2017年08月03日

岐阜県各務原市の少林寺「旗本坪内氏墓所」 (武将のお墓参り23)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 
岐阜県各務原市の少林寺「旗本坪内氏墓所」

2017年7月、各務原市の少林寺にある「旗本坪内氏歴代墓所」を訪れた。
(住所:各務原市那加新加納町2104-1)


少林寺は、戦国時代に兵火に焼かれ断絶した。
しかし、天保元年(1644)に旗本坪内氏の二代「家定公」が再興し、累代の菩提寺とした。

寺のすぐ南側に「旗本坪内(新加納)陣屋跡」があった。訪れた時は、そこは更地で公園予定地になっていた。
近くの中山道の一里塚跡に案内看板「中山道間の宿 新加納のご案内」があり、
「旗本坪内陣屋」について次のように記されていた。

「新加納周辺を治めていた坪内氏の初代は、松倉城(各務原市川島松倉町)に拠点を置き、
織田家に仕え蜂須賀小六ら川並衆をまとめていた。

4代利定は、関ケ原の戦いで徳川隊の鉄砲隊を率いて活躍。
これにより6530石を治める旗本となり、拠点を松倉城から新加納陣屋に移した。

陣屋は、巨大な濠(幅5,2m以上、深さ約3m)と土塁(約3m)に囲まれ、強固な防衛施設として建設された。
旗本坪内氏は、利定以降11定益まで続き、明治元年領地を奉還した。」

関ケ原の合戦で、坪内利定公は子4名と共に東軍に加わり武功を挙げた。
そして、利定公は初代旗本となる。
知行地は、宗家領(御納戸)、内分家領(御内分)、分家領(御分知)に分かれていた。

内分家は三家あり、各務原市内にそれぞれ領地・陣屋を持つ「三井坪内氏」と「前渡坪内氏」と
「平島坪内氏」であった。
分家は二家あり、江戸に屋敷を持つ築地坪内氏と貝坂坪内氏であった。

訪問した少林寺は、旧中山道から少し奥に入ったところにある。


境内に入り、真っすぐ参道を進む。突き当りのお堂の前を左に折れると山門がある。


山門を潜ると、正面に鐘楼があり、その右を奥に行くと本堂の前に出る。本堂で参拝。



本堂の左方に墓地の入口がある。


墓地に入ってすぐ右側が内分家「三井坪内氏墓所」であった。合掌 
大小の墓碑が、玉垣の上に隙間なく並んでいる。


正面に法名、側面に俗名と没年が刻まれているものもあった。奥の方にあり読めないものもある。
俗名が読めたのは、「定民公、定経公、定秀公、定高公、定並公、定職公」。


墓地へ入って突き当りの右側に「市指定史跡 旗本坪内家墓所」の標柱がある。


玉垣の上には、旗本宗家二代「家定公」ほかの墓碑が並んでいた。合掌
中央が家定公の墓碑とわかったが、他は俗名がわからなかった。


その右手に内分家「前渡坪内氏」らしい墓所がある。合掌 
隙間なく並んでいる墓碑は、俗名がわかったのは「定效公」だけだった。



さらに右隣りには内分家「平島坪内氏墓所」があった。合掌 
こちらの墓碑も隙間なく並んでいたが、俗名を読めるものが多かった。


読めたのは、「定英公、判定公、定基公、定覚公、定侯公、定矩公、定興公、定通公」。


本堂のすぐ左側に、開基「東陽英朝大和尚」の墓所の参道がある。
突き当りが和尚の墓所で、墓は土饅頭だった。合掌


和尚の墓の左に、立派な墓碑が6基並ぶ。「宗家坪内氏墓所」であった。合掌
左から順に、「8代定系(さだつぐ)公、7代定孝公、9代定儀(さだのり)公、
4代定長公、5代定重公、6代定堅公」の墓碑である。


境内及び墓所には、家定公墓碑前に「旗本坪内家墓所」の標柱があるのみであった。
坪内氏についての詳しい説明や、墓碑の案内が欲しかった。

墓所は整備されており、旗本坪内氏や夫人たちの立派な墓碑がたくさん並んでいた。
貴重な史跡である。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 15:14Comments(0)武将のお墓参り

2017年07月31日

岐阜県羽島市の金宝寺 「八神城主毛利氏歴代の墓」 (武将のお墓参り22)

★「美濃国ゆかりの武将」のお墓参り

2017年6月、岐阜県羽島市の金宝寺にある八神城主毛利氏歴代の墓所を訪れた。
(住所は、羽島市桑原町八神2221)

桑原町誌には、
「八神城主毛利氏は、鎌倉時代から尾張国長岡庄の司職として、この地方の地頭あるいは領主として
羽島市下中町石田や桑原町八神に居城を構え、幕末まで居住してきた。
土岐頼芸、織田信長、織田信雄、豊臣秀吉、池田輝政、織田秀信らに仕え、徳川家に仕えた。

八神毛利氏歴代の墓が金宝寺にある。高さ160cm前後の墓が13基。
尾張藩の家老格世臣として仕えた八神城主13人の墓碑群で、
境内にはこの他にも毛利家にかかわりのある墓碑が大小50基。

ほとんどは花崗岩の墓石で、表に院号法名、左右に没年が刻んである。
墓碑の並びは、歴代順になっていない。
西口がコの字形で、そこから東の方に並列に並んでいる。

寺は慶長元年(1596)の創立で、毛利広次の開基。」とある。

ナビで住所検索して向かったところ、境内北側の細い道に案内された。
境内の入口は南側だったので、水田の間の細い道を遠回りすることとなった。

境内南側に山門が建ち、その左側に文化財標柱や案内板がある。


標柱は右から順に、「円空仏如来像」、「八神毛利氏歴代の墓」、「金宝寺の駕籠」と記されている。


案内板には次のように記されているが、簡単すぎて物足りない。
「岐阜県・羽島市史跡 八神毛利氏歴代の墓 八神毛利氏は三千石余を領有し、
市内桑原町八神に居を構えて名古屋藩に仕えたが、

その初代(毛利掃部介広次・元和二年十二月十四日没・八十四才)より版籍を奉還した。
十三代(毛利源内広貫・明治二十一年六月に二十五日没・六十一才)の墓碑が
菩提所である当寺の墓地に建てられており、史的価値は極めて高い。」

山門を潜ると正面に本堂があり参拝。


境内の左方に鐘楼があり、その右側が墓地の入口である。


墓地は少し低くなっている。階段を降りて墓地に入り、すぐ右に進む。


正面奥の一画が、毛利氏歴代の墓所だった。
墓所の南側中央が入口になっており、コの字形(長方形)に墓碑が並んでいた。


墓所には、高さ160cm程の特大から小型まで多くの墓碑が立ち並ぶ。壮観だ。合掌
右側の墓碑群。後ろに本堂がある。



墓所内右側の南側の墓碑群。




墓所内右側の北側の墓碑群。



墓所内左側の墓碑群。奥の南側にも小さな入口がある。





墓碑には、番号を書いた紙片が置かれているものもあった。お名前は書かれてない。
ほとんどは花崗岩の墓石である。
正面に院号法名、左右に没年が刻まれているが、摩耗して読みずらいものもある。

この中に初代から十三代までの歴代城主の墓碑があるらしいが、墓所には何の案内もない。
どれがどなたの墓碑かわからず、残念だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:34Comments(0)武将のお墓参り

2017年07月22日

★バリ島旅行記 その13(最終回) 帰国「デンパサール(イガステ・グラライ)空港~成田空港」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その13(最終回) 帰国「デンパサール(イガステ・グラライ)空港~成田空港」
<6月24日(土)~25日(日)>5・6日目

★31 「デンパサール(イガステ・グラライ)空港」 
空港に22:20頃に到着。
車を降りて空港ビル内に入ると通路がある。照明がいい感じだ。


通路の先が広い空間になっており、売店もある。
人が多かった。いつもこのように混んでいるのかはわからない。



最初にフライトインフォメーションで、搭乗ゲートとフライト時間の確認をした。
搭乗する飛行機は、一番下に表示されていた。00:55出発予定だ。


この空港では、まず全荷物のX線検査がある。
預ける荷物と機内持込手荷物の両方の検査だ。大勢の人が並んでいた。

次に、ガルーダインドネシア航空のチェックインカウンターへ行く。
18・19カウンターである。ここも大勢の人が並んでいた。
カウンターでは、パスポートのみの提示で良かった。スーツケースを預け、搭乗券を受け取る。


次は、機内持込手荷物と本人のX線検査だ。ここも並ぶ人が多い。
手荷物(カバン)は、口を開けて検査機に通すように指示された。
パスポートと搭乗券を提示する。
身に着けているベルト等の金属を外さずX線検査機を潜り、引っかかる人を何人か見かけた。

次がやっとで出国審査だ。ここもやっぱり行列がある。
パスポートと搭乗券を提示。ここの審査官も不愛想だが、すんなりと通過できた。

出国審査を通過すると、やっとで搭乗口への通路となるが、ここまでずいぶん時間がかかった。
早めに空港に着いておいて良かった。

搭乗ゲートへ行く通路には、最初に免税店があり、次に飲食店や土産店が並んでいる。
しばらく店を見ながら進むと、搭乗ゲートの案内表示があった。
右へ行くと1番ゲート、左に行くと2~9番ゲートだ。今から乗るのは8番ゲートなので、奥の方だ。

8番ゲートまでどれくらい時間がかかるかわからないため早めに向かった。
途中に少しだけ、動く歩道があった。通路脇に簡易ベッドが置いてある。
深夜なので、通路脇や簡易ベッドで休んでいる人も多い。

やっとで8番ゲートに着いた。遠かった。
待合所の椅子席数は多くない。まだ空き席があったので座って待った。
時間が経つにつれ席は埋まり、床や壁際に座って待つ人が増えた。
待合所は涼しく、寒いくらいだった。長袖が必要だった。

日本語でもアナウンスがあり、出発が50分遅れで1:15になる。
理由は聞きづらく、何をいっているかわからなかった。(後で、気流の関係とわかった。)

★32 「ガルーダインドネシア航空 GA880便」 成田空港行
成田まで5861kmのフライトだ。フライト時間は6時間57分の予定と機内アナウンスがあった。
日本人CAは二人乗務している。

機内サービスで、紙おしぼりと水ペットボトル(小)、安眠セットをいただいた。
安眠セットがあっても、なかなか寝付けなかった。つらい。


台湾上空あたりで軽食が出た。ライスかオムレツか選べる。
飲み物はソフトドリンクだけだった。アルコール類は無かった。
ライスの方には、ヤクルトが付いていた。(バリ島でもヤクルトを売っていた)


オムレツには、ヨーグルトが付いている。


「携帯品・別送品申告書」が配られた。1家族につき代表1枚で良い。

★33 「成田国際空港」 帰国
9:31成田空港に無事着陸。とても眠い。

預けた荷物は、割と早くターンテーブルに出てきた。バリ島とは大違いだ。
しかし、私たちの荷物がでてくるのは遅かった。

大きな荷物を持っているし眠いので、空港ターミナルから成田エキスプレスに乗って東京駅へ直行した。
東京駅で弁当を買って名古屋に向かった。

バリ島は、大変良いところだった。機会があれば、再訪したい。

おしまい  


Posted by ふなチャン(Y)  at 10:23Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月21日

★バリ島旅行記 その12 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」&クタ市内ショッピング

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その12 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」&クタ市内ショッピング
<6月24日(土)>5日目

★27 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」
クタ中心部は賑やかだ。様々な店やホテルなどが立ち並び、観光客も多い。


クタ中心部のY字路交差点に、「爆弾テロ事件慰霊碑」が建っていた。
慰霊碑が建つのは、道路より一段高いところだ。


慰霊碑には、爆弾テロで亡くなった方の名前が刻まれていた。
亡くなったのはオーストラリア人が多いが、日本人も二人いる。合掌

★28 クタ「パサル セニ(アートマーケット)」&「パンタイビーチ」
クタ中心部にある地元市場に連れて行ってもらった。

「パサル セニ(アートマーケット)」の前は車の通りが多く、道路を横断するのが怖かった。
バリ島で見たタクシーの色は、爽やかな水色が多かった。


市場内に、寺院や祠がある。祠には、たくさんのお供え物があった。




通路端は駐車場となり、びっしりと車が停まっている。
店番らしき女性が、停めてある車の隙間で何か作っていた。のんびりしている。


物語のプリンセスの衣装をショーウインドウに並べている店もあった。かわいい。


「I♡ BARI」と書かれたバッグやシャツ、いろんなマークが付いたキャップなどを
売っている店もある。上手に並べてある。


左側の平屋建ての長屋には、小さな店が詰まっていた。
訪れた時はお客が少なく、店員は通路に置いた椅子に座っていた。



売っているのは主に衣類で、眼鏡や靴、カバンなどもあった。
ここでも、通路で作業をしている女性店員がいた。暇そうだ。
雑然とした市場を見て歩くのも楽しい。


市場を通り過ぎると木陰があり、その前が「パンタイビーチ」だった。
海だ、いいね。木陰で海を眺めたり、カフェで寛ぐ人がいる。



白く美しい砂浜がいいね。
浜辺には、水遊びをする人、物を売っている人、体を焼いている人、波打ち際を散策する人がいた。
海にはサーフィンをする人が浮かんでいた。


思い思いに過ごす人たちがいる平和な眺めだ。だが暑かった。

★29 クタ「モール バリ ギャレリア」 昼食&ショッピング
店へ入った所に警備員がいて、バッグの中身のセキュリティチェックがあった。

長方形の中庭があり、テーブルで食事をしている人がいた。


中庭の周りにフードコートがあり、飲食店が並んでいた。
その中の「MMジュース」で昼食をいただく。


注文した料理は、オタオタ(魚のすり身をバナナの葉で巻いて焼いたもの)・・・蒲鉾みたいで、ほのかに甘い、


定番になったナシゴレン、


クウェティアオ(米パスタとチキンの炒めたもの)、


ビーフン(料理名不明)、


キャプチャイ(野菜炒めスープ)、


ミーアヤム(鶏肉と麺)とバソスープ(ミートボール入り)、


ナシベラ(赤いご飯)・・・キャプチャイと混ぜて食べると美味しい


デザートにピィサンゴレン(バナナのフライ)。


美味しい料理に感謝。

店内は、とても広い。明るくて清潔だ。客は地元の人が多いようだ。


店内のスーパーで買い物。土産物を追加したり、気になる物を買った。


買ったのは、「キットカット・ほんかくてきまっちゃ」「味の素・Masako」・・・味の素製品をよく見かけた


バナナ・・・日本では少なくなったバナナシールが付いていた


「ざくろジュース」「ジュングルジュース」、


「ba-bal(インドネシアのお菓子)」、


「sukro」・・・インドネシアの小さいお菓子、


「ココナッツクッキー」・・・箱がいかにもバリ島なので買った。
小分けして土産にしようと思ったが、開けてみたら小分けできなかった。


珍しい物がたくさん売っており、見るだけでも楽しかった。

★30 クタ「サークルK」 ショッピング
バリ島でもコンビニをたくさん見かけた。
「サークルK」もたくさんあった。気になっていたので、連れていってもらった。


日本のサークルKは、ファミリーマートに衣替えしつつある。近所のサークルKが少なくなっている。
「インドネシアのサークルKはどうなるのだろう?」と思った。

店内には、サークルKオリジナルのビーチサンダルがあった。


買ったのは、カップ麺4種類、チョコレート、飲み物。
どのような味がするか楽しみだ。





次回につづく(次回が最終回)  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:00Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月19日

★バリ島旅行記 その11 「ウルワツ寺院&ケチャダンス」&フードコートで夕食

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その11 「ウルワツ寺院&ケチャダンス」&フードコートで夕食
<6月23日(金)>4日目

★25 パドゥン半島「ウルワツ寺院&ケチャダンス」
ウルワツ寺院は、パドゥン半島の西端の断崖沿いにある。

10~11世紀に創建された聖地で、夕日のビュースポットとしても有名である。
境内にケチャダンス会場がある。

駐車場に着いた時には満車に近く、車を停める場所を探すのに苦労した。
料金所で拝観料を支払い、その横で腰巻と腰紐を借りる。境内は神聖な場所である。

小さな門を入ると、境内は道が分かれている。直進することにした。
林の中を進むと、石柵に突き当たる。
柵の向こう側は断崖絶壁で、インド洋が広がっていた。展望台もある。


崖沿いに遊歩道が整備されており、海と崖の美しい景色を眺めながら歩くことができる。素晴らしい。
先には、神殿の屋根が見える。


先に進み振り返ると、ブーゲンビレアが咲き、断崖と白い波が打ち寄せる景色が見えた。絶景だ。


先端には神殿があり、大勢の参拝者と観光客がいた。


神殿の中は入れないが、外から見ることができた。祠がいくつか建っていた。


神殿の近くに、ミサンガのような物を編んでいる人がいた。絵になる。


神殿で参拝した後、階段を降りた。降りたところにウルワツ寺院の立派な標柱があった。
こちらが参拝の正しい入口みたいだ。


階段を降りたところは広場になっており、広場周辺の木陰で多くの人が休んでいた。
広場の前の柵越に海を覗くと、ここも美しい景色だった。垂直の崖と海と波を見ていてあきない。


ケチャダンスの観覧券をM君が買ってきてくれた。別料金なのだ。
日本語の案内チラシをいただき、パフォーマンス内容を予習した。開演が楽しみだ。


チラシによると、『バリ舞踊の中で、最もダイナミックでユニークなパフォーマンスがケチャ。
いっさい楽器を使わず、数十人の男声だけで独特のリズムを刻み、
ヒンズー教の創世神話の一部が踊り手たちによって演じられる。

見所は、数十人の男声による一糸乱れぬパフォーマンス。声だけでなく、身振り手振りにも注目。
演じるのは、「森に迷い込んだラマ王子とシータ姫に忍び寄る邪悪な影」というストーリー。
(チラシにあらすじが書いてあった。)』

ケチャダンス会場は、崖沿いにある。まだ明るいうちに会場に入ると、客は少なかった。
会場は半円形のすり鉢状で、崖側に広場があり、陸側に傾斜のついた客席があった。


席を確保し、開演を待った。席は、M君お勧めの中央付近の最後列。
ここだと立って写真を撮っても、前の人の邪魔にならない。また、会場全体を見渡せる。

待つ間、客席から暮れ行く海を眺めた。赤い夕陽にはならなかったが、美しい眺めだ。
でも暑かった。


陽が沈みかけた頃に、ケチャダンスのダンサーが会場に入って来た。広場に座る。
その後に白装束の僧侶が入り、ダンサーたちに聖水らしきものをかけた。

それからダンサーたちのケチャダンスが始まった。
「チャッチャッ」という合唱と身振り手振りが、テレビなどで見たままだ。


ケチャの合唱が心地よい。座ったまま、体を揺らせ、腕を左右、上下、前後に動かす。
生で見るのは、やっぱりいいね。

パフォーマンスが始まっても、まだ観客が入ってくる。
始まる前に用意された椅子席も埋まり、ダンサーたちのすぐ後ろに案内されていた。
ダンサーたちもやりずらそうだ。

美しい衣装の女性が出てきた。優雅なバリ舞踊を踊る。


さらに、魔王が出てきた。邪悪な感じがする。


陽が沈むと照明が点けられ、パフォーマンスが見やすくなった。
突然、白い猿が出てきた。ラマ王子の味方だ。


白猿は会場内をあちこち移動し、客をからかったりする。
客の頭を撫でたり、客を席から追い出して座ったり、ピエロみたいだ。


ケチャのダンサーたちは、演じる人や内容に合わせて、隊列を変える。
丸く輪を作ったり、小集団に分かれたりする。


悪者たちが出てきた。悪者だがパフォーマンスは憎めない感じ。
そして、客席から女性を広場に連れ出し、一緒に踊った。


また、客席との掛け合いでも楽しませてくれた。
観客に、マレーシアの人?、日本の人?、インドの人?、オーストラリアの人?、
インドネシアの人?と順に聞くと、それぞれの客から手が挙がった。オーストラリア人が一番多かった。

悪者は白猿を捕え、猿の周りに火をつけ始めた。どうなるのだろう?


だが、白猿は自力で縄を解いた。そして、足で火を消した。



演技中だというのに、席を立つ客がいた。はじめは一人二人だったが、集団で帰る客もいた。
ダンサーや役者の脇を通り、演技の邪魔になっていた。
他の観客の邪魔にもなっていた。困ったもんだ。

フィナーレは、役者が揃って挨拶した。
終演後は、無料でダンサーたちと一緒に記念撮影ができる。
しかし、夕食がまだなので帰ることになった。時間があれば一緒に撮影したかった。


「ケチャダンス」というと、大勢の男性が「チャッチャッ」と合唱して
体を揺り動かすだけだと思っていたが、見てみたら全く違っていた。

ケチャダンスを楽しみ、大満足の1時間でした。

★26 クタ「クリシュナ・ウィサタ・クリナー」 フードコートで夕食
ウルワツ寺院の帰りにクタのフードコートで夕食。フードコートは、3階建ての建物の1階にある。


入口前に、笛を持ったモニュメントが立っていた。


店内には、いろんな店が並んでいた。ほとんどの客はアジア系の人だ。
席に付いて料理を注文。チキン・ペンカツ(山型ご飯とおかずいろいろ)、


ララップ(十六ささげ、キャベツ、キュウリに辛いタレ)、
十六ささげは、インドネシアではロングビーンズという。


皆が好きなテンペ、


M君の好きなカンクン、


他にタフゴレン、サユール・アサム(酸っぱいスープ)、チキングリル、
ベベグリル(カリカリのダック)、ローデスープ(カレーみたい)、ナシ(白いご飯)を注文。

今晩も様々なインドネシア料理をいただけました。(感謝)

次回につづく

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:09Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月18日

★バリ島旅行記 その10 「J.CO(ジェイコ)」&「大モニュメント」&「GWKカルチュラルパーク」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その10 「J.CO(ジェイコ)」&「大モニュメント」&「GWKカルチュラルパーク」
<6月23日(金)>4日目

★22 クタ「J.CO(ジェイコ)」ティータイム
サンセット通りにある「J.CO(ジェイコ)」で朝のティータイム。
店はビルの1階にテナントとして入っている。


「J.CO」は、インドネシアのドーナツ屋さん。
日本でいえばミスタードーナツかな。インドネシアのあちこちで見かける。


ショーケースには、いろんなドーナツが並んでいる。どれも美味しそうだ。


注文した飲み物は、ジョコチーノ、グリーンティ、グリーンティ・フラッペ。飲み物には、ドーナツが1つ付いてくる。
ティータイムで、ゆったりとした朝もいいね。


<トイレ事情>
ビルの地下にあるトイレに入った。男子用に小便器はなく、和式便器が1つだけだった。
水洗式だが、バケツの水を桶で組んで便器に流すようになっていた。
トイレットペーパーもない。代わりにシャワーがついていた。


空港や新しいホテル、SC、レストランでは、だいたい洋式便器だが、トイレットペーパーがない所もある。
トイレについては、ガイドブックに注意事項として書いてあるので、事前準備と心構えが必要だ。

ビル内の雑貨店に、ドラえもんの偽物ぬいぐるみがあった。緑色のもあった。


★23 クタ「大モニュメント ラーマヤナと魔人の戦い」
クタの交差点のロータリーに大型のモニュメントがある。
バリ島では、大小のモニュメントや神像がロータリーや道路脇に立っていた。


大型モニュメントの正式名称はわからないが、「ラーマヤナと魔人の戦い」像らしい。
ラーマヤナが馬の上に立ち、馬車に乗った魔人と対峙している。
大変迫力ある像だ。

モニュメントの最下部は、象が口から水を吐いていた。象は水の神?


モニュメントの上空を飛行機が通り過ぎて行った。


馬車の後部には、ガルーダらしき神が構えていた。


モニュメントの周りを歩いて一周できる。
素晴らしい像を近くでじっくり見ることができて良かった。

★24 パドゥン半島「GWK(ゲーウェーカー)カルチュラルパーク」
「GWK」とは、ガルーダ&ウィスヌ神&クンチャナ(合体)という意味だそうだ。
ガルーダにウィスヌ神が乘っている像が、パークのシンボルなのだ。

道路沿いに白い大きな「GWK」の立体看板があった。そこから左へ入る。


案内チラシには、展示内容と配置図が載っている。広い敷地だ。
残念ながら日本語の案内はなかった。



駐車場の周りには、石切り場がある。
石切り場の高さは20m以上だろうか。きれいに直方体に削ってある。


駐車場から歩いて、売店の前を通り過ぎると、入口が見えてくる。


入口前には、姿形が異なった神像が並んでいる。


入場すると左側にシアターがある。その前に本日のパフォーマンススケジュール表があった。
バリ舞踊や演奏の場所と時間が書いてある。時間があれば見たかった。


シアターの向かいには、レリーフがある。
ガルーダとウィスヌ神の神話らしい。見応えがある。


現在、パークのメインとなるGWKタワーを建造中だ。その完成予定図があった。
完成すると120mにもなる巨大なものだ。でも、いつ完成するかわからないらしい。


奥に進むと、亀の噴水と神像のある池に出る。亀の形は日本の表現と異なり、興味深い。


池の横で、腰巻と腰紐を貸していただける。この先は神聖な場所となる。
階段を上っていくと、ウィスヌ神の頭部が見えてきた。


階段を上りきると広場になっている。
そこに巨大なウィスヌ神像の上半身が鎮座している。なかなかのイケメンだ。


広場は高台にあるため、緑の中に点在する家や海を見下ろせる。


広場からは、ガルーダ像の足や翼らしきものの一部が地面に置かれているのも見えた。


また、ガルーダ像の頭部を見下ろせる。
遠くには、クレーンを使って建造中のGWKタワーも見える。


ガルーダ像の頭部は、近くで見ると実に大きい。迫力がある。


良く見ると優しい顔だ。


階段を降りて見上げるガルーダ像も絵になる。


階段を降りたところは広場になっており、両脇は直方体に削った石切り場だ。壮観である。


石切り場の間に日影ができており、そこは涼しい。


日影に軽食を売る店があり、そこで休憩。
肉団子入りの麺とインドネシア風シュウマイをいただいた。



GWKタワーが完成していなくても、巨大な主要部分をまじかで見ることができて良かった。
出口にある土産物店も充実していた。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:33Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月17日

★バリ島旅行記 その9 ウブド「ウブド王宮」&「バリ舞踊」観賞

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その9 ウブド「ウブド王宮」&「バリ舞踊」観賞
<6月22日(木)>3日目


★20 ウブド「ウブド王宮」
ウブドの町は、大勢の観光客で賑わっていた。さすが人気観光地だ。
通りには、土産物店、飲食店、ホテル、マッサージ店などがぎっしりと並んでいた。

ウブド王宮は、そんな町の一角にあった。
王宮は、1908年にオランダに征服されるまで続いた王の屋敷だそうだ。
王宮には今も子孫の方が住んでいるため、一部しか見学できない。

赤レンガの立派な門が入口になっている。
その門前に机を置いて、向かいの建物で開催されるバリ舞踊のチケットを売っている。


チケットを購入しておいて、王宮に入った。無料で見学できる。
夕方で薄暗くなっており、王宮内の立派な門がライトアップされていて良い雰囲気だ。


建物内部もライトが点灯され、壁のレリーフが見やすくてありがたい。


レリーフの神たちの手の動きは、バリ舞踊みたいだ。


王宮内の像は、目鼻立ちがはっきりしていて、今まで見た像と異なり興味深い。



★21 ウブド「バリ舞踊」観賞
ウブドには、いくつかバリ舞踊を見られる会場があるそうだ。
その中で我々が観賞する会場は、ウブド王宮の向かいの「ウブドパレス」だ。


会場に屋根はあるが、壁はなく開放的だ。公演は19:30~21:00の予定である。
席は自由席だし、込み具合がわからないため、1時間以上前に会場に入った。
その時は椅子を並べて準備中だったが、入っても良く、最前列に座れた。

まだ会場は照明が点いておらず薄暗かったが、徐々にお客が入ってきて、最前列が埋まった。
待っている間に、舞踊の案内チラシが配られた。日本語版もあって良かった。


チラシには、「レゴン・トランス:パラダイス・ダンス 演奏・舞踊:スク・パンチャ・アルタ・ウブド・クロッド」と題し、
ダンスと舞踊劇のあらましが書いてあった。

舞台には、奥にレンガ門があり、その門に3つの立派な入口がある。
中央入口が高く、門の前の両脇に笠を持った神像が立つ。


舞台両脇には、楽器が置かれていた。
しばらくすると、男性が薄暗い舞台に上がり、舞台の端に沿って黄色い花を並べ始めた。

開演を待つ間、飲み物売りの売り子が何度もきた。売り子は婆さんだ。
席は、18時半頃からポツポツと埋まり始め、19時過ぎからゾクゾクと埋まっていった。
そして、始まる前には満員になっていた。

最初に舞台両端へ楽団が入ってくる。紫色のきれいな衣装だ。
その後、白装束の男性が出てきて、聖水らしきものを楽団員に振りかける。


その後、楽団によるバリ音楽の演奏が始まった。時折、女性による歌も入る。
普段聞くことのない楽器が使われ、何とも言えない感覚になる。生演奏はいいね。


先ほどと異なる白装束の男性が、中央の門から出てきた。手に何か持っている。


続いて、男性に担がれた美しい女性が出てくる。4人一組で、二組が出てきた。
女性は美しい衣装で、手に金色の扇を持っている。



先ほどの白装束の男性が、舞台中央前方でお祈りを行う。


お祈りが終わると、女性が「レゴン・トランス」を舞い始める。
最初は目を閉じて舞う。


表情は穏やかだ。動作は緩やかで、手の動きが独特で面白い。
踊りは動作のみで、声は発しない。音は演奏のみである。


しばらく目を閉じたまま舞うが、突然目を目いっぱい開く。
目の周りの化粧も相まって大きな目となり、面白い。


表情はきつくなり、動作も心持ちキビキビしている。


踊りが終わると、女性は目を閉じて紙吹雪を舞わせる。


次に、仮面を付け、きらびやかな衣装で、手の爪が長い男性が出てきた。
鬼神であり、「ジャウック」を踊る。
鬼神が森の中を一人で戯れる姿を踊りにしたもので、指先の動きが独特で面白い。


しばらく一人で踊った後に客席に来て、客の女の子を舞台に上げた。
手取り足取りで踊りを教えた後、一緒に踊った。
女の子のかわいい踊りに、客席から拍手喝采だった。


次に、柄の長い傘を持った男性4人が出てきた。


続いて、女性4人が出てくる。「レンチャナ・アグン・ウブド」を踊る。
女性たちは、シンボルを持って踊る。



シンボルは、半月(アルダチャンドラ)、太陽(ウィンズ)、地球(コスモス)、龍(ナガ)の4つで、
バリヒンドゥー教では「月と太陽は地球を守り、龍は地球を支えている」という教えがあり、
その思想を基に表現されているそうだ。


次に、化粧の濃いおかまっぽい男性が出てきた。
きらびやかな衣装で、右手には扇を持っている。動きは軽快だが、あやしい。


「クビャール・トロンボン」という踊りを舞う。
クビャールとは稲妻という意味で、トロンボンは旋律打楽器の名称だそうだ。

踊りの最中は、表情豊かだ。トロンボンを演奏するときも踊りながらである。


次に、美しい女性4人が出てきた。頭に大きな花飾りを載せている。
目を見開き、真剣な表情で踊る。やはり手の動きがユニークで興味深い。




最後が、舞踊劇「ビマニュウ物語」だ。劇も動作のみで、声を発しない。
始めに家来らしき男性が出てくる。三枚目って感じで、ユーモアあふれる表情だ。


つづいて、トランプのキングのような出で立ちの男性が出てきた。王子らしい。
ガニマタで、ユニークな動きの踊りに目が離せない。


次は、美しい衣装の姫らしき女性が出てきて踊った。手と腰の動きが優雅だ。


そして、長い髪の女性たちに続いて、子猿の軍団が出てきた。
子猿は、舞台の上をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。かわいい。


魔王たちの演技の最中は、王子と家来が脇で待機。王子はヤンキー座りだ。


魔王と王子。王子は、キリッとした表情だ。


フィナーレは、出演者全員が美しい衣装で勢ぞろい。
良かった!!拍手喝采だ。



感動の1時間半が過ぎてしまった。素晴らしい踊りと劇だった。(お勧めです)
なお、チラシで劇のあらすじを読んでいたが、踊りや動きの意味がわからなかった。

次回につづく

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:24Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月15日

★バリ島旅行記 その8 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」&「ワルン グラメ」で昼食

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。
◆バリ島旅行記 その8 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」&「ワルン グラメ」で昼食

<6月22日(木)>3日目
★18 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」 
タマン・アユン寺院は、1634年にムングウィ王国の国寺として建てられ、世界遺産になっている。

寺院は、広い濠に囲まれていた。濠の左側が境内になる。(右は民家)


橋に架かる門を潜って境内に入る。


さらに橋を渡り門を入ると、右手に受付(料金所)があり、拝観料を支払う。


ここまでにもいくつかの神像がある。中には、異形の神像もあり興味深い。


拝観料を支払い中に入ると、左側に庭園がある。緑の芝生が美しい。


右側は茅葺の大屋根の建物がある。
屋根の下には、人形が配置してあり、神話を物語っているらしい。



奥に進むと門があり、附属する神像もユニークだ。


門の先にレンガ造りの建物がある。そこには美しい象の形の神などのレリーフがある。



先に進むと、右側にある建物の前に神像(守護神って感じ)が何体かある。
いろんな顔と衣装で興味深い。


受付から真っすぐ行くと、突き当りに大きな門がある。
ここの扉は開いておらず、一般の人は中に入れない。
周りは壁で囲われており、特に神聖な場所だそうだ。


壁に沿って周りを一周できる。
壁の中には、美しい大小の堂塔や石塔が並んでいる。
多層塔はメルといい、聖なるアグン山を模しているそうだ。ここには10基ある。



見る角度によって、堂塔などが造る景色が変わる。



美しい建物や神像をたくさん観られて良かった。ここもお勧めの場所だ。


★19 ムングウィ「ワルン グラメ」で昼食
遅い昼食を「ワルン グラメ」でいただいた。


開放的な店内で、庭の中にも席がある。いい雰囲気だ。


水の入ったボウルとライスが一緒に出てきた。水は手洗い用だ。
今まで入った店では水が出てこず、M君から聞かないと手洗い用とわからなかった。(危なかった)


注文した料理は、グラメ・フライ(グラメは魚の名前)・・・カラッと揚がり食べやすい


ミー・ゴレン、


グラメ・フライ(野菜などが載っており辛かった)、


野菜炒め、


カンクン(空心菜)チャ、


他にグリル・チキン、テンペ、グラメ・グリルなどを美味しくいただいた。(感謝)

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:56Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月14日

★バリ島旅行記 その7 車窓&地元市場&タナロット寺院

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その7 車窓&地元市場&タナロット寺院
<6月22日(木)>3日目

★15 車窓「クロボカン~タバナンの景色」
バリ島の車窓風景は、見ていて飽きない。
そこら中にある寺院には、様々な神像や物が置かれている。それを見るのも面白い。(写真は何か不明)


道路端の大型看板も日本とは、異なる景色を作っている。


小さな店で、アイスクリームらしき物を売っている。


古い建物を改修して利用しているタイヤショップがあった。
赤瓦屋根の寄棟はバリ島様式の建物らしく、島のあちこちで見かけた。


ガソリンスタンドでは、車とは別にバイク専用の給油場所があり、列ができていた。
日本ではみかけない光景だ。


おもちゃ屋さんには、水遊びの玩具がたくさん並べてあった。


郊外では、田んぼやバナナの木やヤシの木をよく見かけた。のどかだ。


★16 タバナン 「パサル トラディショナル スリ バンタス」(地元市場)
地元市場も見たいとM君にリクエストした。連れて行ってくれた市場は、田園地帯の中にあった。


舗装がされてない広い駐車場があり、大屋根の建物の中にたくさんの小さな店が詰まっていた。


訪れた時は、まだ全部の店が開店していなかった。
開店している店も準備中という感じ。
狭い店には、目いっぱい商品を詰め込んで並べてある。商品は、見慣れない物が多く興味深い。



大きなドリアンなどの果物を机に並べて、開店準備をしている店もあった。


野菜売り場には、品定めするお客がいた。ここが一番賑わっていた。


場外には、米、ニンニク、玉子や名前がわからない野菜を売る店もあった。


お線香もいろいろな種類があり、ラベルの絵柄が興味深い。


お米を揚げたお菓子やお供え用の飾りも、素朴で興味深い。



料理を載せたり包んだりするのに利用されていたバナナの葉も売っていた。


飲み物や菓子などを見事なまでに詰め込んで展示している店も、見ていて楽しい。


市場の駐車場脇に面白い車が置いてあった。「明石家さんま」さんみたいだ。


★17 タナロット「タナロット寺院」の絶景
タナロット寺院の周りは、飲食店や土産物店がたくさんあり、門前町みたいだ。


参拝前に「ワルン ジンゴ バリ」へ入り、ティータイム&軽食。店先にメニュー看板がある。



飲み物と料理を注文。料理は、ピーナッツペーストが美味しいサテ・アヤム(インドネシアの焼き鳥)、


玉子焼きがのったナシゴレン(インドネシアのチキンチャーハン)、


フライド・カラマリ(イカの天ぷら)、


白ご飯がついたウダン・バカール(海老のグリル)、どれも美味しかった。


タナロット寺院は、海沿いにあった。ここには海の神が祀られているそうだ。
大小の神殿などが点在しており、眺めを楽しみながら参拝できる。

断崖絶壁の崖沿いに遊歩道があり、海に突き出た穴の開いた岩の景色を眺められる。
打ち寄せる荒波と砂浜も相まって良い景色だ。


神殿の前には、ユニークな神像もある。ユーモラスな仕草と表情だ。(出っ歯だ)


先に進むと岩場を見下ろせる。絶景だ。
岩場と緑、打ち寄せる白波が美しい景色を作っている。


訪れた時は干潮なので、岩場が干上がり島まで陸地となっていた。
大勢の人が岩場の上にいた。楽しそうだ。



陸地の方には、神殿や土産物店や飲食店の建物が見える。こちらも良い景色だ。


岩場を歩いて陸続きとなっていた島へ向かった。
干潮の時しか行けないそうで、ラッキーだった。


島の麓には祠があって、お祈りに来る人が絶えない。
お賽銭をあげてお祈りをすると、頭に聖水を掛けてもらえる。
そして、額に米粒を10粒くらい付けられ、黄色いプルメリアの花を耳に付けてもらえた。


寺院の本殿らしき所は、門の中は入れない。
神像と門は、黒っぽくて他の寺院とは異なっていた。


門前町の交差点に神像が立っていた。左右の像の表情が面白い。


彫刻作品を売る店では、白い犬を撫でる店員がいた。果たして犬は本物?


ここもぜひ訪れたい場所だ。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:00Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月10日

★バリ島旅行記 その6 クタ「カルフールでショッピング」&クロボカン「ワルン ドゥ サワで夕食」

バリ島をこれから訪れる方の参考にしていただけたら幸いです。

◆バリ島旅行記 その6 
クタ「カルフールでショッピング」&クロボカン「ワルン ドゥ サワで夕食」

<6月21日(水)>2日目
★13 クタ「カルフール」SCで買い物
現地のスーパーに連れてってとM君に頼んだ。
日本との商品や展示の違いを見たいと思ったからだ。お土産も入手できるといい。

連れて行ってくれたのが、クタにある大型ショッピングセンター「カルフール」だった。
カルフールは、フランスに本社があり、世界各地に店があるらしい。

1階の入口前に、バリ風のカウンターがある。


ショッピングカートは、ビッグサイズだ。たくさん入るね。


日用品、衣類、お土産、食料品、菓子、家電、バイクなど、広い店内には様々な物が売っている。
野菜の種類も豊富だ。日本で売っている野菜も多かった。


この店で買ったのは、podチョコレート(種類が豊富で選ぶのに悩んだ。数種類の試食ができた。)、


コピコーヒー、インスタントコーヒーセット(いろんなコーヒーを売っている)、


ホワイトコーヒー、もうひとつインスタントコーヒーセット(飲み比べたい)、


グァバジュース、ジャンブ・ヨーグルトドリンク(ジャンブは南洋の果物)・・・現地ドリンク


バリ・ガルーダ・チョコレート(マカダミアナッツ)、ナシ・ゴレンの素。


「ナシ・ゴレンの素」の売り場には、日本語の説明ポップがあった。
「日本へのお土産に! 10分で完成!! 大人気インドネシア料理 好きな食材と一緒に炒めるだけ!」
と書いてある。その隣には作り方のポップもあって親切だ。


見て、買って、楽しいショッピングだった。

★14 クロボカン「ワルン ドゥ サワ」で夕食
ガーデンレストランで夕食です。


オレンジ色の灯りが、良い雰囲気だ。庭の中にテーブル席がある。


メニュー表を見たら、コース料理もある。


しかし、料理を一品づつ注文した。まず、ミーゴレン(インドネシア風の焼きそば)、


コーンフリッター(トウモロコシの揚げ物)、サユール・ウラップ(野菜炒め)、



ナシ・ゴレン、チキン・パルメジャーナ、



他に、揚げ豆腐&テンペ、カンクンチャ(空心菜炒め)を皆でシェアしていただいた。
料理がきれいに盛り付けがしてあって、いいね。

どれも美味しくいただいた。(感謝)
店員さんに「ティリマカシ」と伝えると、笑顔で小さい声の「サマサマ」が返ってきた。
いいお店でした。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:35Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月08日

★バリ島旅行記 その5 絶景の「テガラランの棚田」

バリ島をこれから訪れる方の参考にしていただくためのブログです。

◆バリ島旅行記 その5 絶景の「テガラランの棚田」はお勧め
<6月21日(水)>2日目

★12 テガララン「テガラランの棚田」&「テラス パディ カフェ」
テガラランは、ウブドから北へ約5kmに位置する。
ガイドブックによると、バリ島でも有数の美しい棚田で有名な場所で、観光客が大勢いた。

駐車場はなく、道路端に車を停めた。
道路端にずらりと車が並んでおり、車を停めるのに一苦労だ。


棚田の近くの道路脇には、土産物屋やカフェが並んでいる。
立派な店から質素な店までいろいろだ。




カラフルな凧を売る店もあった。


谷の斜面に美しい棚田が広がっており、多くの人が写真を撮ってた。



いくつかあるカフェのうちで「テラス パディ カフェ」に入った。
谷の斜面にあり、棚田を見渡しながら食事ができる。絶好のロケーションだ。

この店のメニュー表は、料理の写真が載っており、日本語表記もある。
さらに、料理の簡単な説明もあって、大変うれしい。



注文したのは、ナシ・プチェル(温野菜とテンペをピーナッツソースで食べる伝統的ジャワ料理)、


ガドガド(茹でた野菜にピーナッツソースをかけたサラダ)、


テンペ・ゴレン(揚げたテンペ)、


ナシ・クニン(伝統的バリ料理のターメリックとココナッツミルクで炊いたご飯、フライドチキンと卵焼き添え)。


他にナシ・ゴレン、アヤム・ゴレン、サテ・アヤムを美味しくいただいた。

食事中に突然スコールが降り出した。


短時間で雨は上がった。雨上がりは陽がさして、棚田を照らした。
先ほどまでとは異なった美しさだ。棚田とヤシの木がマッチして、絶景がさらに美しかった。



ここはお勧めの絶景スポットだ。


次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:24Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月06日

★バリ島旅行記 その4 「キンタマーニ~タンパシリンの風景」&タンパシリン「グヌン・カウィ」 

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その4 
「キンタマーニ~タンパシリンの風景」&タンパシリン「グヌン・カウィ」 

<6月21日(水)>2日目
★10 車窓「キンタマーニ~タンパシリンの風景」
バトゥール山を後にして、タンバシリンへ向かう。キンタマーニ周辺の高原は、果樹や苗栽培が盛んだ。
沖縄や奄美地方で栽培されている「たんかん(みかんの仲間)」らしき木を多く見かけた。

道路脇には、小さな果物店があちこちにあった。果物はきれいに山積みされている。



野菜や果樹の苗の栽培・販売店もよく見かけた。


鳥籠を売っている店もよく見かける。


★11 タンパシリン「グヌン・カウィ」 門前町と石窟遺跡
タンパシリンは、ウブドから約10㎞北東に位置する。
「グヌン・カウィ」は、バリ・ヒンドゥー教の聖域で、バリ最大の石窟遺跡。ウダヤナ王とその家族の墓碑だそうだ。

石窟遺跡には門前町があり、土産物店が軒を連ねている。



訪れた時は観光客も少なく、店の人たちはヒマそうだった。



道路脇に、大きな神像が目を見開きすごい形相で、片足で立っていた。


頭の上に机を載せて運んでいる女性を見かけた。すごい。
これまでに籠を載せている女性は見かけたが、机を載せているのはこれ1回だった。


脇道を見ると、道の中央で犬が寝ていた。のどかだ。


入場料を支払ってからが聖域の境内になる。
聖域に入るため、脚の見える短パンやスカートの人は腰巻と腰紐を借りる。そうでない人は腰紐だけ借りる。
腰巻の布は、きれいな模様だ。ズボンを履いていた私たちも貸してほしかった。
(持参した腰巻や腰紐を身に着けている観光客もいた。)


入口が境内の一番上にあり、土産店の間の参道を下っていく。
長い坂になっており、谷底に遺跡がある。

途中の土産店には、衣類、民芸品、仏像、美しい布などを売っている。
小さな店にきれいに並べてある。






坂道の途中から、参道の両脇が岩壁になる。その間を通るのも楽しい。


参道脇に棚田があり、子ども達が凧揚げをしていた。


谷底には、巨大な石窟遺跡が小川を挟んで両岸に5基づつある。
11世紀ころに岩に彫られたといわれており、高さは約7m。日本の宝篋印塔に似た形である。


遺跡の周りには神殿がある。遺蹟周辺は神聖な気配がする。


対岸の緑の中に見える遺跡もいい感じだ。



小川には橋が架かっており、休憩している人もいる。
観光客は、欧米人が多い。バリ島に近いオーストラリア人らしい。(バリ島全体でもそんな感じだった。)


対岸の石窟遺跡は、囲いがあり真近には行けない。


石垣の上に神殿や祠が数棟あり、神像たちが守っている。





神殿の裏に回ると、筒から水が出ていた。まわりは苔むしている。


戻るとき、頭の上に土の入ったバケツを載せて、坂道を降りてくる女性たちに出会った。
重そうだ。


神聖で美しい遺跡を見ることができて良かった。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:11Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月05日

★バリ島旅行記 その3 「クロボカン~キンタマーニの風景」&キンタマーニ「バトゥール山&バトゥール湖を眺望」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その3

<6月21日(水)>2日目
★8 車窓「クロボカン~キンタマーニの風景」
今日はレンタカーで北へ向かう。

バリ島は、広い道は一部の幹線道路だけで、大体は狭い道だ。
そこをたくさんの車やバイクが行きかう。車もバイクも車間距離なんて関係ない。前後左右スレスレで走る。


車もバイクも脇道から合流するときは、強引に割り込む。
日本人の私にとっては、とてもスリリングだ。ここでは運転できないと思った。

そして、前に遅い車やバイクがいるとドンドン追い越していく。
バイクは、二人乗り、三人乗りもよく見かける。四人乗りもいた。
路上には、バイタリティが溢れている。

信号機は、都市部では見かけることがあるが少ない。郊外にでると全くない。
たまにロータリーがある。

バリ島の宗教は、バリ・ヒンドゥー教徒が9割だそうだ。
そのためか、神々の島と言われるほど、ヒンドゥー寺院が多い。
寺院の規模は大小様々で、形や装飾、門前の神像も様々で興味深い。




一般の家の作りは様々で、寺院風の家もある。


また、パドマサナという神々が降臨する台座(形は日本の宝篋印塔に似ている)がほとんどの家にある。
先祖霊の依り代にもなっているらしい。
パドマサナが、ベランダや屋上に設置してある建物も多く見られた。


地方の露店市場も見れた。カラフルなパラソルの下に品物を並べ、面白そうだったが通過。


小さな商店や飲食店もたくさん見かけた。店の前までダンボールに入った商品を並べてある。



畑や田んぼもところどころで見かけた。トウモロコシ畑は花が咲いていた。


田んぼでは、稲刈りをしていた。稲は年3~4回収穫ができるそうだ。


商店は、前面の扉も窓もなく、道路からそのまま店内に入れる。
道路から店内の商品が良く見えるようになっていた。




果物店には、でっかいドリアン、パパイア、バナナ、パイナップル、みかん等が並んでいた。


鶏籠などを山積にしたトラックが停まっていた。荷崩れしないか心配だ。
脇を犬が歩いていた。バリ島では、あちこちで犬が路上をうろついたり、道路わきで寝そべっていた。


日本とは異なる風景を眺めるのは楽しい。

★9 キンタマーニ「バトゥール山&バトゥール湖を眺望」&「サリ レストランで軽食」
レンタカーでクロボカンを一気に北上し、キンタマーニへ。
進むにつれ、標高が高くなる。だんだん民家が少なくなり、道も狭くなる。

山道を登って到着したのは、「サリ レストラン」の駐車場。
駐車場から見渡す眺めは最高。素晴らしいバトゥール山やバトゥール湖の景色が広がっていた。
湖の隣にアバン山も見える。


ここは、バトゥール山の外輪山の端にあるそうだ。
広大なカルデラが作る山や湖の景色は、眺めていてあきない。


「サリ レストラン」に入ると、窓沿いの席に座れた。
窓越しにバトゥール山やバトゥール湖の景色を見られる最高の席だ。
ここでティータイム兼軽食だ。うれしいね。


飲み物は、ビンタンビール、ドラゴンフルーツジュース、キンタマーニコーヒー、ホットティ。
ドラゴンフルーツジュースは、きれいな色だし、美味しい。
キンタマーニコーヒーは、コピと呼ばれるもので、上澄み液を飲む。
飲んだ後にカップの底に粉が残るのだ。


料理は、きれいに盛り付けされたナシゴレン(店によって盛り付けや味が異なる)、


タフ・テンペ・バチャン(揚げ豆腐とテンペ)・・・テンペは、煮た大豆をテンペ菌で発酵させた食品


春巻、フルーツ(たんかん、パパイヤ、黄色スイカ)



素晴らしい景色を見ることができ、料理を楽しめ、大満足だった。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:05Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月04日

★バリ島旅行記 その2 「ジンバランで夕食」&「クロボカンの宿」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その2
バリ島は、異国情緒たっぷり。美しい所や珍しい物や食事が盛りだくさんで、素晴らしいところでした。

<6月20日(火)>1日目
★6 ジンバラン「シーフードレストラン街 インタン サリ カフェ」
バリ島・デンパサール(グラライ)空港に到着してからM君がレンタカーで案内してくれたのは、
空港の南方にあるジンバランのシーフードレストラン街だった。ここで夕食となる。


ガイドブックによると、ジンバランの名物はシーフード屋台で、
新鮮な魚介類のBBQが楽しめ、日本人観光客にも人気のスポットだそうだ。

到着した時にはレストラン街の周辺駐車場は満車で、少し離れた臨時駐車場に車を停めた。
車も人も多く、大変な混雑である。

レストラン(屋台)は、ビーチ沿いに数十軒も並んでいる。
M君は、そのうちの「インタン サリ カフェ」を選んだ。

駐車場側に店の入口があり、店先にある魚のケースには大きな魚が並んでいた。


入口付近では、料理を焼く煙が立ち込めている。


店内に席があるが、客はいない。
店内通路を突っ切ってビーチに出ると、砂浜の上にテーブル席があり、大勢の客がいた。
夕暮れ時で美しい景色を眺めながらの食事である。


薄暗くなっている浜辺には、他店も含めテーブル席がぎっしりと並び、すでに客が食事を楽しんでいた。
海に入っている人もいた。遠く飛行機の灯りも見える。
風向きによって、あちこちの店から調理の煙が漂ってくる。

M君が料理を注文してくれたので、シェアしていただいた。
飲み物は、ビンタンビールにしたが飲みやすい。(ビンタンとは星のことで、ラベルに星が付いている。)
おつまみは、ピーナッツだ。


M君たちは、ソフトドリンクを注文。息子はスイカジュースにチャレンジ。「美味しいです。」

いただいたのは、野菜スープとカンクン(空心菜)炒め、イカのフリッター


イカンバカール(魚・スナッパーのグリル)、


ウダンバカール(海老のグリル)、


チュミチュミバカール(イカのグリル)、ごはん。


スパイシーな料理も一部あるが、どれも美味しくていただいた。
デザートは、スイカとメロン。余り甘くないが、きれいな盛り付けだ。


「ありがとう」は、インドネシア語で「ティリマカシ」という。
店員さんが料理を運んできたときに、こちらが「ティリマカシ」というと、
「トウモロコシ」とジョークで応えて笑わせてくれた。ニュアンスが似ていて楽しい。

楽しい店員さんに出会えて良かった。
ちなみに「どういたしまして」は、「サマサマ」という。
素晴らしいロケーションで食事ができて、「ティリマカシ!!」。

★7 クロボカン「SOOBARI VILLAS ROEMAH EMILY(スーバリ ヴィラズ ルマ エミリィ)」 宿泊
夕食後に向かったのが、空港から北上したクロボカンの町はずれの宿である。
デンパサールの西方に位置する。

M君と娘は、どこに宿泊するのか到着するまで内緒にしていた。
どこかのホテルに泊まると思っていたが、着いたところはヴィラ(コンドミニアム)だった。ここに連泊する。


二階建てが棟続きで4軒あり、泊まるのは奥の部屋だった。


1階が駐車場で、入口は階段を上った2階にある。


入口を入った部屋は、リビング兼ダイニングになっており、とても広い。


2階の右側部分に広いベッドルームがある。
ダブルベッドが中央奥にあるが、その周りは家具がなく広い空間となっている。


続きの部屋も広く、シャワールーム兼トイレ兼クローゼットとなっている。
シャワールームも一度に5~6人位入れる広さだ。


2階の南側屋外は、プールになっていて、ソファが置いてある。(写真は朝で、プールに雲が映る)


3階に3部屋あるが、2部屋を借りた。
その部屋は2階の部屋よりは狭いが、それぞれダブルベッドがあり、その周りに十分なスペースがある。
隣接する部屋は、シャワールーム兼トイレになっている。

どれも広い部屋で、ゆったりとした気分で泊まることができ、ありがたい。

シャンプー・コンディショナー・バスジェル、バスタオル、ウォーターサーバーは、備え付けである。
家電は備え付けだが、ドライヤーはない。フェイスタオルやハミガキセット、櫛、スリッパもない。

トイレットペーパーの備え付けは各部屋に1個だけだった。
管理人さんが毎日部屋の掃除などをしてくれるそうだ。
(後で知ったが、管理人さんは隣りの作りかけの棟に住んでいるそうだ。)

着いた時は夜遅くで、宿の周りの様子はわからないが、カエルの合掌が聞こえてくる。
(翌朝起きてみたら、周りは田んぼで、田植えの準備をしている人が見えた。)

*宿周辺の田園景色(翌日以降に宿から撮影、田園風景もいいね)






*宿の南側(翌日以降に宿から撮影)



次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:28Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月03日

★バリ島旅行記 その1 「成田空港~デンパサール空港」

★1 はじめに
ずっと憧れであったインドネシアの「バリ島」へ行ってきたので、何回かに分けてご案内させていただく。
バリ島へ行かれる方の参考になれば幸いである。

今回の旅は、バリ島を訪れたことのある娘婿M君に案内していただいた。
島内の観光・宿・食事など全てM君にお任せした。(感謝)

おかげさまで、バリ島の観光地巡りはもちろん、地元レストランでの食事やティータイム、
ショッピングモールやコンビニでの買い物ができた。

また、地元市場見学、マッサージ体験もできた。
観光地での美しい景色や、車窓から見る日本と異なる珍しい景色に目を奪われた。

食事は、様々なインドネシア料理を我々の舌に合うように注文してくれた。
旅行会社のツアーとは異なり、時間に追われずゆっくりと回ることができたのも大変良かった。

異国情緒を満喫することができ、大満足の旅だった。

行程は、2017年6月20日(火) 午前・成田空港発⇒夕方・バリ島デンパサール(グラライ空港)着⇒宿
    21日(水)~24日(土)バリ島観光  
    25日(日)深夜・バリ島(グラライ空港)発⇒午前・成田空港着

飛行機は、往復共に「ガルーダインドネシア航空」を利用

◆バリ島旅行記 その1 「成田空港~デンパサール(グラライ)空港」
<6月20日(火)>1日目

★2 「成田U-シティホテル」
午前便に乗るので、念のため空港に近い成田市に前泊した。
泊まったのは、JR成田駅から徒歩5分程度の所にある「成田U-シティホテル」。

このホテルは、お値打ちだし、成田空港までの無料シャトルバスも出してくれるので選んだ。
チェックイン時にバスの時間を予約しておいた。空港までは30分くらいで行けるそうだ。

朝、ホテル前に着いたシャトルバスは大型だった。マイクロバスかと思っていた。
ゆったり乗車できてうれしい。

朝一番の7:00発のバスは、乗車する客が遅れたため5分遅れで出発。
満席にはならないまでも多くの客が乘った。 

★3 「成田空港」
バスは、先にTV「YOUは何しに日本へ?」のロケで有名な「ターミナル2」で客を降ろす。
次の「ターミナル1」で降りた。7:34着、ホテルから約30分だった。

南ウイング前で降り、空港内に入って「ガルーダインドネシア航空チェックインカウンター」の場所を確認。
北ウイングの端の「F」だった。遠い。


電光掲示板には、デンパサール行は11:00出発が10分早まり10:50と表示されていた。


チェックインカウンター前に到着した時は、まだ係員はいなかった。
しばらく待つと港内アナウンスがあり、受付開始。
「eチケット」と「パスポート」を提示し、スーツケースを預け、搭乗券を受け取った。

身軽になったところで、空港内を探検。
ずらりと並ぶ土産物店。成田空港限定商品もある。見ていて楽しい。マックで朝食。

登場ゲートは「23」。どれくらいで行けるかわからないので、少し早めに向かった。
はじめてのバリ島なので、ワクワク。

★4 「ガルーダインドネシア航空 GA881便」 バリ島デンパサール行
10:50発。機内アナウンスで「6時間48分のフライト予定」と案内があった。
日本語の案内もあった。この便は4社の共同運航である。

座席の前(前の人の背もたれ)には、小さいモニター画面があり、
映画を見たり、音楽を聞いたり、ゲームを楽しんだりできる。
また、フライト状況の確認もでき、現在どのあたりを飛んでいるか見るのも楽しい。


機内サービスは、紙手拭きと水ペットボトル(小)、飲み物(アルコール、ジュース)、
安眠セット(アイマスク・耳栓・靴下)、昼食、アイスクリーム。


CAから何か尋ねられたが何を言っているかわからず、
「ジャパニーズ?」とだけ聞き取れたので、「イエス、ジャパニーズ」と答えた。
そうしたら、食事を何にするかの質問であったらしく、日本食を渡された。
メニューは、そば、ひじき煮、鮭・煮物、ご飯、味噌汁で食べやすかった。


デザートに人形焼きが付いていた。ひとりづつ異なる人形だった。


「CUSTOMS DECLARATION(税関申告書)」が配られ、
ガイドブックの記入例を参考に名前・生年月日などを記入した。


窓の外の景色は、ほとんど雲海だった。美しい雲海もあった。


★5 バリ島デンパサール(グラライ空港) 晴れ
デンパサール行だが、空港名は「グラライ空港」だ。デンパサールより随分南に位置する。
現地時間16:30着陸 (時差は日本よりマイナス1時間なので、日本時間だと17:30)


入国審査は、「パスポート」「「eチケット」を提示し、「CUSTOMS DECLARATION」を渡すとすんなり通過。
しかし、預けたスーツケースがなかなかでてこない。3人分が揃うまでに40~50分くらいかかった。
後で聞いたところによると、出てくるのが遅いのはよくあることで、1時間以上かかることもあるそうだ。

到着ロビーに出ると、空気が生暖かい。南国に来たと実感する。


到着ロビーの外には、大きなチャンディブンタル(寺院入口の左右対称の割れ門)がある。
いかにもバリ島って感じだ。


先に到着していた娘とM君が出迎えてくれた。久し振りに家族全員が揃ってうれしい。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:59Comments(0)バリ島旅行記

2017年06月01日

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その3 (武将のお墓参り21)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その3
江戸時代、直参旗本及び尾張徳川家の家老であった千村氏ゆかりの地を訪れた。

2017年5月、最初に「千村氏屋敷跡(上屋敷)」に建つ可児市郷土歴史館と周辺、
次に「下屋敷跡の「木曽千村歴史館(春秋園)」を訪れた。
その後、菩提所「東禅寺」で歴代当主の墓参をした。

①★「千村氏屋敷跡」&「可児市郷土歴史館」 可児市久々利1644-1
可児市郷土郷土館の周辺が、千村氏上屋敷跡である。
郷土館の西方100m程の交差点・北東角に「市指定史跡 千村氏屋敷跡」の案内板がある。


記載内容は次の通り。
『千村氏は関ケ原合戦の後に、久々利村を含む四六00石余を与えられ、
直参旗本、尾張徳川家の家老として、明治維新までこの地に屋敷を構えていました。

久々利には山村家や同心屋敷も置かれ、一つの政治拠点ともなっていました。
千村氏の屋敷は、「濃州徇行記」によると東西約三00m、南北約二七0mあり、
「郭外濠ありて城郭の如し」と記され、上屋敷と下屋敷、庭園をもつ広大なものでした。

上屋敷はこの場所にありましたが、今では石垣の一部が現存しているにすぎません。
上屋敷には二0を超える部屋があり、政務の場と奥向きの生活の場に分かれ、
中奥でつながれていました。

政務の場には、家老の部屋や勘定所などがあり、
役所として執務が行われていたため、「久々利役所」と称されました。

また、上屋敷の西側には下屋敷があり、隠居や部屋住みの者の生活の場として用いられました。
その北側には、回遊式庭園「春秋園」が付随し、今なお四季折々の美しい景色を見ることができます。

また、千村家の菩提寺である東禅寺には、千村家歴代当主の墓石が林立し、
千村家の権威と格式の高さがうかがえます。』上屋敷平面図も記載してある。

②★下屋敷跡の「木曽千村歴史館(春秋園)」 可児市久々利1644-1
歴史館前に案内板「木曽千村歴史館、源木曽義仲後裔之地」があり、
記載内容は次の通り。「久々利旗本領鳥瞰図」もある。

『・木曽・千村家について
清和源氏源(木曽)義仲6代の孫、木曽家村信州木曽を領す。
家村5男、家重が上野国千村郷を領し、以後千村と称す。

家重より12代千村政直の子、良重(久々利初代)慶長5年関ケ原の役、
徳川家康の命により、木曽谷の平定と岩村苗木城を攻略。その論賞により、
美濃可児郡(久々利・大森・比衣・中切・綱木・小和沢・宿・伊岐津志)、

土岐郡(大湫・田高戸・深沢・一日市場・次月)、恵那郡{正家・辻原・千旦林・駒場・茄子川・落合)を給され、
又信州一万石の代官(大河・原・鹿塩・加々須・南山・中坪・野口・八手・清内路・小川・上穂・小野)11ケ村、

遠州舟明村榑木山支配、遠州4ケ村代官職共幕府から命ぜられ、
美濃国久々利に館を、信州飯田荒町に陣屋をもうけ役務を司どった。

・元和3年、徳川家康は木曽を尾張藩に附属、千村家も尾張家中となり幕府に対して陪臣となるが、
伊那代官等は依然として幕府から命ぜられ、尾張藩からは名古屋に、幕府からは江戸に屋敷を拝領。

家督相続や将軍家の慶仏には諸侯同様江戸城へ伺候、将軍に挨拶するという特別な扱いで、
尾張藩では城代格に、幕府にあっては旗本外様大名列、柳の間詰で、
公儀の千村家に対する待遇は10万石の格式で参勤交代の義務を負わされていた。

幕藩両属という特殊な立場で、代々千村平右衛門を襲名し、慶長から明治維新まで12代続いた。
維新後、千村から旧姓木曽に復した。』

・その日は休館であったが、入り口で声を掛けたら、「春秋園」には入って良いと了解を得た。
下屋敷と春秋園は道路で南北に分断され、北側に鶴池、南側に亀池がある。
 
鶴池のある庭は、雑草を刈り、きれいにしてあったが、雑然とした感じであった。
だが、池を中心にした池泉回遊式庭園は、素晴らしい庭であった。石組や庭木の配置が素晴らしい。




古びた東屋も風景に溶け込んでいた。もう少し整備すれば、名園となる。
南側の亀池周辺の庭は、こじんまりし、中心の池の水は空で残念だった。

➂★千村氏菩提寺 東禅寺 可児市久々利1655
春秋園(鶴池)の北側、山際に寺がある。
寺の入口は境内西側にあり、奥に本堂や美しい海鼠塀が見える。


新緑に本堂や塀が溶け込んで、美しい風景になっている。


「千村家の墓所」への参道は、海鼠塀の手前にある小路である。


道路沿いに案内板があり、次のように書いてある。
『市指定重要文化財(史跡) 千村家の墓所

千村家の墓所は東禅寺の境内の一画にあり、
一代良重から第一一代仲展までの歴代当主とその一族の墓石が並んでいる。

久々利千村家の初代良重の墓は廟に納められており、
墓碑によると、天保十五年(一八四四)に千村仲冬が新たに建てたとある。

以下、二代から五代までは廟の西側に、六代(八代のみ廟の東側)からは廟の裏側に並んでいる。
大きなものは高さ三メートルを超す立派なものもあり、千村家の格式の高さを感じさせる。

千村家は江戸時代に幕府代官と尾張藩家臣という二つの立場を有し、久々利の地に屋敷を構え、
東禅寺を菩提寺とした。
東禅寺は、慶長十六年(一六一一)に縁国である下総国から藍外政宗を迎え、梁南禅棟が開山したお寺である。

(「当主名・生没年・法名」が、初代から十一代まで記されている。
・・・1良重・2重長・3基寛・4仲興・5仲成・6政成・7政武・8頼久・9仲雄・10仲泰・11仲展) 』

海鼠塀沿いに奥に進むと小さな門があり、そこが墓所の入口である。
手前に小さな標柱「千村家の墓所」がある。


門を潜ると左側に、一段高くなった千村家の墓所がある。
当主とその一族の墓碑が林立しており、壮観である。合掌




初代良重公の木造の廟は、墓所の奥の方、右手にある。
廟は初代のみである。扉は閉まっていた。合掌


「二代重長公」の墓碑は立派な剣碑だ。(三代以降も剣碑)合掌 


右側「三代基寛公」、左側「四代仲興公」の墓碑も立派だ。合掌


左端が「五代仲成公」の墓碑。合掌 


奥に並ぶ墓碑は、左から順に「七代政武公」「十一代仲展公」「六代政成公」「十代仲泰公」。合掌


「八代頼久公」の墓碑は初代良重公廟の前。合掌 


「九代仲雄公」の墓碑。合掌 


墓所はきれいに整備され、当主の墓碑には当主名が刻まれた献花台が置かれている。
素晴らしい墓所であった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:52Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月21日

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その2 (武将のお墓参り20)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その2 (2017年5月訪問)
①禅台寺 可児市下恵土2838 ★徳野藩初代藩主「平岡頼勝(石見守)公」墓所
②専養寺 可児市兼山699   ★徳野藩二代藩主「平岡頼資(石見守)公」墓所
➂浄音寺 可児市兼山698、専養寺の左隣 ★烏峰城主「斎藤大納言正義公」墓所

★①禅台寺
「平岡頼勝公」は、小早川秀秋公に仕え、関ケ原の戦いでは秀秋公に西軍から東軍に寝返るように勧め、
東軍勝利の陰の立役者として有名である。その功績により、美濃徳野藩の初代藩主となったとか。

寺の門や本堂などの建物は新しい。調べた限りでは墓所が禅台寺にある。
残念ながら寺や頼勝公に関する案内板はなかった。


「平岡頼勝公」の墓所は、境内の左方にある墓地の奥にあるとにらんで向かった。
墓地に入ると通路があり、少し進むとお地蔵さんが立っており、さらに奥へ進む。


すると、一般の墓と区切られ、上の方に向かう道がある。


坂を上がった所にも墓石が並んでいる。その右端が「平岡頼勝公」の墓所であった。


玉垣の上に小さな五輪塔が立っており、「前石州太守 心月宗安大居士」と刻んであった。合掌
墓の周囲にも案内となるものはない。




★②専養寺
道路沿いに「日蓮宗 福光山専義寺」と刻まれた石柱が立つ。


その右方に「福光山専義寺(日蓮宗)」の案内板があり、
徳野藩二代「平岡頼資公」に関する部分を抜粋する。

『当寺の墓地には、小早川秀秋の家老で関ケ原合戦の功により、
美濃徳野(可児市)一万石に封ぜられた平岡石見守頼勝の子二代藩主、頼資の
「承応二(一六五三)年正月八日石州隆光院殿一覚日 詮大居士」銘の墓石がある。』

境内に入るとすぐ左側が墓地になっている。
参道を進むと山門があり、門の左側(墓地の一番奥)に「平岡頼資公」の墓石があった。


立派な墓石だ。その右側に石柱があり、「第二代徳野藩主 平岡頼資公墓」と刻まれている。合掌


★➂浄音寺
寺の左端、道路沿いに案内板「海潮山浄音寺(浄土宗)」があり、次のように書いてある。

『天文六(一五三七)年、近衛関白稙家(たねいえ)公のご落胤で、ときの美濃国の覇者、
斎藤道三の養子、斎藤大納言藤原正義公は、木曽川の舟運と東山道を押さえるため、
当地に烏峰城を築いた。

浄土宗に深く帰依していた正義公は、三年後の天文九(一五四O)年、
とりあえず烏峰城の裏登城口のあった前兼山町役場裏の傾斜地に草庵を設け、
近衛関白家の帰依篤い京都知恩院の高僧智安上人を開山に迎えた。

天文十三(一五四四)年に至って伽藍ことごとく完成、寺号を海潮山浄音寺とした。
その後、この地が陰湿な土地であっため、元亀二(一五七一)年現在の地に本堂が再建された。
以下省略

市指定重要文化財
斎藤大納言正義公画像 1幅 当寺の開基、正義公等身大の画像で、
着衣の鎧の様式から生前に描かれたことはほぼ間違いないといわれる貴重な寺宝であり、
当時の禅宗の名僧、明淑和尚の賛が書かれている。

その外、斎藤大納言正義公の遺品といわれる哀甲(きごみ)、正義公の五輪塔、
烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門、幡隆上人の自画像と南無阿弥陀仏の
名号軸等貴重な文化遺産が数多く残されている。』

道路沿いに烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門がある。
なお、烏峰城は、後に森氏居城となり、兼山城、次に(美濃)金山城と名を変える。


山門を入った右側に五輪塔が立っている。
墓石周りに案内となるものはないが、烏峰城主「斎藤大納言正義公」の墓である。合掌




正義公の画像等を見たいと思い、庫裏のチャイムを鳴らすもご不在で、誠に残念だった。
正義公画像の模写が岐阜城天守閣に展示してあり、本物を見たかった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:19Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月20日

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その1 (武将のお墓参り19)

<美濃国ゆかりの武将>

「岐阜県可児市ゆかりの武将 その1」は、美濃金山城主「森家」である。
①可成寺 可児市兼山596
森可行公、可成公、長可公、可隆公、蘭丸(長定)公、坊丸(長隆)公、力丸(長氏)公の廟所

②真禅寺 可児市西帷子488-1
森武蔵守長可公墓所 

2017年5月訪問
★①可成寺
寺は、山麓にあり、高い石垣と白い塀が印象的である。
入口左右に石柱が立ち、右側に「森可成公菩提寺」、左側に「大龍山可成禅寺」と刻まれている。


階段を登ると山門があり、右前の石柱に「森三左衛門可成 武蔵守長可 公廟所」と刻まれている。


石柱脇の案内板に次のように記載されている。
『織田信長の宿将として数々の武勲をたて、元亀二(一五七一)年に宇佐山(大津市)で戦死した
金山城主森三左衛門尉可成公菩提のため、その子二代城主長可公が父の名「可成」をそのまま寺号とし、
栄巌和尚を迎えて金山城東の寺が峰に創建された。

当寺開基の長可公は、信長・秀吉二君に仕え、鬼武蔵の異名をとったほどの勇将だったが、
天正一二(一五八四)年、長久手において戦死した。その墓石が父君可成公の墓石と合祀されている。

その後を継いだ三代城主忠政公が、慶長五(一六00)年に川中島(長野県)へ転封されたとき、
寺は現在地に移転され今に至っている。

また、昭和四二(一九六七)年には、蘭丸・坊丸・力丸三公の供養塔が八百津町中野より
当寺に移され安置されている。

当寺は、森家の菩提寺であるため、堂塔のほとんどが江戸時代に森一族の赤穂・三日月・新見等の
大名家から寄進されたものであり、明治までは三家から扶持が与えられていた。

また、天和三(一六八三)年に長可公の百年遠忌法要が営まれて以来、
可成・長可・蘭丸・坊丸・力丸諸公の遠年忌が執り行われてきている。』

山門を潜り、左方の本堂入口でチャイムを鳴らし、お寺の方にお話を伺った。
「寺は、もとは東方の金山城近くにあったが、こちらに移転した。
可成公ら森家の御位牌があるのでお参りしていってほしい。森家廟所は裏山の墓地奥にある。」
御位牌の前でお線香をあげ、合掌。

廟所へは、本堂右方の小さな門を潜って奥へ進む。


突き当りに「森家墓地」の小さな看板があり、左方の緩い階段を登る。


木立の中の墓地に入ると、最奥に石垣と白い塀が見える。


その石垣と塀で囲われた区画が森家廟所である。


十段くらいの階段を登った所に五輪塔が7基並んでいる。


その左方に案内板「森家廟所案内」があり、墓主がわかるようになっていてありがたい。


正面の左から順に、「二代城主 可成二男 森武蔵守長可」、「金山城初代城主 森三左衛門可成」。合掌


次に、左「可成の父 可行」、右「可成の長男 可隆」。合掌


右側には左から順に「森坊丸 可成4男」、「森蘭丸 可成3男」、「森力丸 可成5男」が並ぶ。合掌

本能寺で亡くなった三兄弟は、まだ16~18歳だったのだ。

★②真禅寺
寺は山中にあり、背後の山が美しい。


山門を潜ると、左右に石柱が立ち、右は「本尊聖観世音」、左は「開山行基菩薩」と刻まれている。正面が本堂だ。


本堂の左端脇に小路があり、「森武蔵守墓所入口」の石柱がある。


奥へ進むと、道は突き当りで右に折れており、道なりに坂道を進む。


坂道を登るとご住職方の墓地が見えてくる。


その手前に右の山に向かう階段があるので、そちらに進む。


階段の先は、舗装されていない。樹木が払われ道らしき所を登る。カーブしている。


その先の森の中に墓所が見えてくる。ブロック塀で囲われた一画が、森武蔵守長可公の墓所だった。




中央に宝篋印塔が1基、周りに五輪塔の一部がたくさん並んでいた。合掌




この寺には、案内となるものが何もなく残念だった。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:13Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月11日

岐阜県の絶景「岐阜のマチュピチュ 天空の茶園」 (名園巡り7)

<岐阜県の絶景を紹介>

2017年5月11日
岐阜県揖斐川町春日六合にある「岐阜のマチュピチュ 天空の茶園」に行ってきた。
「日本の絶景」として雑誌などに取り上げられ、有名になってきた所だ。


訪れた日は、家を早く出たので、道もすいていて「上ケ流茶園」に早く到着できて良かった。
カメラマンや観光客も少なく、「天空の遊歩道」前の駐車場に車を停めることができた。

駐車場に係りの方がいて、「天空の遊歩道散策マップ」により散策路の歩き方を教えていただいた。
マップのB地点とA地点が絶景ポイントで、そこまで20分程だそうだ。


係りの方の話では、「GWあたりから茶の新芽がでており、今が一年で一番美しい。
もうしばらくは美しい茶園景色が見られると思う。
そして、遊歩道を登った所から見下ろす秋の紅葉も美しい。」そうだ。

遊歩道の出発地には、郵便受形の「天空の遊歩道協力募金箱」があり、志納である。
脇には案内板がいくつか立っており、次のように書いてあった。
①入山時間 四月から九月まで 九時より十六時三0分迄
      十月から十一月 九時三0分より十六時迄
      悪天候及び積雪時は中止とさせて頂きます

②注意事項 1.入山については全て自己責任として下さい
      1.山道状態の悪い時は充分注意して下さい
      1.景観等を守り 山を美しくしましょう
      1.マナーを守り楽しんで下さい    山主

③お願い  1.大切な茶園です。無断で入らないで下さい。
      1.農作業されている方に了解を得てから撮影お願いします。
      1.ワラビなどの山菜採取は有料とさせていただきます。
       詳細は係員にお尋ね下さい。


募金箱の右方に「杖」がたくさん置いてある。
係りの方によると、「散策路は険しいので、杖を持っていったほうがいいよ。」


茶園脇の舗装された坂道を登る。脇の茶園の緑が大変美しい。




「天空の遊歩道→」の看板があり、右に入っていく。
舗装されていないが、広い道でよく整備されている。歩きやすい。




途中で、AコースとBコースの分かれ道があるが、「なだらか」なAコースを行く。
しかし、Aコースが「なだらか」なのは、全部でなかった。
しばらく進むと、狭く急勾配の坂道になってしまった。登るのは大変だ。


狭く急勾配の坂道をしばらく登って行くと、絶景ポイントのB地点の看板が見えてきた。
B地点の手前でも絶景が見られる。


やっとで、B地点に辿り着いた。
素晴らしい!!雑誌で見た美しい絶景が目の前にあった。




さらに、もう少し先のA地点へ登って行った。
ここにも素晴らしい絶景が待っていた。頑張って登って来た甲斐があった。








絶景からの帰りは、急勾配の坂道を降りないといけない。下方を見ると少し怖い。
手すりがなく、バランスを崩すと危ない。ころげ落ちてしまう。
ゆっくり、ゆっくり、降りていった。

(足に自信がない方は、無理に登らず、遊歩道出発地点付近でやめておいた方が良いと思った。
そこからでも十分に美しい景色が見られる。)

他では見ることができない”素晴らしい景色”を見せていただけた。大満足だ。
遊歩道などを整備していただいた地元の方々に感謝。「ありがとうございました。」

PS
翌日から翌々日にかけて、ふくらはぎと太腿が筋肉痛になってしまった。
散策の前後にストレッチをしておけば良かった。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:35Comments(0)名園巡り

2017年04月06日

<岐阜市鏡島>「寿和屋(旧鏡島郵便局)」 (岐阜市の名建築16)

<2017.4.4訪問>
★「寿和屋(旧鏡島郵便局)」
岐阜市鏡島西1丁目4-12。旧中山道沿いにある。


◆「寿和屋は、懐かしい昭和資料館って感じの店」
2年前に「寿和屋」としてオープンし、新聞にも載った店である。

手作りのブローチや衣類、茶碗・お椀・御猪口などを売っている。(不定休)
それに、非売品だが、昭和レトロで懐かしい物が展示してある。(明治・大正時代の物もあるらしい)
お店の方が、祖父母や父母から引き継いだ物がメインだが、自分たちで集めたり、いただいた物もある。

道向かいから建物の写真を撮っていたら、お店の方と目が合って中に入ることにした。
ちょうどお客様がおらず、ゆっくりと店内を案内していただけた。


登録有形文化財になっても良いと思うレトロな外観や造りがいい。
そして、店内も様々な品がセンス良く並べてあり、とても素敵な空間だった。


店内に入ってまず目に入ったのが、正面奥の壁に懸っていた素敵な「鯉のぼり」だった。
なんとも言えない色の褪せ具合で、今までにお目にかかったことがない逸品だ。


「鯉のぼり」の前は「お雛様」を飾っており、季節により展示品を替えているそうだ。

ガラスケースに入れられた小さな人形やミニ玩具は、珍しい物ばかりで実に興味深い。
指先程の大きさのキューピーもあった。こんなのは初めて見た。



郵便局で使用していた一枚板の分厚いカウンターや郵便物仕訳棚なども
上手に展示に利用してあり、いい感じだ。

郵便局で使っていた金庫も目を引いた。真っ黒で重厚、いかにも頑丈そうだ。
恵比須・大黒の飾りが2つ付いて、アクセントになっている。いいね。

他にも桐でできたすごく大きな長持、レトロな冷蔵庫、足踏みミシンなども必見。
懐かしい昭和のミニ資料館って感じだ。

珍しい物をたくさん拝見することができ、優しいお店の方の説明を聞くことができて、
素晴らしい時間を過ごさせていただいた。「感謝、感謝!!」

◆「お店の方から伺ったお話」
ここは、祖父が昭和10年に鏡島郵便局として建て、築80年以上の建物である。
郵便局の役目を終えてから長い間経ち、あちこちにガタがきていた。

それを自分たちで半年ほどかけて、天井や壁などを塗替え、窓枠や入口などを補修し、
カウンターや調度品などを磨いた。

倉庫に眠っていた人形・器・着物・小物などを一つづつ包みから出して、
埃をはらったり拭いたりして、きれいにした。

そして、やっとで開店にこぎつけたそうだ。
まだ倉庫には眠っている品がたくさんあって、少しづつ包みから出しているところであり、
展示品も変えていくそうだ。

しかし、足踏みミシンで作品を作ったり、畑をやったりで、なかなかはかどらない。
ぼちぼちやっていくそうだ。

◆「ここは再度訪れたい店」
季節ごとに訪れて、新たな展示品を観たり、お店の方のお話を聞きたいものだ。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:55Comments(0)岐阜市の名建築(まち歩き)