2016年10月17日

尾張藩附家老・美濃今尾藩「竹腰家」墓所 (武将のお墓参り13)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>
尾張藩附家老竹腰氏は、岐阜県美濃地方にもゆかりのある武将であり、
岐阜県と愛知県にあるお墓をご紹介します。

①★尾張藩附家老(美濃今尾藩五代)「竹腰正武様墓所」
「岐阜県関市志津野665」 正武寺は、通りから奥に入った静かな山麓にあった。

通り沿いに小さな寺の案内がある。そこから狭い道を奥に入って行くと、
T字路に「永平寺直末 禅・曹洞宗 正武寺」と記した看板がある。


そこから左に入ると、小さな山門があり、左の道を進むと境内だ。
本堂でお参りをしてから、本堂左後ろにある墓地に参る。

墓地は、緩やかな坂になっている。
真ん中が参道で、両脇に墓が並び、奥の突き当り上段が「竹腰正武様の墓所」である。
墓地や寺を見下ろす位置にある。



墓所右側に「関市指定遺跡 竹腰正武候本廟」と記された案内柱があるが、
なんの説明もなく残念だ。


墓所敷地に入ってすぐの左右に、2対の石灯籠がある。


そこから石階段を少し上ったところが、石柱で四角く囲われた廟所だ。


石柱囲いの正面が鳥居風で高く、中央が唐破風で下に梅鉢紋が付いている。
このタイプは珍しい。中央奥に立派な五輪塔が立っている。合掌。



尾張藩附家老竹腰氏は、美濃今尾藩三万石を領していたが、
飛び地で志津野村(現関市)等に領地を有していた。
五代正武様は、領地である志津野を見廻り、菖蒲谷を気に入られ、自らの菩提寺を建てたと伝わる。

正武様は、尾張藩家老「石河章長」様の子であり、竹腰家へ養子に入っている。
私考であるが、関市内には石河家菩提寺の蓮華寺があり、
正武様は領地見廻りのついでに父らの墓参に訪れていたかもしれない。

②★尾張藩附家老(美濃今尾藩)「竹腰家墓所」
愛知県名古屋市千種区の「平和公園」は、昭和22年から昭和32年頃にかけて、
名古屋市内に点在した各宗派280の寺院のお墓、約18万8千基を寺院別に区画して移した所だ。


平和公園の中央東寄りにある「相應寺墓域」に、竹腰家の立派な墓碑が5基並んでいる。
しかし、案内となるものは何もなく残念だ。



右から順に、「竹腰正辰」様(初代正信様の三男、四代正映様の父)、「七代竹腰睦群」様


真ん中の一番大きい「初代竹腰正信」様の墓碑の前には、石板があり文字が刻んである。



次が「二代竹腰正晴」様、「三代竹腰友正」様である。


墓碑の裏側には墓主の名前などが刻んであり、どなたのお墓かすぐにわかる。合掌。


相應寺は、尾張藩初代藩主徳川義直公が、生母「お亀の方(相応院)」の菩提のため創建。
諸説あるが、お亀の方が徳川家康様の側室になる前に結婚していたのが竹腰正時様であり、
その間に設けた子が竹腰家初代正信様である。
その縁からか、相應寺は竹腰家の菩提寺となったと思われる。

以上


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Posted by ふなチャン(Y)  at 18:15 │Comments(0)武将のお墓参り

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