が上手な男性だ。

◆ポンペイまで約3時間。途中の休憩場所から見える山の姿がきれいだった。


★★★世界遺産ポンペイ
★ポンペイ遺跡
◆ポンペイは、79年に起きたヴェスヴィオ火山の大噴火により、約8mの火山灰に埋もれてしまった町。
発掘されたのは一部で、現在も発掘が続けられている。
広大な遺跡群で、神殿、共同浴場、居酒屋、人々に至るまで、当時の文化や生活が残されている。  

◆ポンペイに到着し、バスを降りて少し歩く。
遺跡への途中にレストラン・バーがある。店先にレモンやオレンジを吊り下げてあった。


◆ポンペイ遺跡に入場ゲートから入る。現地ガイド・フランコさんが加わった。
フランコさんは日本語が話せないので、付き添いするだけだ。説明はシモーネさんが行う。

◆入場ゲートの先に遺跡が広がっている。
遺跡の端は、元は海に面していたと説明があった。堀のようになっている。


◆海沿いの遺跡は、港だったところだそうだ。


◆ポンペイは城壁で囲まれ、坂道の途中にマリーナ門がある。道は、石畳になっている。



◆道は真中が馬車道で、両脇が歩道だ。馬車道が雨に浸かった時に渡れるように、飛び石がある。



◆遺跡内には、所々に大理石の円柱が立っている。神殿らしい。






◆モニュメントもある。



◆後方の山はヴェスヴィオ火山だ。


◆遺跡の建物は、レンガを積んで造ってある。積み方はいろいろあって、美しい模様となっている。



◆脇道は狭い。



◆大きな道には、水槽も置いてある。大理石でできている。



◆路上の石に「男性のシンボル」。男性の遊ぶところへの矢印だそうだ。


◆入口の石を見ると、扉があったことがわかる。


◆狭い家が連なっている区域もある。


◆道路沿いの壁にある蛇のフレスコ画。ポンペイの赤と言われる塗料で描かれている。


◆売春宿のフレスコ画。怪しい絵だ。


◆美しいレンガ積み。


◆水道管は鉛でできていた。この水を飲んだ人々は健康を害したそうだ。


◆フレスコ画が、所々に残る。


◆床のタイル画も一部に残る。イノシシや番犬などのタイル画があった。



◆レンガの色や模様がいいね。







◆商売屋の看板。



◆訪れた時は、観光客はさほど多くなかった。たまに団体客に出会った。



◆フォロの浴場(共同浴場跡)の入口付近。


入口上のレンガが美しい。


浴場内部。浴場への通路。


内部にフレスコ画もある。


浴室。天井や壁は、彫像で飾られている。





大理石の湯船もある。


天井に、明り取りの穴が開いている。


◆遺跡全体は、赤いレンガが印象的だ。



◆居酒屋だったところ。大理石の台がカウンターとか調理台だったとか。



これは「かまど」らしい。


◆壁のレンガ。色の濃いのから薄いのまで使ってあり美しい。


◆パン屋のパン焼き用のかまどが残る。
手前の石臼は小麦粉を挽くためのもので、二千年程前の本物だそうだ。
石臼に触れることができる。日本ではありえない。



◆壁や門は、レンガで様々な模様が作られている。




◆発掘された遺跡の部材は、復元を待っているものもある。


◆この場所は、レンガの上には漆喰が塗られていたとわかる。



◆高い壁が残る場所もある。


◆ここは立派な家で、レンガの柱や壁のフレスコ画も残っていた。床のタイルも美しい。






◆見学に十分に時間をとっていただき、大変良かった。見応え十分の遺跡だった。
シモーネさんの案内も主な見所をスムーズにまわり、説明もわかりやすく、大変良かった。感謝。

★ポンペイ(昼食)
◆遺跡近くのバスを停めたレストランで、少し遅めの昼食をいただいた。
飲み物は、ワインを注文。飲みやすくて美味しかった。


◆料理は、シーフードサラダ。


◆定番のパン。


◆ボンゴレ(パスタ)、美味しかった。


◆エビとイカのグリル、サラダ添え。これも美味しい。


◆デザートは、ジェラート。カップ入りなのが残念。


◆後で、ローマ自由行動の人に「ローマは雨だった」と聞き、ポンペイは降られなくてラッキーだった。
大満足のポンペイ観光だった。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:45Comments(0)イタリア旅行記