2017年05月21日

<岐阜県可児市>ゆかりの武将 その2「徳野藩藩主 平岡氏」他 (武将のお墓参り20)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>

「岐阜県可児市」ゆかりの武将 その2 (2017年5月訪問)
①禅台寺 可児市下恵土2838 ★徳野藩初代藩主「平岡頼勝(石見守)公」墓所
②専養寺 可児市兼山699   ★徳野藩二代藩主「平岡頼資(石見守)公」墓所
➂浄音寺 可児市兼山698、専養寺の左隣 ★烏峰城主「斎藤大納言正義公」墓所

★①禅台寺
「平岡頼勝公」は、小早川秀秋公に仕え、関ケ原の戦いでは秀秋公に西軍から東軍に寝返るように勧め、
東軍勝利の陰の立役者として有名である。その功績により、美濃徳野藩の初代藩主となったとか。

寺の門や本堂などの建物は新しい。調べた限りでは墓所が禅台寺にある。
残念ながら寺や頼勝公に関する案内板はなかった。


「平岡頼勝公」の墓所は、境内の左方にある墓地の奥にあるとにらんで向かった。
墓地に入ると通路があり、少し進むとお地蔵さんが立っており、さらに奥へ進む。


すると、一般の墓と区切られ、上の方に向かう道がある。


坂を上がった所にも墓石が並んでいる。その右端が「平岡頼勝公」の墓所であった。


玉垣の上に小さな五輪塔が立っており、「前石州太守 心月宗安大居士」と刻んであった。合掌
墓の周囲にも案内となるものはない。




★②専養寺
道路沿いに「日蓮宗 福光山専義寺」と刻まれた石柱が立つ。


その右方に「福光山専義寺(日蓮宗)」の案内板があり、
徳野藩二代「平岡頼資公」に関する部分を抜粋する。

『当寺の墓地には、小早川秀秋の家老で関ケ原合戦の功により、
美濃徳野(可児市)一万石に封ぜられた平岡石見守頼勝の子二代藩主、頼資の
「承応二(一六五三)年正月八日石州隆光院殿一覚日 詮大居士」銘の墓石がある。』

境内に入るとすぐ左側が墓地になっている。
参道を進むと山門があり、門の左側(墓地の一番奥)に「平岡頼資公」の墓石があった。


立派な墓石だ。その右側に石柱があり、「第二代徳野藩主 平岡頼資公墓」と刻まれている。合掌


★➂浄音寺
寺の左端、道路沿いに案内板「海潮山浄音寺(浄土宗)」があり、次のように書いてある。

『天文六(一五三七)年、近衛関白稙家(たねいえ)公のご落胤で、ときの美濃国の覇者、
斎藤道三の養子、斎藤大納言藤原正義公は、木曽川の舟運と東山道を押さえるため、
当地に烏峰城を築いた。

浄土宗に深く帰依していた正義公は、三年後の天文九(一五四O)年、
とりあえず烏峰城の裏登城口のあった前兼山町役場裏の傾斜地に草庵を設け、
近衛関白家の帰依篤い京都知恩院の高僧智安上人を開山に迎えた。

天文十三(一五四四)年に至って伽藍ことごとく完成、寺号を海潮山浄音寺とした。
その後、この地が陰湿な土地であっため、元亀二(一五七一)年現在の地に本堂が再建された。
以下省略

市指定重要文化財
斎藤大納言正義公画像 1幅 当寺の開基、正義公等身大の画像で、
着衣の鎧の様式から生前に描かれたことはほぼ間違いないといわれる貴重な寺宝であり、
当時の禅宗の名僧、明淑和尚の賛が書かれている。

その外、斎藤大納言正義公の遺品といわれる哀甲(きごみ)、正義公の五輪塔、
烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門、幡隆上人の自画像と南無阿弥陀仏の
名号軸等貴重な文化遺産が数多く残されている。』

道路沿いに烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門がある。
なお、烏峰城は、後に森氏居城となり、兼山城、次に(美濃)金山城と名を変える。


山門を入った右側に五輪塔が立っている。
墓石周りに案内となるものはないが、烏峰城主「斎藤大納言正義公」の墓である。合掌




正義公の画像等を見たいと思い、庫裏のチャイムを鳴らすもご不在で、誠に残念だった。
正義公画像の模写が岐阜城天守閣に展示してあり、本物を見たかった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:19Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月20日

<岐阜県可児市>ゆかりの武将 その1 「美濃金山城主 森家廟所」 (武将のお墓参り19)

<美濃国ゆかりの武将>

「岐阜県可児市ゆかりの武将 その1」は、美濃金山城主「森家」である。
①可成寺 可児市兼山596
森可行公、可成公、長可公、可隆公、蘭丸(長定)公、坊丸(長隆)公、力丸(長氏)公の廟所

②真禅寺 可児市西帷子488-1
森武蔵守長可公墓所 

2017年5月訪問
★①可成寺
寺は、山麓にあり、高い石垣と白い塀が印象的である。
入口左右に石柱が立ち、右側に「森可成公菩提寺」、左側に「大龍山可成禅寺」と刻まれている。


階段を登ると山門があり、右前の石柱に「森三左衛門可成 武蔵守長可 公廟所」と刻まれている。


石柱脇の案内板に次のように記されている。
『織田信長の宿将として数々の武勲をたて、元亀二(一五七一)年に宇佐山(大津市)で戦死した
金山城主森三左衛門尉可成公菩提のため、その子二代城主長可公が父の名「可成」をそのまま寺号とし、
栄巌和尚を迎えて金山城東の寺が峰に創建された。

当寺開基の長可公は、信長・秀吉二君に仕え、鬼武蔵の異名をとったほどの勇将だったが、
天正一二(一五八四)年、長久手において戦死した。その墓石が父君可成公の墓石と合祀されている。

その後を継いだ三代城主忠政公が、慶長五(一六00)年に川中島(長野県)へ転封されたとき、
寺は現在地に移転され今に至っている。

また、昭和四二(一九六七)年には、蘭丸・坊丸・力丸三公の供養塔が八百津町中野より
当寺に移され安置されている。

当寺は、森家の菩提寺であるため、堂塔のほとんどが江戸時代に森一族の赤穂・三日月・新見等の
大名家から寄進されたものであり、明治までは三家から扶持が与えられていた。

また、天和三(一六八三)年に長可公の百年遠忌法要が営まれて以来、
可成・長可・蘭丸・坊丸・力丸諸公の遠年忌が執り行われてきている。』

山門を潜り、左方の本堂入口でチャイムを鳴らし、お寺の方にお話を伺った。
「寺は、もとは東方の金山城近くにあったが、こちらに移転した。
可成公ら森家の御位牌があるのでお参りしていってほしい。森家廟所は裏山の墓地奥にある。」
御位牌の前でお線香をあげ、合掌。

廟所へは、本堂右方の小さな門を潜って奥へ進む。


突き当りに「森家墓地」の小さな看板があり、左方の緩い階段を登る。


木立の中の墓地に入ると、最奥に石垣と白い塀が見える。


その石垣と塀で囲われた区画が森家廟所である。


十段くらいの階段を登った所に五輪塔が7基並んでいる。


その左方に案内板「森家廟所案内」があり、墓主がわかるようになっていてありがたい。


正面の左から順に、「二代城主 可成二男 森武蔵守長可」、「金山城初代城主 森三左衛門可成」。合掌


次に、左「可成の父 可行」、右「可成の長男 可隆」。合掌


右側には左から順に「森坊丸 可成4男」、「森蘭丸 可成3男」、「森力丸 可成5男」が並ぶ。合掌

本能寺で亡くなった三兄弟は、まだ16~18歳だったのだ。

★②真禅寺
寺は山中にあり、背後の山が美しい。


山門を潜ると、左右に石柱が立ち、右は「本尊聖観世音」、左は「開山行基菩薩」と刻まれている。正面が本堂だ。


本堂の左端脇に小路があり、「森武蔵守墓所入口」の石柱がある。


奥へ進むと、道は突き当りで右に折れており、道なりに坂道を進む。


坂道を登るとご住職方の墓地が見えてくる。


その手前に右の山に向かう階段があるので、そちらに進む。


階段の先は、舗装されていない。樹木が払われ道らしき所を登る。カーブしている。


その先の森の中に墓所が見えてくる。ブロック塀で囲われた一画が、森武蔵守長可公の墓所だった。




中央に宝篋印塔が1基、周りに五輪塔の一部がたくさん並んでいた。合掌




この寺には、案内となるものが何もなく残念だった。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:13Comments(0)武将のお墓参り

2017年05月11日

岐阜県の絶景「岐阜のマチュピチュ 天空の茶園」 (名園巡り7)

<岐阜県の絶景を紹介>

2017年5月11日
岐阜県揖斐川町春日六合にある「岐阜のマチュピチュ 天空の茶園」に行ってきた。
「日本の絶景」として雑誌などに取り上げられ、有名になってきた所だ。


訪れた日は、家を早く出たので、道もすいていて「上ケ流茶園」に早く到着できて良かった。
カメラマンや観光客も少なく、「天空の遊歩道」前の駐車場に車を停めることができた。

駐車場に係りの方がいて、「天空の遊歩道散策マップ」により散策路の歩き方を教えていただいた。
マップのB地点とA地点が絶景ポイントで、そこまで20分程だそうだ。


係りの方の話では、「GWあたりから茶の新芽がでており、今が一年で一番美しい。
もうしばらくは美しい茶園景色が見られると思う。
そして、遊歩道を登った所から見下ろす秋の紅葉も美しい。」そうだ。

遊歩道の出発地には、郵便受形の「天空の遊歩道協力募金箱」があり、志納である。
脇には案内板がいくつか立っており、次のように書いてあった。
①入山時間 四月から九月まで 九時より十六時三0分迄
      十月から十一月 九時三0分より十六時迄
      悪天候及び積雪時は中止とさせて頂きます

②注意事項 1.入山については全て自己責任として下さい
      1.山道状態の悪い時は充分注意して下さい
      1.景観等を守り 山を美しくしましょう
      1.マナーを守り楽しんで下さい    山主

③お願い  1.大切な茶園です。無断で入らないで下さい。
      1.農作業されている方に了解を得てから撮影お願いします。
      1.ワラビなどの山菜採取は有料とさせていただきます。
       詳細は係員にお尋ね下さい。


募金箱の右方に「杖」がたくさん置いてある。
係りの方によると、「散策路は険しいので、杖を持っていったほうがいいよ。」


茶園脇の舗装された坂道を登る。脇の茶園の緑が大変美しい。




「天空の遊歩道→」の看板があり、右に入っていく。
舗装されていないが、広い道でよく整備されている。歩きやすい。




途中で、AコースとBコースの分かれ道があるが、「なだらか」なAコースを行く。
しかし、Aコースが「なだらか」なのは、全部でなかった。
しばらく進むと、狭く急勾配の坂道になってしまった。登るのは大変だ。


狭く急勾配の坂道をしばらく登って行くと、絶景ポイントのB地点の看板が見えてきた。
B地点の手前でも絶景が見られる。


やっとで、B地点に辿り着いた。
素晴らしい!!雑誌で見た美しい絶景が目の前にあった。




さらに、もう少し先のA地点へ登って行った。
ここにも素晴らしい絶景が待っていた。頑張って登って来た甲斐があった。








絶景からの帰りは、急勾配の坂道を降りないといけない。下方を見ると少し怖い。
手すりがなく、バランスを崩すと危ない。ころげ落ちてしまう。
ゆっくり、ゆっくり、降りていった。

(足に自信がない方は、無理に登らず、遊歩道出発地点付近でやめておいた方が良いと思った。
そこからでも十分に美しい景色が見られる。)

他では見ることができない”素晴らしい景色”を見せていただけた。大満足だ。
遊歩道などを整備していただいた地元の方々に感謝。「ありがとうございました。」

PS
翌日から翌々日にかけて、ふくらはぎと太腿が筋肉痛になってしまった。
散策の前後にストレッチをしておけば良かった。

以上
  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:35Comments(0)名園巡り