2016年04月18日

岐阜市「和食料理 そば切り すず野」 (美味しかった16)


2016.4.18
知人に教えてもらった「岐阜市の美味しいそば屋」に行ってみた。

それが、「和食料理 そば切り すず野」だ。岐阜市白木町の御鮨街道沿いにある。
古民家を利用した風情ある店だった。格子窓が美しい。
通り沿いには犬矢来が設けてあり、岐阜内では珍しい。


店の看板は小さいが、入口横の白壁にカブが鏝絵で描いてあるので目印になる。
店内には、番傘が広げて飾ってあり、奥の席からは庭が眺められる。
客席は全て椅子に座るので、足が楽である。ありがたい。


メニュー表は、「お蕎麦」と「季節のおすすめ」の2つある。
食べたい料理がいろいろあって、どれを注文するか迷ってしまう。

迷ったあげく、「季節のおすすめ」メニューから、「山菜の天ぷらとざる蕎麦」に決めた。
そばつゆは、好みで「濃いめ」か「薄め」かを選ぶことができる。
ざる蕎麦は細い麺で食感が良く、美味しかった。



「山菜の天ぷら」の内容は、筍、うど、タラの芽、コシアブラ、コゴミだった。
貝殻の形の器に盛られた塩を付け、あつあつを食べる。美味い。


頼もうとした頃に出てきた「そば湯」は、濃厚で、これまた美味しかった。


デザートは、「黒砂糖のプリン」だった。
甘すぎないプリンが美味しいし、凝った器等がいい感じだ。


初めて入店したが、とても美味しくて、知人の言うとおりだった。
私たちが食べている間に、お客が次々にやってきて満席になった。人気店だったのだ。


PS
店では、厳選した日本酒も用意している。お酒のメニュー表を見ていたら、飲みたくなってしまう。
残念ながら、車のため諦めた。(駐車場は、店の西南奥に7台分あり)

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:39Comments(0)美味しかった

2016年04月16日

岐阜城主「斎藤龍興」様 (武将のお墓参り9)

2016年4月
<岐阜城主のお墓参り>

face021.「斎藤龍興」様の墓所

稲葉山城主「斎藤龍興」様のお墓参りに行ってきた。斎藤龍興様は、斎藤道三様のお孫さんである。
父義龍様が病死したため若くして稲葉山城主になるも、織田信長様に攻められて、岐阜を追い出された。

その後は、あちこちの反信長勢力に与し、最後は縁戚である越前の朝倉軍に加わるも、
「刀根坂の戦い」(福井県敦賀市の南東端)で、朝倉軍の多くの有力武将らと共に討死した。
(ただし、その時には討死せず、生きて富山に逃れたという説もある。)

墓所は、刀根坂の北東にあたる敦賀市疋田(愛発地区)にあるが、探すのに大変苦労した。
国道8号線と国道161号線の合流点に観光案内の看板があり、
「戦国時代武将の墓」が載っていたので、その付近を捜したが見つけられなかった。

そこで、近くの交番に立ち寄り尋ねたが、ご存じなかった。しかし、愛発地区の歴史マップをいただけた。
マップは先ほどの看板と同じ内容であったが、もう一度捜しに行ってみた。

それでもわからず、付近を通りかかった地元の方に尋ねたところ、
誰の墓かわからないとの前置きで、墓所の場所を教えていただいた。
(マップの中央左寄り、五輪塔の左に赤丸を付けたところ)


そこは、国道の合流点を東(8号線側)に行ってすぐの橋を渡り、左側の山裾にあった。
墓石群はひっそりと建っていた。 (車は、反対側にあるチェーン脱着所に停めた。)


付近には案内になるもの何もなく、墓所の手前に朽ちて倒れた案内板があった。
それは、赤く錆びて、文字も満足に読めない状態であった。


その案内板に亡くなった武将名がたくさん書いてあるが、
かろうじて「一色治部大輔」(龍興様)の文字も読めた。

墓所には、五輪塔や石仏などがたくさん並んでいるが、破損したものがほとんどだ。
五輪塔も五石が満足に揃っていない。



付近から出土したものを寄せ集めたって感じだ。鉄兜を被せてある墓石もあった。
墓石の主の案内がなく、残念ながら龍興様のお墓を特定できなかった。
墓所の前で合掌。



face022.龍興様の菩提寺
後斎藤氏三代の菩提寺は、岐阜市の常在寺が有名であるが、
最近になって知った龍興様の菩提寺情報をお知らせする。

岐阜市梅林公園内にある龍興寺の前の石柱には、
「大雲山龍興庵」、「斎藤龍興公念持仏 本尊知恵観世音菩薩」、「谷汲山御分身」とある。



ご住職に『室町時代に龍興が今の加納竜興町あたりに創建し、盛徳寺の末寺であった。
その後、明治時代になって梅林公園内にお堂を建てて、龍興の念持仏と谷汲山ご分身を祀った。

戦後になって、寺は「~寺」か「~院」と名乗ることになり、今の名称は「龍興寺」となっている。
当寺には、龍興に関する資料は伝わっていない。』と教えていただいた。

その後、図書館で「加納町史(昭和16年7月)」を調べ、要約すると次の通り。
ただし、「後日の考証を待つ」という内容もあるのであしからず。

『斎藤龍興(岐阜城主)が、永禄七年(1564)に菩提所として、
現在の岐阜市加納竜興町1丁目に龍興庵を建立。

そこは、守護代斎藤妙椿の家臣である石丸利光が、菩提寺として創立した
大雲山龍光寺の跡地である。(利光は、戦功により斎藤の名を許された。)

岐阜城落城後、龍興北国に戦死し、寺も退転。

明暦元年(1655)、大安祖林首座が加納城主松平丹波守光重公に願出で、
加納宿本陣の松波家の尽力で庵を再興。
松波家は斎藤氏後裔であり、祖先の霊を回向供養するために創立したのであろう。

「元禄八年頃松平丹波守光永時代 加納藩家中之図」には、
城下の南西はずれに「龍興庵」が載っている。

明治11年(1878)4月、岐阜市の梅林公園内の現在地に移転。』

現在の加納竜興町には、地名のみが残り、「加納竜興町」名のバス停がある。
竜興町の西隣には、「穴釜墓地」という変わった名の墓地があるが、
龍興庵の旧墓地だったのだろうか?(今後調べてみたい。)

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:17Comments(0)武将のお墓参り

2016年04月11日

岐阜市岐阜公園内「日中友好庭園の桜」 (岐阜市の桜10)

2016.4.11
岐阜市の日中友好庭園の「枝垂れ桜」と「八重桜」が見頃です。
そして、ケヤキなどの新緑も鮮やかで素晴らしい景色でした。



庭園は、岐阜市と中国杭州市の友好都市10周年を記念して造られました。
今の季節、この庭が一年で一番美しい時です。


赤い柱で三本足の東屋が、アクセントになっていい感じです。



庭園は、後方の金華山が借景になり、ポツンと見える岐阜城もアクセントになっています。
桜の本数は多くありませんが、岐阜公園で一番の桜の名所だと思います。


見る角度を変えると、ホテルパークさんが借景になります。


ソメイヨシノは散り果てましたが、枝垂れ桜は先日から見頃を迎えています。
あと2日くらいは見頃だと思います。絶景をまだ観てない方は、お急ぎを。



以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:56Comments(0)岐阜市の桜

2016年04月09日

美濃加茂市の「飛び出し坊や」 (飛び出し坊や15)

「ヤッター!」
久しぶりに珍しい「飛び出し坊や」達に出会えました。

岐阜県美濃加茂市伊深町には、「飛び出し坊や」があちこちに立っていました。
赤いリボンを付けたかわいいウサギの姿をしており、裏側には「うさたん」と書いてあります。



伊深小学校のPTAが造ったもので、手作り感があって、とてもいい感じです。
それぞれの姿は、わずかに異なり、間違い探しみたいに違いを探すのが楽しいんです。



美濃加茂市加茂野町では、「飛び出し坊や」と「交通安全のお姉さん」が立っていました。
「飛び出し坊や」は何かのキャラクターですが、何かわかりません。
赤い手足と頭、白い顔とお腹です。大きな眼で、明るい表情がいいね。


「交通安全のお姉さん」は、交通安全協会加茂野が造ったものです。
他では見たことがなく、珍しいものです。
青い服を着て、黄色い帽子とタスキ姿で、笑顔の優しいお姉さんです。


以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 19:38Comments(0)飛び出し坊や