2017年11月24日

岐阜県山県市<南泉寺> 「美濃国守護第十代 土岐頼純公の墓所」 (武将のお墓参り32)

<美濃国ゆかりの武将> 2017年11月

★南泉寺 岐阜県山県市大桑2358-2 (美濃国守護第十代 土岐頼純公の墓所) 境内自由


◆南泉寺の略歴
永正14年(1517)美濃国守護第九代「土岐政房公」が仁軸宗寿和尚を招いて、
土岐氏の菩提寺として開山された。

天文20年(1551)には土岐氏一族出身の快川紹喜和尚が住職となり、
禅宗寺院の中心として栄えた。

江戸時代には大愚和尚が春日局の葬儀・導師を勤め、
将軍より朱印状を得るなど重きをなしていた。

◆寺は南向きで、境内入口の右側に寺宝の案内板がある。
「土岐頼純公の肖像画」や土岐鷹の絵などの寺宝が記されている。


◆参道を進むと、どっしりとした総門がある。両脇に少し離れて筋塀がある。


◆総門の先に山門がある。境内には南天が植えられ、ちょうど赤い実がきれいだった。


◆山門を潜ると本堂がある。本堂右手の庫裏で女性に参拝を請い、本堂で参拝。


庫裏の土間には「七福神」の立派な彫刻があり、必見だ。しかし、寺宝は拝見できなかった。


◆本堂左手を奥に進むと、「南泉寺霊園」に突き当たる。
霊園の最上段(山腹)、大きな木が1本立っているところが、土岐氏一族の墓所である。



◆そこへ行くには、まず霊園の右端の舗装された小道を左に進む。
すると、すぐに山裾の竹林が脇に見える。


◆山裾の道は左に曲がり、坂道を上ると舗装がなくなる。
分かれ道があるが、左の道へ進む。


◆この崖沿いに進むと、右手に階段がある。


◆階段を上っていくと「仁軸和尚」の石碑があり、さらに上った所が土岐氏一族の墓所である。合掌


◆土岐氏一族墓所に入ってすぐ左手には、たくさんの五輪塔が並んでいる。


◆さらに上が「美濃国守護第十代 土岐頼純公」の墓所である。


木造廟の中に五輪塔の墓碑がある。


その左隣に小さな石造廟があり五輪塔が中にある。お寺の方に尋ねるも墓主名は不明であった。

◆土岐氏一族墓所に大きな五輪塔がある。


◆五輪塔の四隅に文字が刻まれている。
東は「美濃国守護職 土岐家累代総供養塔」と刻まれ、他の面に歴代守護名が刻まれている。


◆南は「初代定林寺殿 頼貞公、二代(判読不可) 頼遠公、三代建徳寺殿 頼康公、
四代法善寺殿 頼行公」と刻まれている。


◆西は「五代禅蔵寺殿 頼忠公、六代興善院殿 頼益公、七代承国寺殿 持益公、
八代瑞竜寺殿 成頼公」と刻まれている。


◆北は「九代承隆寺殿 政房公、十代南泉寺殿 頼純公、十一代東春院殿 頼芸公」と刻まれている。 


◆寺や墓所には、土岐氏についての案内が何もなく、残念だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:52Comments(0)武将のお墓参り

2017年11月17日

岐阜県山県市<慈明院> 「永井氏墓所」 (武将のお墓参り31)

<美濃国ゆかりの武将> 2017年11月
★慈明院 永井氏墓所
岐阜県山県市西深瀬1722-1


◆「高富町史」によると、
『慈明院は、貞治2年(1363)永井定信公が創建。
永井氏の菩提寺で、永井氏の宝篋印塔・五輪塔十余基を数える。
一族の氏神として乙御前神社を永正10年(1513)に勧請。

永井氏は、斎藤氏の支族として小守護代の地位にあった長井氏の一族で、
守護土岐氏の被官(部将)として随身した。』

◆寺は山麓にある。境内入口は西側にある。


◆階段を上がった所に本堂がある。(旧本堂等は明治24年の濃尾大震災で倒壊したそうだ。)


◆ご住職不在だったが、ご夫人に本堂などを案内していただいた。
珍しい観音様などの仏像の由来や「おもかるさん」などのお話を聞くことができた。


◆「おもかるさん」は、石を一度持ち上げて下ろし、願いをかけてから、
もう一度持ち上げる。前より軽く感じたら願いが叶うといわれる。
「おもかる石」を持ち上げてみた。前より気持ち軽く感じた。願いが叶うと良いな。


◆永井氏墓所への参道は、本堂の右手にある。


◆山道を上っていくと石垣が見えてくる。


◆道は石垣の先に続く。


◆中腹の山際に墓地がある。
永井氏一族の墓碑群は、左側全部と右側最後列だそうだ。合掌
なお、墓碑主名は不明。


◆左側の2列目は、やや大きめの美しい宝篋印塔が並ぶ。


◆左側の3列目は、小さめの五輪塔や宝篋印塔がたくさん並ぶ。


その中ほどに双体石仏もある。


◆右側の3列目は、様々な形の墓碑が並ぶ。


◆ご夫人には、寺の行事である節分や落語会についても案内していただいた。
落語会は破格の五百円だそうだ。

◆大変楽しい時間を過ごさせていただいた。
丁寧にご案内いただいたことと、この出会いに感謝。
息子さんが歴史好きだそうで、機会があればお話を伺いたいものだ。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:56Comments(0)武将のお墓参り

2017年11月16日

岐阜県本巣市<照空寺> 「旗本文殊戸田氏歴代墓所」 (武将のお墓参り30)

<美濃国ゆかりの武将> 2017年11月
★照空寺 旗本文殊戸田氏歴代墓所
 岐阜県本巣市大字文殊1197


◆加納藩主松平光永公は、父光重公の遺領7万石のうち1万石を
弟の孫十郎光澄(のち光正)公と孫七郎光直公に五千石ずつ分け与えた。
これが、旗本文殊戸田氏と旗本北方戸田氏の始めである。

◆照空寺は、応永二十八年(1421)寺井氏により長福寺として建立された。
その後、元禄二年(1689)旗本(文殊)戸田光正公が、
母・照空院の菩提所として今の地に移し、照空寺と改称した。

◆通りから細い道を入っていくと、突き当りが寺の石階段になっている。(山の麓に寺がある。)
階段の両脇には、椿が植えてある。
そして、左脇に石碑「史蹟 徳川幕府旗本戸田氏菩提寺」がある。


◆階段を上ると、美しい唐破風の山門がある。

門には、ウサギや龍、力士の素敵な彫刻がある。いいね。


◆山門の先に本堂があり、外から参拝。


◆山門を潜ってすぐ左が、墓所への参道になる。(木々の下で、少しわかりづらい)


◆墓所は、山の中腹にある。森の中の坂道を上って行く。石の階段だ。


◆途中の階段両脇に、古い墓碑が配置されている。

上の方は少し急だ。


◆階段を上り、最上段が「旗本戸田氏歴代墓所」だ。
正面の上段に、墓碑が6基並んでいる。合掌 
右から順に「照空院殿」「四代光典公」「初代光正公」「二代光輝公」「二代光輝公」「勇心院殿」。



◆右から3番目の「初代戸田光正公」の墓碑が一番大きい 


◆光正公の母「照空院殿」の墓碑 


◆「二代戸田光輝公」の墓碑


◆「三代戸田光政公」の墓碑 


◆「四代戸田光典公」墓碑


◆初代はじめ6基の墓碑がある区画を右の奥へ進むと、
上段に4基の墓碑が並んでいる。合掌 
右から順に「八代光幽公」「五代光智公」「六代光陽公」「十代光利公」だ。


◆右「八代戸田光幽(こうひん)公」、左「五代戸田光智(みつとし)公」の墓碑 


◆右「六代戸田光陽(みつはる)公」、左「十代戸田光利公」の墓碑


◆「大野町史」に歴代のお名前・法名・没年が記載されており、
墓碑と照らし合わせることができた。感謝

なお、九代光田(みつつら)公・十一代光顕(みつかげ)公は神葬のため照空寺に墓はなく、
七代順次郎公の墓はないそうだ。

寺に案内板がなく、残念だった。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 22:07Comments(0)武将のお墓参り

2017年11月09日

岐阜県可児市<天龍寺> 「明智氏歴代之墓所」と「明智光秀公ご位牌」 (武将のお墓参り29)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>2017年11月
★★天龍寺  「明智氏歴代之墓所」と「明智光秀公ご位牌」
岐阜県可児市瀬田1242


◆近くの山には、明智氏が築城し、斎藤義龍公により落城したと伝わる明智城(明智長山城)跡がある。
長山明智氏の祖は、美濃国守護初代「土岐頼貞公」の孫「土岐頼兼公」(父頼清公)と伝わる。
そして、明智光秀公は、頼兼公の子孫と伝わる。

◆境内入口の左側に案内板が立つ。


案内板には、次のように記されている。
『天龍寺 山号 青雲山

天龍寺は永平寺を本山とする曹洞宗のお寺で、「聖観世音菩薩」をご本尊としています。
このお寺は寛永2年(1625)武儀郡下有知村(現関市)龍泰寺の末寺として
同寺20世鰲山正雪禅師を招請して開山した由緒あるお寺です。

大正12年3月の焼失以前は、本堂、開山堂、明王堂、鐘楼門などを有する堂々とした
一大伽藍のお寺でした。本堂は昭和45年10月に落慶、その後庫裏、山門、開山堂などを
再建し現在に至っており、可児新四国36番札所ともなっています。

また、明智一族の菩提寺として毎年光秀公の法要が営まれており、
本堂には日本一といわれる大きな光秀公の位牌が祀られています。
境内の東北部には、日本では3つしかないという北向地蔵がみられます。以下略』

◆右側にも案内板があり、次のように記してある。
『●日本一大きな明智光秀公の位牌 六尺一寸三分(184cm)をお祀りしております
●明智一族のお墓があります  ●瀬田おたすけ観音  写経・納経ができます』

石柱もあり、「明智光秀公縁寺 瀬田 天龍寺」と刻まれている。

◆境内に入り、突き当りにある鐘楼の右側が参拝者駐車場である。
駐車場の南側に「明智氏歴代墓所」がある。しかし、本堂にお参りしてからの参拝とする。

◆山門を潜る。


◆山門先の正面に本堂がある。


◆本堂前には、普賢菩薩と文殊菩薩の石像がある。この位置の菩薩像は珍しい。
(左後方に見えるのは、「瀬田おたすけ観音」)


◆庫裏でチャイムを鳴らすと、ご夫人が出てきて、快く本堂内を案内していただけた。(感謝)
ご本尊と、ご本尊前の普賢菩薩像と文殊菩薩像に合掌。

◆本堂に入って左手に「子育て観音像」が祀られている。
かわいい赤ちゃんを抱いた観音様である。


◆ご本尊の左方に明智光秀公のご位牌がある。大きくて新しい。
サイズは、命日6月13日にちなみ六尺一寸三分だそうだ。合掌。


◆ご位牌の右隣には、光秀公の木造坐像がちょこんと座っている。合掌。
地元の彫刻家樋口文雄氏の作品だそうだ。
ご本尊前の普賢菩薩像と文殊菩薩像、子育て観音像も樋口氏の作品で、優しい仏様たちである。


◆紅葉の樹の下に明智氏歴代墓所がある。


墓碑群の右前に石柱「明智氏歴代之墓所」が立つ。合掌
裏山に散在していた墓石や石仏などを集めて整備したもので、
明智氏のどなたの墓碑かはわからないそうだ。


◆お寺の方の明るく快活なご案内のお陰で、心地よい時間を過ごさせていただいた。
ありがとうございました。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 20:37Comments(0)武将のお墓参り

2017年11月01日

★岐阜市<岐阜公園> 「菊人形・菊花展」は今が見頃 (名園巡り7)

<名園巡り>2017.11.1

★名園「岐阜公園」
岐阜県岐阜市大宮町1丁目


◆岐阜公園では、「第46回岐阜公園菊人形・菊花展」が開催されている。
開催期間は、平成29年10月21日~11月19日である。(無料、無休)


菊人形の他に、山菊総合花壇、大菊花壇、美濃菊花壇、大菊小作り、小菊盆栽、
小菊盆養、自由花が展示してある。

今年は、織田信長公が永禄十(1567)年に岐阜城入城・岐阜命名してから450年目にあたり、
「信長公450プロジェクト特別展示」の菊人形・菊花も展示されている。

◆菊人形テーマは毎年変わるが、今年は「信長公、岐阜入城」である。
板垣退助像の前にある。
菊人形は、信長公、濃姫、前田利家公、佐々成政公で、美しい菊の衣装を着けている。


◆テーマの菊人形の前には、三重塔を配した大花壇があり、見応えがある。素晴らしい!!
私の一押しの花壇だ。





◆大菊



◆小菊


◆大菊



◆美濃菊


◆千輪仕立て


◆自由花





◆池の上の菊人形は、信長公と濃姫である。背景は狩野永徳の獅子か?
池の周りの緑と池に映った緑に溶け込んで、大変美しい景色だ。




◆「信長公450プロジェクト特別展示会場」には、「450」をあしらった花壇や、
菊人形が5組展示してある。



菊人形は、織田信長公と羽柴秀吉公、斎藤道三公と濃姫などである。


◆公園には、ツワブキも咲いており、鮮やかな黄色の花が美しい。


◆木の芽でんがくの店「植木屋」さんの横の石組の庭園も、池に緑が映って大変美しい。


◆展示されている「菊人形・菊花」は、ほとんどが今が見頃。観るのならお早めに。

以上  


Posted by ふなチャン(Y)  at 21:36Comments(0)名園巡り