2017年11月24日

岐阜県山県市<南泉寺> 「美濃国守護第十代 土岐頼純公」 (武将のお墓参り32)

<美濃国ゆかりの武将> 2017年11月

★南泉寺 岐阜県山県市大桑2358-2 (美濃国守護第十代 土岐頼純公の墓所)


◆南泉寺の略歴
永正14年(1517)美濃国守護第九代「土岐政房公」が仁軸宗寿和尚を招いて、
土岐氏の菩提寺として開山された。

天文20年(1551)には土岐氏一族出身の快川紹喜和尚が住職となり、
禅宗寺院の中心として栄えた。

江戸時代には大愚和尚が春日局の葬儀・導師を勤め、
将軍より朱印状を得るなど重きをなしていた。

◆寺は南向きで、境内入口の右側に寺宝の案内板がある。
「土岐頼純公の肖像画」や土岐鷹の絵などの寺宝が記されている。


◆参道を進むと、どっしりとした総門がある。両脇に少し離れて筋塀がある。


◆総門の先に山門がある。周りには南天が植えられ、ちょうど赤い実がきれいだった。


◆山門を潜ると本堂がある。本堂右手の庫裏で女性に参拝を請い、本堂へ参拝。


庫裏の土間には「七福神」の立派な彫刻があり、必見だ。しかし、寺宝は拝見できなかった。


◆本堂左手を奥に進むと、「南泉寺霊園」に突き当たる。
霊園の最上段(山腹)、大きな木が1本立っているところが、土岐氏一族の墓所である。



◆そこへ行くには、まず霊園の右端の舗装された小道を左に進む。
すると、すぐに山裾の竹林が脇に見える。


◆山裾の道は左に曲がり、坂道を上ると舗装がなくなる。
分かれ道があるが、左の道へ進む。


◆この崖沿いに進むと、右手に階段がある。


◆階段を上っていくと「仁軸和尚」の石碑があり、さらに上った所が土岐氏一族の墓所である。合掌


◆土岐氏一族墓所に入ってすぐ左手には、たくさんの五輪塔が並んでいる。


◆さらに上が「美濃国守護第十代 土岐頼純公」の墓所である。


木造廟の中に五輪塔の墓碑がある。


その左隣に小さな石造廟があり五輪塔が中にある。お寺の方に尋ねるも墓主名は不明であった。

◆土岐氏一族墓所に大きな五輪塔がある。


◆五輪塔の四隅に文字が刻まれている。
東は「美濃国守護職 土岐家累代総供養塔」と刻まれ、他の面に歴代守護名が刻まれている。


◆南は「初代定林寺殿 頼貞公、二代(判読不可) 頼遠公、三代建徳寺殿 頼康公、
四代法善寺殿 頼行公」と刻まれている。


◆西は「五代禅蔵寺殿 頼忠公、六代興善院殿 頼益公、七代承国寺殿 持益公、
八代瑞竜寺殿 成頼公」と刻まれている。


◆北は「九代承隆寺殿 政房公、十代南泉寺殿 頼純公、十一代東春院殿 頼芸公」と刻まれている。 


◆寺や墓所には、土岐氏についての案内が何もなく、残念だった。

以上  


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2017年11月17日

岐阜県山県市<慈明院> 「永井氏墓所」 (武将のお墓参り31)

<美濃国ゆかりの武将> 2017年11月
★慈明院 永井氏墓所
岐阜県山県市西深瀬1722-1


◆「高富町史」によると、
『慈明院は、貞治2年(1363)永井定信公が創建。
永井氏の菩提寺で、永井氏の宝篋印塔・五輪塔十余基を数える。
一族の氏神として乙御前神社を永正10年(1513)に勧請。

永井氏は、斎藤氏の支族として小守護代の地位にあった長井氏の一族で、
守護土岐氏の被官(部将)として随身した。』

◆寺は山麓にある。境内入口は西側にある。


◆階段を上がった所に本堂がある。(旧本堂等は明治24年の濃尾大震災で倒壊したそうだ。)


◆ご住職不在だったが、ご夫人に本堂などを案内していただいた。
観音様などの仏像の由来や「おもかるさん」などのお話を聞くことができた。


◆「おもかるさん」は、石を一度持ち上げて下ろし、願いをかけてから、
もう一度持ち上げる。前より軽く感じたら願いが叶うといわれる。
「おもかる石」を持ち上げてみた。前より気持ち軽く感じた。願いが叶うと良いな。


◆永井氏墓所への参道は、本堂の右手にある。


◆山道を上っていくと石垣が見えてくる。


◆道は石垣の先に続く。


◆中腹の山際に墓地がある。
永井氏一族の墓碑群は、左側全部と右側最後列だそうだ。合掌
なお、墓碑主名は不明。


◆左側の2列目は、やや大きめの美しい宝篋印塔が並ぶ。


◆左側の3列目は、小さめの五輪塔や宝篋印塔がたくさん並ぶ。


その中ほどに双体石仏もある。


◆右側の3列目は、様々な形の墓碑が並ぶ。


◆ご夫人には、寺の行事である節分や落語会についても案内していただいた。
落語会は破格の五百円だそうだ。

◆大変楽しい時間を過ごさせていただいた。
丁寧にご案内いただいたことと、この出会いに感謝。
息子さんが歴史好きだそうで、機会があればお話を伺いたいものだ。

以上  


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2017年11月16日

岐阜県本巣市<照空寺> 「旗本文殊戸田氏歴代墓所」 (武将のお墓参り30)

<美濃国ゆかりの武将> 2017年11月
★照空寺 旗本文殊戸田氏歴代墓所
 岐阜県本巣市大字文殊1197


◆加納藩主松平光永公は、父光重公の遺領7万石のうち1万石を
弟の孫十郎光澄(のち光正)公と孫七郎光直公に五千石ずつ分け与えた。
これが、旗本文殊戸田氏と旗本北方戸田氏の始めである。

◆照空寺は、応永二十八年(1421)寺井氏により長福寺として建立された。
その後、元禄二年(1689)旗本(文殊)戸田光正公が、
母・照空院の菩提所として今の地に移し、照空寺と改称した。

◆通りから細い道を入っていくと、突き当りが寺の石階段になっている。(山の麓に寺がある。)
階段の両脇には、椿が植えてある。
そして、左脇に石碑「史蹟 徳川幕府旗本戸田氏菩提寺」がある。


◆階段を上ると、美しい唐破風の山門がある。

門には、ウサギや龍、力士の素敵な彫刻がある。いいね。


◆山門の先に本堂があり、外から参拝。


◆山門を潜ってすぐ左が、墓所への参道になる。(木々の下で、少しわかりづらい)


◆墓所は、山の中腹にある。森の中の坂道を上って行く。石の階段だ。


◆途中の階段両脇に、古い墓碑が配置されている。

上の方は少し急だ。


◆階段を上り、最上段が「旗本戸田氏歴代墓所」だ。
正面の上段に、墓碑が6基並んでいる。合掌 
右から順に「照空院殿」「四代光典公」「初代光正公」「二代光輝公」「二代光輝公」「勇心院殿」。



◆右から3番目の「初代戸田光正公」の墓碑が一番大きい 


◆光正公の母「照空院殿」の墓碑 


◆「二代戸田光輝公」の墓碑


◆「三代戸田光政公」の墓碑 


◆「四代戸田光典公」墓碑


◆初代はじめ6基の墓碑がある区画を右の奥へ進むと、
上段に4基の墓碑が並んでいる。合掌 
右から順に「八代光幽公」「五代光智公」「六代光陽公」「十代光利公」だ。


◆右「八代戸田光幽(こうひん)公」、左「五代戸田光智(みつとし)公」の墓碑 


◆右「六代戸田光陽(みつはる)公」、左「十代戸田光利公」の墓碑


◆「大野町史」に歴代のお名前・法名・没年が記載されており、
墓碑と照らし合わせることができた。感謝

なお、九代光田(みつつら)公・十一代光顕(みつかげ)公は神葬のため照空寺に墓はなく、
七代順次郎公の墓はないそうだ。

寺に案内板がなく、残念だった。

以上  


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2017年11月09日

岐阜県可児市<天龍寺> 「明智氏歴代之墓所」と「明智光秀公ご位牌」 (武将のお墓参り29)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>2017年11月
★★天龍寺  「明智氏歴代之墓所」と「明智光秀公ご位牌」
岐阜県可児市瀬田1242
近くの山には、明智氏が築城し、斎藤義龍公により落城したと伝わる明智城(明智長山城)跡がある。



◆境内入口の左側に案内板が立つ。


案内板には、次のように記されている。
『天龍寺 山号 青雲山

天龍寺は永平寺を本山とする曹洞宗のお寺で、「聖観世音菩薩」をご本尊としています。
このお寺は寛永2年(1625)武儀郡下有知村(現関市)龍泰寺の末寺として
同寺20世鰲山正雪禅師を招請して開山した由緒あるお寺です。

大正12年3月の焼失以前は、本堂、開山堂、明王堂、鐘楼門などを有する堂々とした
一大伽藍のお寺でした。本堂は昭和45年10月に落慶、その後庫裏、山門、開山堂などを
再建し現在に至っており、可児新四国36番札所ともなっています。

また、明智一族の菩提寺として毎年光秀公の法要が営まれており、
本堂には日本一といわれる大きな光秀公の位牌が祀られています。
境内の東北部には、日本では3つしかないという北向地蔵がみられます。以下略』

◆右側にも案内板があり、次のように記してある。
『●日本一大きな明智光秀公の位牌 六尺一寸三分(184cm)をお祀りしております
●明智一族のお墓があります  ●瀬田おたすけ観音  写経・納経ができます』

石柱もあり、「明智光秀公縁寺 瀬田 天龍寺」と刻まれている。

◆境内に入り、突き当りにある鐘楼の右側が参拝者駐車場である。
駐車場の南側に「明智氏歴代墓所」がある。しかし、本堂にお参りしてからの参拝とする。

◆山門を潜る。


◆山門先の正面に本堂がある。


◆本堂前には、普賢菩薩と文殊菩薩の石像がある。この位置の菩薩像は珍しい。
(左後方に見えるのは、「瀬田おたすけ観音」)


◆庫裏でチャイムを鳴らすと、ご夫人が出てきて、快く本堂内を案内していただけた。(感謝)
ご本尊と、ご本尊前の普賢菩薩像と文殊菩薩像に合掌。

◆本堂に入って左手に「子育て観音像」が祀られている。
かわいい赤ちゃんを抱いた観音様である。


◆ご本尊の左方に明智光秀公のご位牌がある。大きくて新しい。
サイズは、命日6月13日にちなみ六尺一寸三分だそうだ。合掌。


◆ご位牌の右隣には、光秀公の木造坐像がちょこんと座っている。合掌。
地元の彫刻家樋口文雄氏の作品だそうだ。
ご本尊前の普賢菩薩像と文殊菩薩像、子育て観音像も樋口氏の作品で、優しい仏様たちである。


◆紅葉の樹の下に明智氏歴代墓所がある。


墓碑群の右前に石柱「明智氏歴代之墓所」が立つ。合掌
裏山に散在していた墓石や石仏などを集めて整備したもので、
明智氏のどなたの墓碑かはわからないそうだ。


◆お寺の方の明るく快活なご案内のお陰で、心地よい時間を過ごさせていただいた。
ありがとうございました。

以上  


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2017年11月01日

★岐阜市<岐阜公園> 「菊人形・菊花展」は今が見頃 (名園巡り7)

<名園巡り>2017.11.1

★名園「岐阜公園」
岐阜県岐阜市大宮町1丁目


◆岐阜公園では、「第46回岐阜公園菊人形・菊花展」が開催されている。
開催期間は、平成29年10月21日~11月19日である。(無料、無休)


菊人形の他に、山菊総合花壇、大菊花壇、美濃菊花壇、大菊小作り、小菊盆栽、
小菊盆養、自由花が展示してある。

今年は、織田信長公が永禄十(1567)年に岐阜城入城・岐阜命名してから450年目にあたり、
「信長公450プロジェクト特別展示」の菊人形・菊花も展示されている。

◆菊人形テーマは毎年変わるが、今年は「信長公、岐阜入城」である。
板垣退助像の前にある。
菊人形は、信長公、濃姫、前田利家公、佐々成政公で、美しい菊の衣装を着けている。


◆テーマの菊人形の前には、三重塔を配した大花壇があり、見応えがある。素晴らしい!!
私の一押しの花壇だ。





◆大菊



◆小菊


◆大菊



◆美濃菊


◆千輪仕立て


◆自由花





◆池の上の菊人形は、信長公と濃姫である。背景は狩野永徳の獅子か?
池の周りの緑と池に映った緑に溶け込んで、大変美しい景色だ。




◆「信長公450プロジェクト特別展示会場」には、「450」をあしらった花壇や、
菊人形が5組展示してある。



菊人形は、織田信長公と羽柴秀吉公、斎藤道三公と濃姫などである。


◆公園には、ツワブキも咲いており、鮮やかな黄色の花が美しい。


◆木の芽でんがくの店「植木屋」さんの横の石組の庭園も、池に緑が映って大変美しい。


◆展示されている「菊人形・菊花」は、ほとんどが今が見頃。観るのならお早めに。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:36Comments(0)名園巡り

2017年10月28日

岐阜県大野町<月真寺> 「旗本加藤平内の墓所」&「竹中重元公(竹中半兵衛の父)の墓所」 (武将のお墓参り28)

<美濃国の武将のお墓参り> 2017年10月
★★「月真寺」 
岐阜県揖斐郡大野町大字公郷1812-1、境内自由

◆寺の入口は東側にある。


◆境内に入りまっすぐ進むと、門の跡らしきところの左右に標柱がある。
右側は「大野町史跡 加藤平内墓」、左側は「大野町史跡 竹中重元の墓及び五輪塔」と記してある。


◆さらに進み、鐘楼の前を過ぎると突き当たり、道は右に折れる。
その先が庫裏や本堂となる。本堂前にて参拝。


◆本堂の左端を右に折れると、突き当りが墓地である。


◆墓地はこじんまりしており、墓碑の間に通路が設けてある。


★墓地の少し奥まったところに、「旗本加藤氏の歴代墓碑」が10基並ぶ。
他の墓碑に比べて一段高く、大きく立派で、一目でそれとわかる。合掌


墓碑はコの字形に並んでおり、立札「大野町史跡 加藤平内の墓」が立っている。
墓碑についての説明はない。

そのため、墓主名は「池田町史」に記載の歴代当主の没年と墓碑に刻まれた没年から推定した。
ただし、左手前の1基だけは「加藤平内藤原挙直」と刻まれており、九代挙直公と判明。

◆正面に5基。左から順に、二代光定公、三代泰和(やすまさ)公、四代納泰(のりやす)公、
五代泰亨(やすとき)公、不明(香雲院殿、宝暦11年没)。


◆右側に4基。左から順に、不明(甲斐守、暁嶽院殿、文化元年没)、七代泰伊(やすただ)公、
八代泰威(やすたけ)公、孝源院殿・友直公。


◆旗本加藤氏であるが、初代「加藤平内光直公」は、加藤光泰公の三男。兄は加藤貞泰公。
光直公は、秀吉公、家康公に仕え、関ケ原合戦後に美濃国池田・安八・不破郡のうちで
3640石を与えられ、揖斐郡池田町に「六ノ井陣屋」を設けた。十代泰壮公の時に明治維新を迎えた。

◆参考だが、「池田町史」には、初代光直公はじめ歴代墓所は、
江戸神田(現・台東区浅草)「海禅寺」と記載がある。

また、初代光直公から十代泰壮公までのうち、六代泰朝公(駿河守)と七代泰伊公(右京)以外は
「平内」と記載がある。

★軍師竹中半兵衛の父・竹中重元公の墓碑は、旗本加藤氏歴代墓碑の北奥に位置する。
この写真では、左列の最奥。


◆墓碑の前に立札「大野町史跡 竹中重元の墓」が立っている。合掌
小ぶりで周りに並ぶ墓碑と大きさは変わらず、立札がなければわからない。


◆境内の外、西側の道路沿いに案内板があり、次のように記されていた。

『大御堂城跡 竹中重元の墓 加藤平内の墓 由緒
大御堂城跡 ここ月真寺の西一帯は、秀吉旗本の天才軍師竹中半兵衛重治が生まれた大御堂城跡と
伝えられています。江戸時代に公郷を治めた旗本加藤平内から月真寺に寄進されました。

以前は堀や土塁が残り、城の遺構とされていましたが、現在では土地の改変により
当時の面影を見ることはできません。

竹中重元の墓 竹中半兵衛の父竹中遠江守重元の墓が月真寺本堂西の墓所にあります。
重元は、明応6年(1497)に大御堂城で誕生し、永禄元年(1558)に岩手城を攻め、
その後永禄4年(1561)に病死したと伝えられています。

加藤平内の墓 月真寺は、池田町六之井に陣屋をかまえた旗本加藤平内の菩提寺です。
加藤家は初代光直から最後の領主泰荘まで11代続きました。

ここには加藤家代々の墓所があります。月真寺の山門は、もと六之井陣屋の門でしたが、
明治3年(1870)旧領主より寄進を受けて移築されたものです。  大野町教育委員会』

◆訪問時には、案内板に記してある山門は見当たらなかった。
また、加藤家代々の墓所があると記してあるが、初代光直公はじめ一部の領主の墓碑は判明しなかった。
少し残念だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:55Comments(0)武将のお墓参り

2017年10月28日

岐阜県大垣市<円通寺> 「大垣藩主戸田家廟所」 (武将のお墓参り27)

<美濃国の武将のお墓参り> 2017年10月
★大垣藩主戸田家廟所 円通寺
 岐阜県大垣市西外側町1-32-1、境内自由


◆大垣藩初代藩主である戸田氏鉄公は、家康公に仕え、父一西公の死後、家督を継ぎ近江膳所藩主となる。
大坂の陣の後に摂津尼崎藩主を経て美濃大垣藩主となった。

◆寺の入口は東側にあり、境内に入ってすぐ右端に石柱「史蹟戸田家廟所」と案内板が立つ。


案内板には、次のように記してある。
『岐阜県指定史跡 戸田家廟所
大垣藩十万石の歴代藩主が眠る戸田家廟所は、寛永12年(1635)初代藩主戸田氏鉄公が尼崎から
大垣へ国替えになった際、同時に戸田家菩提寺の円通寺を移したことに始まる。

先の戦災で大きな被害を受けたが、昭和38年(1963)市制45周年を期に墓の復旧をはかると共に
東京の蓮光寺にあった9代氏正公・11代氏共公の墓も移すことになり、
翌年4月戸田家11代歴代藩主の墓が揃い完成した。』

◆境内に入ると真っすぐ石畳の参道が延び、奥には山門が建つ。
唐破風の美しい姿の山門である。どっしりとした瓦屋根もいい感じ。


山門前に案内板があり、次のように記してある。
『円通寺山門
円通寺山門は、寛永12年(1635)初代藩主戸田氏鉄公が尼崎から大垣へ国替えになった際、

同時に菩提寺である本寺の伽藍を移し、現在地に建立したものである。
以来、雷火のため数回焼失したが、現在の木造本瓦葺の山門は、天保年間(1830~44)に再建され、
大垣藩十万石歴代藩主の菩提寺の山門にふさわしい豪壮な姿を今に伝えている。』

◆山門を潜り、突き当りが本堂である。参拝。


◆本堂の左前に立札「大垣藩主戸田家廟所➡」があり、その先が墓地入口である。


◆墓地に入るとすぐ通路は右に折れ,突き当り奥が戸田家廟所である。


◆廟所入口。廟所は、白壁の土塀で囲われており、特別感がする。


◆廟所入口の右前に石碑があり、次のように刻まれている。
『史蹟 戸田家廟所の沿革
此の廟域は旧大垣藩主戸田家が尼崎から大垣に移封されてより三百三十余年の廟所であって
岐阜県並びに大垣市の史蹟に指定されて居ります

昭和二十年七月の空襲にて市の大半が焦土と化した際 不幸この廟所も焼失し
初代氏鉄公二代氏信公七代氏教公の墓石を残し その他は四散崩壊しました。

今や市制四十五周年に際し各方面ともその復興を加えつつある現状であり
よって東京にある九代氏正公11代氏共公の分骨を乞い これを合祀致し
ここに完成致しましたのでその沿革を記します

昭和三十九年四月 戸田家廟所復旧委員会会長●●●● 誌 』 

◆廟所の門扉の右側には、戸田家家紋が付いている。
門扉は開かれており、廟所内に入れた。
廟所内は、歴代藩主や家族の墓碑や石灯籠が整然と立ち並んている。合掌
墓碑間の通路は石畳となっている。


◆藩主の墓碑は全て五輪塔である。
各墓碑には立札があり、墓主の法名・名前・生没年が記されていて大変うれしい。

◆正面奥に二基あり、右が初代氏鉄(うじかね)公の墓碑である。


◆二代氏信公の墓碑


◆右奥が三代氏西(うじあき)公、左手前が六代氏英(うじひで)公の墓碑


◆四代氏定公の墓碑


◆五代氏長公の墓碑


◆七代氏教(うじのり)公の墓碑


◆八代氏庸(うじつね)公の墓碑


◆九代氏正公の墓碑



◆十代氏彬(うじあきら)公の墓碑


◆十一代氏共(うじたか)公の墓碑


◆戦争により多くの墓碑が失われたため、作り直された新しい墓碑が目立つ。
しかし、きれいに整備され、立ち並ぶ墓碑群は壮観で、素晴らしい大名の廟所であった。

以上
  


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2017年10月17日

「中津川市苗木遠山史料館」&「苗木遠山家廟所」 (武将のお墓参り26)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 2017.10訪問
「中津川市苗木遠山史料館」と「苗木遠山家廟所」

★★中津川市苗木遠山史料館
岐阜県中津川市苗木2897-2、月曜休館(月曜日が祝日の場日は翌日)、9:30~17:00

◆史料館は、苗木城の麓に建っている。雲林寺の塔頭があったところだそうだ。
中世、戦国時代から明治時代初期に至る苗木遠山家の資料を中心に展示している。
苗木城跡の探訪前や、苗木藩の歴史を知るには、ぜひ訪れたいところだ。

◆入館すると、チラシ「苗木遠山史料館」と「苗木城跡(6タイプの石垣探索などを記載)」をいただける。
展示品の中でも苗木城模型は、立体的で城の造りがよくわかる秀作である。
写真撮影可なのもうれしい。(展示の一部は写真撮影可)


◆展示室に、「苗木城見取図」「中世・近世の苗木領主(領主名一覧)」
「激動期の苗木(苗木藩の幕末、廃仏毀釈)」の持ち帰り用資料が置いてあるのもうれしい。
パンフレット「国指定史跡苗木城跡」「中津川観光ガイドマップ」なども置いてある。

◆2階への階段の壁には、歴代苗木藩主の肖像画の写真が展示してある。
写実的で藩主の個性ある姿を知ろことができる。

◆2階では、「特別展 ふるさと中津川の先人 前田青邨」展(2017年10月7日~11月5日)が
開催されており、青邨画伯の日本画や天井絵、「皇居・石橋の間」の下絵などを鑑賞できた。

◆入り口付近に、苗木藩などについて書かれた書籍・資料も多数揃えてある。
時間があればゆっくり読みたかった。

★★苗木遠山家廟所(雲林寺跡)
岐阜県中津川市苗木2875、苗木遠山史料館駐車場から南へ100m、
西側にある「高森お霊屋墓地」の一角に苗木遠山家廟所がある。緑色の屋根の東屋が目印だ。


◆東屋と大きな石の間の道を入った所が「高森お霊屋墓地」である。


◆入口に案内板があり、次のように記されている。


『高森お霊屋墓地は、江戸時代に苗木領を支配した大名遠山家とその家臣の墓地です。
初代大名遠山友政は慶長19(1614)年に菩提寺の雲林寺(臨済宗 墓地の東北部に跡地)を創設し、
この谷あいに墓地が拡充されました。

苗木藩は1万521石(後に1万21石)の小藩でしたが、領主の国替えがなく、
遠山家一系で明治を迎えたので、墓地はそのまま江戸時代の苗木藩の歴史を映しています。

明治3(1870)年、廃仏毀釈の断行で雲林寺は廃寺となりました。
幸い雲林寺過去帳は現存しており、墓碑銘と併せて家臣のルーツを知る貴重な手掛かりとなっています。

なお、「苗木明細記」によると、江戸時代、家臣の墓地は「卵塔墓(らんとうば)」と呼び、
遠山家の墓所は「霊屋(たまや)」と呼びました。
(廟所の図面も記載してあり、墓碑と墓主名がわかる。)』

◆通路を進むと左奥に石垣が見える。


◆石垣の上が廟所で、手前の階段が廟所への道となる。


◆少し進むと、右手の一段上がったところに廟所があり、藩主と家族の墓碑群が立ち並ぶ。合掌



◆正面奥の中央が初代友政公の墓碑(右側)。立派だ。


◆右が二代秀友公。


◆右が三代友貞公。


◆左が四代友春公、右が五代友由公。


◆右が六代友将(ともまさ)公。


◆左が七代友央(ともなか)公、右が十二代友禄(ともよし)公。


◆右が八代友明(ともあきら)公。


◆左端が九代友清公。


◆右が十代友随(ともより)公。


◆左が十一代友寿(ともひさ)公。


◆他に明治以降の十三代友悌氏、十四代友郷氏、十五代健彦氏の墓碑もある。

◆廟所は、きれいに整備されており、案内板によりどなたの墓碑かわかる。
大変良い大名墓地であった。

以上  


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2017年09月28日

京都<本禅寺> 「加納藩主大久保忠職公」&「大垣藩主石川忠総公」の墓所 (武将のお墓参り25)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

★本禅寺 住所:京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町394 
境内に「加納藩主・大久保忠職公」と「大垣藩主・石川忠総公」の墓碑がある。

◆寺は京都御所の東側に位置し、五本線の入った土塀で囲まれている。
正面の門は、境内の西側にある。


境内は自由参拝。門を潜ると正面奥に本堂があり、参拝。


本堂の右前に塔頭心城院があり、その左隣りに塀に囲まれた墓地がある。


心城院境内の左端を塀に沿って進むと、墓地入口があった。


墓地の右手奥に、大久保家と石川家の大型の墓碑が並んでいた。しかし、境内や墓地に案内は何もなく、
刻まれた文字も読みづらいものが多く、ネットで調べた墓主名が頼りだった。

◆「大久保家墓碑」 
ネット情報では、大久保家墓碑9基の右端が大久保忠教(彦左衛門)公。
しかし、現地ではどれが忠教公の墓碑かわからず、心城院の方に教えていただいた。


忠教公の墓碑は、横一列9基のうちの右端(宇津季之公)の後方にあった。
墓碑は単独で石塀に囲まれた五輪塔で、大久保平助と刻んであった。合掌


◆横一列に並ぶ墓碑は、右から順に宇津季之公、大久保新十郎公、忠倫公、


忠職公室、忠職公、忠常公、


忠隣公、忠世公で、左端の小さい五輪塔の墓主は不明。
忠隣公だけが宝篋印塔で、他は五輪塔だ。合掌


◆墓主の簡単な経歴は次の通り。
・大久保忠教(ただたか、通称・彦左衛門、幼名・平助)公
・・・徳川家康公・秀忠公・家光公に仕えた旗本。天下の御意見番として名高い。

・宇津季之公・・・忠職公の三男
・大久保新十郎公・・・忠職公の長男

・大久保忠倫公・・・忠職公の次男
・大久保忠職公室・・・松平忠明公(美濃加納藩主・奥平信昌公四男)の娘

・大久保忠職(ただもと)公・・・武蔵騎西藩二代藩主➡美濃加納藩主➡播磨明石藩主➡
肥前唐津藩初代藩主。父・忠常公、母・奥平信昌公の娘千姫。

・大久保忠常公・・・武蔵国騎西(きさい)藩初代藩主。父・忠隣公、正室・奥平信昌公の娘。
石川忠総公の兄。

・大久保忠隣(ただちか)公・・・父・忠世公。家康公・秀忠公に仕えた。
武蔵羽生城主➡相模小田原藩初代藩主。しかし、突如改易となり、彦根藩お預けとなる。
その理由は諸説あり。忠隣公の孫忠朝公のときに、大久保氏は小田原藩主に返り咲いた。

・大久保忠世(ただよ)公・・・相模小田原藩祖。家康公に仕えた徳川十六神将の一人。
三方ヶ原の戦いや長篠の戦い等で武功あり。兄は忠教公。

◆「石川家の墓碑」 
五輪塔が7基、横一列に並んでいた。


右から順に石川勝之公、義孝公、忠総公室、忠総公、


廉勝公、昌能公、憲之公である。合掌


◆墓主の簡単な経歴は次の通り。
・石川勝之公・・・父・昌能公、世嗣のまま早世

・石川義孝公・・・父・憲之公、山城淀藩二代藩主
・石川忠総公室・・・堀尾吉晴公の娘

・石川忠総公・・・父・大久保忠隣公、家康公の命で外祖父・石川家成公の養子となる。
美濃大垣藩石川家三代藩主➡豊後日田藩主➡下総佐倉藩主➡近江膳所藩初代藩主。
家康公・秀忠公・家光公に仕えた。

・石川廉勝(かどかつ)公・・・父・忠総公、家督相続前に没した。
・石川昌能(まさよし)公・・・父・憲之公、日向守。嫡子のまま早世。

・石川憲之(のりゆき)公・・・父・廉勝公、近江膳所藩二代藩主➡伊勢亀山藩主➡山城淀藩初代藩主

◆心城院の方に、徳川家康公の側室と娘の墓碑、
「鐘楼に吊り下げられている鐘は、豊臣秀頼公が鋳造し、家康公が大坂夏の陣で陣鐘として使用。
忠教(彦左衛門)が持ち帰り奉納した。」と教えていただいた。お忙しい中ご案内いただき感謝。



以上  


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2017年09月26日

京都<大雲院>「織田信長公・織田信忠公墓所」 (武将のお墓参り24)

2017年9月<岐阜城主のお墓参り>

★大雲院 京都市東山区祇園町南側594-1
7月~9月に実施の「京の夏の旅」キャンペーンで特別公開している大雲院を訪れた。
祇園閣と寺宝を拝観、「織田信長公・信忠公供養塔」などに参拝できた。

◆大雲院は、高台寺前の「ねねの道」を北へ突き当たったところに位置している。


◆大雲院の総門は東側にあるが、特別公開の入口は「ねねの道」に面した南門であった。
門前に看板があり、「~エキゾチックな昭和の名建築 閣上からの絶景~大雲院 祇園閣
特別公開」と記してあった。特別公開のメインは「登録有形文化財の祇園閣」なのだ。


◆重厚な南門を潜って境内に入ると、目の前に本堂がある。
左に進むとすぐ右手に祇園閣が聳えていた。


元財閥大倉喜八郎が、昭和3年(1928)昭和天皇の御大典記念に別荘内へ「祇園閣」を建てた。
京都を訪れたお客様に対し、祇園祭以外の季節にも祇園祭の鉾を披露するために建てたそうだ。
鉄筋コンクリート造三階建、高さ36m、鉾先に金鶏が羽を広げている。
設計は伊東忠太である。

祇園閣の入口は、階段を上った所にある。
入口前には、立派な阿吽のライオンの石像が向かい合っていた。
堂々としているが、よく見ると優しいお顔だ。とても素敵な像だ。



◆閣内は、撮影禁止だ。螺旋階段になっており、階段の壁には敦煌の壁画の模写が描かれている。
上るにつれて、異国風の仏や天女たちが次々に現れ、見応えがある。

最上階からの展望は、絶景だった。周りを360度眺めることができる。
西方は、ビルや現代の建物群がぎっしりと立ち並ぶ。北は平安神宮や京都大学など、
東は寺の甍越しに緑の山々、南は八坂の塔などが見える。

この絶景の写真を撮りたいと思ったが、ここも撮影禁止。
周りには、民家やマンションも多く、プライバシー保護のためだそうだ。
ガイドの方がいて、いろいろとお話を聞くことができて良かった。

◆祇園閣の南西側に墓地入口がある。
墓地入口の門は小さいが、門前の左右にある石灯籠は、どっしりして趣がある。


門の左脇に「織田信長公信忠公 墓所参道」と「石川五右衛門墓所参道」の石柱が立っている。
墓地内には、大泥棒「石川五右衛門」の墓もあるのだ。


◆墓地に入ってすぐ、参道は右に曲がっている。
少し進み左に折れると、奥の方に立派な「織田信長公・織田信忠公の供養塔」が立っていた。
供養塔は、二人で1基。右側に信長公、左側に信忠公の法名が刻まれている。合掌



墓碑の左脇に石碑があり、次のように刻まれている。
「織田信長公 織田信忠公 之墓所 天正年代菩薩堂安與愚和尚ノ寄進ニヨリ建立サレ
昭和五十四年三月吉日四条寺町大雲院墓地ヨリ 当地円山町大雲院墓地ニ移転ス」

◆石川五右衛門の墓所は矢印案内があり、分かりやすかった。
墓碑の右脇に「石川五右衛門墓所」の石碑がある。
低い玉垣に囲われ、中央に墓碑、両脇に石灯籠があった。合掌


◆本堂では、ガイドの方による大雲院の変遷、祇園閣、旧大倉財閥、五百羅漢図、
寺宝などの説明があった。大変わかりやすく、かつ、楽しく聞くことができた。(感謝)

大雲院は、「本能寺の変」の5年後の天正十五年(1587)、正親町天皇の勅命により、
信長公・信忠公の菩提を弔うために、御池御所(烏丸二条南)に建立された。
寺名を信長公の法名に因み総見院にしたかったが、総見院は大徳寺に豊臣秀吉公が建立した後であった。
そこで、信忠公の法名・大雲院殿に因んで「大雲院」と名付けたそうだ。

その後、秀吉公が寺域が狭いというので、天正十八年(1590)に寺町四条(現・高島屋あたり)に移転。
さらに、周辺が繁華街の中心となったため、昭和四十八年(1973)に現在地へ移転して現在に至る。

本堂内には、織田信忠公の坐像があったが、遠いし暗くてお姿がよく見えなかった。残念

◆境内の龍池会館に寺宝の一部が展示されている。
信長公から安土宗論の勝者・貞安上人に下付された軍配団扇、後陽成天皇の御宸筆、若冲、応挙、
富岡鉄斎の絵画などの貴重な寺宝を拝観できた。

◆大雲院は、常時公開ではない。3年程前にも特別公開があったそうだ。
今回は、たまたま特別公開を知ることができた。ご縁に感謝。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:09Comments(0)武将のお墓参り

2017年08月03日

岐阜県各務原市<少林寺> 「旗本坪内氏墓所」 (武将のお墓参り23)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 2017年7月 
★★少林寺「旗本坪内氏墓所」
岐阜県各務原市那加新加納町2104-1、境内自由

◆少林寺にある「旗本坪内氏歴代墓所」を訪れた。


◆少林寺は、戦国時代に兵火に焼かれ断絶した。
しかし、天保元年(1644)に旗本坪内氏の二代「家定公」が再興し、累代の菩提寺とした。

寺のすぐ南側に「旗本坪内(新加納)陣屋跡」があった。訪れた時は、そこは更地で公園予定地になっていた。
近くの中山道の一里塚跡に案内看板「中山道間の宿 新加納のご案内」があり、
「旗本坪内陣屋」について次のように記されていた。

「新加納周辺を治めていた坪内氏の初代は、松倉城(各務原市川島松倉町)に拠点を置き、
織田家に仕え蜂須賀小六ら川並衆をまとめていた。

4代利定は、関ケ原の戦いで徳川隊の鉄砲隊を率いて活躍。
これにより6530石を治める旗本となり、拠点を松倉城から新加納陣屋に移した。

陣屋は、巨大な濠(幅5,2m以上、深さ約3m)と土塁(約3m)に囲まれ、強固な防衛施設として建設された。
旗本坪内氏は、利定以降11定益まで続き、明治元年領地を奉還した。」

関ケ原の合戦で、坪内利定公は子4名と共に東軍に加わり武功を挙げた。
そして、利定公は初代旗本となる。
知行地は、宗家領(御納戸)、内分家領(御内分)、分家領(御分知)に分かれていた。

内分家は三家あり、各務原市内にそれぞれ領地・陣屋を持つ「三井坪内氏」と「前渡坪内氏」と
「平島坪内氏」であった。
分家は二家あり、江戸に屋敷を持つ築地坪内氏と貝坂坪内氏であった。

◆訪問した少林寺は、旧中山道から少し奥に入ったところにある。


◆境内に入り、真っすぐ参道を進む。突き当りのお堂の前を左に折れると山門がある。


◆山門を潜ると、正面に鐘楼があり、その右を奥に行くと本堂の前に出る。本堂で参拝。



◆本堂の左方に墓地の入口がある。


◆墓地に入ってすぐ右側が内分家「三井坪内氏墓所」であった。合掌 
大小の墓碑が、玉垣の上に隙間なく並んでいる。


◆正面に法名、側面に俗名と没年が刻まれているものもあった。奥の方にあり読めないものもある。
俗名が読めたのは、「定民公、定経公、定秀公、定高公、定並公、定職公」。


◆墓地へ入って突き当りの右側に「市指定史跡 旗本坪内家墓所」の標柱がある。


◆玉垣の上には、旗本宗家二代「家定公」ほかの墓碑が並んでいた。合掌
中央が家定公の墓碑とわかったが、他は俗名がわからなかった。


◆その右手に内分家「前渡坪内氏」らしい墓所がある。合掌 
隙間なく並んでいる墓碑は、俗名がわかったのは「定效公」だけだった。



◆さらに右隣りには内分家「平島坪内氏墓所」があった。合掌 
こちらの墓碑も隙間なく並んでいたが、俗名を読めるものが多かった。


読めたのは、「定英公、判定公、定基公、定覚公、定侯公、定矩公、定興公、定通公」。


◆本堂のすぐ左側に、開基「東陽英朝大和尚」の墓所の参道がある。
突き当りが和尚の墓所で、墓は土饅頭だった。合掌


◆和尚の墓の左に、立派な墓碑が6基並ぶ。「宗家坪内氏墓所」であった。合掌
左から順に、「8代定系(さだつぐ)公、7代定孝公、9代定儀(さだのり)公、
4代定長公、5代定重公、6代定堅公」の墓碑である。


◆境内及び墓所には、家定公墓碑前に「旗本坪内家墓所」の標柱があるのみであった。
坪内氏についての詳しい説明や、墓碑の案内が欲しかった。

墓所は整備されており、旗本坪内氏や夫人たちの立派な墓碑がたくさん並んでいた。
貴重な史跡である。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 15:14Comments(0)武将のお墓参り

2017年07月31日

岐阜県羽島市<金宝寺> 「八神城主毛利氏歴代の墓」 (武将のお墓参り22)

★「美濃国ゆかりの武将」のお墓参り

2017年6月、岐阜県羽島市の金宝寺にある八神城主毛利氏歴代の墓所を訪れた。
(住所は、羽島市桑原町八神2221)

桑原町誌に次のように記載されている。
『八神城主毛利氏は、鎌倉時代から尾張国長岡庄の司職として、この地方の地頭あるいは領主として
羽島市下中町石田や桑原町八神に居城を構え、幕末まで居住してきた。
土岐頼芸、織田信長、織田信雄、豊臣秀吉、池田輝政、織田秀信らに仕え、徳川家に仕えた。

八神毛利氏歴代の墓が金宝寺にある。高さ160cm前後の墓が13基。
尾張藩の家老格世臣として仕えた八神城主13人の墓碑群で、
境内にはこの他にも毛利家にかかわりのある墓碑が大小50基。

ほとんどは花崗岩の墓石で、表に院号法名、左右に没年が刻んである。
墓碑の並びは、歴代順になっていない。
西口がコの字形で、そこから東の方に並列に並んでいる。

寺は慶長元年(1596)の創立で、毛利広次の開基。』

ナビで住所検索して向かったところ、境内北側の細い道に案内された。
境内の入口は南側だったので、水田の間の細い道を遠回りすることとなった。

境内南側に山門が建ち、その左側に文化財標柱や案内板がある。


標柱は右から順に、「円空仏如来像」、「八神毛利氏歴代の墓」、「金宝寺の駕籠」と記されている。


案内板には次のように記されているが、簡単すぎて物足りない。
『岐阜県・羽島市史跡 八神毛利氏歴代の墓 八神毛利氏は三千石余を領有し、
市内桑原町八神に居を構えて名古屋藩に仕えたが、

その初代(毛利掃部介広次・元和二年十二月十四日没・八十四才)より版籍を奉還した。
十三代(毛利源内広貫・明治二十一年六月に二十五日没・六十一才)の墓碑が
菩提所である当寺の墓地に建てられており、史的価値は極めて高い。』

山門を潜ると正面に本堂があり参拝。


境内の左方に鐘楼があり、その右側が墓地の入口である。


墓地は少し低くなっている。階段を降りて墓地に入り、すぐ右に進む。


正面奥の一画が、毛利氏歴代の墓所だった。
墓所の南側中央が入口になっており、コの字形(長方形)に墓碑が並んでいた。


墓所には、高さ160cm程の特大から小型まで多くの墓碑が立ち並ぶ。壮観だ。合掌
右側の墓碑群。後ろに本堂がある。



墓所内右側の南側の墓碑群。




墓所内右側の北側の墓碑群。



墓所内左側の墓碑群。奥の南側にも小さな入口がある。





墓碑には、番号を書いた紙片が置かれているものもあった。お名前は書かれてない。
ほとんどは花崗岩の墓石である。
正面に院号法名、左右に没年が刻まれているが、摩耗して読みずらいものもある。

この中に初代から十三代までの歴代城主の墓碑があるらしいが、墓所には何の案内もない。
どれがどなたの墓碑かわからず、残念だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:34Comments(0)武将のお墓参り

2017年07月22日

★バリ島旅行記 その13(最終回) 帰国「デンパサール(イガステ・グラライ)空港~成田空港」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その13(最終回) 帰国「デンパサール(イガステ・グラライ)空港~成田空港」
<6月24日(土)~25日(日)>5・6日目

★31 「デンパサール(イガステ・グラライ)空港」 
空港に22:20頃に到着。
車を降りて空港ビル内に入ると通路がある。照明がいい感じだ。


通路の先が広い空間になっており、売店もある。
人が多かった。いつもこのように混んでいるのかはわからない。



最初にフライトインフォメーションで、搭乗ゲートとフライト時間の確認をした。
搭乗する飛行機は、一番下に表示されていた。00:55出発予定だ。


この空港では、まず全荷物のX線検査がある。
預ける荷物と機内持込手荷物の両方の検査だ。大勢の人が並んでいた。

次に、ガルーダインドネシア航空のチェックインカウンターへ行く。
18・19カウンターである。ここも大勢の人が並んでいた。
カウンターでは、パスポートのみの提示で良かった。スーツケースを預け、搭乗券を受け取る。


次は、機内持込手荷物と本人のX線検査だ。ここも並ぶ人が多い。
手荷物(カバン)は、口を開けて検査機に通すように指示された。
パスポートと搭乗券を提示する。
身に着けているベルト等の金属を外さずX線検査機を潜り、引っかかる人を何人か見かけた。

次がやっとで出国審査だ。ここもやっぱり行列がある。
パスポートと搭乗券を提示。ここの審査官も不愛想だが、すんなりと通過できた。

出国審査を通過すると、やっとで搭乗口への通路となるが、ここまでずいぶん時間がかかった。
早めに空港に着いておいて良かった。

搭乗ゲートへ行く通路には、最初に免税店があり、次に飲食店や土産店が並んでいる。
しばらく店を見ながら進むと、搭乗ゲートの案内表示があった。
右へ行くと1番ゲート、左に行くと2~9番ゲートだ。今から乗るのは8番ゲートなので、奥の方だ。

8番ゲートまでどれくらい時間がかかるかわからないため早めに向かった。
途中に少しだけ、動く歩道があった。通路脇に簡易ベッドが置いてある。
深夜なので、通路脇や簡易ベッドで休んでいる人も多い。

やっとで8番ゲートに着いた。遠かった。
待合所の椅子席数は多くない。まだ空き席があったので座って待った。
時間が経つにつれ席は埋まり、床や壁際に座って待つ人が増えた。
待合所は涼しく、寒いくらいだった。長袖が必要だった。

日本語でもアナウンスがあり、出発が50分遅れで1:15になる。
理由は聞きづらく、何をいっているかわからなかった。(後で、気流の関係とわかった。)

★32 「ガルーダインドネシア航空 GA880便」 成田空港行
成田まで5861kmのフライトだ。フライト時間は6時間57分の予定と機内アナウンスがあった。
日本人CAは二人乗務している。

機内サービスで、紙おしぼりと水ペットボトル(小)、安眠セットをいただいた。
安眠セットがあっても、なかなか寝付けなかった。つらい。


台湾上空あたりで軽食が出た。ライスかオムレツか選べる。
飲み物はソフトドリンクだけだった。アルコール類は無かった。
ライスの方には、ヤクルトが付いていた。(バリ島でもヤクルトを売っていた)


オムレツには、ヨーグルトが付いている。


「携帯品・別送品申告書」が配られた。1家族につき代表1枚で良い。

★33 「成田国際空港」 帰国
9:31成田空港に無事着陸。とても眠い。

預けた荷物は、割と早くターンテーブルに出てきた。バリ島とは大違いだ。
しかし、私たちの荷物がでてくるのは遅かった。

大きな荷物を持っているし眠いので、空港ターミナルから成田エキスプレスに乗って東京駅へ直行した。
東京駅で弁当を買って名古屋に向かった。

バリ島は、大変良いところだった。機会があれば、再訪したい。

おしまい  


Posted by ふなチャン(Y)  at 10:23Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月21日

★バリ島旅行記 その12 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」&クタ市内ショッピング

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その12 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」&クタ市内ショッピング
<6月24日(土)>5日目

★27 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」
クタ中心部は賑やかだ。様々な店やホテルなどが立ち並び、観光客も多い。


クタ中心部のY字路交差点に、「爆弾テロ事件慰霊碑」が建っていた。
慰霊碑が建つのは、道路より一段高いところだ。


慰霊碑には、爆弾テロで亡くなった方の名前が刻まれていた。
亡くなったのはオーストラリア人が多いが、日本人も二人いる。合掌

★28 クタ「パサル セニ(アートマーケット)」&「パンタイビーチ」
クタ中心部にある地元市場に連れて行ってもらった。

「パサル セニ(アートマーケット)」の前は車の通りが多く、道路を横断するのが怖かった。
バリ島で見たタクシーの色は、爽やかな水色が多かった。


市場内に、寺院や祠がある。祠には、たくさんのお供え物があった。




通路端は駐車場となり、びっしりと車が停まっている。
店番らしき女性が、停めてある車の隙間で何か作っていた。のんびりしている。


物語のプリンセスの衣装をショーウインドウに並べている店もあった。かわいい。


「I♡ BARI」と書かれたバッグやシャツ、いろんなマークが付いたキャップなどを
売っている店もある。上手に並べてある。


左側の平屋建ての長屋には、小さな店が詰まっていた。
訪れた時はお客が少なく、店員は通路に置いた椅子に座っていた。



売っているのは主に衣類で、眼鏡や靴、カバンなどもあった。
ここでも、通路で作業をしている女性店員がいた。暇そうだ。
雑然とした市場を見て歩くのも楽しい。


市場を通り過ぎると木陰があり、その前が「パンタイビーチ」だった。
海だ、いいね。木陰で海を眺めたり、カフェで寛ぐ人がいる。



白く美しい砂浜がいいね。
浜辺には、水遊びをする人、物を売っている人、体を焼いている人、波打ち際を散策する人がいた。
海にはサーフィンをする人が浮かんでいた。


思い思いに過ごす人たちがいる平和な眺めだ。だが暑かった。

★29 クタ「モール バリ ギャレリア」 昼食&ショッピング
店へ入った所に警備員がいて、バッグの中身のセキュリティチェックがあった。

長方形の中庭があり、テーブルで食事をしている人がいた。


中庭の周りにフードコートがあり、飲食店が並んでいた。
その中の「MMジュース」で昼食をいただく。


注文した料理は、オタオタ(魚のすり身をバナナの葉で巻いて焼いたもの)・・・蒲鉾みたいで、ほのかに甘い、


定番になったナシゴレン、


クウェティアオ(米パスタとチキンの炒めたもの)、


ビーフン(料理名不明)、


キャプチャイ(野菜炒めスープ)、


ミーアヤム(鶏肉と麺)とバソスープ(ミートボール入り)、


ナシベラ(赤いご飯)・・・キャプチャイと混ぜて食べると美味しい


デザートにピィサンゴレン(バナナのフライ)。


美味しい料理に感謝。

店内は、とても広い。明るくて清潔だ。客は地元の人が多いようだ。


店内のスーパーで買い物。土産物を追加したり、気になる物を買った。


買ったのは、「キットカット・ほんかくてきまっちゃ」「味の素・Masako」・・・味の素製品をよく見かけた


バナナ・・・日本では少なくなったバナナシールが付いていた


「ざくろジュース」「ジュングルジュース」、


「ba-bal(インドネシアのお菓子)」、


「sukro」・・・インドネシアの小さいお菓子、


「ココナッツクッキー」・・・箱がいかにもバリ島なので買った。
小分けして土産にしようと思ったが、開けてみたら小分けできなかった。


珍しい物がたくさん売っており、見るだけでも楽しかった。

★30 クタ「サークルK」 ショッピング
バリ島でもコンビニをたくさん見かけた。
「サークルK」もたくさんあった。気になっていたので、連れていってもらった。


日本のサークルKは、ファミリーマートに衣替えしつつある。近所のサークルKが少なくなっている。
「インドネシアのサークルKはどうなるのだろう?」と思った。

店内には、サークルKオリジナルのビーチサンダルがあった。


買ったのは、カップ麺4種類、チョコレート、飲み物。
どのような味がするか楽しみだ。





次回につづく(次回が最終回)  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:00Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月19日

★バリ島旅行記 その11 「ウルワツ寺院&ケチャダンス」&フードコートで夕食

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その11 「ウルワツ寺院&ケチャダンス」&フードコートで夕食
<6月23日(金)>4日目

★25 パドゥン半島「ウルワツ寺院&ケチャダンス」
ウルワツ寺院は、パドゥン半島の西端の断崖沿いにある。

10~11世紀に創建された聖地で、夕日のビュースポットとしても有名である。
境内にケチャダンス会場がある。

駐車場に着いた時には満車に近く、車を停める場所を探すのに苦労した。
料金所で拝観料を支払い、その横で腰巻と腰紐を借りる。境内は神聖な場所である。

小さな門を入ると、境内は道が分かれている。直進することにした。
林の中を進むと、石柵に突き当たる。
柵の向こう側は断崖絶壁で、インド洋が広がっていた。展望台もある。


崖沿いに遊歩道が整備されており、海と崖の美しい景色を眺めながら歩くことができる。素晴らしい。
先には、神殿の屋根が見える。


先に進み振り返ると、ブーゲンビレアが咲き、断崖と白い波が打ち寄せる景色が見えた。絶景だ。


先端には神殿があり、大勢の参拝者と観光客がいた。


神殿の中は入れないが、外から見ることができた。祠がいくつか建っていた。


神殿の近くに、ミサンガのような物を編んでいる人がいた。絵になる。


神殿で参拝した後、階段を降りた。降りたところにウルワツ寺院の立派な標柱があった。
こちらが参拝の正しい入口みたいだ。


階段を降りたところは広場になっており、広場周辺の木陰で多くの人が休んでいた。
広場の前の柵越に海を覗くと、ここも美しい景色だった。垂直の崖と海と波を見ていてあきない。


ケチャダンスの観覧券をM君が買ってきてくれた。別料金なのだ。
日本語の案内チラシをいただき、パフォーマンス内容を予習した。開演が楽しみだ。


チラシによると、『バリ舞踊の中で、最もダイナミックでユニークなパフォーマンスがケチャ。
いっさい楽器を使わず、数十人の男声だけで独特のリズムを刻み、
ヒンズー教の創世神話の一部が踊り手たちによって演じられる。

見所は、数十人の男声による一糸乱れぬパフォーマンス。声だけでなく、身振り手振りにも注目。
演じるのは、「森に迷い込んだラマ王子とシータ姫に忍び寄る邪悪な影」というストーリー。
(チラシにあらすじが書いてあった。)』

ケチャダンス会場は、崖沿いにある。まだ明るいうちに会場に入ると、客は少なかった。
会場は半円形のすり鉢状で、崖側に広場があり、陸側に傾斜のついた客席があった。


席を確保し、開演を待った。席は、M君お勧めの中央付近の最後列。
ここだと立って写真を撮っても、前の人の邪魔にならない。また、会場全体を見渡せる。

待つ間、客席から暮れ行く海を眺めた。赤い夕陽にはならなかったが、美しい眺めだ。
でも暑かった。


陽が沈みかけた頃に、ケチャダンスのダンサーが会場に入って来た。広場に座る。
その後に白装束の僧侶が入り、ダンサーたちに聖水らしきものをかけた。

それからダンサーたちのケチャダンスが始まった。
「チャッチャッ」という合唱と身振り手振りが、テレビなどで見たままだ。


ケチャの合唱が心地よい。座ったまま、体を揺らせ、腕を左右、上下、前後に動かす。
生で見るのは、やっぱりいいね。

パフォーマンスが始まっても、まだ観客が入ってくる。
始まる前に用意された椅子席も埋まり、ダンサーたちのすぐ後ろに案内されていた。
ダンサーたちもやりずらそうだ。

美しい衣装の女性が出てきた。優雅なバリ舞踊を踊る。


さらに、魔王が出てきた。邪悪な感じがする。


陽が沈むと照明が点けられ、パフォーマンスが見やすくなった。
突然、白い猿が出てきた。ラマ王子の味方だ。


白猿は会場内をあちこち移動し、客をからかったりする。
客の頭を撫でたり、客を席から追い出して座ったり、ピエロみたいだ。


ケチャのダンサーたちは、演じる人や内容に合わせて、隊列を変える。
丸く輪を作ったり、小集団に分かれたりする。


悪者たちが出てきた。悪者だがパフォーマンスは憎めない感じ。
そして、客席から女性を広場に連れ出し、一緒に踊った。


また、客席との掛け合いでも楽しませてくれた。
観客に、マレーシアの人?、日本の人?、インドの人?、オーストラリアの人?、
インドネシアの人?と順に聞くと、それぞれの客から手が挙がった。オーストラリア人が一番多かった。

悪者は白猿を捕え、猿の周りに火をつけ始めた。どうなるのだろう?


だが、白猿は自力で縄を解いた。そして、足で火を消した。



演技中だというのに、席を立つ客がいた。はじめは一人二人だったが、集団で帰る客もいた。
ダンサーや役者の脇を通り、演技の邪魔になっていた。
他の観客の邪魔にもなっていた。困ったもんだ。

フィナーレは、役者が揃って挨拶した。
終演後は、無料でダンサーたちと一緒に記念撮影ができる。
しかし、夕食がまだなので帰ることになった。時間があれば一緒に撮影したかった。


「ケチャダンス」というと、大勢の男性が「チャッチャッ」と合唱して
体を揺り動かすだけだと思っていたが、見てみたら全く違っていた。

ケチャダンスを楽しみ、大満足の1時間でした。

★26 クタ「クリシュナ・ウィサタ・クリナー」 フードコートで夕食
ウルワツ寺院の帰りにクタのフードコートで夕食。フードコートは、3階建ての建物の1階にある。


入口前に、笛を持ったモニュメントが立っていた。


店内には、いろんな店が並んでいた。ほとんどの客はアジア系の人だ。
席に付いて料理を注文。チキン・ペンカツ(山型ご飯とおかずいろいろ)、


ララップ(十六ささげ、キャベツ、キュウリに辛いタレ)、
十六ささげは、インドネシアではロングビーンズという。


皆が好きなテンペ、


M君の好きなカンクン、


他にタフゴレン、サユール・アサム(酸っぱいスープ)、チキングリル、
ベベグリル(カリカリのダック)、ローデスープ(カレーみたい)、ナシ(白いご飯)を注文。

今晩も様々なインドネシア料理をいただけました。(感謝)

次回につづく

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:09Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月18日

★バリ島旅行記 その10 「J.CO(ジェイコ)」&「大モニュメント」&「GWKカルチュラルパーク」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その10 「J.CO(ジェイコ)」&「大モニュメント」&「GWKカルチュラルパーク」
<6月23日(金)>4日目

★22 クタ「J.CO(ジェイコ)」ティータイム
サンセット通りにある「J.CO(ジェイコ)」で朝のティータイム。
店はビルの1階にテナントとして入っている。


「J.CO」は、インドネシアのドーナツ屋さん。
日本でいえばミスタードーナツかな。インドネシアのあちこちで見かける。


ショーケースには、いろんなドーナツが並んでいる。どれも美味しそうだ。


注文した飲み物は、ジョコチーノ、グリーンティ、グリーンティ・フラッペ。飲み物には、ドーナツが1つ付いてくる。
ティータイムで、ゆったりとした朝もいいね。


<トイレ事情>
ビルの地下にあるトイレに入った。男子用に小便器はなく、和式便器が1つだけだった。
水洗式だが、バケツの水を桶で組んで便器に流すようになっていた。
トイレットペーパーもない。代わりにシャワーがついていた。


空港や新しいホテル、SC、レストランでは、だいたい洋式便器だが、トイレットペーパーがない所もある。
トイレについては、ガイドブックに注意事項として書いてあるので、事前準備と心構えが必要だ。

ビル内の雑貨店に、ドラえもんの偽物ぬいぐるみがあった。緑色のもあった。


★23 クタ「大モニュメント ラーマヤナと魔人の戦い」
クタの交差点のロータリーに大型のモニュメントがある。
バリ島では、大小のモニュメントや神像がロータリーや道路脇に立っていた。


大型モニュメントの正式名称はわからないが、「ラーマヤナと魔人の戦い」像らしい。
ラーマヤナが馬の上に立ち、馬車に乗った魔人と対峙している。
大変迫力ある像だ。

モニュメントの最下部は、象が口から水を吐いていた。象は水の神?


モニュメントの上空を飛行機が通り過ぎて行った。


馬車の後部には、ガルーダらしき神が構えていた。


モニュメントの周りを歩いて一周できる。
素晴らしい像を近くでじっくり見ることができて良かった。

★24 パドゥン半島「GWK(ゲーウェーカー)カルチュラルパーク」
「GWK」とは、ガルーダ&ウィスヌ神&クンチャナ(合体)という意味だそうだ。
ガルーダにウィスヌ神が乘っている像が、パークのシンボルなのだ。

道路沿いに白い大きな「GWK」の立体看板があった。そこから左へ入る。


案内チラシには、展示内容と配置図が載っている。広い敷地だ。
残念ながら日本語の案内はなかった。



駐車場の周りには、石切り場がある。
石切り場の高さは20m以上だろうか。きれいに直方体に削ってある。


駐車場から歩いて、売店の前を通り過ぎると、入口が見えてくる。


入口前には、姿形が異なった神像が並んでいる。


入場すると左側にシアターがある。その前に本日のパフォーマンススケジュール表があった。
バリ舞踊や演奏の場所と時間が書いてある。時間があれば見たかった。


シアターの向かいには、レリーフがある。
ガルーダとウィスヌ神の神話らしい。見応えがある。


現在、パークのメインとなるGWKタワーを建造中だ。その完成予定図があった。
完成すると120mにもなる巨大なものだ。でも、いつ完成するかわからないらしい。


奥に進むと、亀の噴水と神像のある池に出る。亀の形は日本の表現と異なり、興味深い。


池の横で、腰巻と腰紐を貸していただける。この先は神聖な場所となる。
階段を上っていくと、ウィスヌ神の頭部が見えてきた。


階段を上りきると広場になっている。
そこに巨大なウィスヌ神像の上半身が鎮座している。なかなかのイケメンだ。


広場は高台にあるため、緑の中に点在する家や海を見下ろせる。


広場からは、ガルーダ像の足や翼らしきものの一部が地面に置かれているのも見えた。


また、ガルーダ像の頭部を見下ろせる。
遠くには、クレーンを使って建造中のGWKタワーも見える。


ガルーダ像の頭部は、近くで見ると実に大きい。迫力がある。


良く見ると優しい顔だ。


階段を降りて見上げるガルーダ像も絵になる。


階段を降りたところは広場になっており、両脇は直方体に削った石切り場だ。壮観である。


石切り場の間に日影ができており、そこは涼しい。


日影に軽食を売る店があり、そこで休憩。
肉団子入りの麺とインドネシア風シュウマイをいただいた。



GWKタワーが完成していなくても、巨大な主要部分をまじかで見ることができて良かった。
出口にある土産物店も充実していた。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:33Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月17日

★バリ島旅行記 その9 ウブド「ウブド王宮」&「バリ舞踊」観賞

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その9 ウブド「ウブド王宮」&「バリ舞踊」観賞
<6月22日(木)>3日目


★20 ウブド「ウブド王宮」
ウブドの町は、大勢の観光客で賑わっていた。さすが人気観光地だ。
通りには、土産物店、飲食店、ホテル、マッサージ店などがぎっしりと並んでいた。

ウブド王宮は、そんな町の一角にあった。
王宮は、1908年にオランダに征服されるまで続いた王の屋敷だそうだ。
王宮には今も子孫の方が住んでいるため、一部しか見学できない。

赤レンガの立派な門が入口になっている。
その門前に机を置いて、向かいの建物で開催されるバリ舞踊のチケットを売っている。


チケットを購入しておいて、王宮に入った。無料で見学できる。
夕方で薄暗くなっており、王宮内の立派な門がライトアップされていて良い雰囲気だ。


建物内部もライトが点灯され、壁のレリーフが見やすくてありがたい。


レリーフの神たちの手の動きは、バリ舞踊みたいだ。


王宮内の像は、目鼻立ちがはっきりしていて、今まで見た像と異なり興味深い。



★21 ウブド「バリ舞踊」観賞
ウブドには、いくつかバリ舞踊を見られる会場があるそうだ。
その中で我々が観賞する会場は、ウブド王宮の向かいの「ウブドパレス」だ。


会場に屋根はあるが、壁はなく開放的だ。公演は19:30~21:00の予定である。
席は自由席だし、込み具合がわからないため、1時間以上前に会場に入った。
その時は椅子を並べて準備中だったが、入っても良く、最前列に座れた。

まだ会場は照明が点いておらず薄暗かったが、徐々にお客が入ってきて、最前列が埋まった。
待っている間に、舞踊の案内チラシが配られた。日本語版もあって良かった。


チラシには、「レゴン・トランス:パラダイス・ダンス 演奏・舞踊:スク・パンチャ・アルタ・ウブド・クロッド」と題し、
ダンスと舞踊劇のあらましが書いてあった。

舞台には、奥にレンガ門があり、その門に3つの立派な入口がある。
中央入口が高く、門の前の両脇に笠を持った神像が立つ。


舞台両脇には、楽器が置かれていた。
しばらくすると、男性が薄暗い舞台に上がり、舞台の端に沿って黄色い花を並べ始めた。

開演を待つ間、飲み物売りの売り子が何度もきた。売り子は婆さんだ。
席は、18時半頃からポツポツと埋まり始め、19時過ぎからゾクゾクと埋まっていった。
そして、始まる前には満員になっていた。

最初に舞台両端へ楽団が入ってくる。紫色のきれいな衣装だ。
その後、白装束の男性が出てきて、聖水らしきものを楽団員に振りかける。


その後、楽団によるバリ音楽の演奏が始まった。時折、女性による歌も入る。
普段聞くことのない楽器が使われ、何とも言えない感覚になる。生演奏はいいね。


先ほどと異なる白装束の男性が、中央の門から出てきた。手に何か持っている。


続いて、男性に担がれた美しい女性が出てくる。4人一組で、二組が出てきた。
女性は美しい衣装で、手に金色の扇を持っている。



先ほどの白装束の男性が、舞台中央前方でお祈りを行う。


お祈りが終わると、女性が「レゴン・トランス」を舞い始める。
最初は目を閉じて舞う。


表情は穏やかだ。動作は緩やかで、手の動きが独特で面白い。
踊りは動作のみで、声は発しない。音は演奏のみである。


しばらく目を閉じたまま舞うが、突然目を目いっぱい開く。
目の周りの化粧も相まって大きな目となり、面白い。


表情はきつくなり、動作も心持ちキビキビしている。


踊りが終わると、女性は目を閉じて紙吹雪を舞わせる。


次に、仮面を付け、きらびやかな衣装で、手の爪が長い男性が出てきた。
鬼神であり、「ジャウック」を踊る。
鬼神が森の中を一人で戯れる姿を踊りにしたもので、指先の動きが独特で面白い。


しばらく一人で踊った後に客席に来て、客の女の子を舞台に上げた。
手取り足取りで踊りを教えた後、一緒に踊った。
女の子のかわいい踊りに、客席から拍手喝采だった。


次に、柄の長い傘を持った男性4人が出てきた。


続いて、女性4人が出てくる。「レンチャナ・アグン・ウブド」を踊る。
女性たちは、シンボルを持って踊る。



シンボルは、半月(アルダチャンドラ)、太陽(ウィンズ)、地球(コスモス)、龍(ナガ)の4つで、
バリヒンドゥー教では「月と太陽は地球を守り、龍は地球を支えている」という教えがあり、
その思想を基に表現されているそうだ。


次に、化粧の濃いおかまっぽい男性が出てきた。
きらびやかな衣装で、右手には扇を持っている。動きは軽快だが、あやしい。


「クビャール・トロンボン」という踊りを舞う。
クビャールとは稲妻という意味で、トロンボンは旋律打楽器の名称だそうだ。

踊りの最中は、表情豊かだ。トロンボンを演奏するときも踊りながらである。


次に、美しい女性4人が出てきた。頭に大きな花飾りを載せている。
目を見開き、真剣な表情で踊る。やはり手の動きがユニークで興味深い。




最後が、舞踊劇「ビマニュウ物語」だ。劇も動作のみで、声を発しない。
始めに家来らしき男性が出てくる。三枚目って感じで、ユーモアあふれる表情だ。


つづいて、トランプのキングのような出で立ちの男性が出てきた。王子らしい。
ガニマタで、ユニークな動きの踊りに目が離せない。


次は、美しい衣装の姫らしき女性が出てきて踊った。手と腰の動きが優雅だ。


そして、長い髪の女性たちに続いて、子猿の軍団が出てきた。
子猿は、舞台の上をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。かわいい。


魔王たちの演技の最中は、王子と家来が脇で待機。王子はヤンキー座りだ。


魔王と王子。王子は、キリッとした表情だ。


フィナーレは、出演者全員が美しい衣装で勢ぞろい。
良かった!!拍手喝采だ。



感動の1時間半が過ぎてしまった。素晴らしい踊りと劇だった。(お勧めです)
なお、チラシで劇のあらすじを読んでいたが、踊りや動きの意味がわからなかった。

次回につづく

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:24Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月15日

★バリ島旅行記 その8 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」&「ワルン グラメ」で昼食

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。
◆バリ島旅行記 その8 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」&「ワルン グラメ」で昼食

<6月22日(木)>3日目
★18 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」 
タマン・アユン寺院は、1634年にムングウィ王国の国寺として建てられ、世界遺産になっている。

寺院は、広い濠に囲まれていた。濠の左側が境内になる。(右は民家)


橋に架かる門を潜って境内に入る。


さらに橋を渡り門を入ると、右手に受付(料金所)があり、拝観料を支払う。


ここまでにもいくつかの神像がある。中には、異形の神像もあり興味深い。


拝観料を支払い中に入ると、左側に庭園がある。緑の芝生が美しい。


右側は茅葺の大屋根の建物がある。
屋根の下には、人形が配置してあり、神話を物語っているらしい。



奥に進むと門があり、附属する神像もユニークだ。


門の先にレンガ造りの建物がある。そこには美しい象の形の神などのレリーフがある。



先に進むと、右側にある建物の前に神像(守護神って感じ)が何体かある。
いろんな顔と衣装で興味深い。


受付から真っすぐ行くと、突き当りに大きな門がある。
ここの扉は開いておらず、一般の人は中に入れない。
周りは壁で囲われており、特に神聖な場所だそうだ。


壁に沿って周りを一周できる。
壁の中には、美しい大小の堂塔や石塔が並んでいる。
多層塔はメルといい、聖なるアグン山を模しているそうだ。ここには10基ある。



見る角度によって、堂塔などが造る景色が変わる。



美しい建物や神像をたくさん観られて良かった。ここもお勧めの場所だ。


★19 ムングウィ「ワルン グラメ」で昼食
遅い昼食を「ワルン グラメ」でいただいた。


開放的な店内で、庭の中にも席がある。いい雰囲気だ。


水の入ったボウルとライスが一緒に出てきた。水は手洗い用だ。
今まで入った店では水が出てこず、M君から聞かないと手洗い用とわからなかった。(危なかった)


注文した料理は、グラメ・フライ(グラメは魚の名前)・・・カラッと揚がり食べやすい


ミー・ゴレン、


グラメ・フライ(野菜などが載っており辛かった)、


野菜炒め、


カンクン(空心菜)チャ、


他にグリル・チキン、テンペ、グラメ・グリルなどを美味しくいただいた。(感謝)

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:56Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月14日

★バリ島旅行記 その7 車窓&地元市場&タナロット寺院

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その7 車窓&地元市場&タナロット寺院
<6月22日(木)>3日目

★15 車窓「クロボカン~タバナンの景色」
バリ島の車窓風景は、見ていて飽きない。
そこら中にある寺院には、様々な神像や物が置かれている。それを見るのも面白い。(写真は何か不明)


道路端の大型看板も日本とは、異なる景色を作っている。


小さな店で、アイスクリームらしき物を売っている。


古い建物を改修して利用しているタイヤショップがあった。
赤瓦屋根の寄棟はバリ島様式の建物らしく、島のあちこちで見かけた。


ガソリンスタンドでは、車とは別にバイク専用の給油場所があり、列ができていた。
日本ではみかけない光景だ。


おもちゃ屋さんには、水遊びの玩具がたくさん並べてあった。


郊外では、田んぼやバナナの木やヤシの木をよく見かけた。のどかだ。


★16 タバナン 「パサル トラディショナル スリ バンタス」(地元市場)
地元市場も見たいとM君にリクエストした。連れて行ってくれた市場は、田園地帯の中にあった。


舗装がされてない広い駐車場があり、大屋根の建物の中にたくさんの小さな店が詰まっていた。


訪れた時は、まだ全部の店が開店していなかった。
開店している店も準備中という感じ。
狭い店には、目いっぱい商品を詰め込んで並べてある。商品は、見慣れない物が多く興味深い。



大きなドリアンなどの果物を机に並べて、開店準備をしている店もあった。


野菜売り場には、品定めするお客がいた。ここが一番賑わっていた。


場外には、米、ニンニク、玉子や名前がわからない野菜を売る店もあった。


お線香もいろいろな種類があり、ラベルの絵柄が興味深い。


お米を揚げたお菓子やお供え用の飾りも、素朴で興味深い。



料理を載せたり包んだりするのに利用されていたバナナの葉も売っていた。


飲み物や菓子などを見事なまでに詰め込んで展示している店も、見ていて楽しい。


市場の駐車場脇に面白い車が置いてあった。「明石家さんま」さんみたいだ。


★17 タナロット「タナロット寺院」の絶景
タナロット寺院の周りは、飲食店や土産物店がたくさんあり、門前町みたいだ。


参拝前に「ワルン ジンゴ バリ」へ入り、ティータイム&軽食。店先にメニュー看板がある。



飲み物と料理を注文。料理は、ピーナッツペーストが美味しいサテ・アヤム(インドネシアの焼き鳥)、


玉子焼きがのったナシゴレン(インドネシアのチキンチャーハン)、


フライド・カラマリ(イカの天ぷら)、


白ご飯がついたウダン・バカール(海老のグリル)、どれも美味しかった。


タナロット寺院は、海沿いにあった。ここには海の神が祀られているそうだ。
大小の神殿などが点在しており、眺めを楽しみながら参拝できる。

断崖絶壁の崖沿いに遊歩道があり、海に突き出た穴の開いた岩の景色を眺められる。
打ち寄せる荒波と砂浜も相まって良い景色だ。


神殿の前には、ユニークな神像もある。ユーモラスな仕草と表情だ。(出っ歯だ)


先に進むと岩場を見下ろせる。絶景だ。
岩場と緑、打ち寄せる白波が美しい景色を作っている。


訪れた時は干潮なので、岩場が干上がり島まで陸地となっていた。
大勢の人が岩場の上にいた。楽しそうだ。



陸地の方には、神殿や土産物店や飲食店の建物が見える。こちらも良い景色だ。


岩場を歩いて陸続きとなっていた島へ向かった。
干潮の時しか行けないそうで、ラッキーだった。


島の麓には祠があって、お祈りに来る人が絶えない。
お賽銭をあげてお祈りをすると、頭に聖水を掛けてもらえる。
そして、額に米粒を10粒くらい付けられ、黄色いプルメリアの花を耳に付けてもらえた。


寺院の本殿らしき所は、門の中は入れない。
神像と門は、黒っぽくて他の寺院とは異なっていた。


門前町の交差点に神像が立っていた。左右の像の表情が面白い。


彫刻作品を売る店では、白い犬を撫でる店員がいた。果たして犬は本物?


ここもぜひ訪れたい場所だ。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:00Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月10日

★バリ島旅行記 その6 クタ「カルフールでショッピング」&クロボカン「ワルン ドゥ サワで夕食」

バリ島をこれから訪れる方の参考にしていただけたら幸いです。

◆バリ島旅行記 その6 
クタ「カルフールでショッピング」&クロボカン「ワルン ドゥ サワで夕食」

<6月21日(水)>2日目
★13 クタ「カルフール」SCで買い物
現地のスーパーに連れてってとM君に頼んだ。
日本との商品や展示の違いを見たいと思ったからだ。お土産も入手できるといい。

連れて行ってくれたのが、クタにある大型ショッピングセンター「カルフール」だった。
カルフールは、フランスに本社があり、世界各地に店があるらしい。

1階の入口前に、バリ風のカウンターがある。


ショッピングカートは、ビッグサイズだ。たくさん入るね。


日用品、衣類、お土産、食料品、菓子、家電、バイクなど、広い店内には様々な物が売っている。
野菜の種類も豊富だ。日本で売っている野菜も多かった。


この店で買ったのは、podチョコレート(種類が豊富で選ぶのに悩んだ。数種類の試食ができた。)、


コピコーヒー、インスタントコーヒーセット(いろんなコーヒーを売っている)、


ホワイトコーヒー、もうひとつインスタントコーヒーセット(飲み比べたい)、


グァバジュース、ジャンブ・ヨーグルトドリンク(ジャンブは南洋の果物)・・・現地ドリンク


バリ・ガルーダ・チョコレート(マカダミアナッツ)、ナシ・ゴレンの素。


「ナシ・ゴレンの素」の売り場には、日本語の説明ポップがあった。
「日本へのお土産に! 10分で完成!! 大人気インドネシア料理 好きな食材と一緒に炒めるだけ!」
と書いてある。その隣には作り方のポップもあって親切だ。


見て、買って、楽しいショッピングだった。

★14 クロボカン「ワルン ドゥ サワ」で夕食
ガーデンレストランで夕食です。


オレンジ色の灯りが、良い雰囲気だ。庭の中にテーブル席がある。


メニュー表を見たら、コース料理もある。


しかし、料理を一品づつ注文した。まず、ミーゴレン(インドネシア風の焼きそば)、


コーンフリッター(トウモロコシの揚げ物)、サユール・ウラップ(野菜炒め)、



ナシ・ゴレン、チキン・パルメジャーナ、



他に、揚げ豆腐&テンペ、カンクンチャ(空心菜炒め)を皆でシェアしていただいた。
料理がきれいに盛り付けがしてあって、いいね。

どれも美味しくいただいた。(感謝)
店員さんに「ティリマカシ」と伝えると、笑顔で小さい声の「サマサマ」が返ってきた。
いいお店でした。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:35Comments(0)バリ島旅行記