2017年10月17日

「中津川市苗木遠山史料館」&「苗木遠山家廟所」 (武将のお墓参り26)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 2017.10訪問
岐阜県中津川市苗木地区の「中津川市苗木遠山史料館」と「苗木遠山家廟所」

★中津川市苗木遠山史料館
・中津川市苗木2897-2、月曜休館(月曜日が祝日の場日は翌日)、9:30~17:00

・史料館は、苗木城の麓に建っている。雲林寺の塔頭があったところだそうだ。
中世、戦国時代から明治時代初期に至る苗木遠山家の資料を中心に展示している。
苗木城跡の探訪前や、苗木藩の歴史を知るには、ぜひ訪れたいところだ。

・入館すると、チラシ「苗木遠山史料館」と「苗木城跡(6タイプの石垣探索などを記載)」をいただける。
展示品の中でも苗木城模型は、立体的で城の造りがよくわかる秀作である。
写真撮影可なのもうれしい。(展示の一部は写真撮影可)


・展示室に、「苗木城見取図」「中世・近世の苗木領主(領主名一覧)」
「激動期の苗木(苗木藩の幕末、廃仏毀釈)」の持ち帰り用資料が置いてあるのもうれしい。
パンフレット「国指定史跡苗木城跡」「中津川観光ガイドマップ」なども置いてある。

・2階への階段の壁には、歴代苗木藩主の肖像画の写真が展示してある。
写実的で藩主の個性ある姿を知ろことができる。

・2階では、「特別展 ふるさと中津川の先人 前田青邨」展(2017年10月7日~11月5日)が
開催されており、青邨画伯の日本画や天井絵、「皇居・石橋の間」の下絵などを鑑賞できた。

・入り口付近に、苗木藩などについて書かれた書籍・資料も多数揃えてある。
時間があればゆっくり読みたかった。

★苗木遠山家廟所(雲林寺跡)
・中津川市苗木2875、苗木遠山史料館駐車場から南へ100m、
西側にある「高森お霊屋墓地」の一角に苗木遠山家廟所がある。緑色の屋根の東屋が目印だ。


・東屋と大きな石の間の道を入った所が「高森お霊屋墓地」である。


・入口に案内板があり、次のように記されている。


『高森お霊屋墓地は、江戸時代に苗木領を支配した大名遠山家とその家臣の墓地です。
初代大名遠山友政は慶長19(1614)年に菩提寺の雲林寺(臨済宗 墓地の東北部に跡地)を創設し、
この谷あいに墓地が拡充されました。

苗木藩は1万521石(後に1万21石)の小藩でしたが、領主の国替えがなく、
遠山家一系で明治を迎えたので、墓地はそのまま江戸時代の苗木藩の歴史を映しています。

明治3(1870)年、廃仏毀釈の断行で雲林寺は廃寺となりました。
幸い雲林寺過去帳は現存しており、墓碑銘と併せて家臣のルーツを知る貴重な手掛かりとなっています。

なお、「苗木明細記」によると、江戸時代、家臣の墓地は「卵塔墓(らんとうば)」と呼び、
遠山家の墓所は「霊屋(たまや)」と呼びました。
(廟所の図面も記載してあり、墓碑と墓主名がわかる。)』

・通路を進むと左奥に石垣が見える。


・石垣の上が廟所で、手前の階段が廟所への道となる。


・少し進むと、右手の一段上がったところに廟所があり、藩主と家族の墓碑群が立ち並ぶ。合掌



・正面奥の中央が初代友政公の墓碑(右側)。立派だ。


・右が二代秀友公。


・右が三代友貞公。


・左が四代友春公、右が五代友由公。


・右が六代友将(ともまさ)公。


・左が七代友央(ともなか)公、右が十二代友禄(ともよし)公。


・右が八代友明(ともあきら)公。


・左端が九代友清公。


・右が十代友随(ともより)公。


・左が十一代友寿(ともひさ)公。


・他に明治以降の十三代友悌氏、十四代友郷氏、十五代健彦氏の墓碑もある。

・廟所は、きれいに整備されており、案内板によりどなたの墓碑かわかる。
大変良い大名墓地であった。

以上  


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2017年09月28日

京都<本禅寺> 「加納藩主大久保忠職公」&「大垣藩主石川忠総公」の墓所 (武将のお墓参り25)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

★本禅寺 住所:京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町394 
境内に「加納藩主・大久保忠職公」と「大垣藩主・石川忠総公」の墓碑がある。

◆寺は京都御所の東側に位置し、五本線の入った土塀で囲まれている。
正面の門は、境内の西側にある。


境内は自由参拝。門を潜ると正面奥に本堂があり、参拝。


本堂の右前に塔頭心城院があり、その左隣りに塀に囲まれた墓地がある。


心城院境内の左端を塀に沿って進むと、墓地入口があった。


墓地の右手奥に、大久保家と石川家の大型の墓碑が並んでいた。しかし、境内や墓地に案内は何もなく、
刻まれた文字も読みづらいものが多く、ネットで調べた墓主名が頼りだった。

◆「大久保家墓碑」 
ネット情報では、大久保家墓碑9基の右端が大久保忠教(彦左衛門)公。
しかし、現地ではどれが忠教公の墓碑かわからず、心城院の方に教えていただいた。


忠教公の墓碑は、横一列9基のうちの右端(宇津季之公)の後方にあった。
墓碑は単独で石塀に囲まれた五輪塔で、大久保平助と刻んであった。合掌


◆横一列に並ぶ墓碑は、右から順に宇津季之公、大久保新十郎公、忠倫公、


忠職公室、忠職公、忠常公、


忠隣公、忠世公で、左端の小さい五輪塔の墓主は不明。
忠隣公だけが宝篋印塔で、他は五輪塔だ。合掌


◆墓主の簡単な経歴は次の通り。
・大久保忠教(ただたか、通称・彦左衛門、幼名・平助)公
・・・徳川家康公・秀忠公・家光公に仕えた旗本。天下の御意見番として名高い。

・宇津季之公・・・忠職公の三男
・大久保新十郎公・・・忠職公の長男

・大久保忠倫公・・・忠職公の次男
・大久保忠職公室・・・松平忠明公(美濃加納藩主・奥平信昌公四男)の娘

・大久保忠職(ただもと)公・・・武蔵騎西藩二代藩主➡美濃加納藩主➡播磨明石藩主➡
肥前唐津藩初代藩主。父・忠常公、母・奥平信昌公の娘千姫。

・大久保忠常公・・・武蔵国騎西(きさい)藩初代藩主。父・忠隣公、正室・奥平信昌公の娘。
石川忠総公の兄。

・大久保忠隣(ただちか)公・・・父・忠世公。家康公・秀忠公に仕えた。
武蔵羽生城主➡相模小田原藩初代藩主。しかし、突如改易となり、彦根藩お預けとなる。
その理由は諸説あり。忠隣公の孫忠朝公のときに、大久保氏は小田原藩主に返り咲いた。

・大久保忠世(ただよ)公・・・相模小田原藩祖。家康公に仕えた徳川十六神将の一人。
三方ヶ原の戦いや長篠の戦い等で武功あり。兄は忠教公。

◆「石川家の墓碑」 
五輪塔が7基、横一列に並んでいた。


右から順に石川勝之公、義孝公、忠総公室、忠総公、


廉勝公、昌能公、憲之公である。合掌


◆墓主の簡単な経歴は次の通り。
・石川勝之公・・・父・昌能公、世嗣のまま早世

・石川義孝公・・・父・憲之公、山城淀藩二代藩主
・石川忠総公室・・・堀尾吉晴公の娘

・石川忠総公・・・父・大久保忠隣公、家康公の命で外祖父・石川家成公の養子となる。
美濃大垣藩石川家三代藩主➡豊後日田藩主➡下総佐倉藩主➡近江膳所藩初代藩主。
家康公・秀忠公・家光公に仕えた。

・石川廉勝(かどかつ)公・・・父・忠総公、家督相続前に没した。
・石川昌能(まさよし)公・・・父・憲之公、日向守。嫡子のまま早世。

・石川憲之(のりゆき)公・・・父・廉勝公、近江膳所藩二代藩主➡伊勢亀山藩主➡山城淀藩初代藩主

◆心城院の方に、徳川家康公の側室と娘の墓碑、
「鐘楼に吊り下げられている鐘は、豊臣秀頼公が鋳造し、家康公が大坂夏の陣で陣鐘として使用。
忠教(彦左衛門)が持ち帰り奉納した。」と教えていただいた。お忙しい中ご案内いただき感謝。



以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:58Comments(0)武将のお墓参り

2017年09月26日

京都<大雲院>「織田信長公・織田信忠公墓所」 (武将のお墓参り24)

2017年9月<岐阜城主のお墓参り>

★大雲院 京都市東山区祇園町南側594-1
7月~9月に実施の「京の夏の旅」キャンペーンで特別公開している大雲院を訪れた。
祇園閣と寺宝を拝観、「織田信長公・信忠公供養塔」などに参拝できた。

◆大雲院は、高台寺前の「ねねの道」を北へ突き当たったところに位置している。


◆大雲院の総門は東側にあるが、特別公開の入口は「ねねの道」に面した南門であった。
門前に看板があり、「~エキゾチックな昭和の名建築 閣上からの絶景~大雲院 祇園閣
特別公開」と記してあった。特別公開のメインは「登録有形文化財の祇園閣」なのだ。


◆重厚な南門を潜って境内に入ると、目の前に本堂がある。
左に進むとすぐ右手に祇園閣が聳えていた。


元財閥大倉喜八郎が、昭和3年(1928)昭和天皇の御大典記念に別荘内へ「祇園閣」を建てた。
京都を訪れたお客様に対し、祇園祭以外の季節にも祇園祭の鉾を披露するために建てたそうだ。
鉄筋コンクリート造三階建、高さ36m、鉾先に金鶏が羽を広げている。
設計は伊東忠太である。

祇園閣の入口は、階段を上った所にある。
入口前には、立派な阿吽のライオンの石像が向かい合っていた。
堂々としているが、よく見ると優しいお顔だ。とても素敵な像だ。



◆閣内は、撮影禁止だ。螺旋階段になっており、階段の壁には敦煌の壁画の模写が描かれている。
上るにつれて、異国風の仏や天女たちが次々に現れ、見応えがある。

最上階からの展望は、絶景だった。周りを360度眺めることができる。
西方は、ビルや現代の建物群がぎっしりと立ち並ぶ。北は平安神宮や京都大学など、
東は寺の甍越しに緑の山々、南は八坂の塔などが見える。

この絶景の写真を撮りたいと思ったが、ここも撮影禁止。
周りには、民家やマンションも多く、プライバシー保護のためだそうだ。
ガイドの方がいて、いろいろとお話を聞くことができて良かった。

◆祇園閣の南西側に墓地入口がある。
墓地入口の門は小さいが、門前の左右にある石灯籠は、どっしりして趣がある。


門の左脇に「織田信長公信忠公 墓所参道」と「石川五右衛門墓所参道」の石柱が立っている。
墓地内には、大泥棒「石川五右衛門」の墓もあるのだ。


◆墓地に入ってすぐ、参道は右に曲がっている。
少し進み左に折れると、奥の方に立派な「織田信長公・織田信忠公の供養塔」が立っていた。
供養塔は、二人で1基。右側に信長公、左側に信忠公の法名が刻まれている。合掌



墓碑の左脇に石碑があり、次のように刻まれている。
「織田信長公 織田信忠公 之墓所 天正年代菩薩堂安與愚和尚ノ寄進ニヨリ建立サレ
昭和五十四年三月吉日四条寺町大雲院墓地ヨリ 当地円山町大雲院墓地ニ移転ス」

◆石川五右衛門の墓所は矢印案内があり、分かりやすかった。
墓碑の右脇に「石川五右衛門墓所」の石碑がある。
低い玉垣に囲われ、中央に墓碑、両脇に石灯籠があった。合掌


◆本堂では、ガイドの方による大雲院の変遷、祇園閣、旧大倉財閥、五百羅漢図、
寺宝などの説明があった。大変わかりやすく、かつ、楽しく聞くことができた。(感謝)

大雲院は、「本能寺の変」の5年後の天正十五年(1587)、正親町天皇の勅命により、
信長公・信忠公の菩提を弔うために、御池御所(烏丸二条南)に建立された。
寺名を信長公の法名に因み総見院にしたかったが、総見院は大徳寺に豊臣秀吉公が建立した後であった。
そこで、信忠公の法名・大雲院殿に因んで「大雲院」と名付けたそうだ。

その後、秀吉公が寺域が狭いというので、天正十八年(1590)に寺町四条(現・高島屋あたり)に移転。
さらに、周辺が繁華街の中心となったため、昭和四十八年(1973)に現在地へ移転して現在に至る。

本堂内には、織田信忠公の坐像があったが、遠いし暗くてお姿がよく見えなかった。残念

◆境内の龍池会館に寺宝の一部が展示されている。
信長公から安土宗論の勝者・貞安上人に下付された軍配団扇、後陽成天皇の御宸筆、若冲、応挙、
富岡鉄斎の絵画などの貴重な寺宝を拝観できた。

◆大雲院は、常時公開ではない。3年程前にも特別公開があったそうだ。
今回は、たまたま特別公開を知ることができた。ご縁に感謝。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:09Comments(0)武将のお墓参り

2017年08月03日

岐阜県各務原市の少林寺「旗本坪内氏墓所」 (武将のお墓参り23)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 
岐阜県各務原市の少林寺「旗本坪内氏墓所」

2017年7月、各務原市の少林寺にある「旗本坪内氏歴代墓所」を訪れた。
(住所:各務原市那加新加納町2104-1)


少林寺は、戦国時代に兵火に焼かれ断絶した。
しかし、天保元年(1644)に旗本坪内氏の二代「家定公」が再興し、累代の菩提寺とした。

寺のすぐ南側に「旗本坪内(新加納)陣屋跡」があった。訪れた時は、そこは更地で公園予定地になっていた。
近くの中山道の一里塚跡に案内看板「中山道間の宿 新加納のご案内」があり、
「旗本坪内陣屋」について次のように記されていた。

「新加納周辺を治めていた坪内氏の初代は、松倉城(各務原市川島松倉町)に拠点を置き、
織田家に仕え蜂須賀小六ら川並衆をまとめていた。

4代利定は、関ケ原の戦いで徳川隊の鉄砲隊を率いて活躍。
これにより6530石を治める旗本となり、拠点を松倉城から新加納陣屋に移した。

陣屋は、巨大な濠(幅5,2m以上、深さ約3m)と土塁(約3m)に囲まれ、強固な防衛施設として建設された。
旗本坪内氏は、利定以降11定益まで続き、明治元年領地を奉還した。」

関ケ原の合戦で、坪内利定公は子4名と共に東軍に加わり武功を挙げた。
そして、利定公は初代旗本となる。
知行地は、宗家領(御納戸)、内分家領(御内分)、分家領(御分知)に分かれていた。

内分家は三家あり、各務原市内にそれぞれ領地・陣屋を持つ「三井坪内氏」と「前渡坪内氏」と
「平島坪内氏」であった。
分家は二家あり、江戸に屋敷を持つ築地坪内氏と貝坂坪内氏であった。

訪問した少林寺は、旧中山道から少し奥に入ったところにある。


境内に入り、真っすぐ参道を進む。突き当りのお堂の前を左に折れると山門がある。


山門を潜ると、正面に鐘楼があり、その右を奥に行くと本堂の前に出る。本堂で参拝。



本堂の左方に墓地の入口がある。


墓地に入ってすぐ右側が内分家「三井坪内氏墓所」であった。合掌 
大小の墓碑が、玉垣の上に隙間なく並んでいる。


正面に法名、側面に俗名と没年が刻まれているものもあった。奥の方にあり読めないものもある。
俗名が読めたのは、「定民公、定経公、定秀公、定高公、定並公、定職公」。


墓地へ入って突き当りの右側に「市指定史跡 旗本坪内家墓所」の標柱がある。


玉垣の上には、旗本宗家二代「家定公」ほかの墓碑が並んでいた。合掌
中央が家定公の墓碑とわかったが、他は俗名がわからなかった。


その右手に内分家「前渡坪内氏」らしい墓所がある。合掌 
隙間なく並んでいる墓碑は、俗名がわかったのは「定效公」だけだった。



さらに右隣りには内分家「平島坪内氏墓所」があった。合掌 
こちらの墓碑も隙間なく並んでいたが、俗名を読めるものが多かった。


読めたのは、「定英公、判定公、定基公、定覚公、定侯公、定矩公、定興公、定通公」。


本堂のすぐ左側に、開基「東陽英朝大和尚」の墓所の参道がある。
突き当りが和尚の墓所で、墓は土饅頭だった。合掌


和尚の墓の左に、立派な墓碑が6基並ぶ。「宗家坪内氏墓所」であった。合掌
左から順に、「8代定系(さだつぐ)公、7代定孝公、9代定儀(さだのり)公、
4代定長公、5代定重公、6代定堅公」の墓碑である。


境内及び墓所には、家定公墓碑前に「旗本坪内家墓所」の標柱があるのみであった。
坪内氏についての詳しい説明や、墓碑の案内が欲しかった。

墓所は整備されており、旗本坪内氏や夫人たちの立派な墓碑がたくさん並んでいた。
貴重な史跡である。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 15:14Comments(0)武将のお墓参り

2017年07月31日

岐阜県羽島市の金宝寺 「八神城主毛利氏歴代の墓」 (武将のお墓参り22)

★「美濃国ゆかりの武将」のお墓参り

2017年6月、岐阜県羽島市の金宝寺にある八神城主毛利氏歴代の墓所を訪れた。
(住所は、羽島市桑原町八神2221)

桑原町誌には、
「八神城主毛利氏は、鎌倉時代から尾張国長岡庄の司職として、この地方の地頭あるいは領主として
羽島市下中町石田や桑原町八神に居城を構え、幕末まで居住してきた。
土岐頼芸、織田信長、織田信雄、豊臣秀吉、池田輝政、織田秀信らに仕え、徳川家に仕えた。

八神毛利氏歴代の墓が金宝寺にある。高さ160cm前後の墓が13基。
尾張藩の家老格世臣として仕えた八神城主13人の墓碑群で、
境内にはこの他にも毛利家にかかわりのある墓碑が大小50基。

ほとんどは花崗岩の墓石で、表に院号法名、左右に没年が刻んである。
墓碑の並びは、歴代順になっていない。
西口がコの字形で、そこから東の方に並列に並んでいる。

寺は慶長元年(1596)の創立で、毛利広次の開基。」とある。

ナビで住所検索して向かったところ、境内北側の細い道に案内された。
境内の入口は南側だったので、水田の間の細い道を遠回りすることとなった。

境内南側に山門が建ち、その左側に文化財標柱や案内板がある。


標柱は右から順に、「円空仏如来像」、「八神毛利氏歴代の墓」、「金宝寺の駕籠」と記されている。


案内板には次のように記されているが、簡単すぎて物足りない。
「岐阜県・羽島市史跡 八神毛利氏歴代の墓 八神毛利氏は三千石余を領有し、
市内桑原町八神に居を構えて名古屋藩に仕えたが、

その初代(毛利掃部介広次・元和二年十二月十四日没・八十四才)より版籍を奉還した。
十三代(毛利源内広貫・明治二十一年六月に二十五日没・六十一才)の墓碑が
菩提所である当寺の墓地に建てられており、史的価値は極めて高い。」

山門を潜ると正面に本堂があり参拝。


境内の左方に鐘楼があり、その右側が墓地の入口である。


墓地は少し低くなっている。階段を降りて墓地に入り、すぐ右に進む。


正面奥の一画が、毛利氏歴代の墓所だった。
墓所の南側中央が入口になっており、コの字形(長方形)に墓碑が並んでいた。


墓所には、高さ160cm程の特大から小型まで多くの墓碑が立ち並ぶ。壮観だ。合掌
右側の墓碑群。後ろに本堂がある。



墓所内右側の南側の墓碑群。




墓所内右側の北側の墓碑群。



墓所内左側の墓碑群。奥の南側にも小さな入口がある。





墓碑には、番号を書いた紙片が置かれているものもあった。お名前は書かれてない。
ほとんどは花崗岩の墓石である。
正面に院号法名、左右に没年が刻まれているが、摩耗して読みずらいものもある。

この中に初代から十三代までの歴代城主の墓碑があるらしいが、墓所には何の案内もない。
どれがどなたの墓碑かわからず、残念だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:34Comments(0)武将のお墓参り

2017年07月22日

★バリ島旅行記 その13(最終回) 帰国「デンパサール(イガステ・グラライ)空港~成田空港」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その13(最終回) 帰国「デンパサール(イガステ・グラライ)空港~成田空港」
<6月24日(土)~25日(日)>5・6日目

★31 「デンパサール(イガステ・グラライ)空港」 
空港に22:20頃に到着。
車を降りて空港ビル内に入ると通路がある。照明がいい感じだ。


通路の先が広い空間になっており、売店もある。
人が多かった。いつもこのように混んでいるのかはわからない。



最初にフライトインフォメーションで、搭乗ゲートとフライト時間の確認をした。
搭乗する飛行機は、一番下に表示されていた。00:55出発予定だ。


この空港では、まず全荷物のX線検査がある。
預ける荷物と機内持込手荷物の両方の検査だ。大勢の人が並んでいた。

次に、ガルーダインドネシア航空のチェックインカウンターへ行く。
18・19カウンターである。ここも大勢の人が並んでいた。
カウンターでは、パスポートのみの提示で良かった。スーツケースを預け、搭乗券を受け取る。


次は、機内持込手荷物と本人のX線検査だ。ここも並ぶ人が多い。
手荷物(カバン)は、口を開けて検査機に通すように指示された。
パスポートと搭乗券を提示する。
身に着けているベルト等の金属を外さずX線検査機を潜り、引っかかる人を何人か見かけた。

次がやっとで出国審査だ。ここもやっぱり行列がある。
パスポートと搭乗券を提示。ここの審査官も不愛想だが、すんなりと通過できた。

出国審査を通過すると、やっとで搭乗口への通路となるが、ここまでずいぶん時間がかかった。
早めに空港に着いておいて良かった。

搭乗ゲートへ行く通路には、最初に免税店があり、次に飲食店や土産店が並んでいる。
しばらく店を見ながら進むと、搭乗ゲートの案内表示があった。
右へ行くと1番ゲート、左に行くと2~9番ゲートだ。今から乗るのは8番ゲートなので、奥の方だ。

8番ゲートまでどれくらい時間がかかるかわからないため早めに向かった。
途中に少しだけ、動く歩道があった。通路脇に簡易ベッドが置いてある。
深夜なので、通路脇や簡易ベッドで休んでいる人も多い。

やっとで8番ゲートに着いた。遠かった。
待合所の椅子席数は多くない。まだ空き席があったので座って待った。
時間が経つにつれ席は埋まり、床や壁際に座って待つ人が増えた。
待合所は涼しく、寒いくらいだった。長袖が必要だった。

日本語でもアナウンスがあり、出発が50分遅れで1:15になる。
理由は聞きづらく、何をいっているかわからなかった。(後で、気流の関係とわかった。)

★32 「ガルーダインドネシア航空 GA880便」 成田空港行
成田まで5861kmのフライトだ。フライト時間は6時間57分の予定と機内アナウンスがあった。
日本人CAは二人乗務している。

機内サービスで、紙おしぼりと水ペットボトル(小)、安眠セットをいただいた。
安眠セットがあっても、なかなか寝付けなかった。つらい。


台湾上空あたりで軽食が出た。ライスかオムレツか選べる。
飲み物はソフトドリンクだけだった。アルコール類は無かった。
ライスの方には、ヤクルトが付いていた。(バリ島でもヤクルトを売っていた)


オムレツには、ヨーグルトが付いている。


「携帯品・別送品申告書」が配られた。1家族につき代表1枚で良い。

★33 「成田国際空港」 帰国
9:31成田空港に無事着陸。とても眠い。

預けた荷物は、割と早くターンテーブルに出てきた。バリ島とは大違いだ。
しかし、私たちの荷物がでてくるのは遅かった。

大きな荷物を持っているし眠いので、空港ターミナルから成田エキスプレスに乗って東京駅へ直行した。
東京駅で弁当を買って名古屋に向かった。

バリ島は、大変良いところだった。機会があれば、再訪したい。

おしまい  


Posted by ふなチャン(Y)  at 10:23Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月21日

★バリ島旅行記 その12 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」&クタ市内ショッピング

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その12 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」&クタ市内ショッピング
<6月24日(土)>5日目

★27 クタ「爆弾テロ事件慰霊碑」
クタ中心部は賑やかだ。様々な店やホテルなどが立ち並び、観光客も多い。


クタ中心部のY字路交差点に、「爆弾テロ事件慰霊碑」が建っていた。
慰霊碑が建つのは、道路より一段高いところだ。


慰霊碑には、爆弾テロで亡くなった方の名前が刻まれていた。
亡くなったのはオーストラリア人が多いが、日本人も二人いる。合掌

★28 クタ「パサル セニ(アートマーケット)」&「パンタイビーチ」
クタ中心部にある地元市場に連れて行ってもらった。

「パサル セニ(アートマーケット)」の前は車の通りが多く、道路を横断するのが怖かった。
バリ島で見たタクシーの色は、爽やかな水色が多かった。


市場内に、寺院や祠がある。祠には、たくさんのお供え物があった。




通路端は駐車場となり、びっしりと車が停まっている。
店番らしき女性が、停めてある車の隙間で何か作っていた。のんびりしている。


物語のプリンセスの衣装をショーウインドウに並べている店もあった。かわいい。


「I♡ BARI」と書かれたバッグやシャツ、いろんなマークが付いたキャップなどを
売っている店もある。上手に並べてある。


左側の平屋建ての長屋には、小さな店が詰まっていた。
訪れた時はお客が少なく、店員は通路に置いた椅子に座っていた。



売っているのは主に衣類で、眼鏡や靴、カバンなどもあった。
ここでも、通路で作業をしている女性店員がいた。暇そうだ。
雑然とした市場を見て歩くのも楽しい。


市場を通り過ぎると木陰があり、その前が「パンタイビーチ」だった。
海だ、いいね。木陰で海を眺めたり、カフェで寛ぐ人がいる。



白く美しい砂浜がいいね。
浜辺には、水遊びをする人、物を売っている人、体を焼いている人、波打ち際を散策する人がいた。
海にはサーフィンをする人が浮かんでいた。


思い思いに過ごす人たちがいる平和な眺めだ。だが暑かった。

★29 クタ「モール バリ ギャレリア」 昼食&ショッピング
店へ入った所に警備員がいて、バッグの中身のセキュリティチェックがあった。

長方形の中庭があり、テーブルで食事をしている人がいた。


中庭の周りにフードコートがあり、飲食店が並んでいた。
その中の「MMジュース」で昼食をいただく。


注文した料理は、オタオタ(魚のすり身をバナナの葉で巻いて焼いたもの)・・・蒲鉾みたいで、ほのかに甘い、


定番になったナシゴレン、


クウェティアオ(米パスタとチキンの炒めたもの)、


ビーフン(料理名不明)、


キャプチャイ(野菜炒めスープ)、


ミーアヤム(鶏肉と麺)とバソスープ(ミートボール入り)、


ナシベラ(赤いご飯)・・・キャプチャイと混ぜて食べると美味しい


デザートにピィサンゴレン(バナナのフライ)。


美味しい料理に感謝。

店内は、とても広い。明るくて清潔だ。客は地元の人が多いようだ。


店内のスーパーで買い物。土産物を追加したり、気になる物を買った。


買ったのは、「キットカット・ほんかくてきまっちゃ」「味の素・Masako」・・・味の素製品をよく見かけた


バナナ・・・日本では少なくなったバナナシールが付いていた


「ざくろジュース」「ジュングルジュース」、


「ba-bal(インドネシアのお菓子)」、


「sukro」・・・インドネシアの小さいお菓子、


「ココナッツクッキー」・・・箱がいかにもバリ島なので買った。
小分けして土産にしようと思ったが、開けてみたら小分けできなかった。


珍しい物がたくさん売っており、見るだけでも楽しかった。

★30 クタ「サークルK」 ショッピング
バリ島でもコンビニをたくさん見かけた。
「サークルK」もたくさんあった。気になっていたので、連れていってもらった。


日本のサークルKは、ファミリーマートに衣替えしつつある。近所のサークルKが少なくなっている。
「インドネシアのサークルKはどうなるのだろう?」と思った。

店内には、サークルKオリジナルのビーチサンダルがあった。


買ったのは、カップ麺4種類、チョコレート、飲み物。
どのような味がするか楽しみだ。





次回につづく(次回が最終回)  


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2017年07月19日

★バリ島旅行記 その11 「ウルワツ寺院&ケチャダンス」&フードコートで夕食

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その11 「ウルワツ寺院&ケチャダンス」&フードコートで夕食
<6月23日(金)>4日目

★25 パドゥン半島「ウルワツ寺院&ケチャダンス」
ウルワツ寺院は、パドゥン半島の西端の断崖沿いにある。

10~11世紀に創建された聖地で、夕日のビュースポットとしても有名である。
境内にケチャダンス会場がある。

駐車場に着いた時には満車に近く、車を停める場所を探すのに苦労した。
料金所で拝観料を支払い、その横で腰巻と腰紐を借りる。境内は神聖な場所である。

小さな門を入ると、境内は道が分かれている。直進することにした。
林の中を進むと、石柵に突き当たる。
柵の向こう側は断崖絶壁で、インド洋が広がっていた。展望台もある。


崖沿いに遊歩道が整備されており、海と崖の美しい景色を眺めながら歩くことができる。素晴らしい。
先には、神殿の屋根が見える。


先に進み振り返ると、ブーゲンビレアが咲き、断崖と白い波が打ち寄せる景色が見えた。絶景だ。


先端には神殿があり、大勢の参拝者と観光客がいた。


神殿の中は入れないが、外から見ることができた。祠がいくつか建っていた。


神殿の近くに、ミサンガのような物を編んでいる人がいた。絵になる。


神殿で参拝した後、階段を降りた。降りたところにウルワツ寺院の立派な標柱があった。
こちらが参拝の正しい入口みたいだ。


階段を降りたところは広場になっており、広場周辺の木陰で多くの人が休んでいた。
広場の前の柵越に海を覗くと、ここも美しい景色だった。垂直の崖と海と波を見ていてあきない。


ケチャダンスの観覧券をM君が買ってきてくれた。別料金なのだ。
日本語の案内チラシをいただき、パフォーマンス内容を予習した。開演が楽しみだ。


チラシによると、『バリ舞踊の中で、最もダイナミックでユニークなパフォーマンスがケチャ。
いっさい楽器を使わず、数十人の男声だけで独特のリズムを刻み、
ヒンズー教の創世神話の一部が踊り手たちによって演じられる。

見所は、数十人の男声による一糸乱れぬパフォーマンス。声だけでなく、身振り手振りにも注目。
演じるのは、「森に迷い込んだラマ王子とシータ姫に忍び寄る邪悪な影」というストーリー。
(チラシにあらすじが書いてあった。)』

ケチャダンス会場は、崖沿いにある。まだ明るいうちに会場に入ると、客は少なかった。
会場は半円形のすり鉢状で、崖側に広場があり、陸側に傾斜のついた客席があった。


席を確保し、開演を待った。席は、M君お勧めの中央付近の最後列。
ここだと立って写真を撮っても、前の人の邪魔にならない。また、会場全体を見渡せる。

待つ間、客席から暮れ行く海を眺めた。赤い夕陽にはならなかったが、美しい眺めだ。
でも暑かった。


陽が沈みかけた頃に、ケチャダンスのダンサーが会場に入って来た。広場に座る。
その後に白装束の僧侶が入り、ダンサーたちに聖水らしきものをかけた。

それからダンサーたちのケチャダンスが始まった。
「チャッチャッ」という合唱と身振り手振りが、テレビなどで見たままだ。


ケチャの合唱が心地よい。座ったまま、体を揺らせ、腕を左右、上下、前後に動かす。
生で見るのは、やっぱりいいね。

パフォーマンスが始まっても、まだ観客が入ってくる。
始まる前に用意された椅子席も埋まり、ダンサーたちのすぐ後ろに案内されていた。
ダンサーたちもやりずらそうだ。

美しい衣装の女性が出てきた。優雅なバリ舞踊を踊る。


さらに、魔王が出てきた。邪悪な感じがする。


陽が沈むと照明が点けられ、パフォーマンスが見やすくなった。
突然、白い猿が出てきた。ラマ王子の味方だ。


白猿は会場内をあちこち移動し、客をからかったりする。
客の頭を撫でたり、客を席から追い出して座ったり、ピエロみたいだ。


ケチャのダンサーたちは、演じる人や内容に合わせて、隊列を変える。
丸く輪を作ったり、小集団に分かれたりする。


悪者たちが出てきた。悪者だがパフォーマンスは憎めない感じ。
そして、客席から女性を広場に連れ出し、一緒に踊った。


また、客席との掛け合いでも楽しませてくれた。
観客に、マレーシアの人?、日本の人?、インドの人?、オーストラリアの人?、
インドネシアの人?と順に聞くと、それぞれの客から手が挙がった。オーストラリア人が一番多かった。

悪者は白猿を捕え、猿の周りに火をつけ始めた。どうなるのだろう?


だが、白猿は自力で縄を解いた。そして、足で火を消した。



演技中だというのに、席を立つ客がいた。はじめは一人二人だったが、集団で帰る客もいた。
ダンサーや役者の脇を通り、演技の邪魔になっていた。
他の観客の邪魔にもなっていた。困ったもんだ。

フィナーレは、役者が揃って挨拶した。
終演後は、無料でダンサーたちと一緒に記念撮影ができる。
しかし、夕食がまだなので帰ることになった。時間があれば一緒に撮影したかった。


「ケチャダンス」というと、大勢の男性が「チャッチャッ」と合唱して
体を揺り動かすだけだと思っていたが、見てみたら全く違っていた。

ケチャダンスを楽しみ、大満足の1時間でした。

★26 クタ「クリシュナ・ウィサタ・クリナー」 フードコートで夕食
ウルワツ寺院の帰りにクタのフードコートで夕食。フードコートは、3階建ての建物の1階にある。


入口前に、笛を持ったモニュメントが立っていた。


店内には、いろんな店が並んでいた。ほとんどの客はアジア系の人だ。
席に付いて料理を注文。チキン・ペンカツ(山型ご飯とおかずいろいろ)、


ララップ(十六ささげ、キャベツ、キュウリに辛いタレ)、
十六ささげは、インドネシアではロングビーンズという。


皆が好きなテンペ、


M君の好きなカンクン、


他にタフゴレン、サユール・アサム(酸っぱいスープ)、チキングリル、
ベベグリル(カリカリのダック)、ローデスープ(カレーみたい)、ナシ(白いご飯)を注文。

今晩も様々なインドネシア料理をいただけました。(感謝)

次回につづく

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:09Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月18日

★バリ島旅行記 その10 「J.CO(ジェイコ)」&「大モニュメント」&「GWKカルチュラルパーク」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その10 「J.CO(ジェイコ)」&「大モニュメント」&「GWKカルチュラルパーク」
<6月23日(金)>4日目

★22 クタ「J.CO(ジェイコ)」ティータイム
サンセット通りにある「J.CO(ジェイコ)」で朝のティータイム。
店はビルの1階にテナントとして入っている。


「J.CO」は、インドネシアのドーナツ屋さん。
日本でいえばミスタードーナツかな。インドネシアのあちこちで見かける。


ショーケースには、いろんなドーナツが並んでいる。どれも美味しそうだ。


注文した飲み物は、ジョコチーノ、グリーンティ、グリーンティ・フラッペ。飲み物には、ドーナツが1つ付いてくる。
ティータイムで、ゆったりとした朝もいいね。


<トイレ事情>
ビルの地下にあるトイレに入った。男子用に小便器はなく、和式便器が1つだけだった。
水洗式だが、バケツの水を桶で組んで便器に流すようになっていた。
トイレットペーパーもない。代わりにシャワーがついていた。


空港や新しいホテル、SC、レストランでは、だいたい洋式便器だが、トイレットペーパーがない所もある。
トイレについては、ガイドブックに注意事項として書いてあるので、事前準備と心構えが必要だ。

ビル内の雑貨店に、ドラえもんの偽物ぬいぐるみがあった。緑色のもあった。


★23 クタ「大モニュメント ラーマヤナと魔人の戦い」
クタの交差点のロータリーに大型のモニュメントがある。
バリ島では、大小のモニュメントや神像がロータリーや道路脇に立っていた。


大型モニュメントの正式名称はわからないが、「ラーマヤナと魔人の戦い」像らしい。
ラーマヤナが馬の上に立ち、馬車に乗った魔人と対峙している。
大変迫力ある像だ。

モニュメントの最下部は、象が口から水を吐いていた。象は水の神?


モニュメントの上空を飛行機が通り過ぎて行った。


馬車の後部には、ガルーダらしき神が構えていた。


モニュメントの周りを歩いて一周できる。
素晴らしい像を近くでじっくり見ることができて良かった。

★24 パドゥン半島「GWK(ゲーウェーカー)カルチュラルパーク」
「GWK」とは、ガルーダ&ウィスヌ神&クンチャナ(合体)という意味だそうだ。
ガルーダにウィスヌ神が乘っている像が、パークのシンボルなのだ。

道路沿いに白い大きな「GWK」の立体看板があった。そこから左へ入る。


案内チラシには、展示内容と配置図が載っている。広い敷地だ。
残念ながら日本語の案内はなかった。



駐車場の周りには、石切り場がある。
石切り場の高さは20m以上だろうか。きれいに直方体に削ってある。


駐車場から歩いて、売店の前を通り過ぎると、入口が見えてくる。


入口前には、姿形が異なった神像が並んでいる。


入場すると左側にシアターがある。その前に本日のパフォーマンススケジュール表があった。
バリ舞踊や演奏の場所と時間が書いてある。時間があれば見たかった。


シアターの向かいには、レリーフがある。
ガルーダとウィスヌ神の神話らしい。見応えがある。


現在、パークのメインとなるGWKタワーを建造中だ。その完成予定図があった。
完成すると120mにもなる巨大なものだ。でも、いつ完成するかわからないらしい。


奥に進むと、亀の噴水と神像のある池に出る。亀の形は日本の表現と異なり、興味深い。


池の横で、腰巻と腰紐を貸していただける。この先は神聖な場所となる。
階段を上っていくと、ウィスヌ神の頭部が見えてきた。


階段を上りきると広場になっている。
そこに巨大なウィスヌ神像の上半身が鎮座している。なかなかのイケメンだ。


広場は高台にあるため、緑の中に点在する家や海を見下ろせる。


広場からは、ガルーダ像の足や翼らしきものの一部が地面に置かれているのも見えた。


また、ガルーダ像の頭部を見下ろせる。
遠くには、クレーンを使って建造中のGWKタワーも見える。


ガルーダ像の頭部は、近くで見ると実に大きい。迫力がある。


良く見ると優しい顔だ。


階段を降りて見上げるガルーダ像も絵になる。


階段を降りたところは広場になっており、両脇は直方体に削った石切り場だ。壮観である。


石切り場の間に日影ができており、そこは涼しい。


日影に軽食を売る店があり、そこで休憩。
肉団子入りの麺とインドネシア風シュウマイをいただいた。



GWKタワーが完成していなくても、巨大な主要部分をまじかで見ることができて良かった。
出口にある土産物店も充実していた。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:33Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月17日

★バリ島旅行記 その9 ウブド「ウブド王宮」&「バリ舞踊」観賞

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その9 ウブド「ウブド王宮」&「バリ舞踊」観賞
<6月22日(木)>3日目


★20 ウブド「ウブド王宮」
ウブドの町は、大勢の観光客で賑わっていた。さすが人気観光地だ。
通りには、土産物店、飲食店、ホテル、マッサージ店などがぎっしりと並んでいた。

ウブド王宮は、そんな町の一角にあった。
王宮は、1908年にオランダに征服されるまで続いた王の屋敷だそうだ。
王宮には今も子孫の方が住んでいるため、一部しか見学できない。

赤レンガの立派な門が入口になっている。
その門前に机を置いて、向かいの建物で開催されるバリ舞踊のチケットを売っている。


チケットを購入しておいて、王宮に入った。無料で見学できる。
夕方で薄暗くなっており、王宮内の立派な門がライトアップされていて良い雰囲気だ。


建物内部もライトが点灯され、壁のレリーフが見やすくてありがたい。


レリーフの神たちの手の動きは、バリ舞踊みたいだ。


王宮内の像は、目鼻立ちがはっきりしていて、今まで見た像と異なり興味深い。



★21 ウブド「バリ舞踊」観賞
ウブドには、いくつかバリ舞踊を見られる会場があるそうだ。
その中で我々が観賞する会場は、ウブド王宮の向かいの「ウブドパレス」だ。


会場に屋根はあるが、壁はなく開放的だ。公演は19:30~21:00の予定である。
席は自由席だし、込み具合がわからないため、1時間以上前に会場に入った。
その時は椅子を並べて準備中だったが、入っても良く、最前列に座れた。

まだ会場は照明が点いておらず薄暗かったが、徐々にお客が入ってきて、最前列が埋まった。
待っている間に、舞踊の案内チラシが配られた。日本語版もあって良かった。


チラシには、「レゴン・トランス:パラダイス・ダンス 演奏・舞踊:スク・パンチャ・アルタ・ウブド・クロッド」と題し、
ダンスと舞踊劇のあらましが書いてあった。

舞台には、奥にレンガ門があり、その門に3つの立派な入口がある。
中央入口が高く、門の前の両脇に笠を持った神像が立つ。


舞台両脇には、楽器が置かれていた。
しばらくすると、男性が薄暗い舞台に上がり、舞台の端に沿って黄色い花を並べ始めた。

開演を待つ間、飲み物売りの売り子が何度もきた。売り子は婆さんだ。
席は、18時半頃からポツポツと埋まり始め、19時過ぎからゾクゾクと埋まっていった。
そして、始まる前には満員になっていた。

最初に舞台両端へ楽団が入ってくる。紫色のきれいな衣装だ。
その後、白装束の男性が出てきて、聖水らしきものを楽団員に振りかける。


その後、楽団によるバリ音楽の演奏が始まった。時折、女性による歌も入る。
普段聞くことのない楽器が使われ、何とも言えない感覚になる。生演奏はいいね。


先ほどと異なる白装束の男性が、中央の門から出てきた。手に何か持っている。


続いて、男性に担がれた美しい女性が出てくる。4人一組で、二組が出てきた。
女性は美しい衣装で、手に金色の扇を持っている。



先ほどの白装束の男性が、舞台中央前方でお祈りを行う。


お祈りが終わると、女性が「レゴン・トランス」を舞い始める。
最初は目を閉じて舞う。


表情は穏やかだ。動作は緩やかで、手の動きが独特で面白い。
踊りは動作のみで、声は発しない。音は演奏のみである。


しばらく目を閉じたまま舞うが、突然目を目いっぱい開く。
目の周りの化粧も相まって大きな目となり、面白い。


表情はきつくなり、動作も心持ちキビキビしている。


踊りが終わると、女性は目を閉じて紙吹雪を舞わせる。


次に、仮面を付け、きらびやかな衣装で、手の爪が長い男性が出てきた。
鬼神であり、「ジャウック」を踊る。
鬼神が森の中を一人で戯れる姿を踊りにしたもので、指先の動きが独特で面白い。


しばらく一人で踊った後に客席に来て、客の女の子を舞台に上げた。
手取り足取りで踊りを教えた後、一緒に踊った。
女の子のかわいい踊りに、客席から拍手喝采だった。


次に、柄の長い傘を持った男性4人が出てきた。


続いて、女性4人が出てくる。「レンチャナ・アグン・ウブド」を踊る。
女性たちは、シンボルを持って踊る。



シンボルは、半月(アルダチャンドラ)、太陽(ウィンズ)、地球(コスモス)、龍(ナガ)の4つで、
バリヒンドゥー教では「月と太陽は地球を守り、龍は地球を支えている」という教えがあり、
その思想を基に表現されているそうだ。


次に、化粧の濃いおかまっぽい男性が出てきた。
きらびやかな衣装で、右手には扇を持っている。動きは軽快だが、あやしい。


「クビャール・トロンボン」という踊りを舞う。
クビャールとは稲妻という意味で、トロンボンは旋律打楽器の名称だそうだ。

踊りの最中は、表情豊かだ。トロンボンを演奏するときも踊りながらである。


次に、美しい女性4人が出てきた。頭に大きな花飾りを載せている。
目を見開き、真剣な表情で踊る。やはり手の動きがユニークで興味深い。




最後が、舞踊劇「ビマニュウ物語」だ。劇も動作のみで、声を発しない。
始めに家来らしき男性が出てくる。三枚目って感じで、ユーモアあふれる表情だ。


つづいて、トランプのキングのような出で立ちの男性が出てきた。王子らしい。
ガニマタで、ユニークな動きの踊りに目が離せない。


次は、美しい衣装の姫らしき女性が出てきて踊った。手と腰の動きが優雅だ。


そして、長い髪の女性たちに続いて、子猿の軍団が出てきた。
子猿は、舞台の上をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。かわいい。


魔王たちの演技の最中は、王子と家来が脇で待機。王子はヤンキー座りだ。


魔王と王子。王子は、キリッとした表情だ。


フィナーレは、出演者全員が美しい衣装で勢ぞろい。
良かった!!拍手喝采だ。



感動の1時間半が過ぎてしまった。素晴らしい踊りと劇だった。(お勧めです)
なお、チラシで劇のあらすじを読んでいたが、踊りや動きの意味がわからなかった。

次回につづく

  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:24Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月15日

★バリ島旅行記 その8 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」&「ワルン グラメ」で昼食

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。
◆バリ島旅行記 その8 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」&「ワルン グラメ」で昼食

<6月22日(木)>3日目
★18 ムングウィ「世界遺産タマン・アユン寺院」 
タマン・アユン寺院は、1634年にムングウィ王国の国寺として建てられ、世界遺産になっている。

寺院は、広い濠に囲まれていた。濠の左側が境内になる。(右は民家)


橋に架かる門を潜って境内に入る。


さらに橋を渡り門を入ると、右手に受付(料金所)があり、拝観料を支払う。


ここまでにもいくつかの神像がある。中には、異形の神像もあり興味深い。


拝観料を支払い中に入ると、左側に庭園がある。緑の芝生が美しい。


右側は茅葺の大屋根の建物がある。
屋根の下には、人形が配置してあり、神話を物語っているらしい。



奥に進むと門があり、附属する神像もユニークだ。


門の先にレンガ造りの建物がある。そこには美しい象の形の神などのレリーフがある。



先に進むと、右側にある建物の前に神像(守護神って感じ)が何体かある。
いろんな顔と衣装で興味深い。


受付から真っすぐ行くと、突き当りに大きな門がある。
ここの扉は開いておらず、一般の人は中に入れない。
周りは壁で囲われており、特に神聖な場所だそうだ。


壁に沿って周りを一周できる。
壁の中には、美しい大小の堂塔や石塔が並んでいる。
多層塔はメルといい、聖なるアグン山を模しているそうだ。ここには10基ある。



見る角度によって、堂塔などが造る景色が変わる。



美しい建物や神像をたくさん観られて良かった。ここもお勧めの場所だ。


★19 ムングウィ「ワルン グラメ」で昼食
遅い昼食を「ワルン グラメ」でいただいた。


開放的な店内で、庭の中にも席がある。いい雰囲気だ。


水の入ったボウルとライスが一緒に出てきた。水は手洗い用だ。
今まで入った店では水が出てこず、M君から聞かないと手洗い用とわからなかった。(危なかった)


注文した料理は、グラメ・フライ(グラメは魚の名前)・・・カラッと揚がり食べやすい


ミー・ゴレン、


グラメ・フライ(野菜などが載っており辛かった)、


野菜炒め、


カンクン(空心菜)チャ、


他にグリル・チキン、テンペ、グラメ・グリルなどを美味しくいただいた。(感謝)

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:56Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月14日

★バリ島旅行記 その7 車窓&地元市場&タナロット寺院

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その7 車窓&地元市場&タナロット寺院
<6月22日(木)>3日目

★15 車窓「クロボカン~タバナンの景色」
バリ島の車窓風景は、見ていて飽きない。
そこら中にある寺院には、様々な神像や物が置かれている。それを見るのも面白い。(写真は何か不明)


道路端の大型看板も日本とは、異なる景色を作っている。


小さな店で、アイスクリームらしき物を売っている。


古い建物を改修して利用しているタイヤショップがあった。
赤瓦屋根の寄棟はバリ島様式の建物らしく、島のあちこちで見かけた。


ガソリンスタンドでは、車とは別にバイク専用の給油場所があり、列ができていた。
日本ではみかけない光景だ。


おもちゃ屋さんには、水遊びの玩具がたくさん並べてあった。


郊外では、田んぼやバナナの木やヤシの木をよく見かけた。のどかだ。


★16 タバナン 「パサル トラディショナル スリ バンタス」(地元市場)
地元市場も見たいとM君にリクエストした。連れて行ってくれた市場は、田園地帯の中にあった。


舗装がされてない広い駐車場があり、大屋根の建物の中にたくさんの小さな店が詰まっていた。


訪れた時は、まだ全部の店が開店していなかった。
開店している店も準備中という感じ。
狭い店には、目いっぱい商品を詰め込んで並べてある。商品は、見慣れない物が多く興味深い。



大きなドリアンなどの果物を机に並べて、開店準備をしている店もあった。


野菜売り場には、品定めするお客がいた。ここが一番賑わっていた。


場外には、米、ニンニク、玉子や名前がわからない野菜を売る店もあった。


お線香もいろいろな種類があり、ラベルの絵柄が興味深い。


お米を揚げたお菓子やお供え用の飾りも、素朴で興味深い。



料理を載せたり包んだりするのに利用されていたバナナの葉も売っていた。


飲み物や菓子などを見事なまでに詰め込んで展示している店も、見ていて楽しい。


市場の駐車場脇に面白い車が置いてあった。「明石家さんま」さんみたいだ。


★17 タナロット「タナロット寺院」の絶景
タナロット寺院の周りは、飲食店や土産物店がたくさんあり、門前町みたいだ。


参拝前に「ワルン ジンゴ バリ」へ入り、ティータイム&軽食。店先にメニュー看板がある。



飲み物と料理を注文。料理は、ピーナッツペーストが美味しいサテ・アヤム(インドネシアの焼き鳥)、


玉子焼きがのったナシゴレン(インドネシアのチキンチャーハン)、


フライド・カラマリ(イカの天ぷら)、


白ご飯がついたウダン・バカール(海老のグリル)、どれも美味しかった。


タナロット寺院は、海沿いにあった。ここには海の神が祀られているそうだ。
大小の神殿などが点在しており、眺めを楽しみながら参拝できる。

断崖絶壁の崖沿いに遊歩道があり、海に突き出た穴の開いた岩の景色を眺められる。
打ち寄せる荒波と砂浜も相まって良い景色だ。


神殿の前には、ユニークな神像もある。ユーモラスな仕草と表情だ。(出っ歯だ)


先に進むと岩場を見下ろせる。絶景だ。
岩場と緑、打ち寄せる白波が美しい景色を作っている。


訪れた時は干潮なので、岩場が干上がり島まで陸地となっていた。
大勢の人が岩場の上にいた。楽しそうだ。



陸地の方には、神殿や土産物店や飲食店の建物が見える。こちらも良い景色だ。


岩場を歩いて陸続きとなっていた島へ向かった。
干潮の時しか行けないそうで、ラッキーだった。


島の麓には祠があって、お祈りに来る人が絶えない。
お賽銭をあげてお祈りをすると、頭に聖水を掛けてもらえる。
そして、額に米粒を10粒くらい付けられ、黄色いプルメリアの花を耳に付けてもらえた。


寺院の本殿らしき所は、門の中は入れない。
神像と門は、黒っぽくて他の寺院とは異なっていた。


門前町の交差点に神像が立っていた。左右の像の表情が面白い。


彫刻作品を売る店では、白い犬を撫でる店員がいた。果たして犬は本物?


ここもぜひ訪れたい場所だ。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:00Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月10日

★バリ島旅行記 その6 クタ「カルフールでショッピング」&クロボカン「ワルン ドゥ サワで夕食」

バリ島をこれから訪れる方の参考にしていただけたら幸いです。

◆バリ島旅行記 その6 
クタ「カルフールでショッピング」&クロボカン「ワルン ドゥ サワで夕食」

<6月21日(水)>2日目
★13 クタ「カルフール」SCで買い物
現地のスーパーに連れてってとM君に頼んだ。
日本との商品や展示の違いを見たいと思ったからだ。お土産も入手できるといい。

連れて行ってくれたのが、クタにある大型ショッピングセンター「カルフール」だった。
カルフールは、フランスに本社があり、世界各地に店があるらしい。

1階の入口前に、バリ風のカウンターがある。


ショッピングカートは、ビッグサイズだ。たくさん入るね。


日用品、衣類、お土産、食料品、菓子、家電、バイクなど、広い店内には様々な物が売っている。
野菜の種類も豊富だ。日本で売っている野菜も多かった。


この店で買ったのは、podチョコレート(種類が豊富で選ぶのに悩んだ。数種類の試食ができた。)、


コピコーヒー、インスタントコーヒーセット(いろんなコーヒーを売っている)、


ホワイトコーヒー、もうひとつインスタントコーヒーセット(飲み比べたい)、


グァバジュース、ジャンブ・ヨーグルトドリンク(ジャンブは南洋の果物)・・・現地ドリンク


バリ・ガルーダ・チョコレート(マカダミアナッツ)、ナシ・ゴレンの素。


「ナシ・ゴレンの素」の売り場には、日本語の説明ポップがあった。
「日本へのお土産に! 10分で完成!! 大人気インドネシア料理 好きな食材と一緒に炒めるだけ!」
と書いてある。その隣には作り方のポップもあって親切だ。


見て、買って、楽しいショッピングだった。

★14 クロボカン「ワルン ドゥ サワ」で夕食
ガーデンレストランで夕食です。


オレンジ色の灯りが、良い雰囲気だ。庭の中にテーブル席がある。


メニュー表を見たら、コース料理もある。


しかし、料理を一品づつ注文した。まず、ミーゴレン(インドネシア風の焼きそば)、


コーンフリッター(トウモロコシの揚げ物)、サユール・ウラップ(野菜炒め)、



ナシ・ゴレン、チキン・パルメジャーナ、



他に、揚げ豆腐&テンペ、カンクンチャ(空心菜炒め)を皆でシェアしていただいた。
料理がきれいに盛り付けがしてあって、いいね。

どれも美味しくいただいた。(感謝)
店員さんに「ティリマカシ」と伝えると、笑顔で小さい声の「サマサマ」が返ってきた。
いいお店でした。

次回につづく  


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2017年07月08日

★バリ島旅行記 その5 絶景の「テガラランの棚田」

バリ島をこれから訪れる方の参考にしていただくためのブログです。

◆バリ島旅行記 その5 絶景の「テガラランの棚田」はお勧め
<6月21日(水)>2日目

★12 テガララン「テガラランの棚田」&「テラス パディ カフェ」
テガラランは、ウブドから北へ約5kmに位置する。
ガイドブックによると、バリ島でも有数の美しい棚田で有名な場所で、観光客が大勢いた。

駐車場はなく、道路端に車を停めた。
道路端にずらりと車が並んでおり、車を停めるのに一苦労だ。


棚田の近くの道路脇には、土産物屋やカフェが並んでいる。
立派な店から質素な店までいろいろだ。




カラフルな凧を売る店もあった。


谷の斜面に美しい棚田が広がっており、多くの人が写真を撮ってた。



いくつかあるカフェのうちで「テラス パディ カフェ」に入った。
谷の斜面にあり、棚田を見渡しながら食事ができる。絶好のロケーションだ。

この店のメニュー表は、料理の写真が載っており、日本語表記もある。
さらに、料理の簡単な説明もあって、大変うれしい。



注文したのは、ナシ・プチェル(温野菜とテンペをピーナッツソースで食べる伝統的ジャワ料理)、


ガドガド(茹でた野菜にピーナッツソースをかけたサラダ)、


テンペ・ゴレン(揚げたテンペ)、


ナシ・クニン(伝統的バリ料理のターメリックとココナッツミルクで炊いたご飯、フライドチキンと卵焼き添え)。


他にナシ・ゴレン、アヤム・ゴレン、サテ・アヤムを美味しくいただいた。

食事中に突然スコールが降り出した。


短時間で雨は上がった。雨上がりは陽がさして、棚田を照らした。
先ほどまでとは異なった美しさだ。棚田とヤシの木がマッチして、絶景がさらに美しかった。



ここはお勧めの絶景スポットだ。


次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:24Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月06日

★バリ島旅行記 その4 「キンタマーニ~タンパシリンの風景」&タンパシリン「グヌン・カウィ」 

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その4 
「キンタマーニ~タンパシリンの風景」&タンパシリン「グヌン・カウィ」 

<6月21日(水)>2日目
★10 車窓「キンタマーニ~タンパシリンの風景」
バトゥール山を後にして、タンバシリンへ向かう。キンタマーニ周辺の高原は、果樹や苗栽培が盛んだ。
沖縄や奄美地方で栽培されている「たんかん(みかんの仲間)」らしき木を多く見かけた。

道路脇には、小さな果物店があちこちにあった。果物はきれいに山積みされている。



野菜や果樹の苗の栽培・販売店もよく見かけた。


鳥籠を売っている店もよく見かける。


★11 タンパシリン「グヌン・カウィ」 門前町と石窟遺跡
タンパシリンは、ウブドから約10㎞北東に位置する。
「グヌン・カウィ」は、バリ・ヒンドゥー教の聖域で、バリ最大の石窟遺跡。ウダヤナ王とその家族の墓碑だそうだ。

石窟遺跡には門前町があり、土産物店が軒を連ねている。



訪れた時は観光客も少なく、店の人たちはヒマそうだった。



道路脇に、大きな神像が目を見開きすごい形相で、片足で立っていた。


頭の上に机を載せて運んでいる女性を見かけた。すごい。
これまでに籠を載せている女性は見かけたが、机を載せているのはこれ1回だった。


脇道を見ると、道の中央で犬が寝ていた。のどかだ。


入場料を支払ってからが聖域の境内になる。
聖域に入るため、脚の見える短パンやスカートの人は腰巻と腰紐を借りる。そうでない人は腰紐だけ借りる。
腰巻の布は、きれいな模様だ。ズボンを履いていた私たちも貸してほしかった。
(持参した腰巻や腰紐を身に着けている観光客もいた。)


入口が境内の一番上にあり、土産店の間の参道を下っていく。
長い坂になっており、谷底に遺跡がある。

途中の土産店には、衣類、民芸品、仏像、美しい布などを売っている。
小さな店にきれいに並べてある。






坂道の途中から、参道の両脇が岩壁になる。その間を通るのも楽しい。


参道脇に棚田があり、子ども達が凧揚げをしていた。


谷底には、巨大な石窟遺跡が小川を挟んで両岸に5基づつある。
11世紀ころに岩に彫られたといわれており、高さは約7m。日本の宝篋印塔に似た形である。


遺跡の周りには神殿がある。遺蹟周辺は神聖な気配がする。


対岸の緑の中に見える遺跡もいい感じだ。



小川には橋が架かっており、休憩している人もいる。
観光客は、欧米人が多い。バリ島に近いオーストラリア人らしい。(バリ島全体でもそんな感じだった。)


対岸の石窟遺跡は、囲いがあり真近には行けない。


石垣の上に神殿や祠が数棟あり、神像たちが守っている。





神殿の裏に回ると、筒から水が出ていた。まわりは苔むしている。


戻るとき、頭の上に土の入ったバケツを載せて、坂道を降りてくる女性たちに出会った。
重そうだ。


神聖で美しい遺跡を見ることができて良かった。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:11Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月05日

★バリ島旅行記 その3 「クロボカン~キンタマーニの風景」&キンタマーニ「バトゥール山&バトゥール湖を眺望」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その3

<6月21日(水)>2日目
★8 車窓「クロボカン~キンタマーニの風景」
今日はレンタカーで北へ向かう。

バリ島は、広い道は一部の幹線道路だけで、大体は狭い道だ。
そこをたくさんの車やバイクが行きかう。車もバイクも車間距離なんて関係ない。前後左右スレスレで走る。


車もバイクも脇道から合流するときは、強引に割り込む。
日本人の私にとっては、とてもスリリングだ。ここでは運転できないと思った。

そして、前に遅い車やバイクがいるとドンドン追い越していく。
バイクは、二人乗り、三人乗りもよく見かける。四人乗りもいた。
路上には、バイタリティが溢れている。

信号機は、都市部では見かけることがあるが少ない。郊外にでると全くない。
たまにロータリーがある。

バリ島の宗教は、バリ・ヒンドゥー教徒が9割だそうだ。
そのためか、神々の島と言われるほど、ヒンドゥー寺院が多い。
寺院の規模は大小様々で、形や装飾、門前の神像も様々で興味深い。




一般の家の作りは様々で、寺院風の家もある。


また、パドマサナという神々が降臨する台座(形は日本の宝篋印塔に似ている)がほとんどの家にある。
先祖霊の依り代にもなっているらしい。
パドマサナが、ベランダや屋上に設置してある建物も多く見られた。


地方の露店市場も見れた。カラフルなパラソルの下に品物を並べ、面白そうだったが通過。


小さな商店や飲食店もたくさん見かけた。店の前までダンボールに入った商品を並べてある。



畑や田んぼもところどころで見かけた。トウモロコシ畑は花が咲いていた。


田んぼでは、稲刈りをしていた。稲は年3~4回収穫ができるそうだ。


商店は、前面の扉も窓もなく、道路からそのまま店内に入れる。
道路から店内の商品が良く見えるようになっていた。




果物店には、でっかいドリアン、パパイア、バナナ、パイナップル、みかん等が並んでいた。


鶏籠などを山積にしたトラックが停まっていた。荷崩れしないか心配だ。
脇を犬が歩いていた。バリ島では、あちこちで犬が路上をうろついたり、道路わきで寝そべっていた。


日本とは異なる風景を眺めるのは楽しい。

★9 キンタマーニ「バトゥール山&バトゥール湖を眺望」&「サリ レストランで軽食」
レンタカーでクロボカンを一気に北上し、キンタマーニへ。
進むにつれ、標高が高くなる。だんだん民家が少なくなり、道も狭くなる。

山道を登って到着したのは、「サリ レストラン」の駐車場。
駐車場から見渡す眺めは最高。素晴らしいバトゥール山やバトゥール湖の景色が広がっていた。
湖の隣にアバン山も見える。


ここは、バトゥール山の外輪山の端にあるそうだ。
広大なカルデラが作る山や湖の景色は、眺めていてあきない。


「サリ レストラン」に入ると、窓沿いの席に座れた。
窓越しにバトゥール山やバトゥール湖の景色を見られる最高の席だ。
ここでティータイム兼軽食だ。うれしいね。


飲み物は、ビンタンビール、ドラゴンフルーツジュース、キンタマーニコーヒー、ホットティ。
ドラゴンフルーツジュースは、きれいな色だし、美味しい。
キンタマーニコーヒーは、コピと呼ばれるもので、上澄み液を飲む。
飲んだ後にカップの底に粉が残るのだ。


料理は、きれいに盛り付けされたナシゴレン(店によって盛り付けや味が異なる)、


タフ・テンペ・バチャン(揚げ豆腐とテンペ)・・・テンペは、煮た大豆をテンペ菌で発酵させた食品


春巻、フルーツ(たんかん、パパイヤ、黄色スイカ)



素晴らしい景色を見ることができ、料理を楽しめ、大満足だった。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:05Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月04日

★バリ島旅行記 その2 「ジンバランで夕食」&「クロボカンの宿」

バリ島をこれから訪れる方の参考になれば幸いです。

◆バリ島旅行記 その2
バリ島は、異国情緒たっぷり。美しい所や珍しい物や食事が盛りだくさんで、素晴らしいところでした。

<6月20日(火)>1日目
★6 ジンバラン「シーフードレストラン街 インタン サリ カフェ」
バリ島・デンパサール(グラライ)空港に到着してからM君がレンタカーで案内してくれたのは、
空港の南方にあるジンバランのシーフードレストラン街だった。ここで夕食となる。


ガイドブックによると、ジンバランの名物はシーフード屋台で、
新鮮な魚介類のBBQが楽しめ、日本人観光客にも人気のスポットだそうだ。

到着した時にはレストラン街の周辺駐車場は満車で、少し離れた臨時駐車場に車を停めた。
車も人も多く、大変な混雑である。

レストラン(屋台)は、ビーチ沿いに数十軒も並んでいる。
M君は、そのうちの「インタン サリ カフェ」を選んだ。

駐車場側に店の入口があり、店先にある魚のケースには大きな魚が並んでいた。


入口付近では、料理を焼く煙が立ち込めている。


店内に席があるが、客はいない。
店内通路を突っ切ってビーチに出ると、砂浜の上にテーブル席があり、大勢の客がいた。
夕暮れ時で美しい景色を眺めながらの食事である。


薄暗くなっている浜辺には、他店も含めテーブル席がぎっしりと並び、すでに客が食事を楽しんでいた。
海に入っている人もいた。遠く飛行機の灯りも見える。
風向きによって、あちこちの店から調理の煙が漂ってくる。

M君が料理を注文してくれたので、シェアしていただいた。
飲み物は、ビンタンビールにしたが飲みやすい。(ビンタンとは星のことで、ラベルに星が付いている。)
おつまみは、ピーナッツだ。


M君たちは、ソフトドリンクを注文。息子はスイカジュースにチャレンジ。「美味しいです。」

いただいたのは、野菜スープとカンクン(空心菜)炒め、イカのフリッター


イカンバカール(魚・スナッパーのグリル)、


ウダンバカール(海老のグリル)、


チュミチュミバカール(イカのグリル)、ごはん。


スパイシーな料理も一部あるが、どれも美味しくていただいた。
デザートは、スイカとメロン。余り甘くないが、きれいな盛り付けだ。


「ありがとう」は、インドネシア語で「ティリマカシ」という。
店員さんが料理を運んできたときに、こちらが「ティリマカシ」というと、
「トウモロコシ」とジョークで応えて笑わせてくれた。ニュアンスが似ていて楽しい。

楽しい店員さんに出会えて良かった。
ちなみに「どういたしまして」は、「サマサマ」という。
素晴らしいロケーションで食事ができて、「ティリマカシ!!」。

★7 クロボカン「SOOBARI VILLAS ROEMAH EMILY(スーバリ ヴィラズ ルマ エミリィ)」 宿泊
夕食後に向かったのが、空港から北上したクロボカンの町はずれの宿である。
デンパサールの西方に位置する。

M君と娘は、どこに宿泊するのか到着するまで内緒にしていた。
どこかのホテルに泊まると思っていたが、着いたところはヴィラ(コンドミニアム)だった。ここに連泊する。


二階建てが棟続きで4軒あり、泊まるのは奥の部屋だった。


1階が駐車場で、入口は階段を上った2階にある。


入口を入った部屋は、リビング兼ダイニングになっており、とても広い。


2階の右側部分に広いベッドルームがある。
ダブルベッドが中央奥にあるが、その周りは家具がなく広い空間となっている。


続きの部屋も広く、シャワールーム兼トイレ兼クローゼットとなっている。
シャワールームも一度に5~6人位入れる広さだ。


2階の南側屋外は、プールになっていて、ソファが置いてある。(写真は朝で、プールに雲が映る)


3階に3部屋あるが、2部屋を借りた。
その部屋は2階の部屋よりは狭いが、それぞれダブルベッドがあり、その周りに十分なスペースがある。
隣接する部屋は、シャワールーム兼トイレになっている。

どれも広い部屋で、ゆったりとした気分で泊まることができ、ありがたい。

シャンプー・コンディショナー・バスジェル、バスタオル、ウォーターサーバーは、備え付けである。
家電は備え付けだが、ドライヤーはない。フェイスタオルやハミガキセット、櫛、スリッパもない。

トイレットペーパーの備え付けは各部屋に1個だけだった。
管理人さんが毎日部屋の掃除などをしてくれるそうだ。
(後で知ったが、管理人さんは隣りの作りかけの棟に住んでいるそうだ。)

着いた時は夜遅くで、宿の周りの様子はわからないが、カエルの合掌が聞こえてくる。
(翌朝起きてみたら、周りは田んぼで、田植えの準備をしている人が見えた。)

*宿周辺の田園景色(翌日以降に宿から撮影、田園風景もいいね)






*宿の南側(翌日以降に宿から撮影)



次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:28Comments(0)バリ島旅行記

2017年07月03日

★バリ島旅行記 その1 「成田空港~デンパサール空港」

★1 はじめに
ずっと憧れであったインドネシアの「バリ島」へ行ってきたので、何回かに分けてご案内させていただく。
バリ島へ行かれる方の参考になれば幸いである。

今回の旅は、バリ島を訪れたことのある娘婿M君に案内していただいた。
島内の観光・宿・食事など全てM君にお任せした。(感謝)

おかげさまで、バリ島の観光地巡りはもちろん、地元レストランでの食事やティータイム、
ショッピングモールやコンビニでの買い物ができた。

また、地元市場見学、マッサージ体験もできた。
観光地での美しい景色や、車窓から見る日本と異なる珍しい景色に目を奪われた。

食事は、様々なインドネシア料理を我々の舌に合うように注文してくれた。
旅行会社のツアーとは異なり、時間に追われずゆっくりと回ることができたのも大変良かった。

異国情緒を満喫することができ、大満足の旅だった。

行程は、2017年6月20日(火) 午前・成田空港発⇒夕方・バリ島デンパサール(グラライ空港)着⇒宿
    21日(水)~24日(土)バリ島観光  
    25日(日)深夜・バリ島(グラライ空港)発⇒午前・成田空港着

飛行機は、往復共に「ガルーダインドネシア航空」を利用

◆バリ島旅行記 その1 「成田空港~デンパサール(グラライ)空港」
<6月20日(火)>1日目

★2 「成田U-シティホテル」
午前便に乗るので、念のため空港に近い成田市に前泊した。
泊まったのは、JR成田駅から徒歩5分程度の所にある「成田U-シティホテル」。

このホテルは、お値打ちだし、成田空港までの無料シャトルバスも出してくれるので選んだ。
チェックイン時にバスの時間を予約しておいた。空港までは30分くらいで行けるそうだ。

朝、ホテル前に着いたシャトルバスは大型だった。マイクロバスかと思っていた。
ゆったり乗車できてうれしい。

朝一番の7:00発のバスは、乗車する客が遅れたため5分遅れで出発。
満席にはならないまでも多くの客が乘った。 

★3 「成田空港」
バスは、先にTV「YOUは何しに日本へ?」のロケで有名な「ターミナル2」で客を降ろす。
次の「ターミナル1」で降りた。7:34着、ホテルから約30分だった。

南ウイング前で降り、空港内に入って「ガルーダインドネシア航空チェックインカウンター」の場所を確認。
北ウイングの端の「F」だった。遠い。


電光掲示板には、デンパサール行は11:00出発が10分早まり10:50と表示されていた。


チェックインカウンター前に到着した時は、まだ係員はいなかった。
しばらく待つと港内アナウンスがあり、受付開始。
「eチケット」と「パスポート」を提示し、スーツケースを預け、搭乗券を受け取った。

身軽になったところで、空港内を探検。
ずらりと並ぶ土産物店。成田空港限定商品もある。見ていて楽しい。マックで朝食。

登場ゲートは「23」。どれくらいで行けるかわからないので、少し早めに向かった。
はじめてのバリ島なので、ワクワク。

★4 「ガルーダインドネシア航空 GA881便」 バリ島デンパサール行
10:50発。機内アナウンスで「6時間48分のフライト予定」と案内があった。
日本語の案内もあった。この便は4社の共同運航である。

座席の前(前の人の背もたれ)には、小さいモニター画面があり、
映画を見たり、音楽を聞いたり、ゲームを楽しんだりできる。
また、フライト状況の確認もでき、現在どのあたりを飛んでいるか見るのも楽しい。


機内サービスは、紙手拭きと水ペットボトル(小)、飲み物(アルコール、ジュース)、
安眠セット(アイマスク・耳栓・靴下)、昼食、アイスクリーム。


CAから何か尋ねられたが何を言っているかわからず、
「ジャパニーズ?」とだけ聞き取れたので、「イエス、ジャパニーズ」と答えた。
そうしたら、食事を何にするかの質問であったらしく、日本食を渡された。
メニューは、そば、ひじき煮、鮭・煮物、ご飯、味噌汁で食べやすかった。


デザートに人形焼きが付いていた。ひとりづつ異なる人形だった。


「CUSTOMS DECLARATION(税関申告書)」が配られ、
ガイドブックの記入例を参考に名前・生年月日などを記入した。


窓の外の景色は、ほとんど雲海だった。美しい雲海もあった。


★5 バリ島デンパサール(グラライ空港) 晴れ
デンパサール行だが、空港名は「グラライ空港」だ。デンパサールより随分南に位置する。
現地時間16:30着陸 (時差は日本よりマイナス1時間なので、日本時間だと17:30)


入国審査は、「パスポート」「「eチケット」を提示し、「CUSTOMS DECLARATION」を渡すとすんなり通過。
しかし、預けたスーツケースがなかなかでてこない。3人分が揃うまでに40~50分くらいかかった。
後で聞いたところによると、出てくるのが遅いのはよくあることで、1時間以上かかることもあるそうだ。

到着ロビーに出ると、空気が生暖かい。南国に来たと実感する。


到着ロビーの外には、大きなチャンディブンタル(寺院入口の左右対称の割れ門)がある。
いかにもバリ島って感じだ。


先に到着していた娘とM君が出迎えてくれた。久し振りに家族全員が揃ってうれしい。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:59Comments(0)バリ島旅行記

2017年06月01日

<岐阜県可児市>ゆかりの武将 その3 「直参旗本&尾張徳川家家老 千村家」 (武将のお墓参り21)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その3
江戸時代、直参旗本及び尾張徳川家の家老であった千村氏ゆかりの地を訪れた。

2017年5月、最初に「千村氏屋敷跡(上屋敷)」に建つ可児市郷土歴史館と周辺、
次に「下屋敷跡の「木曽千村歴史館(春秋園)」を訪れた。
その後、菩提所「東禅寺」で歴代当主の墓参をした。

①★「千村氏屋敷跡」&「可児市郷土歴史館」 可児市久々利1644-1
可児市郷土郷土館の周辺が、千村氏上屋敷跡である。
郷土館の西方100m程の交差点・北東角に「市指定史跡 千村氏屋敷跡」の案内板がある。


記載内容は次の通り。
『千村氏は関ケ原合戦の後に、久々利村を含む四六00石余を与えられ、
直参旗本、尾張徳川家の家老として、明治維新までこの地に屋敷を構えていました。

久々利には山村家や同心屋敷も置かれ、一つの政治拠点ともなっていました。
千村氏の屋敷は、「濃州徇行記」によると東西約三00m、南北約二七0mあり、
「郭外濠ありて城郭の如し」と記され、上屋敷と下屋敷、庭園をもつ広大なものでした。

上屋敷はこの場所にありましたが、今では石垣の一部が現存しているにすぎません。
上屋敷には二0を超える部屋があり、政務の場と奥向きの生活の場に分かれ、
中奥でつながれていました。

政務の場には、家老の部屋や勘定所などがあり、
役所として執務が行われていたため、「久々利役所」と称されました。

また、上屋敷の西側には下屋敷があり、隠居や部屋住みの者の生活の場として用いられました。
その北側には、回遊式庭園「春秋園」が付随し、今なお四季折々の美しい景色を見ることができます。

また、千村家の菩提寺である東禅寺には、千村家歴代当主の墓石が林立し、
千村家の権威と格式の高さがうかがえます。』上屋敷平面図も記してある。

②★下屋敷跡の「木曽千村歴史館(春秋園)」 可児市久々利1644-1
歴史館前に案内板「木曽千村歴史館、源木曽義仲後裔之地」があり、
記載内容は次の通り。「久々利旗本領鳥瞰図」もある。

『・木曽・千村家について
清和源氏源(木曽)義仲6代の孫、木曽家村信州木曽を領す。
家村5男、家重が上野国千村郷を領し、以後千村と称す。

家重より12代千村政直の子、良重(久々利初代)慶長5年関ケ原の役、
徳川家康の命により、木曽谷の平定と岩村苗木城を攻略。その論賞により、
美濃可児郡(久々利・大森・比衣・中切・綱木・小和沢・宿・伊岐津志)、

土岐郡(大湫・田高戸・深沢・一日市場・次月)、恵那郡{正家・辻原・千旦林・駒場・茄子川・落合)を給され、
又信州一万石の代官(大河・原・鹿塩・加々須・南山・中坪・野口・八手・清内路・小川・上穂・小野)11ケ村、

遠州舟明村榑木山支配、遠州4ケ村代官職共幕府から命ぜられ、
美濃国久々利に館を、信州飯田荒町に陣屋をもうけ役務を司どった。

・元和3年、徳川家康は木曽を尾張藩に附属、千村家も尾張家中となり幕府に対して陪臣となるが、
伊那代官等は依然として幕府から命ぜられ、尾張藩からは名古屋に、幕府からは江戸に屋敷を拝領。

家督相続や将軍家の慶仏には諸侯同様江戸城へ伺候、将軍に挨拶するという特別な扱いで、
尾張藩では城代格に、幕府にあっては旗本外様大名列、柳の間詰で、
公儀の千村家に対する待遇は10万石の格式で参勤交代の義務を負わされていた。

幕藩両属という特殊な立場で、代々千村平右衛門を襲名し、慶長から明治維新まで12代続いた。
維新後、千村から旧姓木曽に復した。』

・その日は休館であったが、入り口で声を掛けたら、「春秋園」には入って良いと了解を得た。
下屋敷と春秋園は道路で南北に分断され、北側に鶴池、南側に亀池がある。
 
鶴池のある庭は、雑草を刈り、きれいにしてあったが、雑然とした感じであった。
だが、池を中心にした池泉回遊式庭園は、素晴らしい庭であった。石組や庭木の配置が素晴らしい。




古びた東屋も風景に溶け込んでいた。もう少し整備すれば、名園となる。
南側の亀池周辺の庭は、こじんまりし、中心の池の水は空で残念だった。

➂★千村氏菩提寺 東禅寺 可児市久々利1655
春秋園(鶴池)の北側、山際に寺がある。
寺の入口は境内西側にあり、奥に本堂や美しい海鼠塀が見える。


新緑に本堂や塀が溶け込んで、美しい風景になっている。


「千村家の墓所」への参道は、海鼠塀の手前にある小路である。


道路沿いに案内板があり、次のように記してある。
『市指定重要文化財(史跡) 千村家の墓所

千村家の墓所は東禅寺の境内の一画にあり、
一代良重から第一一代仲展までの歴代当主とその一族の墓石が並んでいる。

久々利千村家の初代良重の墓は廟に納められており、
墓碑によると、天保十五年(一八四四)に千村仲冬が新たに建てたとある。

以下、二代から五代までは廟の西側に、六代(八代のみ廟の東側)からは廟の裏側に並んでいる。
大きなものは高さ三メートルを超す立派なものもあり、千村家の格式の高さを感じさせる。

千村家は江戸時代に幕府代官と尾張藩家臣という二つの立場を有し、久々利の地に屋敷を構え、
東禅寺を菩提寺とした。
東禅寺は、慶長十六年(一六一一)に縁国である下総国から藍外政宗を迎え、梁南禅棟が開山したお寺である。

(「当主名・生没年・法名」が、初代から十一代まで記されている。
・・・1良重・2重長・3基寛・4仲興・5仲成・6政成・7政武・8頼久・9仲雄・10仲泰・11仲展) 』

海鼠塀沿いに奥に進むと小さな門があり、そこが墓所の入口である。
手前に小さな標柱「千村家の墓所」がある。


門を潜ると左側に、一段高くなった千村家の墓所がある。
当主とその一族の墓碑が林立しており、壮観である。合掌




初代良重公の木造の廟は、墓所の奥の方、右手にある。
廟は初代のみである。扉は閉まっていた。合掌


「二代重長公」の墓碑は立派な剣碑だ。(三代以降も剣碑)合掌 


右側「三代基寛公」、左側「四代仲興公」の墓碑も立派だ。合掌


左端が「五代仲成公」の墓碑。合掌 


奥に並ぶ墓碑は、左から順に「七代政武公」「十一代仲展公」「六代政成公」「十代仲泰公」。合掌


「八代頼久公」の墓碑は初代良重公廟の前。合掌 


「九代仲雄公」の墓碑。合掌 


墓所はきれいに整備され、当主の墓碑には当主名が刻まれた献花台が置かれている。
今まで訪れたなかでも上位に位置する素晴らしい墓所であった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:52Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月21日

<岐阜県可児市>ゆかりの武将 その2「徳野藩藩主 平岡氏」他 (武将のお墓参り20)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その2 (2017年5月訪問)
①禅台寺 可児市下恵土2838 ★徳野藩初代藩主「平岡頼勝(石見守)公」墓所
②専養寺 可児市兼山699   ★徳野藩二代藩主「平岡頼資(石見守)公」墓所
➂浄音寺 可児市兼山698、専養寺の左隣 ★烏峰城主「斎藤大納言正義公」墓所

★①禅台寺
「平岡頼勝公」は、小早川秀秋公に仕え、関ケ原の戦いでは秀秋公に西軍から東軍に寝返るように勧め、
東軍勝利の陰の立役者として有名である。その功績により、美濃徳野藩の初代藩主となったとか。

寺の門や本堂などの建物は新しい。調べた限りでは墓所が禅台寺にある。
残念ながら寺や頼勝公に関する案内板はなかった。


「平岡頼勝公」の墓所は、境内の左方にある墓地の奥にあるとにらんで向かった。
墓地に入ると通路があり、少し進むとお地蔵さんが立っており、さらに奥へ進む。


すると、一般の墓と区切られ、上の方に向かう道がある。


坂を上がった所にも墓石が並んでいる。その右端が「平岡頼勝公」の墓所であった。


玉垣の上に小さな五輪塔が立っており、「前石州太守 心月宗安大居士」と刻んであった。合掌
墓の周囲にも案内となるものはない。




★②専養寺
道路沿いに「日蓮宗 福光山専義寺」と刻まれた石柱が立つ。


その右方に「福光山専義寺(日蓮宗)」の案内板があり、
徳野藩二代「平岡頼資公」に関する部分を抜粋する。

『当寺の墓地には、小早川秀秋の家老で関ケ原合戦の功により、
美濃徳野(可児市)一万石に封ぜられた平岡石見守頼勝の子二代藩主、頼資の
「承応二(一六五三)年正月八日石州隆光院殿一覚日 詮大居士」銘の墓石がある。』

境内に入るとすぐ左側が墓地になっている。
参道を進むと山門があり、門の左側(墓地の一番奥)に「平岡頼資公」の墓石があった。


立派な墓石だ。その右側に石柱があり、「第二代徳野藩主 平岡頼資公墓」と刻まれている。合掌


★➂浄音寺
寺の左端、道路沿いに案内板「海潮山浄音寺(浄土宗)」があり、次のように書いてある。

『天文六(一五三七)年、近衛関白稙家(たねいえ)公のご落胤で、ときの美濃国の覇者、
斎藤道三の養子、斎藤大納言藤原正義公は、木曽川の舟運と東山道を押さえるため、
当地に烏峰城を築いた。

浄土宗に深く帰依していた正義公は、三年後の天文九(一五四O)年、
とりあえず烏峰城の裏登城口のあった前兼山町役場裏の傾斜地に草庵を設け、
近衛関白家の帰依篤い京都知恩院の高僧智安上人を開山に迎えた。

天文十三(一五四四)年に至って伽藍ことごとく完成、寺号を海潮山浄音寺とした。
その後、この地が陰湿な土地であっため、元亀二(一五七一)年現在の地に本堂が再建された。
以下省略

市指定重要文化財
斎藤大納言正義公画像 1幅 当寺の開基、正義公等身大の画像で、
着衣の鎧の様式から生前に描かれたことはほぼ間違いないといわれる貴重な寺宝であり、
当時の禅宗の名僧、明淑和尚の賛が書かれている。

その外、斎藤大納言正義公の遺品といわれる哀甲(きごみ)、正義公の五輪塔、
烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門、幡隆上人の自画像と南無阿弥陀仏の
名号軸等貴重な文化遺産が数多く残されている。』

道路沿いに烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門がある。
なお、烏峰城は、後に森氏居城となり、兼山城、次に(美濃)金山城と名を変える。


山門を入った右側に五輪塔が立っている。
墓石周りに案内となるものはないが、烏峰城主「斎藤大納言正義公」の墓である。合掌




正義公の画像等を見たいと思い、庫裏のチャイムを鳴らすもご不在で、誠に残念だった。
正義公画像の模写が岐阜城天守閣に展示してあり、本物を見たかった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:19Comments(0)武将のお墓参り