2015年11月29日

岐阜県大垣市墨俣町<明台寺> 「岐阜城主斎藤利藤公」 (武将のお墓参り4)

<岐阜城主のお墓参り> 2015年11月

★★face02「明台寺」 岐阜県大垣市墨俣町 
★「斎藤利藤公」は、美濃国守護代で稲葉山城主でした。
しかし、守護代になるも、叔父「斎藤妙椿」様が実権を握っており、
力を揮うことができないなど、不運の武将です。

◆その墓所は、明台寺にあります。本堂の南側が墓地になっています。


◆その墓地で「斎藤利藤公」のお墓を探すには少し時間がかかりました。
案内板があると思って探したのですが、ありません。

◆それ程広くはない墓地ですが、探しまわって中央やや北寄りにある
小さな石柱「墨俣町指定文化財 斎藤利藤墓」を見つけました。
その後ろにある小さめの五輪塔が、斎藤利藤公の墓碑でした。合掌。


なお、室町~戦国時代の美濃国において、斎藤氏は重要な地位にありましたが、
家系が異なるため、斎藤利藤様らを「前斎藤氏」、斎藤道三様らを「後斎藤氏」と区別しています。

★墓地の東端には「土岐康貞(悪五郎)公」のお墓もありました。
玉垣の上の五輪塔です。合掌。


◆墓碑横には案内板があり、次のように書いてありました。
『土岐悪五郎の墓

土岐悪五郎は頼康の弟にて、康貞と言う。
正平七年閏二月(南北朝の争いの時)兄頼康の軍勢を率いて、西上し、

近江国九十九院に足利義詮と会し、八幡攻撃に参加するや、悪五郎もこれに属す。
三月二十七日洞峠大墨山の戦いに敗れ、討死す。

もと墨俣川端町にあったが、犀川改修工事により現在地に移る。
(注)悪は当時強いことを意味する。』

◆なお、「土岐頼康公」は美濃国第三代守護です。

以上  


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2015年11月29日

岐阜県揖斐川町<月桂院> 美濃三人衆「稲葉一鉄公」 (武将のお墓参り3)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 2015年10月
★墓所「月桂院」 岐阜県揖斐郡揖斐川町長良72 (境内自由)
「稲葉一鉄公」は、戦国時代の武将で、頑固一徹の語源となったとかで有名な方です。

◆お寺は山裾にあり、入り口付近に石仏や羅漢様が並んでいました。


◆本堂の西に墓地があり、中央付近に石垣で少し高くなったところがあります。


◆そこに稲葉一鉄公ご夫妻と稲葉貞通夫人たちの墓碑4基が並んでいました。
全て五輪塔です。合掌。

◆左端に一鉄公の墓碑

◆左から貞通公室、一鉄公室、貞通公後室の墓碑


◆墓前の案内板に、お墓の主が次のように書いてありました。
「一鉄公 清光院殿一鉄宗勢大居士
  天正十六年十一月十九日 寂

 貞通公室 秋江宗蓉大姉
  斎藤道三の娘 典通公の母
  永禄十年八月八日 寂

 一鉄公室 弘徳院殿月桂周芳大姉
  西三条左大臣藤原実枝の娘
  天正九年九月十九日 寂

 貞通公後室 繁渓永昌大姉
  織田信長の妹 
  天正八年九月十八日 寂」

◆静かな墓所で眠っておられます。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:13Comments(0)武将のお墓参り

2015年11月27日

岐阜県垂井町<禅幢寺> 軍師「竹中半兵衛重治公」 (武将のお墓参り2)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 2015年11月
★竹中氏菩提寺「禅幢寺」 岐阜県不破郡垂井町岩手

◆豊臣秀吉公の軍師として有名な「竹中半兵衛重治公」と
父「竹中重元公」、そして弟「竹中久作重隆公」のお墓参りをしてきました。

◆本堂でお参りをしてからお墓へ向かいました。


◆本堂の左手(南側)に墓地があり、古いお墓がたくさん並んでいます。
上段は竹中氏一族のものでしょうか。
その奥の方に「竹中半兵衛重治公」と父「竹中重元公」のお墓が並んでいました。


◆両名のお墓は、小さな木造の廟になっており、墓碑は見ることができません。
木造の廟は、だいぶ傷んでいました。合掌


◆弟「竹中久作重隆公」の墓碑は五輪塔で、半兵衛親子と少し離れています。
ありがたいことに、墓前に信長公に仕えた云々と書いた説明が置いてありました。合掌


◆お寺の前に案内板があり、その内容は次のとおりです。

「竹中氏菩提寺 禅幢寺(ぜんどうじ)
当寺は、明応3年(1494)薩州金幢寺の僧正碩和和尚が開基した。
宗旨は曹洞宗。

豊臣秀吉公の軍師として活躍した竹中半兵衛重治公は、天正7年(1579)
播州三木の地で病没。当寺の重治公の墓は、天正15年(1587)父の菩提を
弔うため長男重門公が三木から移葬したものである。

現在の本堂は、重治公の孫重常公が寛文3年(1663)に建立したもので、
平成26年3月に町指定建造物となった。
また、当寺には昭和36年3月に町指定絵画となった竹中半兵衛重治像がある。」

以上






  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:51Comments(1)武将のお墓参り

2015年11月27日

岐阜県岐阜市<龍峰寺> 美濃北方城主(美濃三人衆)「安東伊賀守守就公」 (武将のお墓参り1)

<岐阜城主のお墓参り> 2015年10月

★「龍峰寺」 岐阜市奥225-1(市内西北端に位置する) (境内自由)
美濃北方城主「安東守就公」は、「安藤守就」とか「伊賀伊賀守」とされることもあります。
一時ですが稲葉山城主にもなりました。

織田信長公が美濃攻略の足掛かりとして調略した「西美濃三人衆」の一人です。
波乱万丈の人生を送られ、最後は稲葉良通(一鉄)公との戦いで討死されました。

◆墓所は龍峰寺にあります。


◆本堂背部の山裾に古い墓地があり、そこは本堂の左奥の道を登ってすぐです。


◆奥の方の石垣の上に、「安東守就公」らのお墓が並んでいました。合掌。



◆お寺の門前に「龍峰寺縁起碑」があり、その内容は次のとおりです。

『龍峰寺の縁起は、織田信長時代に本巣郡北方城主、安東伊賀守守就が
(現在の北方町了法寺の地に)廣徳山龍峰寺を建立し、菩提寺にしたことに始まる。
開山紫衣湖叔和尚は、安東伊賀守守就の舎弟なり。

天正十年六月七日、領地争いから曽根城主稲葉伊豫守一鉄との戦で、
稲葉方から放たれた火が折からの風にて城に及んだ為に守就公は八十余歳にして
一族郎党と共に稲葉陣中に縣入り討ち死にした。

稲葉家の武将 村瀬太郎左衛門尉重則が守就公の首を討つ。
放火の余燼、龍峰寺をも焼き、湖叔和尚に懇意の村瀬太郎左衛門の在所の奥村に立退き
軍散して、後に太郎左衛門は守就公の首を稲葉一鉄公に請い受け、
湖叔和尚の引導にて此の地に葬ると共に北方の山号、寺号を移し、ここに再建した。

守就公の戒名は、龍峰寺殿前伊川太守竹巌道足大居士なり。
以下省略』

◆波乱万丈の世を過ごした武将たちは、どこに眠っているのか?
気になりあちこち訪ねています。
現在の様子をお伝えしていきたいと思います。

なお、武将の経歴などはウィキペディアなどを参照願います。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 17:26Comments(0)武将のお墓参り

2015年11月07日

「料理旅館いかだ荘山上」の的矢牡蠣料理 (美味しかった15)

2015年11月、
今年も「牡蠣料理」の季節が始まっています。
我が家の定宿「料理旅館いかだ荘山上」さんへ的矢牡蠣を食べに行きました。

私たちが訪れる三重県志摩市磯部町的矢の「いかだ荘」さんは、
来年で創業60年になるそうです。

牡蠣(カキ)というと、臭いとか味にクセがあって苦手な方もいらっしゃると思いますが、
ここのは佐藤養殖場さんのおかげで、クセがなく、とても美味しくいただけます。

さて、料理ですが、今年も期待に違わず絶品の品々でした。
牡蠣前菜三種盛りからはじまり、焼き牡蠣、生牡蠣、牡蠣土手鍋、牡蠣寿司、

牡蠣蕎麦、牡蠣伝法焼、牡蠣土瓶蒸し、牡蠣フライ、牡蠣味噌汁、牡蠣御飯と
的矢牡蠣を堪能できました。

今年の新作料理は、牡蠣寿司でした。
大きな口を開けて、一口でいただきました。
「う~ん、うまい!」

こんな美味しい料理をいただけて、「あ~、シ・ア・ワ・セ!!」って感じ。
「ごちそうさまでした。」と感謝、感謝。

帰宅してからすぐに、
来年の牡蠣の季節が待ち遠しくなってしまいました。

★料理の写真は、昨年のブログで載せられなかった料理です。
順番に牡蠣の「寿司」「蕎麦」「土手鍋」「土瓶蒸し」です。








  


Posted by ふなチャン(Y)  at 13:19Comments(1)美味しかった