2017年03月28日

<岐阜城主 織田信孝公墓所>知多郡美浜町 大御堂寺 (武将のお墓参り18)

2017年3月<岐阜城主のお墓参り>
織田信孝公と源義朝公と、二人の有名武将が眠る大御堂寺(通称:野間大坊)。
そして、信孝公自刃の地「安養院」を訪ねた。

face02①「大御堂寺(通称:野間大坊)」 愛知県知多郡美浜町野間東畠50 ☎0569-87-0050
◆寺の入口に石柱が立ち「新四国第五十一番霊場尾州 鶴林山野間大坊」と刻まれている。


◆中央駐車場に大きな「野間大坊案内図」があり、諸堂などの配置がわかる。
境内は自由参拝なのでありがたい。


◆寺のしおりに沿革も載っており、概略は次の通り。
『天武天皇(673~86)の時代に始まり、聖武天皇(723~49)の時に行基菩薩が中興。
後に弘法大師が諸国行脚の際留錫された。

承暦年間(1077~81)に白河天皇の勅願寺として、大御堂寺と称せられた。
後に源頼朝公が亡父義朝公の菩提を弔うために建久元年(1190)に開運延命地蔵尊と
不動明王・毘沙門天を奉安され、七堂伽藍を造営。そして、秀吉公、家康公の庇護を受けて発展。』

◆まず本堂にお参りする。合掌。現在の建物は、3度の火災等にあった後、
宝暦4年(1754)に鎌倉様式にのっとり再建されたもので、登録有形文化財である。


◆本堂の右側(東側)に石垣で囲まれた「源義朝公御廟所」があり、
外側に立つ石柱に「贈内大臣正二位源義朝公御廟所」と刻んである。


◆御廟所の入口は小さな門だ。


◆岐阜城主「織田信孝公」の墓碑は、その義朝公御廟所の一角にある。
御廟所内の右方端に信孝公の墓碑が立つ。傷んで傾いた五輪塔だった。合掌。


墓碑の前に案内板があり、次のように簡単に書いてあった。これだけ?って感じ。
『織田信孝の墓 織田信孝は織田信長三男。本能寺の変で信長が討たれた後、
織田家の跡目争いで豊臣秀吉に敗れ、大御堂寺南ノ坊(現在の安養院)で自害する。』

◆源義朝公の墓碑は御廟所の中央にあり、立派な宝篋印塔であった。
周りに木太刀が奉納されており、墓碑の下の方は木太刀に埋もれている。合掌。


◆源義朝公御廟所の入口前に案内板があり、信孝公に比べて詳細に記載されている。
『源義朝公の墓所 源義朝とは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、平家を滅ぼした源義経の父である。

1160年(平治元年)の平治の乱で平清盛に敗れた源義朝公は本拠地である関東へ落ち延びる途中、
この地野間を治める家臣の長田忠到・景到親子の元に身を寄せた。

ところが長田親子は裏切りの企てをする。義朝公へ「どうぞ朝湯へお入りください。」と勧め、
入浴中の裸の義朝公を風呂場で切り付け命を奪った。

武芸の達人であった義朝公は「無念。我に小太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん。」と言って絶命した。
後の世の人々が義朝公の菩提を弔うため、そのお墓にお花の代わりに木太刀をお供えする習わしとなる。
いつしか、願いを叶える武将源義朝として、人々が願いをしたためた木太刀をお墓にうずたかく供えるようになった。』

◆他に御廟所内には、「池禅尼の塚」がある。合掌。
池禅尼は、平清盛の継母であるが、源頼朝公の命を助けたお方である。


◆「鎌田政家公と妻の墓」もある。合掌。
政家公は源義朝公の腹心の家来。義朝公が長田親子に討たれる前日に、長田の息子の景到によって殺害された。
妻は夫政家の亡骸のそばで政家の短刀で喉を突いて自害。悲しい話だ。


◆本堂の左方に「平成26年度 野間小学校六年生児童」が制作した看板「野間ナビ」がある。
野間地区の歴史や灯台などの見所が載っている絵地図で、大変良くできている。


◆境内の見所として伏見桃山城の遺構である「客殿」がある。


客殿前の案内板に次のように書いてある。
『秀吉公の晩年の居城「伏見桃山城」の一部を寛永年間(1624~43)に移築されたもの。
愛知県重要文化財指定。「源義朝公の絵解き」はここで聞くことができる。(要予約、有料)』

「源義朝公の絵解き」とは、寺のしおりによると、
『義朝公は京都六波羅の合戦で平氏に敗れ、この野間の地に落ちのびてきました。

ここで家臣の長田忠到・景到親子により謀殺される様子や
その後のことを実にリアルな描写と共にわかり易くお話しいたします。

この絵の作者は江戸初期の幕府御用絵師狩野探幽です。
名古屋城初代城主・徳川義直公の命により描きあげられました。』
いつか予約をして絵解きを聞いてみたいものだ。

face02②「安養院」
織田信孝公自刃の間がある安養院は、大御堂寺の南約100mに位置し、
大御堂寺から歩いて5分もかからない。

◆寺の前にある石柱には「新四国第五十三番霊場 安養院 織田三七郎信孝卿旧跡地」と刻まれていた。


◆石柱の隣りに案内板があり、
『安養院沿革 当院は白河天皇勅建の大御堂寺一山の一院で南ノ坊と称し、江戸時代に安養院と改称。
明治になり。慈雲院、圓明院、龍松院を合併し現在に至る。

本尊は中心に阿弥陀如来、両脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊仏であり、この地で源義朝公と
共に無念の最後を遂げられた第一の郎党、鎌田政清の次政直が父の菩提を弔うための念持仏である。

降って天正十一年、織田信長公が三男、三七信孝公は、羽柴秀吉との跡目争いに破れ、
野間の地に敗走し当院にて自刃。遺恨のうちにその生涯を終えられた。』と書いてある。 

◆境内に入ってすぐの右側にも案内板がある。
そこに「復元した信孝自刃の間」「自刃に用いた短刀」
「血染の軸(腸をつかみ出し投げつけた軸)」と書かれてあり、拝見したいと思った。


そこで寺の方に拝観できないか尋ねたが、非公開との返事で残念。
しかし、掛け軸と短刀が写った古い写真を見せていただけた。

◆本堂前で合掌。本堂前には、たくさんの赤い「南無地蔵願王尊」の幟がはためいていた。


以上  


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2017年03月26日

2017沖縄旅行記 その4 「パブラウンジ エメラルド」&「海中道路&海の駅あやはし館」

沖縄の旅<2月22日(水)>

face037「パブラウンジ エメラルド」  中頭郡北中城島袋311
沖縄では、ステーキがお値打ちに食べられると聞いていた。
そこで、沖縄旅行中に一度はステーキを食べたいと思い、ガイドブックで店を調べた。
どこにしようか悩んだあげく、「パブラウンジ エメラルド」に決めた。

◆本日のランチは、ステーキだ。ワクワク。
店は道路沿いにある白い建物だった。遠くに海を見下ろせる高台にある。
入口の上にエメラルド色で「PUB LOUNGE EMERALD since1979」の文字がある。


◆メニュー表を見て注文したのは、「エメラルド特製ジャンボステーキ350g」2350円。とてもお値打ちだ。
料理は、鉄板で出てきた。うれしいね。やっぱりステーキは鉄板で出して欲しいんだよね。
肉汁が飛ばないように、ステーキ肉の上に紙ナプキンが被せてあった。
ステーキ肉の脇には、ポテトフライやコーン・ニンジン・グリーンピースが載っている。


◆紙ナプキンをめくり、ステーキ肉とご対面。肉厚で食べごたえがありそうだ。
良い焼き色で食欲を誘う。


うまい!!和牛より歯ごたえがあるが、堅すぎることはない。最初は肉の量が多すぎるかもと思ったが、完食。
次回沖縄を訪れたら、違う店のステーキも食べてみたい。

face028「海中道路&海の駅あやはし館」 うるま市与那城屋平
出発前に沖縄地図を見ていて、「海中道路」を走ってみたいと思った。
沖縄本島と平安座島を結び、全長4、8kmだ。

行ってみたら、海中道路の一部は橋だが、ほとんどは道路だった。海と海の間が道路(地面)なのだ。
片側2車線で広い。無料なのがありがたい。

◆途中にある「海中道路パーク」の駐車場で休憩。
突堤があり、その先に変わった形の岩があった。


◆同じく途中にある「海の駅あやはし館」にも立ち寄った。沖縄の特産品販売所もあって、いろいろと揃っていた。
「タンカン(ネット掛け施設栽培 農家直売)」「沖縄ウコンのど飴」
「紅芋かりんとう」「うこん入 あやかりんぼー(三月菓子)」を買った。




帰宅してから食べたが、どれも美味しかった。特にタンカンが美味しかった。
次回訪れることがあれば、再度買いたいものだ。

その5につづく  


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2017年03月24日

<岐阜城主 織田信孝卿菩提所>亀山市関町 福蔵寺 (武将のお墓参り17)

2017年3月
<岐阜城主のお墓参り>
岐阜城主であった織田信孝公の首を葬ったと伝わる福蔵寺を参拝した。

★「織田信孝公」は、織田信長公の三男。
伊勢国の神戸氏の養子に入り、伊勢神戸城主(現在の鈴鹿市内)となる。
本能寺の変後には、山崎合戦で羽柴秀吉公らと明智勢と戦い勝利。

清州会議で織田家の跡目を狙うも、跡目は秀吉公の擁する三法師(後の秀信公)になってしまう。
そして「岐阜城主」となったが、柴田勝家公らと組んで秀吉公に対し挙兵。
しかし敗れ、尾張知多内海の大御堂寺(野間大坊)安養院で自害させられた。
墓碑はその大御堂寺境内や他にもある。

face02『福蔵寺』 三重県亀山市関町木崎417 
福蔵寺の入口は、古い町並みが残る旧東海道関宿の街道沿いにある。

◆石柱に「織田信孝卿菩提所 福蔵寺」と刻まれている。


◆石畳の参道を進むと、立派な山門がある。(境内東側にある裏門は、旧脇本陣萩屋の門である。)


◆山門の右側脇入口の所に「福蔵寺 織田信孝の 眠る寺  関宿かるた」と書かれた木札が掛かっていた。


◆山門を潜ると正面に本堂があり、まずお参りする。合掌。


本堂前に寺の案内板があり、次のように書いてあった。
『当山は、天台真盛宗(本山は滋賀県大津市坂本 西教寺)に属します。
創建は天正十一年 織田信長卿三男信孝公の菩提寺として創建されました。以下略』

◆境内中央辺りに、屋根から下ろされた瓦と石造三重塔がある。



◆境内の左方、石造三重塔の後方に「織田信孝卿の墓碑」があった。
新しい五輪塔である。合掌。


五輪塔の前に「福蔵寺の創建と織田信孝公」の案内板があり、次のように書いてあった。
『織田信長の三男信孝公は本能寺の変で憤死した信長の冥福を祈るため、
神戸の住人旧臣大塚俄左衛門長政に命じこの寺の建立にかかりました。

しかし信孝公は羽柴(豊臣)秀吉との後継者を巡る争いに敗れ、天正十一年尾張の国
野間において自害させられましたので、長政が当山に首を持参し信孝公の菩提寺としました。

この墓は墓石不詳のため(事由は不明)四百年忌を迎えた時、菩提を弔うため建立したものです。
本堂には創建当時からの信孝公の位牌が祀られています。』

観光駐車場で出会った観光ボランティアさんから話を聞けた。(ありがとうございました。)
「信孝公墓碑は、2~3年前に地元の方々により五輪塔に建て替えられた。
それまでは自然石だった。信孝公の旧領地である伊勢神戸(現・鈴鹿市)の地は秀吉配下の領地と
なっていたため、家老大塚長政は妻の実家がある関宿に信孝公を葬ったそうだ。」

以上  


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2017年03月19日

2017沖縄旅行記 その3 「世界遺産 中城城跡」

沖縄旅行記 <2月22日(水)>

6「世界遺産 中城城跡」 WORLD HERITAGE

沖縄には、「世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として、城跡などが点在する。
その中の「中城(なかぐすく)城跡」を訪ねた。中頭郡北中城村大城503にある。

坂道をくねくねと登っていくと、城跡の駐車場に到着する。
受付(料金所)は、駐車場から歩いてすぐの所だ。
受付付近に「城跡の案内図」と、ユニークな「顔はめ看板」が立っていた。



受付前に停まっていた電動カート(無料)に乗車。城跡の広場まで送ってくれる。
歩いてもさほど距離がないが、坂道がきついそうなので乗せていただいた。
広場入口付近で電動カートを降りると、前方に城跡の石壁が見える。


城内は、石壁や石垣、石畳がよく残っており、見応えがある。


城跡は高台にあり、石壁の向こうには森やマンション、民家などが望める。


ところどころに石門や門の跡も残る。



東側は絶壁になっており、眼下に森や町、その先に太平洋を見下ろせる。
天気が良くなくて、霞んでいたのが残念だった。風も強い。


クレーンを使用して、奥の方の城壁を解体・組直し工事中だった。
解体して並べてある石には、記号を付けてあった。石材は「サンゴ石」である。


案内板「西側城壁解体工事」には次のように書いてある。
『西側城壁と洪門は、築造してから長い年月が経っており、石積みが緩んで崩壊する危険性が高くなったため、
平成23年度に石積みを解体し、平成25年度に北側のみ積み直しを実施しました。
積み直しを行わなかった南側に関しては、平成26年度に周辺の発掘調査を実施した後に、積み直しを行う予定です。

<城壁の内部構造の特徴>本土のお城の石垣は表面に築石、その裏に1~数m程の裏込石材が詰め込まれ、
裏込より後ろは土が盛られるという工法が一般的です。
それに対し沖縄グスクの城壁は石塁となっており、内部に土は入っておらず全てが裏込石材となっています。
そのためグスクの城壁内部は、雨水が抜けやすく、長雨が続いてもほとんど崩れることがありません。
沖縄では地震が少ないこともあり。城壁に生える樹木の管理さえしっかりしておけば、長い年月城壁を維持することができます。』


城内に緋寒桜が咲いていた。濃い桜色だ。本数はわずかだった。


広場を囲む石壁は、本土のお城とは異なった線を描いており、興味深い。



本土のお城とは異なっており、大変興味深いかった。
建物は残っていないが、素晴らしい石壁や石垣の城跡であった。訪れることができて良かった。

その4につづく  


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2017年03月18日

<織田信長公本廟所>京都「阿弥陀寺」 (武将のお墓参り16)

<岐阜城主のお墓参り>2017年3月
①京都市上京区 「阿弥陀寺」・・・織田信長公・信忠公本廟所
②京都市北区  「建勲神社」・・・祭神織田信長公

京都市には、武将のお墓が数多くある。
その中の「阿弥陀寺」の「織田信長公」たちの廟所を紹介したい。
そして、信長公を祀る「建勲神社」を紹介。

①★「阿弥陀寺」 京都市上京区今出川上ル鶴山町14
境内自由で、墓所も自由に参ることができた。

お寺の方にお話を聞きたかったし、織田信長公・信忠公の木像も拝観したかったが、
来客が次々と訪れたので諦めた。

通り沿いに高麗門が立ち、その南方に駐車場への入口がある。
無料駐車場があるのが、ありがたい。


門前に説明板があり、信長公との関係などが記載されていた。


お堂前でお参りをしてから、庫裏の前を奥へ進む。
「織田信長公本廟所➡」と書かれた小さな案内板が立っていた。


そこから高架廊下の下を潜って進むと、墓地の入口となる控えめな門がある。
門を潜って正面奥が、「織田信長公」を始め「本能寺の変」で亡くなった方々の廟所だ。



玉垣の上段に、「織田信長公」と「織田信忠公」の墓碑が並んで立っていた。
小ぶりの墓碑だった。合掌。


墓碑の裏には、追善供養の板が立っているが、「ぶっちゃけ寺」などのテレビ番組のものもあった。


左方には、「森蘭丸」「森坊丸」「森力丸」の五輪塔が、仲良く並んでいた。合掌。


機会があったら再訪して、お寺の方に信長公に関するお話を聞いてみたい。

②★「建勲神社」 京都市北区紫野北舟岡町49
前から一度お参りしたいと思っていた神社に、やっとでお参りすることができた。
明治天皇により「織田信長公」を祀るために創建された神社である。

小高い山である「船岡山」の上に社殿が立つ。
船岡山の東側の通り沿いに、木造の美しい大鳥居が立つ。


大鳥居の前に案内板があり、神社の由来などが記載されていた。
建勲神社の読み方は「たていさおじんじゃ」、通称「けんくんじんじゃ」と呼ばれる。
などと書かれている。


鳥居を潜り、境内に入ってすぐの所に境内の案内板が立つ。
境内略図や社殿、末社「義照稲荷社及び命婦本宮」の案内が記載されていた。


長い階段を登りきると、拝殿などの美しい檜皮葺の社殿が見える。
拝殿前でお祈りをした。




本殿前には酒樽がきれいに積んであった。
また、本殿と周りの建物などがマッチして、美しい景観となっていた。



山上からは、京の町を見下ろせる。
京都の町は、信長公にお守りいただいているのだなと感じた。


以上
  


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2017年03月18日

2017沖縄旅行記 その2 「上原正吉の店 島唄ライブ ナークニー」

沖縄旅行記その2 (2月21日)

5 「上原正吉の店 島唄ライブ ナークニー」
今回の旅の楽しみの一つが島唄ライブだった。「ハイアットリージェンシー那覇沖縄」に3連泊するので、
国際通り辺りで2軒は行きたいと思って、ネットで島唄ライブの店を調べた。

国際通り周辺には、いくつもの島唄ライブがあった。
どこにしようか悩んだが、1軒目は「上原正吉の店 島唄ライブ ナークニー」に決めた。
ライブは1晩に何回も行われるが、店の込み具合などの勝手がわからないため、
事前にネットの「ホットペッパーグルメ」で夜8時に予約しておいた。

店には予約した時間よりも早く着いた。
国際通りのビルの「サムズマウイビル2階」にあり、通りから演者の後ろ姿が見えた。


店の前に呼び込みのおじさんがいて、予約の旨を伝えると店に案内された。
その時の店内は、さほど混んでいなかった。予約席は、演者の最前列であり、特等席だった。うれしいね!!

店に入った時は、1回目のライブの真っ最中だった。メニューを見て注文を済ませ、ライブを楽しんだ。
注文は、せっかく沖縄に来たので、オリオンビール生。
そして、沖縄料理の「らふてぃ」「ゴーヤチャンプルー」「ジーマーミ豆腐」「ソーミンチャンプルー」。
食べたり、飲んだり、手拍子をしたり、聴き入ったりと忙しい。


島唄の演者は、「上原正吉師匠」と男性2人、女性3人の計6人だ。
女性は、美人で主ボーカルの「上原正吉師匠の孫娘」、本土から沖縄に移り住んだ美しい歌声の方、
サンバ(竹製の楽器)演奏と踊りの上手な方で、それぞれがすばらしい。



男性は、主ボーカルとギター演奏の方と、太鼓などの演奏の方で、こちらもすばらしいパフォーマンスだ。
「上原正吉師匠」もお元気で、渋い歌声を聴くことができた。
三線の音色と島唄が心地よい。

店員さんに「ライブ風景の写真を撮って大丈夫か」と確認したら、「OK]だった。
おかげで旅の思い出写真を撮ることができた。

1回目のライブが終わると、演者が席の近くまできて、声をかけてくれた。
でも、残念ながら一緒に記念撮影ができなかった。
ライブ終了後に引かれた幕には、なんと岐阜市「石底工務店」さんの名が入っていた。


2回目のライブが8時半に始まった。1回目のライブに居たお客は、そのままの席で楽しむことができる。
入替制ではないのだ。最終ライブまでいても良いそうだ。

ライブで聴いたのは、「十九の春」「三線の花」「あしびなー」「島んちゅぬ宝」「オジー自慢のオリオンビール」
「安里屋ゆんた」など。知った曲もたくさんあり、口ずさむことができてうれしい。
「海の声」といった最近の歌も歌ってくれた。

各ライブの最後にカチャーシータイムがあり、手の動かし方のレクチャーがあった。
「手を男はグー、女はパーにして、海をかき混ぜるように左右に動かす。」 演者と客が一緒になって踊った。
我々は、沖縄の方のように滑らかな動きができない。でも、ぎこちない動きながらも、手や体を動かして楽しんだ。

2回目のライブ途中で、次々とお客が入ってきて、ほぼ満席になった。
隣りの席には、百歳のおばぁを連れた家族が座り、お話を聞くことができた。

沖縄人は、誰もが三線を弾いたり、カチャーシーを上手に踊れるわけではないこと。
三線は、その家の人が弾けなくても、来客などに弾いていただくために置いてあることなど。
知らない話が聞け、地元の方と触れ合うことができて楽しかった。

3回目のライブも聴きたかったが、明日のドライブがあるので2回目のライブ終了で帰ることにした。
楽しい時間を過ごさせていただき「ありがとう!!」。沖縄を体感できて良かった。

初めての島唄ライブでわかったことは、ライブは予約なしでも良いが、
予約しておいた方が良い席を確保できることだ。

2回目ライブの途中で入って来た団体客は、ライブ中も大声で話していた。
ライブを楽しみたいなら前の方の席をお勧めする。(ただし、他の店はわからない。)

島唄ライブは、お勧めです。

次回「その3」につづく  


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2017年03月11日

2017沖縄旅行記 その1 「中部国際空港~那覇空港」&「レンタカー~ホテル」

「はじめに」
2017年2月21日(火)から3泊4日で、沖縄に行ってきた。久しぶりの沖縄だった。
1月始めに、お値打ちな「ANAじゃらんパック(レンタカー付)」を申込した。
宿は、那覇市内の「ハイアットリージェンシー那覇沖縄」に3連泊とした。

今回は国際通り周辺をゆっくり探訪したいし、荷造りが楽なようにと思って連泊とした。
ホテル周辺には飲食店がたくさんあり、そこで沖縄料理を食べたいので、素泊まりである。
また、沖縄本島の北端「辺戸岬」や「海中道路」などにも行ってみたいのでレンタカーを借りることにした。

<2月21日>
1 「中部国際空港~那覇空港」
中部国際空港(セントレア)で搭乗するのは、ANAとコードシェアの「ソラシドエア」だった。
機体には、「がんばろう!九州」の文字と「くまモン」などのゆるキャラが描かれている。


14時50分発のはずが、10分遅れで離陸。約2時間半のフライトである。
しかし、那覇空港に到着したのは予定より10分速かった。

2 「スカイレンタカー那覇空港営業所」
空港では、スカイレンタカーのマイクロバスが出た直後らしく、しばらく待たねばならなかった。
満員のマイクロバスに乗り、だいぶ離れた「那覇空港営業所」へ向かう。

道路が混んでおり、営業所に到着するまで時間がかかった。
営業所でいただいた「沖縄ドライブマップ」は、道路がわかりやすく、ドライブするうえで大変役に立った。


借りたのは、「トヨタのプリウス」だった。ナビにホテルをセットして出発。
すでに暗くなっており、慣れない車に慣れない道で、大緊張しながらホテルに向かった。


3 那覇市「ハイアットリージェンシー那覇沖縄」
ホテルへ無事に到着。ホテルの向かいにあるタワー駐車場に車を預けた。
駐車料金は1泊1,500円で、チェックアウト時に清算する。

ホテルロビーは天井が吹き抜けになっており、開放感がある。
チェックインを済ませ、9階の部屋へ入る。広くて清潔、ベッドも快適、部屋用スリッパも高級で快適だ。


1泊につき、ミネラルウォーターが一人1本ついており、ありがたい。
なんと傘も置いてあった。さすが雨の多い沖縄だ。
部屋からは、那覇市内のビル群の夜景が望めた。ホテルは国際通りへ歩いて5分程の便利な場所にある。

次回につづく  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:49Comments(0)沖縄旅行記