2016年10月21日

名古屋市千種区<平和公園>尾張藩七代藩主徳川宗春公他)&<相應寺>お亀の方(相応院) (武将のお墓参り14)

★★face03<平和公園>
名古屋市千種区の「平和公園」にある武将達のお墓を紹介する。
なお、平和公園は山の斜面に造成されているので、
墓碑巡りには坂道を登ったり下ったりしないといけない。歩いて回るには覚悟が必要だ。
(駐車場が所々にあるので、車だったら目的地近くに停めると良い。)

◆公園内には著名人のお墓がいくつもあり、おおまかな案内図があった。


①★尾張藩七代藩主「徳川宗春公」墓所
平和公園内の中央やや東寄りに「建中寺墓地」があるが、
途中に「徳川宗春墓碑→」の案内があるのでわかりやすい。


◆「建中寺墓地」石柱の右方にある僧侶墓碑群の前に、徳川宗春公の立派な墓碑が建っている。合掌。



◆墓碑の右横に、宗春公と墓碑についての簡単な説明があった。


②★徳川家康公の第八男「松平仙千代君」墓所
平和公園内の中央やや西に「高岳院霊苑」がある。
霊苑の入口脇に「徳川家康公 第八男 仙千代君墓所」と刻まれた石柱があり、わかりやすい。



◆階段を登り、真っすぐ行った突き当りに「松平仙千代君」墓所がある。


◆石柱で囲まれた中に五輪塔の墓碑が建つ。風化か戦火のため、劣化が激しい。
墓碑前に「仙千代君」と刻まれた小さな石柱が建つ。合掌。



◆仙千代君は、母が「お亀の方」で、尾張藩初代藩主徳川義直公と同母の実兄にあたる。
6歳のときに大坂で早逝されたため、菩提のために高岳院が建立され葬らた。

③★犬山城主「平岩親吉公」墓所
平和公園内の中央南西あたりに「平田院墓所」がある。
残念ながら、「平岩親吉公」墓碑の案内は何もない。


◆墓所に入り、最奥の中央あたりに「平岩親吉公」墓碑が建つ。
両脇に石灯籠が建ち、墓碑には「平田院殿・・・」と刻まれている。合掌。


◆平岩親吉公は、尾張藩初代藩主「徳川義直公」の守役を勤めた方である。
義直公は、4歳で甲府城主、11歳で清州城主となる。
その間、義直公は駿府で父母と共に暮らしていたので、犬山城主の平岩親吉公が清州で政務をとっていた。

④★織田信長公の守役「平手政秀公」墓所
平和公園内の南西隅に「政秀寺霊地」がある。
大きな宝篋印塔の脇にある階段を登ると、丘の上に出る。


◆そこをさらに真っすぐに進むと、平手政秀公の墓所にたどり着く。


◆石塀で囲まれた中に墓碑が建つ。合掌。


◆政秀寺霊地には、平手政秀公墓所の案内がなくて残念だった。
霊地は丘の斜面にあり、麓には立派な墓碑がいくつも建っていた。
そこかと探すも見つからず、広い霊地を探し回った。
霊地の最も奥の方で、やっとのことで見つけることができた。

◆平手政秀公は織田信秀公の家臣で、織田信長公の守役を仰せつかっていた。
信秀公の死後、信長公を諫めて自刃。信長公は政秀公の忠誠を惜しみ、政秀寺を建てたと伝わる。

★★face02<相応寺>
⑤★徳川義直公の生母「お亀の方(相応院)」墓所
「相応寺」は、名古屋市千種区城山町1-47の静かな住宅地にある。
寺の入口は敷地北側にあり、門前の石柱に「阿弥陀如来四十八願所第二番札所 相應寺」と刻まれている。


◆門を二つ潜り、本堂に向かう境内は紅葉の名所で、楓がたくさん植えてある。



◆階段を登りきると本堂があり、その右端前に石柱で囲まれた「お亀の方(相応院)」の墓所がある。
上部が折れ、補修された墓碑が建つ。合掌。



◆「お亀の方(相応院)」は、徳川家康公の側室で、尾張藩初代藩主義直公の生母である。
義直公は、お亀の方の没後、菩提を弔うため相応院を創建された。
寺の歴史等は、現地には簡単な案内があるのみで物足りないが、
相応寺ホームページに詳しく載っているので、訪問する前に読んでおくとよいと思う。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 16:09Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月17日

尾張藩附家老・美濃今尾藩「竹腰家」墓所 (武将のお墓参り13)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り> 2016年9月・10月
尾張藩附家老竹腰氏は、岐阜県美濃地方にもゆかりのある武将であり、
岐阜県関市と愛知県名古屋市にあるお墓をご紹介します。

①★★正武寺 岐阜県関市志津野665
尾張藩附家老(美濃今尾藩五代)「竹腰正武公墓所」

◆寺は、通りから奥に入った静かな山麓にあった。
通り沿いに小さな寺の案内がある。そこから狭い道を奥に入って行くと、
T字路に「永平寺直末 禅・曹洞宗 正武寺」と記した看板がある。


◆そこから左に入ると、小さな山門があり、左の道を進むと境内だ。
本堂でお参りをしてから、本堂左後ろにある墓地に参る。

◆墓地は、緩やかな坂になっている。
真ん中が参道で、両脇に墓が並び、奥の突き当り上段が「竹腰正武公の墓所」である。
墓地や寺を見下ろす位置にある。



◆墓所右側に「関市指定遺跡 竹腰正武候本廟」と記された案内柱があるが、
なんの説明もなく残念だ。


◆墓所敷地に入ってすぐの左右に、2対の石灯籠がある。



◆そこから石階段を少し上ったところが、石柱で四角く囲われた廟所だ。


◆石柱囲いの正面が鳥居風で高く、中央が唐破風で下に梅鉢紋が付いている。
このタイプは珍しい。中央奥に立派な五輪塔が立っている。合掌。



◆尾張藩附家老竹腰氏は、美濃今尾藩三万石を領していたが、
飛び地で志津野村(現関市)等に領地を有していた。
五代正武公は、領地である志津野を見廻り、菖蒲谷を気に入られ、自らの菩提寺を建てたと伝わる。

◆正武公は、尾張藩家老「石河章長」様の子であり、竹腰家へ養子に入っている。
私考であるが、関市内には石河家菩提寺の蓮華寺があり、
領地見廻りのついでに父らの墓参に訪れていたかもしれない。

②★★平和公園内「相應寺墓域」 愛知県名古屋市千種区
尾張藩附家老(美濃今尾藩)「竹腰家墓所」

◆「平和公園」は、昭和22年から昭和32年頃にかけて、
名古屋市内に点在した各宗派280の寺院のお墓、約18万8千基を寺院別に区画して移した所だ。


◆平和公園の中央東寄りにある「相應寺墓域」に、竹腰家の立派な墓碑が5基並んでいる。合掌。



◆右から順に、「竹腰正辰公」(初代正信公の三男、四代正映公の父)、「七代竹腰睦群公」


◆真ん中の一番大きい「初代竹腰正信公」の墓碑の前には、石板があり文字が刻んである。



◆次が「二代竹腰正晴公」、「三代竹腰友正公」である。


◆墓碑の裏側には墓主の名前などが刻んであり、どなたのお墓かすぐにわかる。
しかし、案内となるものは何もなく残念だ。


◆相應寺は、尾張藩初代藩主徳川義直公が、生母「お亀の方(相応院)」の菩提のため創建。
諸説あるが、お亀の方が徳川家康公の側室になる前に結婚していたのが竹腰正時公であり、
その間に設けた子が竹腰家初代正信様である。
その縁からか、相應寺は竹腰家の菩提寺となったと思われる。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 18:15Comments(0)武将のお墓参り

2016年10月01日

岐阜県岐阜市<崇福寺> 岐阜城主「織田信長公&信忠公」&「斎藤利匡公」墓所 (武将のお墓参り12)

<岐阜城主のお墓参り> 2016年10月1日

★崇福寺 織田信長公霊廟所 
「岐阜市長良福光2403-1」にある岐阜城主織田家の菩提寺「崇福寺」を訪れた。
午前中には、岐阜信長まつり「織田信長公追悼式」が営まれた。

◆本堂裏に「織田信長父子廟&位牌堂」があり、「斎藤利匡公」の墓所もある。
全国にたくさんある「織田信長公」と「織田信忠公」の墓所の一つが、ここにあるのだ。


◆諸説あるが、「崇福寺のしおり」等によると、
「崇福寺は、美濃国守護代斎藤妙椿の家系の斎藤利匡が永正8年(1511)に再興された。
永禄10年(1567)信長が岐阜に入ったとき、
若くして亡くなった側室吉乃(信忠の母)の菩提所として、江南市「久昌寺」から位牌を移された。

当時の崇福寺住職が、信長の家臣鳴海助右衛門の援助を得て、織田家菩提所指定に尽力された。
本能寺の変後、信長の側室小倉氏「おなべ(お鍋)の方」が、
信長の遺品を当寺に葬り、信長・信忠父子の位牌所に指定された。」とある。

◆通り沿いの左右に石柱があり、左側は「織田信長公霊廟所」と刻まれている。


◆そこから参道を進むと山門があり、織田家「木瓜紋」が入った幕が掛かっていた。


◆山門を潜り、突き当りが本堂である。


◆受付の方に挨拶して、本堂内部を拝観。テープで由緒や寺宝などの説明が流れる。
信長禁制書、清州城鯱瓦、土岐頼高筆の鷹図などの寺宝や、
関ケ原の前哨戦で落城した岐阜城の床を使った血天井を見させていただいた。

◆本堂の左前に、本堂前に入る潜り戸がある。入ると、左側に素敵な枯山水庭園がある。



◆庭園を見ながら奥に進むと、自然に右手に折れていく。
小路の先に小さな門があり、中が廟所である。門の扉には、桔梗紋が彫り抜いてある。



◆門を潜り、突き当りが「織田信長父子廟」である。合掌。



◆位牌形の墓碑1基に、信長公と信忠公二人の法名が左右に並べて刻まれている。


◆墓碑の右側に格子塀に囲まれた位牌堂(小堂)が建っており、彩色が施されていて美しい。合掌。



◆位牌堂の前には、読経堂が建つ。その奥に、「開基斎藤利匡墓」と記された案内板がある。


◆その先に、宝篋印塔7基がひっそりと立ち並ぶ。
「斎藤利匡(としただ)公」や一族の方々、「稲葉一鉄公の父通貞公」のお墓である。合掌。



◆当寺は「稲葉一鉄公」が修行された寺でもあり、寄贈された梵鐘があった。



◆山門の上に、新しいが珍しい「あうんの龍」の飾り瓦があるので必見だ。
徳川家にゆかりがあり、本堂や山門などの屋根瓦に葵紋が入っている。



◆境内の各所に案内板があり、大変ありがたかった。(感謝)

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:55Comments(0)武将のお墓参り