2017年06月01日

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その3 (武将のお墓参り21)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その3
江戸時代、直参旗本及び尾張徳川家の家老であった千村氏ゆかりの地を訪れた。

2017年5月、最初に「千村氏屋敷跡(上屋敷)」に建つ可児市郷土歴史館と周辺、
次に「下屋敷跡の「木曽千村歴史館(春秋園)」を訪れた。
その後、菩提所「東禅寺」で歴代当主の墓参をした。

①★「千村氏屋敷跡」&「可児市郷土歴史館」 可児市久々利1644-1
可児市郷土郷土館の周辺が、千村氏上屋敷跡である。
郷土館の西方100m程の交差点・北東角に「市指定史跡 千村氏屋敷跡」の案内板がある。


記載内容は次の通り。
『千村氏は関ケ原合戦の後に、久々利村を含む四六00石余を与えられ、
直参旗本、尾張徳川家の家老として、明治維新までこの地に屋敷を構えていました。

久々利には山村家や同心屋敷も置かれ、一つの政治拠点ともなっていました。
千村氏の屋敷は、「濃州徇行記」によると東西約三00m、南北約二七0mあり、
「郭外濠ありて城郭の如し」と記され、上屋敷と下屋敷、庭園をもつ広大なものでした。

上屋敷はこの場所にありましたが、今では石垣の一部が現存しているにすぎません。
上屋敷には二0を超える部屋があり、政務の場と奥向きの生活の場に分かれ、
中奥でつながれていました。

政務の場には、家老の部屋や勘定所などがあり、
役所として執務が行われていたため、「久々利役所」と称されました。

また、上屋敷の西側には下屋敷があり、隠居や部屋住みの者の生活の場として用いられました。
その北側には、回遊式庭園「春秋園」が付随し、今なお四季折々の美しい景色を見ることができます。

また、千村家の菩提寺である東禅寺には、千村家歴代当主の墓石が林立し、
千村家の権威と格式の高さがうかがえます。』上屋敷平面図も記載してある。

②★下屋敷跡の「木曽千村歴史館(春秋園)」 可児市久々利1644-1
歴史館前に案内板「木曽千村歴史館、源木曽義仲後裔之地」があり、
記載内容は次の通り。「久々利旗本領鳥瞰図」もある。

『・木曽・千村家について
清和源氏源(木曽)義仲6代の孫、木曽家村信州木曽を領す。
家村5男、家重が上野国千村郷を領し、以後千村と称す。

家重より12代千村政直の子、良重(久々利初代)慶長5年関ケ原の役、
徳川家康の命により、木曽谷の平定と岩村苗木城を攻略。その論賞により、
美濃可児郡(久々利・大森・比衣・中切・綱木・小和沢・宿・伊岐津志)、

土岐郡(大湫・田高戸・深沢・一日市場・次月)、恵那郡{正家・辻原・千旦林・駒場・茄子川・落合)を給され、
又信州一万石の代官(大河・原・鹿塩・加々須・南山・中坪・野口・八手・清内路・小川・上穂・小野)11ケ村、

遠州舟明村榑木山支配、遠州4ケ村代官職共幕府から命ぜられ、
美濃国久々利に館を、信州飯田荒町に陣屋をもうけ役務を司どった。

・元和3年、徳川家康は木曽を尾張藩に附属、千村家も尾張家中となり幕府に対して陪臣となるが、
伊那代官等は依然として幕府から命ぜられ、尾張藩からは名古屋に、幕府からは江戸に屋敷を拝領。

家督相続や将軍家の慶仏には諸侯同様江戸城へ伺候、将軍に挨拶するという特別な扱いで、
尾張藩では城代格に、幕府にあっては旗本外様大名列、柳の間詰で、
公儀の千村家に対する待遇は10万石の格式で参勤交代の義務を負わされていた。

幕藩両属という特殊な立場で、代々千村平右衛門を襲名し、慶長から明治維新まで12代続いた。
維新後、千村から旧姓木曽に復した。』

・その日は休館であったが、入り口で声を掛けたら、「春秋園」には入って良いと了解を得た。
下屋敷と春秋園は道路で南北に分断され、北側に鶴池、南側に亀池がある。
 
鶴池のある庭は、雑草を刈り、きれいにしてあったが、雑然とした感じであった。
だが、池を中心にした池泉回遊式庭園は、素晴らしい庭であった。石組や庭木の配置が素晴らしい。




古びた東屋も風景に溶け込んでいた。もう少し整備すれば、名園となる。
南側の亀池周辺の庭は、こじんまりし、中心の池の水は空で残念だった。

➂★千村氏菩提寺 東禅寺 可児市久々利1655
春秋園(鶴池)の北側、山際に寺がある。
寺の入口は境内西側にあり、奥に本堂や美しい海鼠塀が見える。


新緑に本堂や塀が溶け込んで、美しい風景になっている。


「千村家の墓所」への参道は、海鼠塀の手前にある小路である。


道路沿いに案内板があり、次のように書いてある。
『市指定重要文化財(史跡) 千村家の墓所

千村家の墓所は東禅寺の境内の一画にあり、
一代良重から第一一代仲展までの歴代当主とその一族の墓石が並んでいる。

久々利千村家の初代良重の墓は廟に納められており、
墓碑によると、天保十五年(一八四四)に千村仲冬が新たに建てたとある。

以下、二代から五代までは廟の西側に、六代(八代のみ廟の東側)からは廟の裏側に並んでいる。
大きなものは高さ三メートルを超す立派なものもあり、千村家の格式の高さを感じさせる。

千村家は江戸時代に幕府代官と尾張藩家臣という二つの立場を有し、久々利の地に屋敷を構え、
東禅寺を菩提寺とした。
東禅寺は、慶長十六年(一六一一)に縁国である下総国から藍外政宗を迎え、梁南禅棟が開山したお寺である。

(「当主名・生没年・法名」が、初代から十一代まで記されている。
・・・1良重・2重長・3基寛・4仲興・5仲成・6政成・7政武・8頼久・9仲雄・10仲泰・11仲展) 』

海鼠塀沿いに奥に進むと小さな門があり、そこが墓所の入口である。
手前に小さな標柱「千村家の墓所」がある。


門を潜ると左側に、一段高くなった千村家の墓所がある。
当主とその一族の墓碑が林立しており、壮観である。合掌




初代良重公の木造の廟は、墓所の奥の方、右手にある。
廟は初代のみである。扉は閉まっていた。合掌


「二代重長公」の墓碑は立派な剣碑だ。(三代以降も剣碑)合掌 


右側「三代基寛公」、左側「四代仲興公」の墓碑も立派だ。合掌


左端が「五代仲成公」の墓碑。合掌 


奥に並ぶ墓碑は、左から順に「七代政武公」「十一代仲展公」「六代政成公」「十代仲泰公」。合掌


「八代頼久公」の墓碑は初代良重公廟の前。合掌 


「九代仲雄公」の墓碑。合掌 


墓所はきれいに整備され、当主の墓碑には当主名が刻まれた献花台が置かれている。
素晴らしい墓所であった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:52Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月21日

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その2 (武将のお墓参り20)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その2 (2017年5月訪問)
①禅台寺 可児市下恵土2838 ★徳野藩初代藩主「平岡頼勝(石見守)公」墓所
②専養寺 可児市兼山699   ★徳野藩二代藩主「平岡頼資(石見守)公」墓所
➂浄音寺 可児市兼山698、専養寺の左隣 ★烏峰城主「斎藤大納言正義公」墓所

★①禅台寺
「平岡頼勝公」は、小早川秀秋公に仕え、関ケ原の戦いでは秀秋公に西軍から東軍に寝返るように勧め、
東軍勝利の陰の立役者として有名である。その功績により、美濃徳野藩の初代藩主となったとか。

寺の門や本堂などの建物は新しい。調べた限りでは墓所が禅台寺にある。
残念ながら寺や頼勝公に関する案内板はなかった。


「平岡頼勝公」の墓所は、境内の左方にある墓地の奥にあるとにらんで向かった。
墓地に入ると通路があり、少し進むとお地蔵さんが立っており、さらに奥へ進む。


すると、一般の墓と区切られ、上の方に向かう道がある。


坂を上がった所にも墓石が並んでいる。その右端が「平岡頼勝公」の墓所であった。


玉垣の上に小さな五輪塔が立っており、「前石州太守 心月宗安大居士」と刻んであった。合掌
墓の周囲にも案内となるものはない。




★②専養寺
道路沿いに「日蓮宗 福光山専義寺」と刻まれた石柱が立つ。


その右方に「福光山専義寺(日蓮宗)」の案内板があり、
徳野藩二代「平岡頼資公」に関する部分を抜粋する。

『当寺の墓地には、小早川秀秋の家老で関ケ原合戦の功により、
美濃徳野(可児市)一万石に封ぜられた平岡石見守頼勝の子二代藩主、頼資の
「承応二(一六五三)年正月八日石州隆光院殿一覚日 詮大居士」銘の墓石がある。』

境内に入るとすぐ左側が墓地になっている。
参道を進むと山門があり、門の左側(墓地の一番奥)に「平岡頼資公」の墓石があった。


立派な墓石だ。その右側に石柱があり、「第二代徳野藩主 平岡頼資公墓」と刻まれている。合掌


★➂浄音寺
寺の左端、道路沿いに案内板「海潮山浄音寺(浄土宗)」があり、次のように書いてある。

『天文六(一五三七)年、近衛関白稙家(たねいえ)公のご落胤で、ときの美濃国の覇者、
斎藤道三の養子、斎藤大納言藤原正義公は、木曽川の舟運と東山道を押さえるため、
当地に烏峰城を築いた。

浄土宗に深く帰依していた正義公は、三年後の天文九(一五四O)年、
とりあえず烏峰城の裏登城口のあった前兼山町役場裏の傾斜地に草庵を設け、
近衛関白家の帰依篤い京都知恩院の高僧智安上人を開山に迎えた。

天文十三(一五四四)年に至って伽藍ことごとく完成、寺号を海潮山浄音寺とした。
その後、この地が陰湿な土地であっため、元亀二(一五七一)年現在の地に本堂が再建された。
以下省略

市指定重要文化財
斎藤大納言正義公画像 1幅 当寺の開基、正義公等身大の画像で、
着衣の鎧の様式から生前に描かれたことはほぼ間違いないといわれる貴重な寺宝であり、
当時の禅宗の名僧、明淑和尚の賛が書かれている。

その外、斎藤大納言正義公の遺品といわれる哀甲(きごみ)、正義公の五輪塔、
烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門、幡隆上人の自画像と南無阿弥陀仏の
名号軸等貴重な文化遺産が数多く残されている。』

道路沿いに烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門がある。
なお、烏峰城は、後に森氏居城となり、兼山城、次に(美濃)金山城と名を変える。


山門を入った右側に五輪塔が立っている。
墓石周りに案内となるものはないが、烏峰城主「斎藤大納言正義公」の墓である。合掌




正義公の画像等を見たいと思い、庫裏のチャイムを鳴らすもご不在で、誠に残念だった。
正義公画像の模写が岐阜城天守閣に展示してあり、本物を見たかった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:19Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月20日

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その1 (武将のお墓参り19)

<美濃国ゆかりの武将>

「岐阜県可児市ゆかりの武将 その1」は、美濃金山城主「森家」である。
①可成寺 可児市兼山596
森可行公、可成公、長可公、可隆公、蘭丸(長定)公、坊丸(長隆)公、力丸(長氏)公の廟所

②真禅寺 可児市西帷子488-1
森武蔵守長可公墓所 

2017年5月訪問
★①可成寺
寺は、山麓にあり、高い石垣と白い塀が印象的である。
入口左右に石柱が立ち、右側に「森可成公菩提寺」、左側に「大龍山可成禅寺」と刻まれている。


階段を登ると山門があり、右前の石柱に「森三左衛門可成 武蔵守長可 公廟所」と刻まれている。


石柱脇の案内板に次のように記載されている。
『織田信長の宿将として数々の武勲をたて、元亀二(一五七一)年に宇佐山(大津市)で戦死した
金山城主森三左衛門尉可成公菩提のため、その子二代城主長可公が父の名「可成」をそのまま寺号とし、
栄巌和尚を迎えて金山城東の寺が峰に創建された。

当寺開基の長可公は、信長・秀吉二君に仕え、鬼武蔵の異名をとったほどの勇将だったが、
天正一二(一五八四)年、長久手において戦死した。その墓石が父君可成公の墓石と合祀されている。

その後を継いだ三代城主忠政公が、慶長五(一六00)年に川中島(長野県)へ転封されたとき、
寺は現在地に移転され今に至っている。

また、昭和四二(一九六七)年には、蘭丸・坊丸・力丸三公の供養塔が八百津町中野より
当寺に移され安置されている。

当寺は、森家の菩提寺であるため、堂塔のほとんどが江戸時代に森一族の赤穂・三日月・新見等の
大名家から寄進されたものであり、明治までは三家から扶持が与えられていた。

また、天和三(一六八三)年に長可公の百年遠忌法要が営まれて以来、
可成・長可・蘭丸・坊丸・力丸諸公の遠年忌が執り行われてきている。』

山門を潜り、左方の本堂入口でチャイムを鳴らし、お寺の方にお話を伺った。
「寺は、もとは東方の金山城近くにあったが、こちらに移転した。
可成公ら森家の御位牌があるのでお参りしていってほしい。森家廟所は裏山の墓地奥にある。」
御位牌の前でお線香をあげ、合掌。

廟所へは、本堂右方の小さな門を潜って奥へ進む。


突き当りに「森家墓地」の小さな看板があり、左方の緩い階段を登る。


木立の中の墓地に入ると、最奥に石垣と白い塀が見える。


その石垣と塀で囲われた区画が森家廟所である。


十段くらいの階段を登った所に五輪塔が7基並んでいる。


その左方に案内板「森家廟所案内」があり、墓主がわかるようになっていてありがたい。


正面の左から順に、「二代城主 可成二男 森武蔵守長可」、「金山城初代城主 森三左衛門可成」。合掌


次に、左「可成の父 可行」、右「可成の長男 可隆」。合掌


右側には左から順に「森坊丸 可成4男」、「森蘭丸 可成3男」、「森力丸 可成5男」が並ぶ。合掌

本能寺で亡くなった三兄弟は、まだ16~18歳だったのだ。

★②真禅寺
寺は山中にあり、背後の山が美しい。


山門を潜ると、左右に石柱が立ち、右は「本尊聖観世音」、左は「開山行基菩薩」と刻まれている。正面が本堂だ。


本堂の左端脇に小路があり、「森武蔵守墓所入口」の石柱がある。


奥へ進むと、道は突き当りで右に折れており、道なりに坂道を進む。


坂道を登るとご住職方の墓地が見えてくる。


その手前に右の山に向かう階段があるので、そちらに進む。


階段の先は、舗装されていない。樹木が払われ道らしき所を登る。カーブしている。


その先の森の中に墓所が見えてくる。ブロック塀で囲われた一画が、森武蔵守長可公の墓所だった。




中央に宝篋印塔が1基、周りに五輪塔の一部がたくさん並んでいた。合掌




この寺には、案内となるものが何もなく残念だった。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:13Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月11日

岐阜県の絶景「岐阜のマチュピチュ 天空の茶園」 (名園巡り7)

<岐阜県の絶景を紹介>

2017年5月11日
岐阜県揖斐川町春日六合にある「岐阜のマチュピチュ 天空の茶園」に行ってきた。
「日本の絶景」として雑誌などに取り上げられ、有名になってきた所だ。


訪れた日は、家を早く出たので、道もすいていて「上ケ流茶園」に早く到着できて良かった。
カメラマンや観光客も少なく、「天空の遊歩道」前の駐車場に車を停めることができた。

駐車場に係りの方がいて、「天空の遊歩道散策マップ」により散策路の歩き方を教えていただいた。
マップのB地点とA地点が絶景ポイントで、そこまで20分程だそうだ。


係りの方の話では、「GWあたりから茶の新芽がでており、今が一年で一番美しい。
もうしばらくは美しい茶園景色が見られると思う。
そして、遊歩道を登った所から見下ろす秋の紅葉も美しい。」そうだ。

遊歩道の出発地には、郵便受形の「天空の遊歩道協力募金箱」があり、志納である。
脇には案内板がいくつか立っており、次のように書いてあった。
①入山時間 四月から九月まで 九時より十六時三0分迄
      十月から十一月 九時三0分より十六時迄
      悪天候及び積雪時は中止とさせて頂きます

②注意事項 1.入山については全て自己責任として下さい
      1.山道状態の悪い時は充分注意して下さい
      1.景観等を守り 山を美しくしましょう
      1.マナーを守り楽しんで下さい    山主

③お願い  1.大切な茶園です。無断で入らないで下さい。
      1.農作業されている方に了解を得てから撮影お願いします。
      1.ワラビなどの山菜採取は有料とさせていただきます。
       詳細は係員にお尋ね下さい。


募金箱の右方に「杖」がたくさん置いてある。
係りの方によると、「散策路は険しいので、杖を持っていったほうがいいよ。」


茶園脇の舗装された坂道を登る。脇の茶園の緑が大変美しい。




「天空の遊歩道→」の看板があり、右に入っていく。
舗装されていないが、広い道でよく整備されている。歩きやすい。




途中で、AコースとBコースの分かれ道があるが、「なだらか」なAコースを行く。
しかし、Aコースが「なだらか」なのは、全部でなかった。
しばらく進むと、狭く急勾配の坂道になってしまった。登るのは大変だ。


狭く急勾配の坂道をしばらく登って行くと、絶景ポイントのB地点の看板が見えてきた。
B地点の手前でも絶景が見られる。


やっとで、B地点に辿り着いた。
素晴らしい!!雑誌で見た美しい絶景が目の前にあった。




さらに、もう少し先のA地点へ登って行った。
ここにも素晴らしい絶景が待っていた。頑張って登って来た甲斐があった。








絶景からの帰りは、急勾配の坂道を降りないといけない。下方を見ると少し怖い。
手すりがなく、バランスを崩すと危ない。ころげ落ちてしまう。
ゆっくり、ゆっくり、降りていった。

(足に自信がない方は、無理に登らず、遊歩道出発地点付近でやめておいた方が良いと思った。
そこからでも十分に美しい景色が見られる。)

他では見ることができない”素晴らしい景色”を見せていただけた。大満足だ。
遊歩道などを整備していただいた地元の方々に感謝。「ありがとうございました。」

PS
翌日から翌々日にかけて、ふくらはぎと太腿が筋肉痛になってしまった。
散策の前後にストレッチをしておけば良かった。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:35Comments(0)名園巡り

2017年04月06日

<岐阜市鏡島>「寿和屋(旧鏡島郵便局)」 (岐阜市の名建築16)

<2017.4.4訪問>
★「寿和屋(旧鏡島郵便局)」
岐阜市鏡島西1丁目4-12。旧中山道沿いにある。


◆「寿和屋は、懐かしい昭和資料館って感じの店」
2年前に「寿和屋」としてオープンし、新聞にも載った店である。

手作りのブローチや衣類、茶碗・お椀・御猪口などを売っている。(不定休)
それに、非売品だが、昭和レトロで懐かしい物が展示してある。(明治・大正時代の物もあるらしい)
お店の方が、祖父母や父母から引き継いだ物がメインだが、自分たちで集めたり、いただいた物もある。

道向かいから建物の写真を撮っていたら、お店の方と目が合って中に入ることにした。
ちょうどお客様がおらず、ゆっくりと店内を案内していただけた。


登録有形文化財になっても良いと思うレトロな外観や造りがいい。
そして、店内も様々な品がセンス良く並べてあり、とても素敵な空間だった。


店内に入ってまず目に入ったのが、正面奥の壁に懸っていた素敵な「鯉のぼり」だった。
なんとも言えない色の褪せ具合で、今までにお目にかかったことがない逸品だ。


「鯉のぼり」の前は「お雛様」を飾っており、季節により展示品を替えているそうだ。

ガラスケースに入れられた小さな人形やミニ玩具は、珍しい物ばかりで実に興味深い。
指先程の大きさのキューピーもあった。こんなのは初めて見た。



郵便局で使用していた一枚板の分厚いカウンターや郵便物仕訳棚なども
上手に展示に利用してあり、いい感じだ。

郵便局で使っていた金庫も目を引いた。真っ黒で重厚、いかにも頑丈そうだ。
恵比須・大黒の飾りが2つ付いて、アクセントになっている。いいね。

他にも桐でできたすごく大きな長持、レトロな冷蔵庫、足踏みミシンなども必見。
懐かしい昭和のミニ資料館って感じだ。

珍しい物をたくさん拝見することができ、優しいお店の方の説明を聞くことができて、
素晴らしい時間を過ごさせていただいた。「感謝、感謝!!」

◆「お店の方から伺ったお話」
ここは、祖父が昭和10年に鏡島郵便局として建て、築80年以上の建物である。
郵便局の役目を終えてから長い間経ち、あちこちにガタがきていた。

それを自分たちで半年ほどかけて、天井や壁などを塗替え、窓枠や入口などを補修し、
カウンターや調度品などを磨いた。

倉庫に眠っていた人形・器・着物・小物などを一つづつ包みから出して、
埃をはらったり拭いたりして、きれいにした。

そして、やっとで開店にこぎつけたそうだ。
まだ倉庫には眠っている品がたくさんあって、少しづつ包みから出しているところであり、
展示品も変えていくそうだ。

しかし、足踏みミシンで作品を作ったり、畑をやったりで、なかなかはかどらない。
ぼちぼちやっていくそうだ。

◆「ここは再度訪れたい店」
季節ごとに訪れて、新たな展示品を観たり、お店の方のお話を聞きたいものだ。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:55Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)

2017年04月03日

<岐阜市>「カフェ茶人」&「ニューライオン」 (美味しかった20)

2017.4.1
岐阜公園近くのモーニングとランチを紹介します。

★カフェ「茶人(Chat)」 岐阜市木挽町30
ここは、古民家カフェだ。岐阜バス「岐阜公園前」(北行き)バス停のすぐ前にある。
昨年オープンしたばかりだが、ずっと気になっていた。


のれんを潜ると、すぐ左に「岐阜公園MAP」等の観光ガイドが置いてある。観光前に寄ってほしい所だ。
店内は落ち着ける雰囲気だ。テーブル席と畳席があるが、中庭が見えるテーブル席にした。


メニューを見て、コーヒーへのこだわりがあるのを感じた。豆の名前がわかるし、ネーミングも楽しい。
「信長」「道三」「光秀」「義龍」「利三」と武将名なのだ。
「信長(気まぐれブレンド)」は、月替わりのブレンドだそうだ。


妻は「光秀(定番ブレンド)」、私は「道三(完熟グルメブレンド)」を注文。
コーヒーカップは、メニューにより異なる。どちらも落ち着いた深みのある色で、とてもいい感じだった。
カップを見ただけで、中身のコーヒーも美味しく思えた。


モーニングサービス(9時~11時頃)も3種類から選べるのがうれしい。
私は「小倉トースト」。


妻は「タマゴトースト(ピザ風味)」にした。


モーニングも満足のいく内容だった。大変おいしくいただき、「ご馳走様でした。」
支払時に「また来ていただけますか?」と聞かれ、「はい」と答えると、ポイントカード「茶人カード」を頂けた。
ポイントが5つたまると、200円引きになる。


バスを降りると、東にある金華山が気になり、この店は見落とされがちだと思う。
しかし、時間に余裕があれば、入ってゆったりした時間を過ごしてほしい。
営業時間9:00~16:00、水・木曜定休

★喫茶・お食事「ニューライオン」 岐阜市甚衛町2
ここは、味噌ステーキで有名な洋食店だ。
金華橋の南詰を東へ1つ目の信号を南へ折れて50m位、歩道橋の東南にある。


今日のランチのメニューが掛かっており、「豚ムニエルと魚フライ 税込850円」だった。


立看板に営業時間が載っている。
「NEW LION、営業時間 昼11時30分~14:30 夜17:00~、定休日 毎週水曜日」

店内は奥に細長く、一番奥の和室へ上がった。
そこは堀りこたつ式の席で、足が楽だ。小庭や空も見ることができる。

メニューを見て、何を頼もうか悩んだ。あれもこれも食べたい。


結局、注文したのは、妻は「本日のランチ」。サラダもあってうれしい。


私は「豚しょうが焼き定食」。厚めの「豚しょうが焼き」が鉄板に載っているのがうれしい。


美味しかったし、ちょうど良い量だった。「ご馳走様でした。」
次に来たら、「味噌ステーキ」にしようかな。何を頼もうか悩むのも、また楽しみなのだ。

お勘定場にマッチ箱が置いてあった。
箱には、ユニークなライオンの絵が描いてある。ややレトロな感じでいいね。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:41Comments(0)美味しかった

2017年03月28日

<岐阜城主 織田信孝公墓所>知多郡美浜町 大御堂寺 (武将のお墓参り18)

2017年3月<岐阜城主のお墓参り>
織田信孝公と源義朝公と、二人の有名武将が眠る大御堂寺(通称:野間大坊)。
そして、信孝公自刃の地「安養院」を訪ねた。

face02①「大御堂寺(通称:野間大坊)」 愛知県知多郡美浜町野間東畠50 ☎0569-87-0050
◆寺の入口に石柱が立ち「新四国第五十一番霊場尾州 鶴林山野間大坊」と刻まれている。


◆中央駐車場に大きな「野間大坊案内図」があり、諸堂などの配置がわかる。
境内は自由参拝なのでありがたい。


◆寺のしおりに沿革も載っており、概略は次の通り。
『天武天皇(673~86)の時代に始まり、聖武天皇(723~49)の時に行基菩薩が中興。
後に弘法大師が諸国行脚の際留錫された。

承暦年間(1077~81)に白河天皇の勅願寺として、大御堂寺と称せられた。
後に源頼朝公が亡父義朝公の菩提を弔うために建久元年(1190)に開運延命地蔵尊と
不動明王・毘沙門天を奉安され、七堂伽藍を造営。そして、秀吉公、家康公の庇護を受けて発展。』

◆まず本堂にお参りする。合掌。現在の建物は、3度の火災等にあった後、
宝暦4年(1754)に鎌倉様式にのっとり再建されたもので、登録有形文化財である。


◆本堂の右側(東側)に石垣で囲まれた「源義朝公御廟所」があり、
外側に立つ石柱に「贈内大臣正二位源義朝公御廟所」と刻んである。


◆御廟所の入口は小さな門だ。


◆岐阜城主「織田信孝公」の墓碑は、その義朝公御廟所の一角にある。
御廟所内の右方端に信孝公の墓碑が立つ。傷んで傾いた五輪塔だった。合掌。


墓碑の前に案内板があり、次のように簡単に書いてあった。これだけ?って感じ。
『織田信孝の墓 織田信孝は織田信長三男。本能寺の変で信長が討たれた後、
織田家の跡目争いで豊臣秀吉に敗れ、大御堂寺南ノ坊(現在の安養院)で自害する。』

◆源義朝公の墓碑は御廟所の中央にあり、立派な宝篋印塔であった。
周りに木太刀が奉納されており、墓碑の下の方は木太刀に埋もれている。合掌。


◆源義朝公御廟所の入口前に案内板があり、信孝公に比べて詳細に記載されている。
『源義朝公の墓所 源義朝とは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、平家を滅ぼした源義経の父である。

1160年(平治元年)の平治の乱で平清盛に敗れた源義朝公は本拠地である関東へ落ち延びる途中、
この地野間を治める家臣の長田忠到・景到親子の元に身を寄せた。

ところが長田親子は裏切りの企てをする。義朝公へ「どうぞ朝湯へお入りください。」と勧め、
入浴中の裸の義朝公を風呂場で切り付け命を奪った。

武芸の達人であった義朝公は「無念。我に小太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん。」と言って絶命した。
後の世の人々が義朝公の菩提を弔うため、そのお墓にお花の代わりに木太刀をお供えする習わしとなる。
いつしか、願いを叶える武将源義朝として、人々が願いをしたためた木太刀をお墓にうずたかく供えるようになった。』

◆他に御廟所内には、「池禅尼の塚」がある。合掌。
池禅尼は、平清盛の継母であるが、源頼朝公の命を助けたお方である。


◆「鎌田政家公と妻の墓」もある。合掌。
政家公は源義朝公の腹心の家来。義朝公が長田親子に討たれる前日に、長田の息子の景到によって殺害された。
妻は夫政家の亡骸のそばで政家の短刀で喉を突いて自害。悲しい話だ。


◆本堂の左方に「平成26年度 野間小学校六年生児童」が制作した看板「野間ナビ」がある。
野間地区の歴史や灯台などの見所が載っている絵地図で、大変良くできている。


◆境内の見所として伏見桃山城の遺構である「客殿」がある。


客殿前の案内板に次のように書いてある。
『秀吉公の晩年の居城「伏見桃山城」の一部を寛永年間(1624~43)に移築されたもの。
愛知県重要文化財指定。「源義朝公の絵解き」はここで聞くことができる。(要予約、有料)』

「源義朝公の絵解き」とは、寺のしおりによると、
『義朝公は京都六波羅の合戦で平氏に敗れ、この野間の地に落ちのびてきました。

ここで家臣の長田忠到・景到親子により謀殺される様子や
その後のことを実にリアルな描写と共にわかり易くお話しいたします。

この絵の作者は江戸初期の幕府御用絵師狩野探幽です。
名古屋城初代城主・徳川義直公の命により描きあげられました。』
いつか予約をして絵解きを聞いてみたいものだ。

face02②「安養院」
織田信孝公自刃の間がある安養院は、大御堂寺の南約100mに位置し、
大御堂寺から歩いて5分もかからない。

◆寺の前にある石柱には「新四国第五十三番霊場 安養院 織田三七郎信孝卿旧跡地」と刻まれていた。


◆石柱の隣りに案内板があり、
『安養院沿革 当院は白河天皇勅建の大御堂寺一山の一院で南ノ坊と称し、江戸時代に安養院と改称。
明治になり。慈雲院、圓明院、龍松院を合併し現在に至る。

本尊は中心に阿弥陀如来、両脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊仏であり、この地で源義朝公と
共に無念の最後を遂げられた第一の郎党、鎌田政清の次政直が父の菩提を弔うための念持仏である。

降って天正十一年、織田信長公が三男、三七信孝公は、羽柴秀吉との跡目争いに破れ、
野間の地に敗走し当院にて自刃。遺恨のうちにその生涯を終えられた。』と書いてある。 

◆境内に入ってすぐの右側にも案内板がある。
そこに「復元した信孝自刃の間」「自刃に用いた短刀」
「血染の軸(腸をつかみ出し投げつけた軸)」と書かれてあり、拝見したいと思った。


そこで寺の方に拝観できないか尋ねたが、非公開との返事で残念。
しかし、掛け軸と短刀が写った古い写真を見せていただけた。

◆本堂前で合掌。本堂前には、たくさんの赤い「南無地蔵願王尊」の幟がはためいていた。


以上  


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2017年03月26日

2017沖縄旅行記 その4 「パブラウンジ エメラルド」&「海中道路&海の駅あやはし館」

沖縄の旅<2月22日(水)>

face037「パブラウンジ エメラルド」  中頭郡北中城島袋311
沖縄では、ステーキがお値打ちに食べられると聞いていた。
そこで、沖縄旅行中に一度はステーキを食べたいと思い、ガイドブックで店を調べた。
どこにしようか悩んだあげく、「パブラウンジ エメラルド」に決めた。

◆本日のランチは、ステーキだ。ワクワク。
店は道路沿いにある白い建物だった。遠くに海を見下ろせる高台にある。
入口の上にエメラルド色で「PUB LOUNGE EMERALD since1979」の文字がある。


◆メニュー表を見て注文したのは、「エメラルド特製ジャンボステーキ350g」2350円。とてもお値打ちだ。
料理は、鉄板で出てきた。うれしいね。やっぱりステーキは鉄板で出して欲しいんだよね。
肉汁が飛ばないように、ステーキ肉の上に紙ナプキンが被せてあった。
ステーキ肉の脇には、ポテトフライやコーン・ニンジン・グリーンピースが載っている。


◆紙ナプキンをめくり、ステーキ肉とご対面。肉厚で食べごたえがありそうだ。
良い焼き色で食欲を誘う。


うまい!!和牛より歯ごたえがあるが、堅すぎることはない。最初は肉の量が多すぎるかもと思ったが、完食。
次回沖縄を訪れたら、違う店のステーキも食べてみたい。

face028「海中道路&海の駅あやはし館」 うるま市与那城屋平
出発前に沖縄地図を見ていて、「海中道路」を走ってみたいと思った。
沖縄本島と平安座島を結び、全長4、8kmだ。

行ってみたら、海中道路の一部は橋だが、ほとんどは道路だった。海と海の間が道路(地面)なのだ。
片側2車線で広い。無料なのがありがたい。

◆途中にある「海中道路パーク」の駐車場で休憩。
突堤があり、その先に変わった形の岩があった。


◆同じく途中にある「海の駅あやはし館」にも立ち寄った。沖縄の特産品販売所もあって、いろいろと揃っていた。
「タンカン(ネット掛け施設栽培 農家直売)」「沖縄ウコンのど飴」
「紅芋かりんとう」「うこん入 あやかりんぼー(三月菓子)」を買った。




帰宅してから食べたが、どれも美味しかった。特にタンカンが美味しかった。
次回訪れることがあれば、再度買いたいものだ。

その5につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:41Comments(0)沖縄旅行記

2017年03月24日

<岐阜城主 織田信孝卿菩提所>亀山市関町 福蔵寺 (武将のお墓参り17)

2017年3月
<岐阜城主のお墓参り>
岐阜城主であった織田信孝公の首を葬ったと伝わる福蔵寺を参拝した。

★「織田信孝公」は、織田信長公の三男。
伊勢国の神戸氏の養子に入り、伊勢神戸城主(現在の鈴鹿市内)となる。
本能寺の変後には、山崎合戦で羽柴秀吉公らと明智勢と戦い勝利。

清州会議で織田家の跡目を狙うも、跡目は秀吉公の擁する三法師(後の秀信公)になってしまう。
そして「岐阜城主」となったが、柴田勝家公らと組んで秀吉公に対し挙兵。
しかし敗れ、尾張知多内海の大御堂寺(野間大坊)安養院で自害させられた。
墓碑はその大御堂寺境内や他にもある。

face02『福蔵寺』 三重県亀山市関町木崎417 
福蔵寺の入口は、古い町並みが残る旧東海道関宿の街道沿いにある。

◆石柱に「織田信孝卿菩提所 福蔵寺」と刻まれている。


◆石畳の参道を進むと、立派な山門がある。(境内東側にある裏門は、旧脇本陣萩屋の門である。)


◆山門の右側脇入口の所に「福蔵寺 織田信孝の 眠る寺  関宿かるた」と書かれた木札が掛かっていた。


◆山門を潜ると正面に本堂があり、まずお参りする。合掌。


本堂前に寺の案内板があり、次のように書いてあった。
『当山は、天台真盛宗(本山は滋賀県大津市坂本 西教寺)に属します。
創建は天正十一年 織田信長卿三男信孝公の菩提寺として創建されました。以下略』

◆境内中央辺りに、屋根から下ろされた瓦と石造三重塔がある。



◆境内の左方、石造三重塔の後方に「織田信孝卿の墓碑」があった。
新しい五輪塔である。合掌。


五輪塔の前に「福蔵寺の創建と織田信孝公」の案内板があり、次のように書いてあった。
『織田信長の三男信孝公は本能寺の変で憤死した信長の冥福を祈るため、
神戸の住人旧臣大塚俄左衛門長政に命じこの寺の建立にかかりました。

しかし信孝公は羽柴(豊臣)秀吉との後継者を巡る争いに敗れ、天正十一年尾張の国
野間において自害させられましたので、長政が当山に首を持参し信孝公の菩提寺としました。

この墓は墓石不詳のため(事由は不明)四百年忌を迎えた時、菩提を弔うため建立したものです。
本堂には創建当時からの信孝公の位牌が祀られています。』

観光駐車場で出会った観光ボランティアさんから話を聞けた。(ありがとうございました。)
「信孝公墓碑は、2~3年前に地元の方々により五輪塔に建て替えられた。
それまでは自然石だった。信孝公の旧領地である伊勢神戸(現・鈴鹿市)の地は秀吉配下の領地と
なっていたため、家老大塚長政は妻の実家がある関宿に信孝公を葬ったそうだ。」

以上  


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2017年03月19日

2017沖縄旅行記 その3 「世界遺産 中城城跡」

沖縄旅行記 <2月22日(水)>

6「世界遺産 中城城跡」 WORLD HERITAGE

沖縄には、「世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として、城跡などが点在する。
その中の「中城(なかぐすく)城跡」を訪ねた。中頭郡北中城村大城503にある。

坂道をくねくねと登っていくと、城跡の駐車場に到着する。
受付(料金所)は、駐車場から歩いてすぐの所だ。
受付付近に「城跡の案内図」と、ユニークな「顔はめ看板」が立っていた。



受付前に停まっていた電動カート(無料)に乗車。城跡の広場まで送ってくれる。
歩いてもさほど距離がないが、坂道がきついそうなので乗せていただいた。
広場入口付近で電動カートを降りると、前方に城跡の石壁が見える。


城内は、石壁や石垣、石畳がよく残っており、見応えがある。


城跡は高台にあり、石壁の向こうには森やマンション、民家などが望める。


ところどころに石門や門の跡も残る。



東側は絶壁になっており、眼下に森や町、その先に太平洋を見下ろせる。
天気が良くなくて、霞んでいたのが残念だった。風も強い。


クレーンを使用して、奥の方の城壁を解体・組直し工事中だった。
解体して並べてある石には、記号を付けてあった。石材は「サンゴ石」である。


案内板「西側城壁解体工事」には次のように書いてある。
『西側城壁と洪門は、築造してから長い年月が経っており、石積みが緩んで崩壊する危険性が高くなったため、
平成23年度に石積みを解体し、平成25年度に北側のみ積み直しを実施しました。
積み直しを行わなかった南側に関しては、平成26年度に周辺の発掘調査を実施した後に、積み直しを行う予定です。

<城壁の内部構造の特徴>本土のお城の石垣は表面に築石、その裏に1~数m程の裏込石材が詰め込まれ、
裏込より後ろは土が盛られるという工法が一般的です。
それに対し沖縄グスクの城壁は石塁となっており、内部に土は入っておらず全てが裏込石材となっています。
そのためグスクの城壁内部は、雨水が抜けやすく、長雨が続いてもほとんど崩れることがありません。
沖縄では地震が少ないこともあり。城壁に生える樹木の管理さえしっかりしておけば、長い年月城壁を維持することができます。』


城内に緋寒桜が咲いていた。濃い桜色だ。本数はわずかだった。


広場を囲む石壁は、本土のお城とは異なった線を描いており、興味深い。



本土のお城とは異なっており、大変興味深いかった。
建物は残っていないが、素晴らしい石壁や石垣の城跡であった。訪れることができて良かった。

その4につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:39Comments(0)沖縄旅行記

2017年03月18日

<織田信長公本廟所>京都「阿弥陀寺」 (武将のお墓参り16)

<岐阜城主のお墓参り>2017年3月
①京都市上京区 「阿弥陀寺」・・・織田信長公・信忠公本廟所
②京都市北区  「建勲神社」・・・祭神織田信長公

京都市には、武将のお墓が数多くある。
その中の「阿弥陀寺」の「織田信長公」たちの廟所を紹介したい。
そして、信長公を祀る「建勲神社」を紹介。

①★「阿弥陀寺」 京都市上京区今出川上ル鶴山町14
境内自由で、墓所も自由に参ることができた。

お寺の方にお話を聞きたかったし、織田信長公・信忠公の木像も拝観したかったが、
来客が次々と訪れたので諦めた。

通り沿いに高麗門が立ち、その南方に駐車場への入口がある。
無料駐車場があるのが、ありがたい。


門前に説明板があり、信長公との関係などが記載されていた。


お堂前でお参りをしてから、庫裏の前を奥へ進む。
「織田信長公本廟所➡」と書かれた小さな案内板が立っていた。


そこから高架廊下の下を潜って進むと、墓地の入口となる控えめな門がある。
門を潜って正面奥が、「織田信長公」を始め「本能寺の変」で亡くなった方々の廟所だ。



玉垣の上段に、「織田信長公」と「織田信忠公」の墓碑が並んで立っていた。
小ぶりの墓碑だった。合掌。


墓碑の裏には、追善供養の板が立っているが、「ぶっちゃけ寺」などのテレビ番組のものもあった。


左方には、「森蘭丸」「森坊丸」「森力丸」の五輪塔が、仲良く並んでいた。合掌。


機会があったら再訪して、お寺の方に信長公に関するお話を聞いてみたい。

②★「建勲神社」 京都市北区紫野北舟岡町49
前から一度お参りしたいと思っていた神社に、やっとでお参りすることができた。
明治天皇により「織田信長公」を祀るために創建された神社である。

小高い山である「船岡山」の上に社殿が立つ。
船岡山の東側の通り沿いに、木造の美しい大鳥居が立つ。


大鳥居の前に案内板があり、神社の由来などが記載されていた。
建勲神社の読み方は「たていさおじんじゃ」、通称「けんくんじんじゃ」と呼ばれる。
などと書かれている。


鳥居を潜り、境内に入ってすぐの所に境内の案内板が立つ。
境内略図や社殿、末社「義照稲荷社及び命婦本宮」の案内が記載されていた。


長い階段を登りきると、拝殿などの美しい檜皮葺の社殿が見える。
拝殿前でお祈りをした。




本殿前には酒樽がきれいに積んであった。
また、本殿と周りの建物などがマッチして、美しい景観となっていた。



山上からは、京の町を見下ろせる。
京都の町は、信長公にお守りいただいているのだなと感じた。


以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:26Comments(0)武将のお墓参り

2017年03月18日

2017沖縄旅行記 その2 「上原正吉の店 島唄ライブ ナークニー」

沖縄旅行記その2 (2月21日)

5 「上原正吉の店 島唄ライブ ナークニー」
今回の旅の楽しみの一つが島唄ライブだった。「ハイアットリージェンシー那覇沖縄」に3連泊するので、
国際通り辺りで2軒は行きたいと思って、ネットで島唄ライブの店を調べた。

国際通り周辺には、いくつもの島唄ライブがあった。
どこにしようか悩んだが、1軒目は「上原正吉の店 島唄ライブ ナークニー」に決めた。
ライブは1晩に何回も行われるが、店の込み具合などの勝手がわからないため、
事前にネットの「ホットペッパーグルメ」で夜8時に予約しておいた。

店には予約した時間よりも早く着いた。
国際通りのビルの「サムズマウイビル2階」にあり、通りから演者の後ろ姿が見えた。


店の前に呼び込みのおじさんがいて、予約の旨を伝えると店に案内された。
その時の店内は、さほど混んでいなかった。予約席は、演者の最前列であり、特等席だった。うれしいね!!

店に入った時は、1回目のライブの真っ最中だった。メニューを見て注文を済ませ、ライブを楽しんだ。
注文は、せっかく沖縄に来たので、オリオンビール生。
そして、沖縄料理の「らふてぃ」「ゴーヤチャンプルー」「ジーマーミ豆腐」「ソーミンチャンプルー」。
食べたり、飲んだり、手拍子をしたり、聴き入ったりと忙しい。


島唄の演者は、「上原正吉師匠」と男性2人、女性3人の計6人だ。
女性は、美人で主ボーカルの「上原正吉師匠の孫娘」、本土から沖縄に移り住んだ美しい歌声の方、
サンバ(竹製の楽器)演奏と踊りの上手な方で、それぞれがすばらしい。



男性は、主ボーカルとギター演奏の方と、太鼓などの演奏の方で、こちらもすばらしいパフォーマンスだ。
「上原正吉師匠」もお元気で、渋い歌声を聴くことができた。
三線の音色と島唄が心地よい。

店員さんに「ライブ風景の写真を撮って大丈夫か」と確認したら、「OK]だった。
おかげで旅の思い出写真を撮ることができた。

1回目のライブが終わると、演者が席の近くまできて、声をかけてくれた。
でも、残念ながら一緒に記念撮影ができなかった。
ライブ終了後に引かれた幕には、なんと岐阜市「石底工務店」さんの名が入っていた。


2回目のライブが8時半に始まった。1回目のライブに居たお客は、そのままの席で楽しむことができる。
入替制ではないのだ。最終ライブまでいても良いそうだ。

ライブで聴いたのは、「十九の春」「三線の花」「あしびなー」「島んちゅぬ宝」「オジー自慢のオリオンビール」
「安里屋ゆんた」など。知った曲もたくさんあり、口ずさむことができてうれしい。
「海の声」といった最近の歌も歌ってくれた。

各ライブの最後にカチャーシータイムがあり、手の動かし方のレクチャーがあった。
「手を男はグー、女はパーにして、海をかき混ぜるように左右に動かす。」 演者と客が一緒になって踊った。
我々は、沖縄の方のように滑らかな動きができない。でも、ぎこちない動きながらも、手や体を動かして楽しんだ。

2回目のライブ途中で、次々とお客が入ってきて、ほぼ満席になった。
隣りの席には、百歳のおばぁを連れた家族が座り、お話を聞くことができた。

沖縄人は、誰もが三線を弾いたり、カチャーシーを上手に踊れるわけではないこと。
三線は、その家の人が弾けなくても、来客などに弾いていただくために置いてあることなど。
知らない話が聞け、地元の方と触れ合うことができて楽しかった。

3回目のライブも聴きたかったが、明日のドライブがあるので2回目のライブ終了で帰ることにした。
楽しい時間を過ごさせていただき「ありがとう!!」。沖縄を体感できて良かった。

初めての島唄ライブでわかったことは、ライブは予約なしでも良いが、
予約しておいた方が良い席を確保できることだ。

2回目ライブの途中で入って来た団体客は、ライブ中も大声で話していた。
ライブを楽しみたいなら前の方の席をお勧めする。(ただし、他の店はわからない。)

島唄ライブは、お勧めです。

次回「その3」につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 10:50Comments(0)沖縄旅行記

2017年03月11日

2017沖縄旅行記 その1 「中部国際空港~那覇空港」&「レンタカー~ホテル」

「はじめに」
2017年2月21日(火)から3泊4日で、沖縄に行ってきた。久しぶりの沖縄だった。
1月始めに、お値打ちな「ANAじゃらんパック(レンタカー付)」を申込した。
宿は、那覇市内の「ハイアットリージェンシー那覇沖縄」に3連泊とした。

今回は国際通り周辺をゆっくり探訪したいし、荷造りが楽なようにと思って連泊とした。
ホテル周辺には飲食店がたくさんあり、そこで沖縄料理を食べたいので、素泊まりである。
また、沖縄本島の北端「辺戸岬」や「海中道路」などにも行ってみたいのでレンタカーを借りることにした。

<2月21日>
1 「中部国際空港~那覇空港」
中部国際空港(セントレア)で搭乗するのは、ANAとコードシェアの「ソラシドエア」だった。
機体には、「がんばろう!九州」の文字と「くまモン」などのゆるキャラが描かれている。


14時50分発のはずが、10分遅れで離陸。約2時間半のフライトである。
しかし、那覇空港に到着したのは予定より10分速かった。

2 「スカイレンタカー那覇空港営業所」
空港では、スカイレンタカーのマイクロバスが出た直後らしく、しばらく待たねばならなかった。
満員のマイクロバスに乗り、だいぶ離れた「那覇空港営業所」へ向かう。

道路が混んでおり、営業所に到着するまで時間がかかった。
営業所でいただいた「沖縄ドライブマップ」は、道路がわかりやすく、ドライブするうえで大変役に立った。


借りたのは、「トヨタのプリウス」だった。ナビにホテルをセットして出発。
すでに暗くなっており、慣れない車に慣れない道で、大緊張しながらホテルに向かった。


3 那覇市「ハイアットリージェンシー那覇沖縄」
ホテルへ無事に到着。ホテルの向かいにあるタワー駐車場に車を預けた。
駐車料金は1泊1,500円で、チェックアウト時に清算する。

ホテルロビーは天井が吹き抜けになっており、開放感がある。
チェックインを済ませ、9階の部屋へ入る。広くて清潔、ベッドも快適、部屋用スリッパも高級で快適だ。


1泊につき、ミネラルウォーターが一人1本ついており、ありがたい。
なんと傘も置いてあった。さすが雨の多い沖縄だ。
部屋からは、那覇市内のビル群の夜景が望めた。ホテルは国際通りへ歩いて5分程の便利な場所にある。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:49Comments(0)沖縄旅行記

2016年11月25日

「パイナッポーアッポーパン」 (美味しかった19)

2016年11月24日

ピコ太郎の「PPAP」ではなく、「PAP」が売っていた。
「パイナッポーアッポーパン(PAP)」は、岐阜市南部にある
ショッピングセンター「カラフルタウン」の1階食品売り場にあった。

「パイナッポーアッポーパン」のポップが目を引き、吸い寄せられた。
『なんだこれは、面白いやん!噺の種になるぞ。』と思った。

新商品としてワゴンの上に置いてあり、訪れた昼過ぎには数が少なくなっていた。
パンを見ると、丸いパンの上にパイナップル1切れとリンゴ2切れが載っていた。


お手頃価格だったこともあり、つい買ってしまった。
メーカーはどこかと裏側を見ると、岐阜市の「コガネパン」だった。

家へ帰り、ピコ太郎の歌を思い出しながらいただいた。
(「ペン」のところを「パン」に変え、♪パンパイナッポーアッポーパン・・・)

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 12:20Comments(0)美味しかった

2016年11月05日

<京都の名園>「名勝 渉成園(枳殻邸)」 (名園巡り6)

2016年11月2日 JAPAN KYOTO GARDEN 「SHOUSEIEN」

京都市の渉成園を訪れ、美しい庭園や建物を鑑賞してきた。
”とても良かった!!” 京都でも有数の素晴らしい庭園だった。

「渉成園」は、東本願寺の飛地境内地(別邸)である。
庭園は「池泉回遊式庭園」で、詩仙堂で有名な石川丈山作と伝わる名園である。

また、広い園内には趣ある名建築が点在しており、
散策途中で外観を鑑賞できる。

<印月池> 広い庭には素晴らしい景観が多数あるが、この景色が一番良かった。
園全体の約6分の1を占める池と周りの緑がマッチして、美しい景観を作っている。


<高石垣> 門を入って正面にある美しい石垣。様々な石材を美しく組み合わせてある。


<侵雪橋> 京都タワーが借景になり、いい感じ。


<印月池> ヒツジグサ?の葉が陽に反射し、いい感じ。


<茶室 縮遠亭> 茶室と庭の大石組が、いい感じ。


<印月池と臥龍堂(南大島)> ヒツジグサ?の葉が浮かび、いい感じ。


<侵雪橋と縮遠亭> 一本の松が良いアクセントになっている。


<回棹廊> 檜皮葺の屋根付きの橋が、濃い緑に溶け込んでいる。


<塩釜の手水鉢> 全国の庭園にある「塩釜の手水鉢」の手本となるもので、園内の景物で最重要。


<臥龍堂(南大島)> 石組と「源融ゆかりの塔」がマッチして、いい感じ。


<侵雪橋> 京都タワーが借景になり、いい感じ。


訪れた時は特別拝観が行われており、園林堂の「棟方志功」様の襖絵なども拝観できた。
大胆な筆使いでとても良かった。

受付で立派なパンフレットをいただき、帰ってからも楽しめた。
園内の見所の説明が載っているので、照らし合わせながら巡ることをお勧めする。

園内には桜も植えてあり、桜の季節にも訪れてみたい。

以上

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:03Comments(0)名園巡り

2016年11月03日

<大徳寺総見院&本能寺&安土城跡>岐阜城主「織田信長」様ほか (武将のお墓参り15)

<岐阜城主のお墓参り>

「織田信長」様の墓碑や供養塔は、全国に二十カ所以上あるらしい。
岐阜城主として約十年間を過ごした岐阜にも墓所があって紹介済だが、
他も順次紹介していきたい。

face02★2016年11月2日
・「京都市北区紫野大徳寺町」にある臨済宗大徳寺派大本山「大徳寺」では、
四つの塔頭で「大徳寺塔中 秋の特別公開」が行われている。

その一つ総見院は、10月8日から11月30日(11月6日は拝観休止)に公開されており、
織田信長様たちの墓参をしてきた。
そして、本堂案内が毎時00分と30分に行われており、お話を聞くことができた。

・総見院は、大徳寺の二十二の塔頭寺院の一つであり、織田信長様の菩提寺として有名である。
正門の前には、「信長公廟所」と刻まれた石柱が建っている。



当院は、豊臣秀吉様が天正十一年(1583)信長様の一周忌に追善のため建立した。
明治時代の廃仏毀釈で多くの堂塔や宝物が灰燼と化すが、大正時代になって再興されたのだ。
現在は、創建当時の建造物として正門や土塀、鐘楼が残る。

また、境内には、茶室や秀吉様が植えた侘助椿(わびすけ)、加藤清正様が朝鮮から持ち帰った朝鮮石で
作った井戸などの見所がある。

・木造「織田信長公坐像」は、秀吉様が仏師に二体彫らせた。
仏師は生前の信長様に会ったことのある人で、秀吉が完成後の坐像を見て「よし」と言ったそうだ。
そうすると、等身大の坐像のお姿は、信長様の姿に相当似ていると思われる。

一体は、葬儀の際に信長様の遺体の代わりに燃やされ、本能寺の灰と共に葬られたという。
香木で造られており、燃やされた時は良い匂いが漂ったそうだ。

残りの一体は、今も総見院に安置され、それを拝見できたのだ。
坐像は、明治の廃仏毀釈の際に大徳寺本山に移されて難を逃れていたが、
昭和三十六年(1961)に総見院に戻すことになった。
その時には、立派な輿(こし)を作って坐像を載せて移したそうだ。

なお、岐阜城天守閣の3階には、この坐像の複製品が展示されている。
坐像の由来を思って見ると、見る目も思いも違ってくる。

・境内左方にある墓地の最奥に「織田信長公一族墓所」がある。
墓主がわかるように案内板があってありがたい。
墓所はコの字型になっており、正面の上段に五輪塔が七基並んでいる。


左から順に、「織田秀雄(信雄嫡男)」様、「織田信雄(信長二男)」様、「織田信長」様、
「織田信忠(信長嫡男)」様、「羽柴秀勝(信長四男)」様、
「織田信高(信長七男)」様、「織田信好(信長十男)」様の墓碑である。



正面の右端には、「徳姫(信長息女)」様の五輪塔がある。
左方には、正室「帰蝶(濃姫)」様の五輪塔、側室「お鍋の方」の自然石の墓碑が並ぶ。合掌。



face02★2016年7月
・「京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町532」の法華宗大本山「本能寺」を訪れ、
本堂の右後方にある「織田信長」様廟所で墓参をした。


・廟所前に「信長公廟」の案内板があり、墓所と定められた経緯などが記してある。
奥に立派な宝塔型の墓碑が立っていた。合掌。



face02★2015年12月
・「滋賀県近江八幡市安土町下豊浦」の「安土城跡」を訪れ、
二の丸跡の「織田信長」様や大和宇陀松山藩主「織田信雄」様四代の墓参をした。

・安土城跡は山城だった。山全体が城塞となっており、麓から広い石階段が天守台に続いていた。
建物は無いが、石垣が良く残されており、見応え十分だ。
麓に城跡の案内板があり、地図で廟所の位置もわかる。


◆「織田信長」様の廟所は、本丸の手前にあった。
本丸へ続く通路の左側に石階段がある。


石階段を登りると、「織田信長公本廟」と刻まれた小さな石柱がある。


奥へ進むと、木立の中に石垣で囲まれた広い廟所がある。石塀の正面に門があり、そこからは入れない。



廟所の中央奥に石垣が組まれ、上に墓石があった。遠くから合掌。



その後、天守台に登り廟所を見下ろすと、廟所の様子がよくわかった。



◆大和宇陀松山藩主である「織田信雄公四代供養塔」は、二の丸跡の下方に位置する。
本丸へ続く通路の左側に低い石階段があり、上った奥の方にひっそりと四基の五輪塔が並んでいた。



その脇に、墓主の名前と法名などを記した案内板がある。
右から順に初代「織田信雄」様、四代「織田信武」様、三代「織田長頼」様、二代「織田高長」様である。合掌。



今回は以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:44Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月21日

名古屋市千種区「平和公園」&「相應寺」 (武将のお墓参り14)

face03<平和公園>
名古屋市千種区の「平和公園」にある武将達のお墓を紹介する。
なお、平和公園は山の斜面に造成されているので、
墓碑巡りには坂道を登ったり下ったりしないといけない。歩いて回るには覚悟が必要だ。
(駐車場が所々にあるので、車だったら目的地近くに停めると良い。)

公園内には著名人のお墓がいくつもあり、おおまかな案内図があった。


①★尾張藩七代藩主「徳川宗春様」墓所
平和公園内の中央やや東寄りに「建中寺墓地」があるが、
途中に「徳川宗春墓碑→」の案内があるのでわかりやすい。


「建中寺墓地」石柱の右方にある僧侶墓碑群の前に、徳川宗春様の立派な墓碑が建っている。合掌。



墓碑の右横に、宗春様と墓碑についての簡単な説明があった。


②★徳川家康様の第八男「松平仙千代様」墓所
平和公園内の中央やや西に「高岳院霊苑」がある。
霊苑の入口脇に「徳川家康公 第八男 仙千代君墓所」と刻まれた石柱があり、わかりやすい。



階段を登り、真っすぐ行った突き当りに「松平仙千代様」墓所がある。


石柱で囲まれた中に五輪塔の墓碑が建つ。風化か戦火のため、劣化が激しい。
墓碑前に「仙千代君」と刻まれた小さな石柱が建つ。合掌。



仙千代様は、母が「お亀の方」で、尾張藩初代藩主徳川義直様と同母の実兄にあたる。
6歳のときに大坂で早逝されたため、菩提のために高岳院が建立され葬らた。

③★犬山城主「平岩親吉様」墓所
平和公園内の中央南西あたりに「平田院墓所」がある。
残念ながら、「平岩親吉様」墓碑の案内は何もない。


墓所に入り、最奥の中央あたりに「平岩親吉様」墓碑が建つ。
両脇に石灯籠が建ち、墓碑には「平田院殿・・・」と刻まれている。合掌。


平岩親吉様は、尾張藩初代藩主「徳川義直」様の守役を勤めた方である。
義直様は、4歳で甲府城主、11歳で清州城主となる。
その間、義直様は駿府で父母と共に暮らしていたので、犬山城主の平岩親吉様が清州で政務をとっていた。

④★織田信長様の守役「平手政秀様」墓所
平和公園内の南西隅に「政秀寺霊地」がある。
大きな宝篋印塔の脇にある階段を登ると、丘の上に出る。


そこをさらに真っすぐに進むと、平手政秀様の墓所にたどり着く。


石塀で囲まれた中に墓碑が建つ。合掌。


政秀寺霊地には、平手政秀様墓所の案内がなくて残念だった。
霊地は丘の斜面にあり、麓には立派な墓碑がいくつも建っていた。
そこかと探すも見つからず、広い霊地を探し回った。
霊地の最も奥の方で、やっとのことで見つけることができた。

平手政秀様は織田信秀様の家臣で、織田信長様の守役を仰せつかっていた。
信秀様の死後、信長様を諫めて自刃。信長様は政秀様の忠誠を惜しみ、政秀寺を建てたと伝わる。

face02<相応寺>
⑤★徳川義直様の生母「お亀の方(相応院)」墓所
「相応寺」は、名古屋市千種区城山町1-47の静かな住宅地にある。
寺の入口は敷地北側にあり、門前の石柱に「阿弥陀如来四十八願所第二番札所 相應寺」と刻まれている。


門を二つ潜り、本堂に向かう境内は紅葉の名所で、楓がたくさん植えてある。



階段を登りきると本堂があり、その右端前に石柱で囲まれた「お亀の方(相応院)」の墓所がある。
上部が折れ、補修された墓碑が建つ。合掌。



「お亀の方(相応院)」は、徳川家康様の側室で、尾張藩初代藩主義直様の生母である。
義直様は、お亀の方の没後、菩提を弔うため相応院を創建された。
寺の歴史等は、現地には簡単な案内があるのみで物足りないが、
相応寺ホームページに詳しく載っているので、訪問する前に読んでおくとよいと思う。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:09Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月17日

尾張藩附家老・美濃今尾藩「竹腰家」墓所 (武将のお墓参り13)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>
尾張藩附家老竹腰氏は、岐阜県美濃地方にもゆかりのある武将であり、
岐阜県と愛知県にあるお墓をご紹介します。

①★尾張藩附家老(美濃今尾藩五代)「竹腰正武様墓所」
「岐阜県関市志津野665」 正武寺は、通りから奥に入った静かな山麓にあった。

通り沿いに小さな寺の案内がある。そこから狭い道を奥に入って行くと、
T字路に「永平寺直末 禅・曹洞宗 正武寺」と記した看板がある。


そこから左に入ると、小さな山門があり、左の道を進むと境内だ。
本堂でお参りをしてから、本堂左後ろにある墓地に参る。

墓地は、緩やかな坂になっている。
真ん中が参道で、両脇に墓が並び、奥の突き当り上段が「竹腰正武様の墓所」である。
墓地や寺を見下ろす位置にある。



墓所右側に「関市指定遺跡 竹腰正武候本廟」と記された案内柱があるが、
なんの説明もなく残念だ。


墓所敷地に入ってすぐの左右に、2対の石灯籠がある。


そこから石階段を少し上ったところが、石柱で四角く囲われた廟所だ。


石柱囲いの正面が鳥居風で高く、中央が唐破風で下に梅鉢紋が付いている。
このタイプは珍しい。中央奥に立派な五輪塔が立っている。合掌。



尾張藩附家老竹腰氏は、美濃今尾藩三万石を領していたが、
飛び地で志津野村(現関市)等に領地を有していた。
五代正武様は、領地である志津野を見廻り、菖蒲谷を気に入られ、自らの菩提寺を建てたと伝わる。

正武様は、尾張藩家老「石河章長」様の子であり、竹腰家へ養子に入っている。
私考であるが、関市内には石河家菩提寺の蓮華寺があり、
正武様は領地見廻りのついでに父らの墓参に訪れていたかもしれない。

②★尾張藩附家老(美濃今尾藩)「竹腰家墓所」
愛知県名古屋市千種区の「平和公園」は、昭和22年から昭和32年頃にかけて、
名古屋市内に点在した各宗派280の寺院のお墓、約18万8千基を寺院別に区画して移した所だ。


平和公園の中央東寄りにある「相應寺墓域」に、竹腰家の立派な墓碑が5基並んでいる。
しかし、案内となるものは何もなく残念だ。



右から順に、「竹腰正辰」様(初代正信様の三男、四代正映様の父)、「七代竹腰睦群」様


真ん中の一番大きい「初代竹腰正信」様の墓碑の前には、石板があり文字が刻んである。



次が「二代竹腰正晴」様、「三代竹腰友正」様である。


墓碑の裏側には墓主の名前などが刻んであり、どなたのお墓かすぐにわかる。合掌。


相應寺は、尾張藩初代藩主徳川義直公が、生母「お亀の方(相応院)」の菩提のため創建。
諸説あるが、お亀の方が徳川家康様の側室になる前に結婚していたのが竹腰正時様であり、
その間に設けた子が竹腰家初代正信様である。
その縁からか、相應寺は竹腰家の菩提寺となったと思われる。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:15Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月01日

<岐阜市の崇福寺>岐阜城主「織田信長様&信忠様」&「斎藤利匡様」墓所 (武将のお墓参り12)

2016年10月1日
<岐阜城主のお墓参り>

★織田信長公霊廟所 崇福寺
「岐阜市長良福光2403-1」にある岐阜城主織田家の菩提寺「崇福寺」を訪れた。
午前中には、岐阜信長まつり「織田信長公追悼式」が営まれた。

本堂裏に「織田信長父子廟&位牌堂」があり、「斎藤利匡」様の墓所もある。
全国にたくさんある「織田信長」様と「織田信忠」様の墓所の一つが、ここにあるのだ。


諸説あるが、「崇福寺のしおり」等によると、
「崇福寺は、美濃国守護代斎藤妙椿の家系の斎藤利匡が永正8年(1511)に再興された。
永禄10年(1567)信長が岐阜に入ったとき、
若くして亡くなった側室吉乃(信忠の母)の菩提所として、江南市「久昌寺」から位牌を移された。

当時の崇福寺住職が、信長の家臣鳴海助右衛門の援助を得て、織田家菩提所指定に尽力された。
本能寺の変後、信長の側室小倉氏「おなべ(お鍋)の方」が、
信長の遺品を当寺に葬り、信長・信忠父子の位牌所に指定された。」とある。

通り沿いの左右に石柱があり、左側は「織田信長公霊廟所」と刻まれている。


そこから参道を進むと山門があり、織田家「木瓜紋」が入った幕が掛かっていた。


山門を潜り、突き当りが本堂である。


受付の方に挨拶して、本堂内部を拝観。テープで由緒や寺宝などの説明が流れる。
信長禁制書、清州城鯱瓦、土岐頼高筆の鷹図などの寺宝や、
関ケ原の前哨戦で落城した岐阜城の床を使った血天井を見させていただいた。

本堂の左前に、本堂前に入る潜り戸がある。入ると、左側に素敵な枯山水庭園がある。



庭園を見ながら奥に進むと、自然に右手に折れていく。
小路の先に小さな門があり、中が廟所である。門の扉には、桔梗紋が彫り抜いてある。



門を潜り、突き当りが「織田信長父子廟」である。
位牌形の墓碑1基に、信長様と信忠様二人の法名が左右に並べて刻まれている。合掌。




墓碑の右側に格子塀に囲まれた位牌堂(小堂)が建っており、彩色が施されていて美しい。合掌。



位牌堂の前には、読経堂が建つ。その奥に、「開基斎藤利匡墓」と記された案内板がある。


その先に、宝篋印塔7基がひっそりと立ち並ぶ。
「斎藤利匡(としただ)」様や一族の方々、「稲葉一鉄の父通貞」様のお墓である。合掌。



なお、当寺は「稲葉一鉄」様が修行された寺でもあり、寄贈された梵鐘があった。



山門の上に、新しいが珍しい「あうんの龍」の飾り瓦があるので必見だ。
徳川家にゆかりがあり、本堂や山門などの屋根瓦に葵紋が入っている。



当寺は境内の各所に案内板があり、大変ありがたかった。(感謝)

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:55Comments(0)武将のお墓参り

2016年09月19日

関市板取「清流川魚料理 徳兵衛茶屋」 (美味しかった18)

2016年9月3日

★「清流川魚料理 徳兵衛茶屋」に行ってきた。
(岐阜県関市板取一里保木5822-1、火曜日定休、11時~)

川魚料理が美味しいと、知る人ぞ知る名店だ。
山奥にあるが、行列ができる人気店でもある。
玄関を入ると魚を焼く煙で煙っていて、天井まで黒っぽい。

メニューは、あまご、いわな、鮎、うなぎを使った様々な料理があり、どれにしようか悩む。
悩んだあげく注文したのは、「川魚三昧定食」1,880円。

メニュー表には、「杉板と味噌の香りを楽しんでください」と書いてある。楽しみだ。
料理内容は、「あまご塩焼き1匹、いわな唐揚げ1匹、あまご杉板焼き1匹、山菜、デザート、ご飯、赤だし」だ。

「あまご塩焼き」 焼き加減が最高!


「川魚三昧定食」 料理はお盆で出てくるが、あまご塩焼きは載りきらない。


「いわな唐揚げ」 カリカリで骨まで食べられる。うまい!


「あまご杉板焼き」 杉板に包んで出てくる。いい香りだ。
あまごの上に、味噌がかかり、そばの実がまぶしてある。美味しいし、良い食感だ。


「デザート」


どれも美味しくいただき、魚料理を楽しめたことに感謝。

「店内からの良い眺め」 今日の席は窓際で、清流の流れる渓谷を見下ろせる一等席だ。


「店の名刺」


★帰りに、大変有名になった「名もなき池(通称モネの池)」に寄った。
相変わらず、大勢の人が観にきていた。
以前訪れた時にいなかった「ハートの鯉」を見ることができた。良いことがありそう。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 23:15Comments(0)美味しかった