2016年10月01日

岐阜県岐阜市<崇福寺> 岐阜城主「織田信長公&信忠公」&「斎藤利匡公」墓所 (武将のお墓参り12)

<岐阜城主のお墓参り> 2016年10月1日

★崇福寺 織田信長公霊廟所 
「岐阜市長良福光2403-1」にある岐阜城主織田家の菩提寺「崇福寺」を訪れた。
午前中には、岐阜信長まつり「織田信長公追悼式」が営まれた。

◆本堂裏に「織田信長父子廟&位牌堂」があり、「斎藤利匡公」の墓所もある。
全国にたくさんある「織田信長公」と「織田信忠公」の墓所の一つが、ここにあるのだ。


◆諸説あるが、「崇福寺のしおり」等によると、
「崇福寺は、美濃国守護代斎藤妙椿の家系の斎藤利匡が永正8年(1511)に再興された。
永禄10年(1567)信長が岐阜に入ったとき、
若くして亡くなった側室吉乃(信忠の母)の菩提所として、江南市「久昌寺」から位牌を移された。

当時の崇福寺住職が、信長の家臣鳴海助右衛門の援助を得て、織田家菩提所指定に尽力された。
本能寺の変後、信長の側室小倉氏「おなべ(お鍋)の方」が、
信長の遺品を当寺に葬り、信長・信忠父子の位牌所に指定された。」とある。

◆通り沿いの左右に石柱があり、左側は「織田信長公霊廟所」と刻まれている。


◆そこから参道を進むと山門があり、織田家「木瓜紋」が入った幕が掛かっていた。


◆山門を潜り、突き当りが本堂である。


◆受付の方に挨拶して、本堂内部を拝観。テープで由緒や寺宝などの説明が流れる。
信長禁制書、清州城鯱瓦、土岐頼高筆の鷹図などの寺宝や、
関ケ原の前哨戦で落城した岐阜城の床を使った血天井を見させていただいた。

◆本堂の左前に、本堂前に入る潜り戸がある。入ると、左側に素敵な枯山水庭園がある。



◆庭園を見ながら奥に進むと、自然に右手に折れていく。
小路の先に小さな門があり、中が廟所である。門の扉には、桔梗紋が彫り抜いてある。



◆門を潜り、突き当りが「織田信長父子廟」である。合掌。



◆位牌形の墓碑1基に、信長公と信忠公二人の法名が左右に並べて刻まれている。


◆墓碑の右側に格子塀に囲まれた位牌堂(小堂)が建っており、彩色が施されていて美しい。合掌。



◆位牌堂の前には、読経堂が建つ。その奥に、「開基斎藤利匡墓」と記された案内板がある。


◆その先に、宝篋印塔7基がひっそりと立ち並ぶ。
「斎藤利匡(としただ)公」や一族の方々、「稲葉一鉄公の父通貞公」のお墓である。合掌。



◆当寺は「稲葉一鉄公」が修行された寺でもあり、寄贈された梵鐘があった。



◆山門の上に、新しいが珍しい「あうんの龍」の飾り瓦があるので必見だ。
徳川家にゆかりがあり、本堂や山門などの屋根瓦に葵紋が入っている。



◆境内の各所に案内板があり、大変ありがたかった。(感謝)

以上


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Posted by ふなチャン(Y)  at 21:55 │Comments(0)武将のお墓参り

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