2018年05月13日

岐阜県八百津町<大仙寺>和知城主「稲葉氏」墓所、豊後高田藩主「松平重直公」墓所 (武将のお墓参り36)

2018.5.1参拝
<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

★★『大仙寺』 岐阜県八百津町八百津4345-1
大仙寺は和知城(稲葉城)主稲葉氏菩提寺で、城主四名の墓碑がある。
また、豊後高田藩主「松平重直公夫妻」の墓所でもある。


★稲葉氏については「八百津町史」には、
【稲葉一鉄の末子右近大夫方通(初代)は、安八郡西保城(神戸町)より、
天正十八年(1590)和知に移封され、和知城を築き城主となった。

関ケ原の役に東軍に属して功をたて、四千四百三0石を賜う。
元和三年(1618)徳川家康の命により、尾張藩義直卿に附属せしめられた。
寛永十七年十月1日卒。大仙寺に葬る。
墓碑・鐡巌道堅居士右近大夫方通(城主としては質素な駒形石碑)

(二代) その子主計知通、家督を継ぎ、後隠居し、特に隠居料千石を賜った。
明暦三年(1658)8月卒。大仙寺に葬る。墓碑・鐡心道要居士主計智通

(三代) その子右近正通、家督を継ぐ。明暦三年八月卒し、大仙寺に葬る。
墓碑・鐡曳隆元居士右近正通

(四代) その子右近良通、父の遺領を継ぎ、延宝二年二月卒し、大仙寺に葬る。
墓碑・鐡龍春輪居士右近良通

(五代) 良通子無き為、幕府は命じて外孫、右平次屋通を嗣とし、旧邑を賜った。
延宝四年三月卒し、名古屋禅流寺に葬った。
子がなかったので家は断絶し、領邑は尾州藩に帰属した。】と記記載されている。

◆大仙寺は山麓に建ち、入口に建つ江戸時代建立の惣門は、どっしりしている。


◆惣門の先は、緩い石段の参道になっている。参道の左側には、石仏が並んでいる。


◆石段の参道は突き当たると、右に進む。石垣と白壁が美しい。


◆次は、やや小さい山門を潜る。


◆山門を潜り左に進むと、立派な庫裏があり、その先が本堂前である。合掌。


◆本堂の左奥に墓地への入口がある。


◆本堂の後方の斜面が墓地になっており、階段を上る。


◆階段の突き当りを右に進む。


◆T字路を左に上がると、稲葉家の墓碑が並ぶ。稲葉家下段の墓所である。合掌。


◆一番手前(右端)が、初代稲葉方通公(鐡巌道堅居士)の墓碑である。


◆3代正通公(鐡叟隆元居士)の墓碑は、左から2番目である。


◆稲葉家下段墓所の右端を右に進む。


◆そして、階段を上った所が、稲葉家上段の墓所である。合掌。
右端が、2代知通公(鐡心道要居士)の墓碑である。


◆右から3基目(写真の右側)が、4代良通公(鐡龍春輪居士)の墓碑である。


★豊後高田初代藩主「松平重直夫妻」の墓所については「八百津町史」によると、
【墓碑(五輪塔):※東照院前丹州太守大心道鉄大居士(寛永十九年十一月)

墓地の丹後堂と称する所に大きな五輪塔が二基祀ってあるが、
この墓は九州臼杵の城主松平丹後守と申す領主が、非常に国師に帰依し遂に大仙寺で亡くなり、
後日城主の妻も遺骨が此処に葬られたと伝えられている。

国師に帰依した動機は,或年丹後守が参勤交代で江戸に登られ太田の渡しを越そうとした時、
国師も通り合わせ、その船に飛び乗られた所、家来共は無礼者として国師を船より下ろしてしまった。
国師はこの船は川の真中より進まないと仰せられたが、その通り船は動かなかった。

城主を始め家来の者共は、非常に驚き不思議に思ったが、どうすることもできない。
そこで国師の法力の偉大さに恐れ、国師を再び乗せたら船は楽々超すことが出来た。

城主は国師の偉大なる僧侶であることを知り深く帰依し、
遂に国師の手厚い看護を受けて死去されたとのことである。

※松平重直(寛永十九年十一月28日没、恵照院大心道徹)
(杵築藩能見松平家の松平重忠の娘婿)出羽上山藩主、摂津三田藩主、豊前龍王藩主、豊後高田藩主】
と記載されている。

◆「松平重直公夫妻」の墓所の参道は、本堂下の右方にある第二駐車場前にある。


◆斜面にある墓地の間の長い階段を上る。



◆上り切ると、左奥に立派な五輪塔が二基見えてくる。




◆左側が松平重直公、右側が夫人の墓碑である。
3m以上あろうかという巨大な五輪塔で、近くで見ると圧倒される。合掌。


★稲葉家墓所も松平夫妻墓所も、案内板は一切なく残念だった。手探りで墓碑を探した。
しかし、墓所も含め境内全体がきれいに清掃されており、良いお寺だった。

◆「稲葉家墓所」配置図を作成したので、参考になれば幸いである。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:07Comments(0)武将のお墓参り

2018年05月10日

山梨県山中湖村<食彩ペンションくりの木の下> (美味しかった21)

★食彩ペンションくりの木の下★
山梨県山中湖村山中1385☎0555-62-1026
「料理良し、富士山の眺め良し、お風呂良し」なのに、お値打ちな宿である。

2018.4.26宿泊
◆この宿に昨年初めて泊って大変良かったので、今年も訪れた。

◆宿は富士山の東北、山中湖の北方に位置し、高台に建っている。
到着時は、雲のすき間から富士山を見ることが出来た。


◆お風呂は、伊豆石という緑色っぽい石が湯船と床に貼ってある。
肌触りが良くて、いいお風呂だ。


◆夕食は、ダイニングでいただく。
料理はどれも、目で味わい、舌で味わえた。盛り付けも味も素晴らしい。(写真は料理の一部)





食後のハーブ入りフルーツティも美味しかった。


料理に大満足、「食彩」と謳っているだけあると思った。

◆料理担当はご夫婦二人。食べ歩きをしていると伺った、研究熱心なのだ。

◆夜は敷地内にキツネが来るそうで、部屋の灯りを消すと、子狐の姿を見ることができた。

◆翌朝は、宿から美しい富士山を裾野まで見ることが出来てラッキー。


◆朝食前に散歩にでかけた。宿は森の中にあり、ウグイスなどの小鳥のさえずりが聞こえる。
宿には、野鳥好きの方も泊まりにくるそうで、バードコールが置いてあった。


◆「花の都公園」まで徒歩5分程で到着。
早朝で公園には入れないが、公園前のチューリップ畑越に富士山を眺められた。美しい眺めだ。



◆朝食は、窓越しに富士山を眺めながらいただいた。贅沢だ。


おいしい朝食は、野菜がたっぷりなのもうれしい。(写真は料理の一部)



◆宿のご夫婦の笑顔も素敵だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:48Comments(0)美味しかった

2018年04月11日

★イタリア旅行記★その13 「ナポリ車窓見学」「カンツォーネディナーショー」「帰国」

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着

イタリア旅行記も今回で最終回です。6日目~8日目帰国までの内容です。

<6日目 2月25日の2> 「ナポリ車窓見学」「カンツォーネディナーショー」「ローマ宿泊」
★★★ナポリ
★バス(車窓)
◆ポンペイからバスでナポリへ向かう。
途中で右手にヴェスヴィオ火山が見える。進むにつれて、山の形が変わっていく。


★ナポリ(車窓見学)
◆ナポリは、南イタリア最大の都市である。
「人情味溢れる下町気質の陽気な人々、自然の恵みがたっぷりの美食、歴史を感じる史跡など、
魅力がつまった都市」とガイドブックに書いてある。

◆ナポリの新市街のビル群が見えた。


◆旧市街には、レトロな建物が立ち並ぶ。脇道は、歩道は広いが車道は狭い。



◆海沿いのお城を見ることが出来た。


◆ナポリは、車窓から見ただけでは物足りなかった。
次にイタリアを訪れることができたら、下車観光をしたい。

★バス(車窓)
◆ナポりからローマに戻る。ナポリの北から見たヴェスヴィオ火山。街まで近い。


◆傘松が並んでいるのが見えた。途中で、トイレ休憩あり。


◆美しい風景もあった。


★★★ローマ
★(ホテル}「シェラトン パルコ デ メディチ」(休憩)
◆ローマは雨だった。ナポリからホテルに戻り、部屋で1時間ほど休憩。

★カンツォーネディナーショー
◆オプショナルツアーの「カンツォーネディナーショー」行のバスが来た。
ローマ旧市街へ向かう。ドライバーはアントニアさん、現地ガイドは日本人の出口さん。

◆ガイド出口さんの案内とレクチャー
・今日はサッカー観戦の車で道が混んでいる。

・ディナーショーのメニューは、リボン形のパスタ、ローマ名物「サルティン・ボッカ(ポーク)
生野菜の付け合わせ」。デザートはベリーたっぷりのケーキ。

テーブルに最初からパンが置いてある。
一人に2グラス、テーブルに置いてあるワインと水は、セット料金に含まれている。

・レストランは薄暗い。オペラ歌手が、イタリア民謡やオペラを歌ってくれる。
舞台はなく、各テーブルにも来てくれる。フラッシュ撮影もOK、記念撮影OK。

・歌のリクエストOK。よくリクエストされるのは、サンタルチア、オーソレミオ、
フニクリフニクラ、オペラのトゥーラントッドなど。

・歌い終わったら、自分のCDを売り込みに来る。気にいったら買ってね。
チップは、紙幣を折り畳み、握手した際に渡すと良い。

・歌手は気分がのってくるとサービスしてくれる。歌手が男性1人なら「ブラボー!」、
女性1人なら「ブラバー!」、男女ペアなら「ブラビー!」と声をかけてみましょう。

◆レストラン「カサノバ」に到着。
「カンツォーネディナーショー」の参加者10人は、1テーブルに通された。
先客がいて、男性歌手が歌っている最中だった。

◆テーブルの上には、赤と白のワインが各1本置いてあった。10人でシェアする。


◆歌手は男性1人、ピアノの男性1人だった。
とても良い声で歌い、聞きほれた。「ブラボー!」と声を掛けた。
聴いたのは、サンタルチア、オーソレミオ、フニクリフニクラ、タイムトゥーセイグッバイなど。



◆手招きすると、我々のテーブルに来てくれた。記念撮影にも快く応じていただいた。
CDを買うツアー客もいた。


◆料理は、歌っている最中に出てきた。ガイドさんの案内通りの内容だった。
リボン形のパスタ、ローマ名物「サルティン・ボッカ(ポーク)、ケーキ




◆デザートを食べ終えると、我々のショータイムは終わり。
帰る前にもテーブルに来てくれたので、握手をしてチップを渡した。
良い時間を過ごさせていただいた。参加して良かった。

★(ホテル}「シェラトン パルコ デ メディチ」(宿泊)
◆バスでホテルに戻り、気分良く寝ることが出来た。

<7日目 2月26日> 「帰国 ローマ~ヘルシンキ」
★★ローマ
★(ホテル}「シェラトン パルコ デ メディチ」
◆ローマの朝は雪だった。少し積もっている。波乱の幕開けだった。

添乗員さんによると、ローマでは2012年以来6年ぶりの雪だそうだ。
「めったに見られません。ぜひ写真に撮ってください。」と言われた。


◆朝食はホテルのレストラン。まだ準備中だったが、中に入れた。
ベーコン、サラダなどは、まだ用意されていなかった。でも他の料理で十分だった。


◆今朝の出発は7:45。バスで空港に向かう。

★ローマ フィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ビンチ空港)
◆ホテルからバスで約15分。
道路の端に雪が残るが、無事に空港に到着。空港に近いホテルで良かった。

◆添乗員さん情報・・・フランクフルト空港やパリ空港は、雪に弱く、閉鎖になることもある。
ヘルシンキ空港は雪に強いので大丈夫だ。

◆空港到着時には、フィンランド航空(フィンエアー)のチェックインカウンターに誰もいなかった。
並んで待っていると、あっという間に後ろに列ができた。


しばらくすると、やっとで係員1人が来て受付開始。

◆順番が来ると、スーツケースを預けた。
スーツケースや手荷物に付けるタグは、自分たちで付けた。

係員は、列が長くてもゆっくりと手続きをする。決して急がないのがイタリア流だそうだ。
搭乗券を受け取り、他のツアー客のチェックインを待つ。

◆もう一人係員が遅れてやってきた。ほかの係員は、雪でいつ到着するかわからないそうだ。

◆添乗員さんによると、「他の空港から飛行機が到着しないため、遅れている便がたくさんある。
だが、我々が搭乗する飛行機は昨夜ローマ空港に到着しているから、少し遅れる程度だと思う。」

でも、搭乗ゲート係員はチェックインカウンター係員が兼ねており、
搭乗客全員のチェックインが終わらないと搭乗できないそうだ。心配だ。

◆手荷物検査をスムーズに終え、搭乗ゲートに向かう。
この時点では、出発便ボードに我々の乗る便の遅れは表示されていなかった。


◆搭乗ゲートへの通路脇に土産屋や飲食店などが並んでおり、買い物を楽しんだ。
そして、添乗員さんお勧めの店でジェラートを食べた。美味しかった。


◆搭乗ゲートには出発予定時間より早めに向かった。
着いた時には、周りの搭乗ゲートも含め、長い長い列ができていた。
とりあえず、搭乗ゲート近くで待った。

周りの搭乗ゲートも含め、列が動かないので心配になったが、待った。
左側の搭乗ゲートの列が動いた。こちらもと期待して待った。

右側の搭乗ゲートの列も動いた。こちらもと期待して待った。
添乗員さんが確認したところ「飛行機まで行くバスの運転手が少ししか出社しておらず、
このようなことになっている。」とのこと。信じられない、アンビリーバボー!!

添乗員さんから「ヘルシンキ空港で乗り替えだが、中部国際空港行は17:15なので、
待っててくれると思うがはっきりとはわからない。待ってなければ、ヘルシンキ泊まりとなる。」
どうなるやら。待つ間、土産店で菓子などを買って食べた。

◆両端の搭乗ゲートの列がなくなった。しばらくして我々の便の搭乗案内があった。
やれやれ、最後かよ。

★フィンランド航空(フィンエアー)ヘルシンキ行
◆空港ビルから連結バスで飛行機まで行った。
空は晴れ、滑走路には雪もない。出社が遅れたバス運転手をうらんだ。

◆バスを降り、前後にあるタラップで飛行機に搭乗。


搭乗してからも40分ほど待った。結局、10:55発が14:55に変更となった。4時間遅れの出発だ。
ローマ空港に7時間ほどもいたことになる。こんなことになるなんて。

◆機内サービスは、最初にチョコヌガーの小さいのを1個、腹が減っていたので美味しかった。
ドリンクは、コーヒー、紅茶、ブルーベリージュース、水のうち1つを選ぶ。

◆離陸してしばらくしてから、機内アナウンスがあった。何を話しているかわからない。
添乗員さんから「乗り継ぎ便がヘルシンキで待っている、とアナウンスがあった。」と知らせてくれた。
ホッとした。

◆ヘルシンキ上空で、美しい夜景が見れた。
街灯をはじめ、街の灯りはオレンジ色が多く、暖かい感じがする。

★★ヘルシンキ
★ヘルシンキ空港
◆ヘルシンキ空港に18:53(ヘルシンキ時間)着陸、約3時間のフライトだった。

◆出発便ボードの我々の便には「最終案内」と表示されていた。


EUの出国審査では、出発時間を大幅に過ぎているが大丈夫か尋ねられた。
添乗員さんが「OK」と言ってくれて無事通過。
ツアー客全員の出国審査が済むと、大急ぎで搭乗ゲートへ向かった。

★フィンランド航空(フィンエアー)中部国際空港行
◆中部国際空港行の便は、待っていてくれた。3時間以上も待っていてくれた。「ありがとう!」
17:15発の予定だったのに、20:30頃の離陸となった。

◆座席は、2・4・2列。席に枕・毛布・ペットボトル(小)の水がある。前にTV画面もある。
フライト予定時間は、9時間15分とアナウンスがあった。

◆機内食の夕食は、「照り焼きチキンとライス」か、「ミートボールとポテト」かを選べる。
残念ながら、どちらも味付けは甘ったるくて、我々の好みではなかった。



◆ドリンクは無料。コーヒー、ビール、ワインなど。いろいろあって良かった。

◆帰りは、行きと飛ぶコースが異なる。行きよりも南を飛ぶ。


それでも、暫くは雪景色の中を飛んだ。



<8日目 2月27日> 「帰国 ヘルシンキ~中部国際空港」
★フィンランド航空(フィンエアー)中部国際空港行
◆朝鮮半島に近づいた10時(日本時間)頃に朝食が出た。
玉子焼き、ウインナー、ポテト、温野菜、ヨーグルト、胡麻パン、マフィンだった。


★★帰国
★中部国際空港
◆日本時間12:03着陸。予定より2時間20分遅れだが、無事に帰国できてよかった。

◆スーツケースを受け取り、添乗員さんに御礼を言って出口へ。頼りになる添乗員さんで良かった。
◆空港内の「風の湯」にゆったりと浸かってから帰宅した。広い湯船はいいね。

★★最後に
◆今回の旅は、観光中の悪天候有り、帰国便の遅れ有りで、大変な旅になった。
こんな大変な旅は、初めてだった。

しかし、素晴らしい観光地を巡り、ツアー客の方たちとのおしゃべりができて、
全体では大変楽しいイタリア旅行だった。思い切って行って良かった。
「添乗員さん、ツアー客の皆さん、現地ガイドさん、ドライバーさん、ありがとうございました。」

おしまい

PS カメラの日付は、日本時間のままなので、実際の日付と合わない写真もあります。あしからず。

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 13:44Comments(0)イタリア旅行記

2018年04月08日

★イタリア旅行記★その12 「世界遺産ポンペイ遺跡」

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<6日目 2月25日の1> 「ローマのホテル」「世界遺産ポンペイ観光」 

★★ローマ
★「「シェラトン パルコ デ メディチ ローマ ホテル(3号棟)」
◆ローマの朝は晴れていた。


◆朝食は、ホテルのレストラン。今までで一番良かった。
メニューは、クロワッサン、ケーキ、ハム、チーズ、マフィン、ラスク、ジャム(瓶入り)など。
サラダもあって良かった。



◆フルーツは、生のパイナップル、メロン、ドライのクルミ、プルーン、アンズ、バナナなどもある。


◆本日は終日、自由行動である。
しかし、我々はオプショナルツアーで、「ポンペイ・ナポリ観光」と「カンツォーネディナーショー」の予定だ。

8:00出発、バスに乗車し、ポンペイに向かう。
ドライバーはロレンスさん、現地ガイドはシモーネさん。
シモーネさんは、日本留学の経験があり、日本語が上手な男性だ。

◆ポンペイまで約3時間。途中の休憩場所から見える山の姿がきれいだった。


★★★世界遺産ポンペイ
★ポンペイ遺跡
◆ポンペイは、79年に起きたヴェスヴィオ火山の大噴火により、約8mの火山灰に埋もれてしまった町。
現在も発掘が続けられている。
広大な遺跡群で、神殿、共同浴場、居酒屋、人々に至るまで、当時の文化や生活が残されている。  

◆ポンペイに到着し、バスを降りて少し歩く。天気はくもりだ。
遺跡への途中にレストラン・バーがある。店先にレモンやオレンジを吊り下げてあった。


◆ポンペイ遺跡に入場ゲートから入る。現地ガイド・フランコさんが加わった。
フランコさんは日本語が話せないので、付き添いするだけだ。説明はシモーネさんが行う。

◆入場ゲートの先に遺跡が広がっている。
遺跡の端は、元は海に面していたと説明があった。堀のようになっている。


◆海沿いの遺跡は、港だったところだそうだ。


◆ポンペイは城壁で囲まれ、坂道の途中にマリーナ門がある。道は、石畳になっている。



◆道は真中が馬車道で、両脇が歩道だ。馬車道が雨に浸かった時に渡れるように、飛び石がある。



◆遺跡内には、所々に大理石の円柱が立っている。神殿らしい。






◆モニュメントもある。



◆後方の山はヴェスヴィオ火山だ。


◆遺跡の建物は、レンガを積んで造ってある。積み方はいろいろあって、美しい模様となっている。



◆脇道は狭い。



◆大きな道には、水槽も置いてある。大理石でできている。



◆路上の石に「男性のシンボル」。男の遊ぶところへの矢印だそうだ。


◆入口の石を見ると、扉があったことがわかる。


◆狭い家が連なっている区域もある。


◆道路沿いの壁にある蛇のフレスコ画。ポンペイの赤と言われる塗料で描かれている。


◆売春宿のフレスコ画。怪しい絵だ。


◆美しいレンガ積み。


◆水道管は鉛でできていた。この水を飲んだ人々は健康を害したそうだ。


◆フレスコ画が、所々に残る。


◆床のタイル画も一部に残る。イノシシや番犬などのタイル画があった。



◆レンガの色や模様がいいね。







◆商売屋の看板。



◆訪れた時は、観光客はさほど多くなかった。たまに団体客に出会った。



◆フォロの浴場(共同浴場跡)の入口付近。


◆入口上のレンガが美しい。


◆浴場内部。浴場への通路。


◆内部にフレスコ画もある。


◆浴室。天井や壁は、彫像で飾られている。





◆大理石の湯船もある。


◆天井に、明り取りの穴が開いている。


◆遺跡全体は、赤いレンガが印象的だ。



◆居酒屋だったところ。大理石の台がカウンターとか調理台だったとか。



◆「かまど」らしい。


◆壁のレンガ。色の濃いのから薄いのまで使ってあり美しい。


◆パン屋のパン焼き用のかまどが残る。
手前の石臼は小麦粉を挽くためのもので、二千年程前の物だそうだ。
石臼に触れることができる。日本ではありえない。



◆壁や門は、レンガで様々な模様が作られている。




◆発掘された遺跡の部材は、復元を待っているものもある。


◆この場所は、レンガの上には漆喰が塗られていたとわかる。



◆高い壁が残る場所もある。


◆ここは立派な家で、レンガの柱や壁のフレスコ画も残っていた。床のタイルも美しい。






◆見学に十分に時間をとっていただき、大変良かった。見応え十分の遺跡だった。
シモーネさんの案内も主な見所をスムーズにまわり、説明もわかりやすく、大変良かった。感謝。

★ポンペイ(昼食)
◆ポンペイ遺跡近くのバスを停めたレストランで、少し遅めの昼食をいただいた。
飲み物は、ワインを注文。飲みやすくて美味しかった。


◆料理は、シーフードサラダ。


◆定番のパン。


◆ボンゴレ(パスタ)、美味しかった。


◆エビとイカのグリル、サラダ添え。これも美味しい。


◆デザートは、ジェラート。カップ入りなのが残念。


◆後で、ローマ自由行動の人に「ローマは雨だった」と聞き、ポンペイは降られなくてラッキーだった。
大満足のポンペイ観光だった。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:45Comments(0)イタリア旅行記

2018年04月06日

★イタリア旅行記★その11  「世界遺産バチカン市国」「世界遺産ローマ歴史地区」「ローマ宿泊」

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<5日目 2月24日の2> 「世界遺産バチカン市国」「世界遺産ローマ歴史地区」「ローマ宿泊」

★★★ローマ
★レストラン(昼食)
◆「チビィタ・ディ・パニョレージョ」の絶景を楽しんだ後は、バスでローマへ向かった。
ローマは、雨だった。きょうも雨降りだ、トホホ。

◆昼食は、ローマ市内のレストラン「アルジャジーノ」。
店内の入口付近に、店の名刺などが置いてあった。いい感じだ。


◆天井から吊り下げられた電球が印象的だ。店内はお客で賑わっており、我々は奥の部屋に通された。


◆ドリンクメニューは日本語版があり、生ビールを注文した。



◆料理は、最初にサラダ。


◆次に「マルゲリータ(ピザ)」。ローマ風で生地は薄い。皿から、はみ出るくらいの大きさだ。
釜で焼いた熱々が食べられ、美味しかった。


★★★世界遺産ヴァチカン市国
◆レストランから歩いてヴァチカン市国へ向かった。ローマ市内の現地ガイドは、日本人の種さんだ。
種さんから「本日は反政府デモが市内であり、全国から大勢の参加者が集まってくる。
スムーズに観光できるかわからない。」と言われた。どうなるやら。

◆ヴァチカン市国は、高い城壁に囲まれていた。城壁に沿って進む。


◆ヴァチカン市国は独立した国であるが、イタリアとの国境は大理石の円柱だった。
入国審査はない。太い円柱の間を抜けると、サン・ピエトロ広場に出る。

円柱群に沿って大行列があった。サン・ピエトロ大聖堂に入るための手荷物検査の行列だそうだ。
行列の動きは鈍く、いつ入れるかわからない。


◆円柱の上には、聖人たちの彫像が並んでいる。


◆サン・ピエトロ大聖堂は、堂々とした美しい建物だった。
現在の建物は、16~17世紀に約100年かけて再建され、ミケランジェロ、ブラマンテ、
ベルニーニなどルネッサンス期とバロック期を代表する芸術家たちが、建物と装飾に携わったそうだ。



手前には高いオベリスクが立つ。15分のフリータイムあり。

◆大聖堂の中央2階バルコニーがローマ法王がお目見えする場所だそうだ。


◆太い円柱の間を抜けてヴァチカン市国を出国し、バスの乗車場所に向かった。


★★★「世界遺産ローマ歴史地区」
★「凱旋門」と「コロッセオ」
◆バスを降りて、少し歩くと凱旋門に着く。凱旋門の手前には、小銃を抱えた兵士が警備していた。


◆凱旋門・コロッセオの周辺は、多くの観光客で賑わっていた。20分のフリータイムあり。

◆凱旋門は中央に大きなアーチ、両脇に小さいアーチがある。門全体に彫刻が施されていた。




◆凱旋門の右奥にあるコロッセオは、紀元80年完成の広大な闘技場で、長径188m、
5万人を収容できたという。人と猛獣の闘技は404年にホノリウス帝により中止されたそうだ。


◆外壁のアーチの装飾は、各階それぞれ異なる様式で見所だ。


★トレビの泉
◆バスで移動し、次はトレビの泉へ向かう。バスを降りてから、しばらく歩く。
石畳の道を進むと、傘をさす人だかりがあった。トレビの泉だ。傘の波で泉を観ることができない。


◆トレビの泉は1762年に完成。古代の水道口があった場所に造られ、背後にポーリ宮殿がある。
噴水に背を向けて肩越しにコインを投げると、再びローマを訪れることができるといわれている。


◆泉付近で20分ほどのフリータイム。
傘をかき分けかき分け、泉の前に行き、コインを投げ入れることができた。

◆泉の奥には躍動感のある大理石の彫像がある。
中央は海神ネプチューン、右は健康の神サルース、左は豊穣の神ケレスだ。


★スペイン広場
◆トレビの泉から徒歩でスペイン広場に向かう。広場までは、さほど遠くなかった。
広場で15分のフリータイム。

◆映画「ローマの休日」で有名になった広場である。
名前は17世紀にスペイン大使館が近くにあったことに因むそうだ。

◆広場前は、大混雑だった。


◆北東側に末広がりの大階段「通称スペイン階段」があり、トリニタ・ディ・モンティ教会へ続く。
階段では、あちらこちらで記念撮影をしていた。




★三越(ショッピング)
◆スペイン広場まで予定よりスムーズに回れたため、ショッピングタイムを設けていただいた。
三越へ徒歩で向かう。途中の町の風景もいいものです。






◆三越で40分のフリータイム。
店内は良い品が揃っており、賑わっていた。
地下には「真実の口」のレプリカがあり、手を入れて楽しめた。


★レストラン(夕食)
◆夕食は、ローマ市内のレストラン「マングロビア」でいただいた。
飲み物はワインを注文した。飲みやすかった。


◆料理は、ローマの郷土料理である「カルボナーラ(パスタ)」。


◆ポーク料理。料理名は忘れた。


◆デザートは、チョコムースだった。


★★★ローマ郊外(宿泊)
★(ホテル)「シェラトン パルコ デ メディチ ローマ ホテル(3号棟)」
◆バスでホテルに向かう。
ローマ旧市街から約12km離れており、市内と空港の中間あたりに位置する。

◆ホテルの入口は、自動回転扉だ。


◆添乗員さんがまとめてチェックイン。2連泊する。


◆カードキーを受け取るが、キーに部屋番号の記載がなかった。
部屋番号は1814だが、部屋は1階だ。
キーを差し込む方向が異なるとドアが開かず、いろいろやって、やっとで開いた。

◆部屋は清潔で問題なし。ツインベッドはくっつけてあった。


◆今日もたくさん歩いて疲れた。でも充実した1日だった。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:11Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月31日

★イタリア旅行記★その10 「絶景チビィタ・ディ・パニョレージョ」

旅行日2018.2.20-27
 阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<5日目 2月24日の1> 絶景チビィタ・ディ・パニョレージョ

★★フィレンツェ
★(ホテル)「カンファレンス フロレンティア」
◆朝は晴れ。
朝食はホテルで昨日と同じレストラン。同じメニューだった。


★バス
◆出発は7:30。昨日と同じバスで、同じ運転手さんだ。
約190km先の「チビィタ・ディ・パニョレージョ」へ高速道路を走って向かう。
今回のツアーで楽しみにしていたところの一つである。

◆車窓には、田園地帯、丘の上の小さな町など、日本とは異なる風景が広がる。





◆添乗員さんのイタリア情報
・イタリアは糸杉と傘松が多く植えられている。糸杉は、「魂の木」として人気。
(傘松は、傘のような形に剪定してあり、車窓からよく見られた。細く伸びた背の高い糸杉も見られた。)

・イタリア人は、自転車が大好き。アルプスで自転車レースがある。

・「チビィタ・ディ・パニョレージョ」の「チヴィタ」とは、「小さい」という意味。
(「おそ松くん」に出てくる「ちび太」を思い出す。)

◆途中、土産物店エトルリアでトイレ休憩。
チョコレート、チーズなどの試食、ワインの試飲があり、うれしい。
パスタもいろいろあり、リボン形を買った。


★★★チビィタ・ディ・パニョレージョ
◆バスは、チビィタ・ディ・パニョレージョの手前の小さな町で降りる。
そこで、小型のシャトルバスに乗り替える。その先は、道が狭いためだ。


◆シャトルバスで約5分、坂道を登って行くと20台くらいしか停められない駐車場に着く。
晴れていた。駐車場の隅に門があり、「チビィタ・ディ・パニョレージョ」への矢印看板がある。


◆門の先から、左方遠くに「チビィタ・ディ・パニョレージョ」の絶景が見えた。
素晴らしい眺めだ。お天気が良くてラッキー。


◆岩山に向かう長い橋と高い塔が見える。


◆風雨の浸食により陸の孤島になった岩山の頂上にある。中世の家並みが残る小さな町だ。
古代エトルリア人により築かれた天然の城塞都市であったが、近年は不便さから人口が減り、
「死にゆく町」と呼ばれる。現在の住民は10人ほどだそうだ。

◆周りは、崖になっていて、上に町がある。


◆門の先に展望台があり、そこからの眺めもいい。
そこに修道院の女性がいたので、記念撮影をお願いした。
アルゼンチン出身だそうだ。

◆展望台の先は、長い下り坂になっている。


◆坂を下っていくと、チビィタ・ディ・パニョレージョへ渡る橋がある。
橋の手前からフリータイム。各自で「チビィタ・ディ・パニョレージョ」を観光する。
橋は随分高い所に架かっているが、胸の高さまでフェンスがあるので安心だ。


◆橋は、初めは水平だが、段々勾配がきつくなっていく。


◆チビィタ・ディ・パニョレージョの手前は、急坂だ。



◆橋を渡りきると、石畳の坂道になっている。


◆城門を潜る。


◆その先は、レンガでできた家が立ち並ぶ。



◆教会もある。遠くから見えた塔は、教会のものだった。


◆古い家を利用した土産物店や飲食店もある。



◆絵になる町の風景が、あちらこちらにあってうれしい。




◆町の中央の道を進むと、下り坂になる。
切通しの先も絶景だ。山々と崖の創り出す景色が素晴らしい。



◆橋を渡って戻るころには、曇っていた。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:09Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月30日

<岐阜市の桜 その12> 「四ツ谷公園」「美江寺公園」ほか

<岐阜市の桜 その12>
2018.3.29岐阜市の中心部などの桜を観に行ってきました。
なかには、小さな公園で、桜の樹が数本のところもありますが、
枝ぶりが良いところ、見栄えが良いところをご紹介します。

★★四ツ谷公園
長良川堤防沿い、金華橋の南西にある公園です。
南側の桜は、風が吹くと花吹雪が舞いました。


桜が密集しており、見応えがあります。



★★美江寺公園
メディアコスモスの東南にある公園です。
桜越しの岐阜城もいいものです。


桜の老木と若木の両方あり、今後も楽しみなところです。




★桜ケ丘公園
都通りから東に1本入ったところにある公園です。
桜の樹は数本ですが、1本立姿が良い桜があります。



★法華寺
矢島町にあるお寺です。長良橋通り沿いにありますが、山門が少し奥にあります。
境内は、桜がたくさん植えてあり、桜の園って感じ。
風が吹くと、花吹雪がきれいでした。



★本荘公園
公園の周りに桜が植えてあります。南の道路沿いの桜です。


枝ぶりの良い桜もあります。


池に映る桜もいいものです。


★立政寺
岐阜市西荘にある、織田信長公が足利義昭公を迎えた寺です。
桜は大きくはありませんが、見る方向によっては素晴らしい枝ぶりです。


★木造町通り
通りの東は伊奈波神社参道です。木造町通りは桜並木です。


★★伊奈波神社参道
紅枝垂桜の並木です。良い色です。


★★八ツ梅公園
公園の周りに桜が植えてあります。東側と南側の桜がいい。




★西別院
本堂前にあります。若い紅枝垂桜ですが、いい感じです。


桜はもう満開です。落花盛んのところもあります。
花見はお急ぎ下さい。

以上

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:49Comments(0)岐阜市の桜

2018年03月28日

<岐阜市の桜 その11>「加納清水川」「菊地神社」「石切神社」

<岐阜市の桜 その11>
2018.3.27花見に訪れたのは、岐阜市の南部。
「加納清水川」「菊地神社」「石切神社」をご紹介します。

★★★「加納清水川」
岐阜市内でも有数の桜の名所である。岐阜市の開花標本木があるところでもある。
JR岐阜駅の南東に流れる清水川沿いに桜が植えられており、遊歩道を歩きながら鑑賞できる。

また、いろんな種類の桜を観ることが出来るのもうれしい。
背景になる駅前のビル群も、川に桜が映るのもいいな。
一部は、桜のトンネルになっている。








★★「菊地神社」
中山道加納宿の西に位置する菊地町にある。
昔は「往来の松」があり、街道名所になっていたところでもある。

境内はさほど広くなく、桜の本数もたいしたことはないが、全体の咲き具合が美しい。
なぜか好きな場所である。





★「石切神社」
厚見小学校の南方の川沿いにひっそりと佇む神社である。
神社参道に桜が植えられており、本数は多くないが美しい。




また、神社の東の堤防に植えられている桜も美しい。
本数は多くないが、堤防の緑色と相まっていいね。




以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:56Comments(0)岐阜市の桜

2018年03月21日

★イタリア旅行記★その9  「世界遺産ピサのドゥオモ広場観光」「フィレンツェ」

旅行日2018.2.20-27
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<4日目 2月23日の3> 「世界遺産ピサのドゥオモ広場観光」「フィレンツェ」

★★★世界遺産ピサのドゥオモ広場
★バス
◆フィレンツェの「サンタ・マリア・ノヴェッラ駅」横のバス乗り場で、バスに乗車。
オプションの「ピサ観光」に向かう。
◆高速道路を走る。周りは田舎の風景で、工場も所々で見かける。黄色いミモザの花も見かける。



★シャトルバス
◆バスはピサの駐車場で降り、無料シャトルバスでドゥオモ広場近くへ向かう。
小雨がぱらついていた。
現地ガイドはジョバンニさんだ。日本語で案内していただいた。

◆城壁が見えるバス停でシャトルバスを降りて歩く。
城壁沿いに進むと、城門があり、門の中が「世界遺産ピサのドゥオモ広場」となっている。
門の間から洗礼堂、ドゥオモ、斜塔と美しい建物群が見える。



★洗礼堂
◆広場内の建物群の中で、手前にあるのが洗礼堂。美しい建物だ。


門の周りの彫像が素晴らしい。ツアーは外観のみの観光。


★ドゥオモ
◆ドゥオモは添乗員さんが手配してくれた時間指定の拝観券により内部拝観ができた。
壮麗な建物で、美しいファサードや正八角形の礼拝堂がある。






◆内部の撮影可なのがうれしい。フラッシュは禁止だ。
荘厳な雰囲気だった。正面奥上に大きなキリストのフレスコ画がある。


天井の四角い区画の装飾が印象的だ。


連続するアーチと円柱も美しい。


美しい堂内だ。



◆壁には、絵画が飾られている。



◆ガリレオが振り子の原理を発見したと言われるランプ(写真の右上)もある。


◆床のタイル画も美しい。


◆門のレリーフも見事だ。


◆裏門の前には、かわいい子供たちがいた。


★ピサの斜塔
◆ドゥオモを出たところで、約30分のフリータイム。斜塔と土産店を見に行った。


◆斜塔は、ピサのシンボル。
1173年から建築が始まり、第三層ができあがった時にはすでに傾き始めた。
緩和策として、上層の中心軸をずらし、14世紀後半に完成。
現在、中心軸は最下層と最上層で約3mのずれがある。

傾き具合は、遠くからでもよくわかる。塔のすぐ前に行くと、斜めに生えているって感じがする。


◆塔の周りでは、観光客が思い思いのポーズで写真を撮っている。


◆塔に上るには18ユーロ。
予約制で15分ごとに入場できるが、1回あたりの人数は少なく入場は難しい。
300段の階段があり、カメラ以外の手荷物は持込禁止だそうだ。

ツアーでは入場しないので、もし再訪できたら上ってみたい。

★シャトルバス
◆バス停でシャトルバスを待つ間、「折畳傘売り」が来て、
イタリア名所の図柄の傘をしきりにツアー客に売り込んでいた。
ベネチアの強風で傘が壊れた人もいて、購入していた。

◆ピサ駐車場でバスに乗り替え、フィレンツェに戻る。

★★フィレンツェ
★レストラン イル・テアトロ(夕食)
◆フィレンツェに戻ると、フリータイムを楽しんだツアー客と合流。
雨の中、徒歩でレストランに向かう。

◆店は古い建物の1階にある。


◆最初は、きのこ入クリームパスタ。美味しかった。


◆次に、鶏肉のトマトソース、サラダ添。デザートは、バニラアイスだった。



★サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
◆レストランから徒歩でバスに向かう道中は、街の夜景を見ながらだった。
道が灯りに照らされ、良い雰囲気だ。

◆途中に「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」があった。


ライトアップされ、美しい姿を見ることができた。



★(ホテル)「カンファレンス フロレンティア」
◆今晩もフィレンツェに泊まる。充実した1日だった。おやすみなさい。

つづく

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:35Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月20日

★イタリア旅行記★その8 「世界遺産フィレンツェ歴史地区観光」2

旅行日2018.2.20-27
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<4日目 2月23日の2> 「世界遺産フィレンツェ歴史地区観光」2

★★★世界遺産フィレンツェ歴史地区
★ウフィッツィ美術館
◆ここの美術館は、今回のツアーで楽しみにしていたところの一つである。
フィレンツェの現地ガイドは、日本人の関さんだが、
美術館は2組に分かれて観賞するため、日比野さんが加わった。

◆1559年ベッキオ宮殿脇に造られたU字形の官庁街が原型。
その名残で、イタリア語でオフィスを意味する「ウフィッツィ」と呼ばれている。

1581年に大公フランチェスコ1世がメディチ家の美術コレクションを集め美術館となった。
メディチ家最後の大公が亡くなった後は、コレーヌ家に譲渡され、現在に至る。
展示は、メディチ家が誇る世界有数のコレクションである。

◆美術館は予約制で、3階から見学開始。階段で上るが、エレベーターもある。
名画がある展示室を巡ることになるが、廊下の天井画も素晴らしい。
上半身は人間で下半身は動物などの不思議な絵が描かれ、大変興味深い。



◆展示は、イタリア絵画、特にルネッサンスが中心である。
傑作のボッティチェリ「春」「ヴィーナスの誕生」、



ミケランジェロ「聖家族」


ダ・ビンチ「受胎告知」


他にも貴重な名画のほとんどをガラス越しでなく観ることが出来て良かった!!








◆現地ガイドの案内で、効率よく有名絵画を観て回った。
名画はたくさんあるので、少し観たらすぐ次の展示室へ移動する。
ゆっくり観ていたら置いていかれる。

◆美術館の横にアルノ川が流れ、館内からベッキオ橋を見ることが出来た。


★幸運の「イノシシの像(ロッジア)」
フィレンツェのシンボルとも言われる「イノシシの像」は、新市場「メルカート・ヌオーヴォ」にある。
鼻をなでると幸運がもたらされるとか、再びフィレンツェを訪れることができると言われ、
周りに人だかりができていた。


◆皆が触るため、イノシシの鼻は金色に光っている。
我々も撫でてきた。「もういちどフィレンツェに来れますように」


★フィレンツェ歴史地区
◆フィレンツェ歴史地区を歩いてレストランへ向かう。
途中で、メリーゴーランドのある共和国広場や町の風景を見ることができて良かった。



古い建物の入口は、大きな扉になっている。



ゴミ回収BOXは、地上に入れる口があり、地下に溜めるそうだ。
そのような日本との違いを見るのも楽しい。


★レストラン中国城酒家
◆昼食は、ビルの1階にある中華料理店。品数が多く、野菜も豊富で良かった。
◆最初は、コーンと卵のスープ。


◆他に鳥の唐揚、チャーハン、マーボー豆腐、八宝菜、焼きそば、野菜炒めなど。







◆デザートは、鮮やかな色のオレンジ。美味しかった。


★サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
◆昼食後は、フリータイム。
オプションの「ピサ観光」に行く我々は、添乗員さんと一緒にバス乗り場へ向かう。
街を歩いて行った先は、「サンタ・マリア・ノヴェッラ駅」。駅も兵士が警備していた。

◆添乗員さんに「駅の中を通る」と言われ、「何? どこへ行くの?」と思った。
添乗員さんがゲートで何か話すと、切符もなしに駅の中に入った。
我々も後について入って行った。


◆ホームには列車が停まっている。列車の横を通り、奥へ進む。



反対側からも人が来る。ホームの端が通路になっており、通り抜けると外に出られた。
貴重な体験だった。

◆駅を出ると、バス乗り場があった。目の前には、高い城壁が連なっている。


つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:29Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月19日

★イタリア旅行記★その7 「世界遺産フィレンツェ歴史地区観光」1

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<4日目 2月23日の1> 「世界遺産フィレンツェ歴史地区観光」1

★★フィレンツェ
★(ホテル)「カンファレンス フロレンティア」
◆朝は晴れていた。
部屋jからの眺めは、手前に道路、その向こうに丘があり家が点在していた。良い眺めだ。



◆朝食は、ここもハム、チーズ、タマゴ、パン、ウィンナー、ヨーグルト、ケーキ、シリアル、
フルーツ、ラスク、クッキーなど。


★バス
◆今朝の出発は、8:00。バスで、フィレンツェ歴史地区を見下ろすミケランジェロ広場へ向かう。
◆添乗員さんのイタリア情報 
「ドゥオモ」とは、「司教の座るイス」のこと、街に一つ。その格上が「バジリカ」(寺院)という。

★ミケランジェロ広場
◆バスを降りると、広場の中心に立つミケランジェロ作の「ダビデ像」(複製)が目に入る。
裸でフィレンツェの街を見下ろしている。風も少しあり、寒そうだ。
大きなダビデ像の足元には、4体の彫像がある。皆、緑色の身体だ。


◆広場は小高い丘にあり、素晴らしい眺めだ。
手前にアルノ川が流れ、その向こうにフィレンツェの旧市街が広がっている。
ドゥオモや教会、街の建物の茶色の屋根が印象的だ。遠くには、白い山々が見える。



◆観光名所になっているベッキオ橋も左方に見える。


★★★世界遺産フィレンツェ歴史地区
★フィレンツェ歴史地区
◆ミケランジェロ広場からバスでアルノ川を渡る。
そしてバスを降り、フィレンツェ歴史地区を歩いて目的地まで向かう。
歴史地区は世界遺産で、目的地以外も見ていて飽きない。趣ある建物があちらこちらにある。




★ドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)
◆歴史地区の最初の目的地「ドゥオモ」に着いた。
ここは、フィレンツェ共和国が約140年かけて建造、1436年に完成。
大聖堂は正式名称を「サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会(花の聖母教会)」という。

◆外観は、全面に装飾が施され、フレスコ画や彫像もある。
クーポラと呼ばれるドームの曲線が美しい。






高い塔が聳えているが、「ジョットの鐘楼」である。



★サン・ジョバンニ洗礼堂
◆ドゥオモの向かいにある洗礼堂は、美しい建物である。
フィレンツェ最古の建物の一つだそうだ。


東門の扉は美しいレリーフが施されており、ミケランジェロが「天国の門」と称賛した。


◆ここには、昼食後にも立ち寄った。異なる角度から眺めることが出来て良かった。


★ベッキオ宮殿とシニョーリア広場
◆ドゥオモと洗礼堂の間の道を進むと、シニョーリア広場に出る。


◆広場でまず目に入るのが、高い鐘楼がシンボルのベッキオ宮殿だ。
その右側は、大きなアーチが印象的なウフィッツィ美術館のテラスである。


◆ベッキオ宮殿は、1299~1314年のフィレンツェ共和国の執政官の館として建てられた。
16世紀にはメディチ家のコジモ1世の居館となり、その後に市庁舎となり、現在も利用されている。


◆ベッキオ宮殿前に「ダビデ像(複製)」などが立っている。こちらは白い。


◆ウフィッツィ美術館を鑑賞後に革製品店に入り、その後に宮殿の1階を通り抜けた。
内部は、曲線を多用し、ライオンの彫像もあった。


◆天井の高い回廊があり、壁にはフレスコ画、円柱には装飾が施されていて、美しい空間となっている。



◆中庭には、かわいい天使の噴水があった。


◆ウフィッツィ美術館のテラスにも多くの彫刻が飾られている。


ライオン像は、迫力があり、怖い顔をしていた。


つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:52Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月16日

★イタリア旅行記★その6 「世界遺産ベネチア観光」2&「フィレンツェ宿泊」

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<3日目 2月22日の2> 「世界遺産ベネチア観光」2&「フィレンツェ宿泊」

★★★世界遺産ベネチア

★レストラン ノエミ(NOEMI)
◆昼食は、サンマルコ広場から少し離れたレストランだった。
ドアの取っ手に「タツノオトシゴ」のレリーフがあった。落ち着いた感じの良い店だ。





◆テーブルの上に始めからパンが置いてある。
最初に出てきたのは、ベネチア名物の「イカスミパスタ」。見事に黒い。歯が黒くなった。


◆次は、ベネチア名物の「フリット・ミスト・ディ・ペッシェ」。
イカリングと小海老のフリットにサラダが付く。レモンを絞ってかけると美味しい。


◆デザートは、ティラミス。


★ゴンドラ遊覧(中止)
◆昼食後、約40分のフリータイム。
◆フリータイムに予定していたオプショナルの「ゴンドラ遊覧」は、中止になった。
ツアーが予約したゴンドラ乗場は、大運河沿いにあり、強風で危険なためだ。
正直、乗れなくて残念だったが、雨風の中で乗るのも気が進まなかった。良しとしよう。

◆小運河では、ゴンドラ遊覧が行われていた。
お客もゴンドリエーレ(漕ぎ手)もカッパを着ており、風情がなかった。


★リアルト橋
◆リアルト橋へ向かうことにした。
途中にある路地沿いにある店を覗いたり、街の風景を楽しみながら、向かった。




◆リアルト橋付近では、桟橋のゴンドラ乗場でゴンドリエが暇そうにしていた。



◆橋は、思っていたよりも立派だった。大理石でできており、レリーフもある。


◆橋の上からは、両岸のレトロな建物と運河に浮かぶ船を見下ろせた。
桟橋にはゴンドラや遊覧船が繋がれている。良い眺めだ。



◆橋は幅広く、中央に店が軒を連ねている。店が段々になっており、ユニークだ。



★船
◆ベネチア本島から船で、イタリア本島トロンケット港へ戻る。


雨と強風のベネチアだった。でも、大変良いところだった。
もし、再訪することができたら、今度こそゴンドラに乗ってみたい。街をゆっくり歩いてみたい。
大鐘楼に上って、街を見下ろしてみたい。(上ったツアー客から絶景だったと聞いた)

★バス
◆ベネチアからバスに乗って約261km行くと、フィレンツェのホテルに到着する。

◆途中でトイレ休憩がある。土産も売っており、バスが次々に入ってくる。
パスタ、オリーブオイル、チョコレート、化粧品などが並んでいた。
チョコレートなどの試食があってうれしい。

◆山中で大渋滞にはまった。周りは雪景色だ。
渋滞原因は、工事で3車線が1車線になっていたためだった。

★★フィレンツェ
★(ホテル)「カンファレンス フロレンティア」
◆ホテルは、市街から約8km離れている。周りには何もない。

◆ホテルに着いた時は暗くなっていた。添乗員さんがまとめてチェックイン。
ここで2連泊だ。連泊はうれしい。


◆ロビーは広いが、シンプルだ。
◆部屋は、清潔で問題なし。バス・トイレルームは、大理石が貼られ、豪華だ。




◆夕食は、ホテルのレストランでいただいた。やはり、ここもテーブルに始めからパンが置いてある。


◆今晩は、ビールを注文。飲みやすかった。


◆最初に出たのは、クリームソースのニョッキ。パスタの1種類だ。


◆次は、白身魚とインゲン。トマトケチャップがかけてあり、美味しかった。


◆デザートは美味しいプリン。


◆ツアー客の中に、「今迄の旅行で雨に降られたことがない」というご夫婦がいたのに、
今日は一日中雨だった。よほど強い雨男・雨女がいたのかな?

つづく
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:16Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月14日

★イタリア旅行記★その5 「世界遺産ベネチア観光」1

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<3日目 2月22日の1> 「世界遺産ベネチア観光」1

★★ベネチア
★(ホテル)「アントニーパレス」(朝食)
◆朝食のメニューは、クロワッサン、ハム、チーズ、ベーコン、タマゴ、
フルーツ、ヨーグルト、ビスケットなど。昨日のホテルと比べて、品数が少なかった。


また、無くなった料理の補充になかなか来なかった。
特に美味しかったのは、クロワッサンだった。

◆本日の出発は8:00。朝から雨。

★バス車内
◆バスでトロンケット港へ向かう。

◆添乗員さんのイタリア情報
・地名のベネチアはイタリア語読み、ベニスは英語読み。
フィレンツェはイタリア語読み、フローレンスは英語読み。

★船
◆バスを降りると、雨が降り、風が強かった。バス駐車場から船着場までの間に露店がある。
ビニールカッパや傘も売っており、買う人も多くいた。
◆イタリア本島トロンケット港から貸切船で水の都「ベネチア本島」に渡る。

★★★世界遺産ベネチア
★ベネチア本島上陸
◆船で約30分、ヴェネティア港で下船。雨風が強い。
現地ガイドは、シルビアさん。背の高い女性で、日本語が上手だ。

★ドゥカーレ宮殿
◆宮殿の牢獄跡前の回廊で、シルビアさんの案内を聞いた。


宮殿は、運河に面して建つ壮麗な建物。9世紀創建で、
14世紀と15世紀に現在のベネチアゴシック様式に改築された。

ベネチア共和国の政治の中心地だった場所である。
今回は予定にないが、総督のかつての居室などが見学できる。

◆宮殿から小運河に架かる橋の一つに「溜め息の橋」がある。
かつて裁判所と牢獄を結んでおり、囚人が橋で溜め息をついたことから名づけられた。


◆宮殿の外側は、回廊となっており、美しい連続アーチで飾られている。


★サンマルコ寺院
◆サンマルコ寺院は、ドゥカーレ宮殿に並んで堂々とした姿で建っている。


◆ベネチアの守護聖人「聖マルコ」を祀るために9世紀初頭に創建された。
堂内は金箔やモザイクの華やかな装飾が施され、黄金の教会の異名をもつ。
今回は予定にないが、宝物館にパラ・ドーロと呼ばれる黄金の衝立やビザンチン帝国の遺品を展示。

◆外観は、曲線と円柱を多用し、金箔のフレスコ画も要所に描かれている。
上部には、ドームや尖塔がある。豪華な建物である。




正面上部には、金色のライオン、その下に4棟の馬のレリーフがある。
ライオンは、サンマルコのシンボルだそうだ。

◆堂内は撮影禁止。大理石がふんだんに使ってあった。
素晴らしい彫像、金箔の天井絵、床のタイル画などを撮影したかった。

★サンマルコ広場
◆世界で最も美しいと讃えられる広場。サンマルコ寺院やドゥカーレ宮殿、店舗などが周りを囲む。
12世紀初頭に整備が始まり、16世紀ころに完成。



◆広場に高さ99mの大鐘楼が建つ。
頂上には、風見鶏の役目をもった金の天使像がある。本日は風が強く、しきりに動いていた。
(エレベーターがあり、フリータイムに鐘楼の上に上り、素晴らしい景色を楽しんだ方もいる。)


◆サンマルコ寺院の左方に15世紀に建設された時計塔がある。



★カフェ フローリアン
◆ベネチアンガラス工房の見学後、約40分のフリータイムが設けられた。
添乗員さんがヨーロッパで一番古い喫茶として紹介した「カフェ・フローリアン」に行くことにした。

◆サンマルコ広場を囲む建物の1階は店舗で、店の前は回廊になっている。
回廊に「カフェ・フローリアン」がある。喫茶の前には、テラス席がある。


◆店の外側も内装もレトロで、大変良い雰囲気だった。


◆店内に入ると、床に金色のライオンのタイル画が描いてある。
壁も天井も華麗な絵画や彫刻で飾られ、別世界である。




◆メニューは、一番安いのがエスプレッソなど6.50ユーロ。
注文したのは、10ユーロのカプチーノ。飲みやすい方を選んだ。


◆白いブラザーのイケメン店員さんが持ってきてくれた。



美味しかった。良い思い出ができた。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:46Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月11日

★イタリア旅行記★その4 「世界遺産ベローナ観光」「ベネチア宿泊」

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着
<2日目 2月21日の3> 「ベローナ観光」、「ベネチア宿泊」

★★★「世界遺産ベローナ観光」
★ベローナ市街
◆旧市街へは、バスを降りてから徒歩で向かう。ここもバスを停める場所がないのだ。
ベローナの現地ガイドは、マニュエラさん。日本語を話すことが出来る。
マニュエラさんの案内で、旧市街を観光する。

◆橋を渡ると旧市街に入る。


◆旧市街は、古い建物が立ち並ぶ。意匠を凝らし、絵になる建物があちこちにある。




★エルベ広場
◆広場は、趣ある建物に囲まれ、モニュメントが立っている。



◆ベローナの象徴であるマドンナの噴水もある。


◆土産物や日用品を売る露店も軒を連ねているが、客は少なく暇そうだ。



★ジュリエットの家
◆「ロミオとジュリエット」のヒロインのモデルとなったカプレーチィ家の娘が住んでいたと
いわれる13世紀の建物。
中庭にジュリエット像があり、胸に触ると恋愛が成就すると言われる。

◆「ジュリエットの家」には、トンネルになった門を潜って入る。
トンネルの壁には、一面に文字が書かれていた。何が書いてあるかわからない。
トンネルの入口から混んでいた。


◆トンネルを潜ると中庭になり、そこも混んでいた。大勢の観光客が訪れていた。


◆中庭の隅にジュリエット像があり、胸に触れて記念撮影をしていた。彼女の胸は金色に光っていた。


◆ジュリエット像の左にある扉には、ハート形などの赤い鍵がたくさん掛けてあった。
恋愛成就の祈願スポットらしい。



◆建物内に入ると、バルコニーや物語をテーマにした絵画などを見学できるが、今回は予定にない。


★ベローナ市街
◆アレーナへ移動途中も、街風景や店を見てキョロキョロ。


◆道は、ベローナ近郊で採掘される紅大理石でできている。


◆ウインドウを美しく飾っている店をよく見かける。古い建物を利用した新しい店がたくさんある。



★「アレーナ」と「ブラ広場」
◆アレーナは、紀元1世紀に建造されたローマ時代の円形闘技場。
イタリア国内では、ローマのコロッセオに継ぐ規模で、約2万5千人を収容した。

◆アレーナは、外観観光のみ。2階建ての連続アーチが美しい。



◆ブラ広場は、アレーナの前にあり、カフェなどが並んでいる。約20分のフリータイムが設けられた。




◆広場に面したカフェの後ろには、美しい回廊があった。


◆広場の外、ローマ通りには、時計のあるアーチ門があった。


◆ローマ通りの角の建物は、円柱が美しく並ぶ。



★ベローナ市街
◆バスへ向かう途中、黄色の立派な建物があった。ここも柱が美しい。


◆高い旧城壁の横を歩いた。城壁は、レンガや石が混ざっていて美しい。


★★★「ベネチア宿泊」
★ホテル「アントニーパレス」夕食&宿泊
◆ホテルは、旧市街ではなく、郊外にあって周りに何もない。
1990年にオープン、丸く弧を描く近代的な建物である。



◆ロビーは、白い柱、天井から赤いミニシャンデリアが下がる。



◆添乗員さんがまとめてチェックイン。
カードキーを受け取り、部屋へ入ると、壁に3つの黒い長方形の物があった。
電気を点けるためのカードキー差込口がどれか、すぐにはわからなかった。
それは左下であるとわかるのに、少し時間を要した。


◆清潔な部屋で、快適だ。ツインのベッドは、くっつけたあった。


◆バス・トイレルームには、洗面の脇に大型の拡大鏡が設置してあった。珍しい。
近づくと毛穴もはっきりと見えた。


◆夕食は、ホテルのレストランでいただいた。
美味しいミネストローネスープだった。


◆メインは、白身魚の香草焼とポテト。ポテトは塩味が強かった。


◆デザートのアップルケーキは甘すぎず、美味しかった。


◆今日は充実した一日だった。だが、たくさん歩いて疲れた。おやすみなさい。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:59Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月10日

岐阜市<瑞龍寺>「美濃国守護・土岐成頼公」「守護代・斎藤妙椿公」墓所 (武将のお墓参り33)

2018.3.10(土)
美濃国ゆかりの武将のお墓参り

★瑞龍寺★ 岐阜市寺町19
美濃国守護「土岐成頼公」と守護代「斎藤妙椿公」の墓所

◆瑞龍寺は、雲水の修行道場であり、通常は非公開である。
しかし、毎年3月に開催される「ぎふ梅まつり」に合わせて、2日間のみ一般公開される。

◆梅林公園へ続く殿町本通りに「金寶山瑞龍寺」の標柱が立ち、参道には松が植えてある。
◆山門の先が境内になっており、突き当りの本堂まで美しい松並木がつづき、両脇に塔頭が並ぶ。



◆突き当りの本堂には、「ぎふ梅まつり実行委員会」の方たちがいて、
「瑞龍寺拝観」のチラシをいただけた。


◆土岐氏家紋の「桔梗紋」が、屋根瓦や本堂内の釘隠しなどにも使われていた。


◆本堂前には梅の古木があり、赤い花を咲かせていた。


◆本堂に参拝、合掌。
ご本尊の両脇の間には、日展理事「土屋禮一画伯」作の障壁画「蒼龍」と「瑞龍」があり、必見だ。

◆さて、美濃国守護「土岐成頼」公と守護代「斎藤妙椿」公の墓所の公開は、
瑞龍寺一般公開と同日であり、年に2日間のみである。

◆本堂前の左側に高い生垣があり、立札「県指定史跡 土岐成頼の墓・斎藤妙椿の墓」がある。



◆カーブした道を進むと、広場(駐車場)に入る。
◆広場の左にたくさんの石造観音像などがあり、その右側に墓所への入口がある。


◆小さな門を潜り、木立の中の石段を上る。上った先が墓所だ。



◆墓所に看板があり、次にように記されている。
「岐阜県指定史跡 土岐成頼 斎藤妙椿墓 
土岐成頼は康生二年(一四五六)一五歳で、美濃国守護土岐持益の養子となり、
左京太夫美濃守となった。

応仁の乱では山名氏に従い、始終京都にあって西軍の有力武将として一一年間転戦した。
文明九年(一四七七)和平成立後、足利義視、義稙父子をともなって帰国した。
明応六年(一四九七)五六歳で病没し、ここに葬られた。 

斎藤妙椿は土岐家の守護代で、主君成頼が京都で転戦している間在国し支配権を確立し、
さらに近江、越前など近国にも勢力を拡大していった。

他方、歌人でもあった妙椿は文化人の保護者でもあり、美濃で連歌が華やかに行われた時代を築いた。
応仁元年(一四六七)頃、主君成頼のために瑞龍寺を建立した。
妙椿は文明一二年(一四八0)七十歳にて没しここに葬られた。」

◆墓所の左端が「土岐成頼公」墓所。四角く石柱で囲まれた中に、自然石の小さな墓碑があった。合掌。



◆左から2番目が、「斎藤妙椿公」墓所。同じく石柱で囲まれた中に、墓碑がある。合掌。



◆塔頭のひとつに「斎藤妙椿公」画像があるが、拝観ができず残念だ。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:29Comments(0)武将のお墓参り

2018年03月10日

★イタリア旅行記★その3 「ミラノ観光」2

旅行日2018.2.20-27
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着

<2日目 2月21日の2> 「ミラノ観光」2

★ドゥオモ(ミラノ大聖堂)
◆「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア」を抜けると、ドゥオモ前広場に出る。
広場の左方には、ドゥオモ(ミラノ大聖堂)の堂々たる姿があり、その大きさと美しさに圧倒された。


◆約1時間のフリータイムが設けられた。
◆当ツアーではドゥオモは外観観光のみであり、添乗員さんからドゥオモ入場希望者の確認があった。
大勢の希望があり、添乗員さんがまとめて切符を購入してくれた。(後にバス車内で3ユーロ支払う)

◆ガイドブックには、「聖堂としては世界2位の規模を誇り、イタリア最大の華麗なるゴシック聖堂。
聖母マリアに捧げるために建設され、1813年に完成。

最大の特徴は、金銀細工が施された135本の尖塔と、柱や壁を飾る3400体以上の彫像が素晴らしい。
最も高い108mの中央尖塔には4mの黄金のマリア(マドンニーナ)像が輝いており、
市内にはこれより高い建物を建ててはいけないとされる。
内部のステンドグラスも見事。」とある。

◆建物の外部は、彫像により飾られている。
様々な神話や物語の一場面などが、美しい彫像で表されているのだ。


◆入口前には兵士がいて、厳重な手荷物検査がある。検査前に、ポケットの中身は出しておいた方が良い。


◆堂内は、薄暗くて静かだ。撮影可能だが、フラッシュは禁止。
◆天井は高く、広い神聖な空間が広がっていた。
太い柱が並び、ステンドグラスがあちこちの壁を飾っている。




◆立派な彫像や絵画が、いくつも飾られている。素晴らしい!!



◆立派で美しいステンドグラスは、鮮やかな赤色と青色が印象的だ。



◆黄金のマリア像は、レプリカが堂内の奥にも立っており、金色に輝いていた。



◆堂内には、お祈りに来ている人たちもいる。


★ドゥオモ前広場
◆広場には、立派な騎馬像が立っている。初代イタリア国王のヴィットリオ・エマヌエーレ2世だ。


◆広い広場の周りは、ドゥオモやガレリア、古い建物に囲まれている。


◆広場には、ハトや写真を撮っている人ががたくさんいる。


◆隅には、パトカーが停まっていた。緑色のラインが入っている。


◆バイクステーションもあり、自転車が並んでいた。Mマークは、地下鉄の入口である。


★ミラノ市内のレストラン(昼食)
◆バスで移動してレストランへ行き、昼食。パンがテーブルの上に置いてある。
リゾット・ミラネーゼは、なんと平たい皿で出てきた。


◆ミラノ名物のミラノ風カツレツ(サラダ添)は、平たく伸ばしてあった。美味しい。


◆デザートは、パンナコッタ。プリンより、少し固め。これも美味しい。


つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:30Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月05日

★イタリア旅行記★その2 「ミラノ観光」1

旅行日2018.2.20-27 
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着

<2日目 2月21日の1> 「ミラノ観光」1
★★★ミラノ

★ホテル「グランド バローネ ディ サッシ」(ホテルの様子、朝食)
◆夜は熟睡できず、何度も何度も目が覚めた。時差の影響だ。
水分補給は、スーツケースに入れて持参した水が役立った。

◆早く目が覚めたので、ホテルの外観やロビーなどを見て回った。
建物外観は、ガラス張り。入口は、自動回転扉になっている。


入口を入ると両脇に大きな壺が立つ。
ロビーには、太い円柱の柱があり、天井にはシャンデリアが3基下がる。
明るすぎず、暖かい感じの照明が、良い雰囲気を醸し出している。


◆地下へ降りる階段上の壁には、タペストリーが掛かる。ストロボ撮影をしたら、綺麗に写った。


◆ホテルの朝食は、7:00(日本時間15:00)から。地下1階のレストランで朝食をいただいた。
メニューは、予想よりも豊富で良かった。

パン、スクランブルエッグ、ベーコン、ウインナー、チーズ、ハム、ピザ、ケーキ、ゆで玉子、
ハムチーズサンド、クッキーなど。



ハムやソーセージは塩辛く、ケーキは甘い。
果物は、生(洋梨、りんごなど)とシロップ煮(洋梨、パイナップル、桃、プレーン)の両方あった。

★スーパーマーケット(買い物)
◆朝食を食べ、出発まで時間があったので、ホテル周辺を歩くことにした。
隣りのスーパーマーケット前に着いたところ、店からお客が出てきた。もう開店していたのだ。
よく見たら、8時開店。


出発まで余り時間がないので、急いで店内を見て回った。
ミネラルウォーターを買って店を出た。6本パックが1.56ユーロと格安だった。


◆ホテルに戻り、各自でカードキーをフロントに返却してチェックアウト。今朝は、8:30に出発だ。
ゆっくりめの出発がありがたい。

★バス車内
◆添乗員さんのイタリア情報
・ミラノ市内までバスで行き、バスを降りたら徒歩で観光となる。
古い町は、バスを停められる場所が限られて、徒歩での移動が多くなる。

・免許を持つ現地ガイドを付けないと違法となる。
日本語を話せる人が付くことも、話せない人が付くこともある。
話せない人の場合は私がご案内するので、現地ガイドは付いてくるだけとなる。

・スリは、スキのある人しか狙わない。カバンのチャックを開けるのは簡単。
カバンの上の方は盗られやすい。大事な物は奥の方に入れる。

・地下を掘ると、遺跡が出てくることが多い。地下鉄や地下駐車場などを造ることが難しい。

・カフェが多い。トイレは、カフェで立ち飲みし1~1.50ユーロでお茶して借りると良い。
有料トイレは、0.50~1ユーロとなる。
カフェは、立ち飲みはレジへ直行して支払い、レシートを持ってバーカウンターに行く。
座って飲むなら、席で注文。2.30~3ユーロ位になる。

・ミラノ市は、経済の町。道は、車道・歩道・自転車専用道・歩道の並びになっているので注意が必要。
自転車は、結構なスピードを出す。

◆バスは、スフォルツェスコ城の横に停車した。ここから徒歩観光だ。

★スフォルツェスコ城(外観)
◆城は、14世紀にヴィスコンティ家が建て、その後にスウォルツァ家が本拠地とした。
ダ・ビンチやブラマンテらも建築に携わった。18世紀にフランス軍の攻撃を受け半壊したが、修復されて、
現在は市立博物館になっており、ミケランジェロの遺作「ロンタニーニのピエタ像」があるが、今回は中に入らない。

◆美しい城は、高い城壁で囲まれていた。隅には、円筒状の塔がある。


正面には、時計台が付いた高い塔が聳える。前の広場に噴水があり、撮影ポイントとなっていた。



★ミラノ市街地(徒歩移動)
◆今回のツアーでは、添乗員さんや現地ガイドさんから、たくさん案内していただいた。
だが、バス車外の移動や観光ではメモができないので、残念ながらきれいに忘れてしまった。

◆徒歩移動は速足だった。
◆ミラノ市街は、古い建物や銅像がそこかしこに建ち、路面電車が網の目のように走っていた。



路面電車は、古い型から新しい型まで走っており、出会うのが楽しかった。



★スカラ座とレオナルド像
◆スカラ家の跡地に建つスカラ座の前には、「レオナルド(ダ・ビンチ)像」が建つ。
撮影ポイントになっていた。「スカラ」とは「階段」のことだそうだ。


★ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア
◆ガラスの天井が美しいアーケード(=ガレリア)が、スカラ座とドゥオモ広場をつないでいる。
ガラス張りの高いアーチ型天井で覆われている。建築美をみるだけでも訪れたい。


現在は、プラダ本店をはじめブランドショップやカフェが店を構える。


◆歩道も大理石のモザイクで飾られて素晴らしい。足元も見て欲しい。


◆中央付近の交差地点の天井フレスコ画には、見た方角にある大陸が描かれている。そこも見所だ。


◆また、その足元には「幸運の牡牛」のモザイクがある。
牛の大事な所に足を乗せ、3回転すると、幸運が訪れると言われている。ツアー客の皆さんの幸運を祈ります。


◆ドゥオモ広場側から見た入口もいい感じだ。



つづく


  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:42Comments(0)イタリア旅行記

2018年03月04日

★イタリア旅行記★その1 「予約~最終案内」「中部国際空港出発~ミラノ到着」

旅行日2018.2.20-27
阪急交通社トラピックス「★イタリア決定版8日間★」 中部国際空港発着

★前書き
◆長~い間行きたいと憧れていたイタリアに、やっと行くことができた。
これからイタリアを訪れる方の参考になればとの思いで作成したブログです。

<出発前>
★申込・支払い
◆昨年11月に、新聞広告を見て申込。
・コースは12月~6月(13.99~24.99万円)開催であるが、2月20日出発(15.99万円/一人)に決めた。
・申込3日以内に申込金6万円/一人を振込。

◆決め手は、コース内容とお値打ちな金額だった。
・コースには、訪れたいと思っていた観光地がだいたい含まれていた。
・セントレア発着と添乗員同行もポイントだった。日本語以外は話すことができない我々にとって安心できる。
・食事がほとんどついているのもありがたい。
・寒い季節だが、日本と同じくらいなので我慢できる

◆1月初めに電話で、オプショナルツアーのゴンドラ遊覧7000円/一人、ピサ観光8000円/一人、
ナポリ・ポンペイ観光(昼食付)17000円/一人、カンツォーネディナーショー(夕食付)13000円/一人を申込。
イタリアの再訪問は難しいので、思い切って全部申込することにした。
◆1月24日(出発27日前)、メールで支払残額などの連絡がきたので、振込。

★最終案内
◆2月9日(出発11日前)、「最終旅行日程表」と「イタリア徹底ガイド」、ツアーバッジ、
スーツケース用シール・ネームタグが届いた。日程表は留守宅用も入っていた。


◆新聞広告には、「フィンランド航空」又は「ルフトハンザ航空」利用と載っていたが、
「最終旅行日程表」を見て我々は「フィンランド航空」に搭乗すると分かった。
後で添乗員さんから聞いた話だが、20日出発の希望者は70名もあり、
「フィンランド航空」31名のオレンジ組と、「ルフトハンザ航空」39名の水色組の2組になったそうだ。

◆「最終旅行日程表」に記載されているのは、出発のご案内(集合日時・場所など)、注意事項、
お泊りのホテル、現地連絡先、日程、ご案内(ホテル備品・設備、オプショナルツアーなど)。

◆注意事項として、宿泊都市により「滞在寄付金(宿泊税)」の支払いが義務付けられており、
ホテルチェックアウト時にお支払いいただくように」と記載されていた。
だが、現地では、添乗員さんがまとめて支払い、後でバス内で集金となったので助かった。
都市によって金額が異なるが、合計23.60ユーロ/一人だった。

◆「イタリア徹底ガイド」は、本屋で売っているガイドブックを簡潔にした感じで、次の内容が記載されている。
イタリア地図、気候と服装、荷物のパッキング、持ち物チェックリスト、プラグと電圧、お金の準備と両替、
もしもの時に備える、携帯電話の準備と注意、持病がある人の準備、出国の流れ、機内で快適に過ごすための
持ち物、イタリア入国の流れ、帰国の流れ、イタリアの空港、トラブル対策、イタリア語(あいさつ程度)、
イタリアの基本情報、イタリアワイン入門、移動術、グルメ入門、ショッピング、免税手続き、
主な観光地の地図・観光案内。

◆2月17日朝(出発3日前)、添乗員さん(片岡氏)から、
「最終案内をしたいが、電話をかけてもよろしいでしょうか」とメールがきた。
電話で最終案内や注意事項を説明していただき、こちらの質問にも答えていただいた。
両替は日本の方がレートが良いので、必要なだけ両替しておいた方が良いそうだ。
集合時間は9:25だが、9:00から受付しているそうだ。

★基本情報
◆時差・・・「フィンランド」ヘルシンキは日本の7時間遅れ、「イタリア」は日本の8時間遅れ

◆治安・・・決して良いとはいえない。旅行者が巻き込まれるのは、スリや引ったくり、
置き引きによるパスポートやお金の紛失。混雑する所が特に危ない。

添乗員さんや現地ガイドさんに聞いた注意事項は次の通り。
できれば、パスポートは身に着ける。財布はバッグの底に入れ、人前でなるべく見せない。
バッグは、後ろや横に掛けず、前に掛ける。
被害に遭うのは、団体行動より自由行動の時の方が多い。
パスポートを盗まれたため、日本大使館に申請に来る人がいつも大勢いる。

◆店などに入る時は、店員に「ヴォン ジョルノ(こんにちは)」「ヴォナ セーラ(こんばんは)」
「チャオ(オールマイティのあいさつ)」と声を掛ける。イタリアではそれが当たり前。
店を出る時は「チャオ」、ありがとうは「グラ ツィエ」。
現地では、英語で話しかけられることが多く、身振り手振りとカタコト英語でなんとかなった。

◆ツアーは、とにかくよく歩く。それも速足で。1万五千歩以上の日もある。
一部の参加者から「ツアーに備えて歩いて鍛えてきた」と話を聞いた。慣れた歩きやすい靴が必要だ。

◆今回泊まったホテルはどこも、スリッパ、クシ、歯磨きセット、パジャマ、湯沸かしポットはない。
イタリアでは、これが当たり前だそうだ。

<1日目 2月20日> 中部国際空港~イタリア「ミラノ到着」
★中部国際空港(出発)

◆3階出発ロビーの旅行社カウンター20・21番「阪急交通社」で受付。
添乗員片岡氏から説明を聞き、イヤホンガイド、eチケットお客様控え、海外保険保険証などを受け取った。
このイヤホンガイドは、現地では人込みでも、少し離れても、添乗員さんや現地ガイドの声が聞こえて重宝した。

◆航空会社チェックインカウンター「B」のフィンランド航空(フィンエアー)は、9時から受付開始。


スーツケースを預け、2枚の搭乗券を受け取った。ヘルシンキ乗り継ぎのため、
中部国際空港からヘルシンキまでと、ヘルシンキからミラノまでの搭乗券だ。搭乗ゲートは14番。


★フィンランド航空(フィンエアー・ヘルシンキ行)
◆11:55発のフィンランド「ヘルシンキ行」で、フィンランド航空には初めての搭乗だ。
白い機体には大きく紺色で「FINNAIR」と書いてある。予定通り出発。天候晴れ。

◆座席は、横に2・4・2席。座席には、小さいペットボトルと枕、ブランケット、イヤホンが置いてあった。
座席前には、画面があり、フライトコースや映画を見たり、音楽を聴くことが出来る。


◆フライト予定は9時間45分、飛行距離は7752kmとアナウンスがあった。
狭い座席なので辛いが辛抱だ。いつかはビジネスクラスに乗ってみたい。

◆機内食は、チキンかシーフードとアナウンスがあったが、我々はシーフードしか残っていなかった。
ドリンクは白ワインやビールをいただいた。


◆飛行コースは、ロシアの北端で北極海に近く、ほとんどが白い雪原だった。
人工物が見当たらない所が大部分だった。窓ガラスにも氷の結晶ができた。



美しい雪山も観ることができた。


◆ヘルシンキが近づいてきたときに出た軽食は、焼きおにぎりとフルーツ。


◆ヘルシンキが近づき、高度が下がると、街の姿も見えてきた。


★ヘルシンキ空港(乗り継ぎ)
◆雪に強く、雪によっての閉鎖はめったにないそうだ。
空港に到着した時も、隅の方の邪魔にならない所以外は雪がなかった。

◆現地時間14:47(日本時間21:47)着陸、ヘルシンキは日本の7時間遅れなので変な感じ。
◆空港内には、フィンランド航空(フィンエアー)の飛行機がたくさん止まっていた。


◆飛行機を出たところで添乗員さんが待ち、参加者が集合。
ここで初めて他のツアー客と顔合わせとなった。

乗り継ぎのため、手荷物検査を受け、EU入国審査を受ける。
ここで入国審査を受けるので、ミラノでは受けなくて良いのだ。

その後、28番搭乗ゲートへ移動。
搭乗する便は、「Departures」ボードの行き先には「milan」と表示されていた。


◆空港内は人が多い。テロ対策のため、銃を手にした警備の兵士の姿も目に付く。
女性兵士もいる。

◆添乗員さんから、「次のフライトは食事がありません。サンドイッチなどは有料で、
無料なのは4種類の飲み物だけ。コーヒー・紅茶・水・ブルーベリージュースです。」と案内あり。

★フィンランド航空(フィンエアー・ミラノ行)
◆16:05発。ミラノまでのフライトは、約3時間。座席は、横に3・3席。
座席には、何も置いてないし、画面もない。シンプルな飛行機でした。

◆我々の横の席のかわいい娘さんは、オペラ歌手を目指す竹内菜緒さんだった。
イタリアに語学留学に行くところだそうだ。いろいろとお話が出来て楽しかった。

◆ほとんど雲の上を飛んでいたが、ヨーロッパアルプスらしき白い山々を少し見ることが出来た。 


★ミラノ・マルベンサ空港(イタリア到着)
◆18:05(日本時間21日2:05)頃着陸。少し前に陽は沈んでいて暗い。
ここでは、入国審査が無いので、スーツケースを受け取ったら、すぐに外に出られる。
あっけなくイタリアに入国だ。

★バス(ホテルへ向かう)
◆ホテルまで約50分かかる。その間に、添乗員さんから旅行中の注意事項の説明有。
主な内容は、次の通り。

ホテルは、その国の習慣によって作られる。日本とは異なることが多い。
①ホテルの部屋に入ったらすぐに設備の確認をすること。シャワー・バスタブの湯・水が出るか、
カラン(シャワー・バスタブ)の切り替え、洗面・トイレの水は出るか、電気は点くか。

②白人はメラニン色素が薄いため、強い光に弱い。
そのため、部屋などの灯りは、黄熱灯が使われ、日本人には少し暗く感じる。

➂冷蔵庫内の飲み物や置いてある菓子などは、全て有料。
ポットも置いてない。スリッパ、パジャマもない。

④トイレのフタのない方はビデ。お尻を洗うためのものなので、用を足さないように。
イタリアでは、ホテルにビデを設置しないといけない。

➄ホテルの隣りにスーパーマーケットがあり、夜9時まで開いているが、
15分前位に入れなくなる。

⑥水はスーパーで買うと安いが、バス運転手からでも1本1ユーロで買うことが出来る。
炭酸無のNATURALと炭酸入があるので注意。柔らかいペットボトルは炭酸無。

⑦イタイア人は、朝食をたくさん食べず、シンプル。パンとコーヒーが基本。
ホテルの朝食もパン、たまご、ベーコン、チーズが基本となる。

⑧イタリアには駐車場がほとんどなく、路駐となるため、バスに乗せたスーツケースは
途中で取り出すことができない。必要なものは車内に持ち込むこと。

➈バス運転手は、車内を汚されるのを嫌がる。飲食時は、こぼさないように。アイスは特に嫌がる。

★ホテル「グランド バローネ ディ サッシ」(宿泊)
◆ミラノ旧市街の中心部から北東へ約9km、郊外の町セスト・サンジョバンニに位置する。

◆20:00(日本時間21日4:00)頃ホテルに到着し、添乗員さんがチェックイン手続き。

◆部屋のドアの右側に黒い長方形の物が付いており、カードキーをかざすとドアが開く。
初めは、どうしたら開くかわからなかった。


◆部屋に入ると、カードキーを差し込む所があり、差し込んだが電気が点かなかった。
スイッチをあれこれ押しても点かなかった。
カードキーをもう一度強く差し込み直すと、「カチッ」と音がして電気が点くようになった。
しっかりと差しこまないといけなかったのだ。

◆部屋の照明は、添乗員さんの言われた通り、薄暗いと感じたが慣れてくる。


◆洗面・浴室内にトイレがあり、その左横に添乗員さんの言われた通りビデがあった。
日本人にとっては珍しい。


◆疲れたし、眠い。中部国際空港からミラノ空港まで、うとうとできたが熟睡はできなかった。
長い長い1日だった。隣りのスーパーマーケットが気になったが、行く気力は残っていなかった。
おやすみなさい。

つづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:20Comments(0)イタリア旅行記

2018年02月15日

<東京都>加納藩主永井家墓所「本行寺」&「功運寺」 (武将のお墓参り 33)

<美濃国ゆかりの部将のお墓参り>
今回は、美濃加納藩(岐阜市の加納城)の藩主であった永井家だ。

加納藩のはじめは、徳川家康公の娘婿・奥平信昌公であったが、
最後の藩主は永井氏であった。

東京には、多くの大名墓地がある。
加納町史などで調べたところ、永井家墓所は「本行寺」と「功運寺」とあった。

★「本行寺(ほんぎょうじ)」 東京都荒川区西日暮里3-1-3
◆加納町史には、「加納藩主永井尚佐(ナオスケ)公、尚典(ナオノリ)公、尚服(ナオコト)公は、
谷中本行寺に葬られた。」と記されており、墓参のため本行寺を訪ねた。

◆寺は、JR日暮里駅の北西、谷中銀座(夕焼けだんだん)の手前にある。
別名「月見寺」と称する。


◆山門を潜ると、正面に本堂がある。本堂前で合掌。 


◆本堂左手に墓地への参道があり、奥へ進む。


◆本堂の裏手が墓地になっている。
境内に加納藩主永井家の墓碑の案内はない。感で東方(右手)への通路を進む。


◆東方への通路は、突き当って左に折れるが、その角付近に永井家の墓碑が2基あった。合掌。


◆左側が、加納藩最後の藩主「永井尚服(ナオコト)公夫妻」の墓碑だ。
「尚服」の文字も刻んであって、一目でわかった。


◆右側が笠付で、「永井家合葬之墓」と刻まれている。
墓碑の横側に大勢の夫人や子供の名が刻んである。


◆永井尚佐公、尚典公の墓碑は、境内をくまなく探し回ったが、
みつけることが出来なかった。残念!

◆墓地左奥の角には、幕末に幕府官僚として活躍した「永井尚志(なおゆき)公」の墓碑がある。合掌。
こちらは墓碑の背後に案内板もある。

★「功運寺」 東京都中野区上高田4-14-1
◆加納町史には、「加納藩主永井直陳(ナオノブ)公、尚備(ナオミツ)公、尚旧(ナオヒサ)公は、
功運寺に葬られた。」と記されており、墓参のため功運寺を訪ねた。

◆新宿駅西口のバスターミナルでバスに乗り、「正見寺」バス停で下車、
北へ坂を上ること5分くらいで功運寺に到着。

◆門前に2つの案内板がある。「吉良家の墓所」と
「菩提所 吉良上野介義央、水野重郎左衛門、歌川豊国、林芙美子、他」である。

◆お寺は、「まこと幼稚園」を併設しており、ちょうどお迎えの時間であった。
山門前にガードマンがいる。


◆ガードマンの目的を説明したところ、「入るには記帳が必要。境内は撮影禁止。
墓といえども撮影は、お寺の人の許可が必要。園児を写さないこと。」と説明を受けた。

◆客殿でお寺の方に声を掛け、目的を説明し、撮影許可を得た。
ただし、永井家の墓はあるが、加納藩主の墓がどこにあるか不明とのこと。

◆本堂裏の墓地に入ると、墓碑の案内板があった。「①永井家歴代墓」も記してあった。


◆墓地の中央付近に東屋があり、その横に「永井家歴代墓」の標識があった。


◆その先に3m近い巨大な宝篋印塔がある。
そこには、「龍谷院殿」と刻まれ、後で調べたところ当寺を開基された丹後宮津藩主
「永井尚征(なおゆき)公」の墓碑であった。合掌。


◆周りにも立派な墓碑があったが、加納藩主である永井氏の墓碑は見つけられなかった。残念!

◆吉良家(右から義央公・祖父義弥公・義弥父義定公・父義冬公)や
今川家の墓所には、標識があった。どちらも立派な宝篋印塔だ。合掌。



◆標識はなかったが、墓碑に刻まれた文字を控えて、後で調べたところ、
永井直陳公の父である武蔵岩槻藩初代藩主「永井直敬(なおひろ)公(正功院殿)」の墓碑であった。
墓地の中央通路を突き当たった左側にひっそりと立っていた。合掌。
(右側の宝篋印塔が永井直敬公」墓碑)


◆横浜市戸塚区旗本・従五位下大江姓「永井監物白元公(永元院殿)」の墓碑も同様に判明した。合掌。
(右側の大きな無縫塔が永井監物白元公の墓碑)


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 13:34Comments(0)武将のお墓参り

2017年12月08日

福井県越前町<剱神社> 織田信長公ゆかりの地

<織田信長公ゆかりの地> 2017年11月
織田信長公ゆかりの地である「越前町織田」を訪ねた。ここでは、「織田」を「おた」と読む。
①剱神社
②織田文化歴史館
③織田信長像

★★「剱神社」 福井県越前町織田113-1


◆広い境内の入口は3ヶ所、南側・東側・北側にあるが、赤い鳥居があるのは南側だ。
赤い木造の鳥居には、青い額が掛かる。美しい鳥居だ。
鳥居のはるか先に拝殿が見え、その奥に本殿がある。


◆拝殿に向かう途中、右側には立派で趣のある社務所が建つ。


◆境内に案内板「剱神社由緒略記」があり、次のように記されている。
『剱神社由緒略記
御祭神 素戔嗚大神(すさのおのおおかみ)、氣比大神(けひのおおかみ)、忍熊王(おしくまのみこ)

社伝によれば、座ケ岳の峰に祀られていた素戔嗚大神の御神霊を 
第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王がこの地に斎き祀られたと伝えている。

即ち、神功皇后摂政の頃、忍熊王が当地方の賊徒討伐にあたり、素戔嗚大神の御神助を戴き、
無事平定できたことに対し、神恩報謝のため織田のこの地に社を営み剱大神と称え、
その後、王が薨去されるや里人はその徳を慕い、主神素戔嗚大神に配し祀った。

奈良時代には祈願の霊場として朝廷をはじめ多くの人々から篤い信仰を受け、
殊に所蔵する国宝の神鐘は第四十九代光仁天皇が白壁王と申されていた頃、
弓削道鏡の野望を砕くために当社に大願が掛けられ、成就の御礼として御奉納戴いたといわれている。

また、武門にあっては平重盛をはじめ、朝倉・織田・徳川・松平の諸将の尊崇が篤く、
特に織田信長は氏神として崇め、格別の信仰をもって神領を寄進し神社を保護した。

江戸時代の末には伏見宮の御祈願所に定められ、拝殿は伏見宮の御勧進によって造営された建物で、
明治三十四年には県社に、昭和三年には国弊小社に昇格した。』

◆拝殿に向かう途中、左側に石碑「戦国武将 織田一族家発祥地」が建つ。


その石碑の裏には、次のように刻まれている。
『剱神社と織田一族
日本一の大武将信長公を始めとする織田一族の発祥の地は、織田の地であることは広く世に知られている。
先祖は剱神社に代々奉仕の神官忌部氏である。

室町時代の越前の守護大名は斯波氏である。この斯波氏と織田氏とが主従の関係にあり、
応永七年(一四00)時の守護大名斯波義重が尾張の守護を兼任することになり、家臣の織田氏も尾張に赴き、
後 守護代として斯波氏に代わって統治する。

応仁元年(一四六七)に応仁の乱が起り、戦国乱世へと突入する。
織田氏も次第に勢力を伸ばし、ついに尾張の大名となる。

戦乱の真只中に一人の傑出した武将が出現する。
天下布武を標榜し、乱世の平定に立上がり、天下統一を成しとげんとした織田信長である。
新時代を創成し、近代日本の基礎を築いた人である。

又、剱神社に対する崇敬心は篤く、織田の地を出て百七十有余年、
尚一族の氏神と崇め、社領を安堵し、保護している。

又、一族の中で特筆すべきは、津田近江守正路なる人である。
幕末、鎖国か開国かで国論が二分する動乱の中、箱館奉行の職で外国奉行を兼務し、
開国派として積極的に開国を推進し、明治の御代、日本が大躍進をとげる道を開いた一人である。

津田家は信長公の祖父信定公の兄、織田秀敏公(津田玄蕃●)を始めとし、代々津田姓を名乗る。
徳川時代旗本三千有余石の禄高をうけ、●●の要職の外、勘定奉行、大目付を務めた家柄である。

昭和五十九年は信長公が 備後守信秀公の嫡男として生まれて四百五十年に当り、
之を記念し、織田一族の偉業、遺徳を称え、由縁深い剱神社境内の一角に 
戦国武将 織田一族発祥地の石碑を建立し、深いつながりを永久に伝えるものである。

昭和五十九年十月吉日 剱神社宮司 ●●●●●
石碑建立寄進 津田近江守直系子孫 東京都中野区 津田●●』

◆立派な拝殿は杉林の中に厳かに建っている。


◆拝殿の屋根は、入母屋造りと唐破風の複合型で美しい。


◆本殿も立派で、美しい建物だ。


案内板があり、次のように記されている。
『剱神社本殿 県指定文化財

剱神社本殿は、長寛二年(一一六四)頃に建立されたといわれ、
その後、焼失、一部解体修理、屋根の葺替えを重ねてきた。

現在の本殿は、寛永四年(一六二七)に再々建されたものである。
この本殿は、高さ一メートルほどの基壇の上に建てられ、亀腹は青色切石を使っている。

屋根は入母屋造り、杮葺きで、千鳥破風が主棟と同じ高さで前方に突出し、
さらにその直下に唐破風を持つ向拝が設けられている。

千鳥破風や唐破風をもつ屋根は、「織田造り」と称され、江戸時代初期の秀麗な姿をとどめている。』

◆「小松建勲神社」の小社が、拝殿前の右側に建つ。(右側)


脇にある案内板に次のように記されている。
『小松建勲神社由緒 御祭神 平重盛公、織田信長公

平重盛公は小松殿と申し、忠義の至誠に厚い武将であります。
焼失した剱神社の社殿の復興を行うと共に、広大な領地を寄進し、深く信仰致しました。
後世里人は公の徳を称え、小松殿として神霊をお祀りしました。

織田信長公は先祖が剱神社の神官であり、その子孫であることを自覚し当社を手厚く保護し、
田地凡そ千四百九十石を寄進して領民を安堵しております。

柴田勝家が当社に差し出した諸役免除状という文書に「当社の儀は、殿様の御氏神の儀に候えば、
いささかも相違あるべからずの状・・・」と記されております。氏神様として信仰したことを知ることが出来ます。

今日多くの人達が信長公の功績を賛仰し、御加護を預かんと全国から参拝に訪れる人が多くなりました。』

★★「織田文化歴史館」
◆剱神社の北隣りに「織田文化歴史館」があり、昔の社殿などの配置が判る模型が展示されている。
今でも広いが、昔はさらに広大な境内で、三重塔のある神宮寺「劔御子寺(織田寺)」も建っていたことが判る。


訪れた時には、企画展「異人探求 泰澄十一の疑問展」を開催中で、織田氏についての展示はわずかでがっかり。

★★「織田信長像」
◆剱神社の東方、T字路の西北角に「織田信長像」が建っている。


信長公は、高い台座の上で、威風堂々としたお姿だ。高名な彫刻家「北村西望氏」作である。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:49Comments(0)武将のお墓参り