2017年03月24日

<岐阜城主 織田信孝卿菩提所>亀山市関町 福蔵寺 (武将のお墓参り17)

2017年3月
<岐阜城主のお墓参り>
岐阜城主であった織田信孝公の首を葬ったと伝わる福蔵寺を参拝した。

★「織田信孝公」は、織田信長公の三男。
伊勢国の神戸氏の養子に入り、伊勢神戸城主(現在の鈴鹿市内)となる。
本能寺の変後には、山崎合戦で羽柴秀吉公らと明智勢と戦い勝利。

清州会議で織田家の跡目を狙うも、跡目は秀吉公の擁する三法師(後の秀信公)になってしまう。
そして「岐阜城主」となったが、柴田勝家公らと組んで秀吉公に対し挙兵。
しかし敗れ、尾張知多内海の大御堂寺(野間大坊)安養院で自害させられた。
墓碑はその大御堂寺境内や他にもある。

face02『福蔵寺』 三重県亀山市関町木崎417 
福蔵寺の入口は、古い町並みが残る旧東海道関宿の街道沿いにある。

◆石柱に「織田信孝卿菩提所 福蔵寺」と刻まれている。


◆石畳の参道を進むと、立派な山門がある。(境内東側にある裏門は、旧脇本陣萩屋の門である。)


◆山門の右側脇入口の所に「福蔵寺 織田信孝の 眠る寺  関宿かるた」と書かれた木札が掛かっていた。


◆山門を潜ると正面に本堂があり、まずお参りする。合掌。


本堂前に寺の案内板があり、次のように書いてあった。
『当山は、天台真盛宗(本山は滋賀県大津市坂本 西教寺)に属します。
創建は天正十一年 織田信長卿三男信孝公の菩提寺として創建されました。以下略』

◆境内中央辺りに、屋根から下ろされた瓦と石造三重塔がある。



◆境内の左方、石造三重塔の後方に「織田信孝卿の墓碑」があった。
新しい五輪塔である。合掌。


五輪塔の前に「福蔵寺の創建と織田信孝公」の案内板があり、次のように書いてあった。
『織田信長の三男信孝公は本能寺の変で憤死した信長の冥福を祈るため、
神戸の住人旧臣大塚俄左衛門長政に命じこの寺の建立にかかりました。

しかし信孝公は羽柴(豊臣)秀吉との後継者を巡る争いに敗れ、天正十一年尾張の国
野間において自害させられましたので、長政が当山に首を持参し信孝公の菩提寺としました。

この墓は墓石不詳のため(事由は不明)四百年忌を迎えた時、菩提を弔うため建立したものです。
本堂には創建当時からの信孝公の位牌が祀られています。』

観光駐車場で出会った観光ボランティアさんから話を聞けた。(ありがとうございました。)
「信孝公墓碑は、2~3年前に地元の方々により五輪塔に建て替えられた。
それまでは自然石だった。信孝公の旧領地である伊勢神戸(現・鈴鹿市)の地は秀吉配下の領地と
なっていたため、家老大塚長政は妻の実家がある関宿に信孝公を葬ったそうだ。」

以上


同じカテゴリー(武将のお墓参り)の記事画像
「中津川市苗木遠山史料館」&「苗木遠山家廟所」 (武将のお墓参り26)
京都<本禅寺> 「加納藩主大久保忠職公」&「大垣藩主石川忠総公」の墓所 (武将のお墓参り25)
京都<大雲院>「織田信長公・織田信忠公墓所」 (武将のお墓参り24)
岐阜県各務原市の少林寺「旗本坪内氏墓所」 (武将のお墓参り23)
岐阜県羽島市の金宝寺 「八神城主毛利氏歴代の墓」 (武将のお墓参り22)
<岐阜県可児市>ゆかりの武将 その3 「直参旗本&尾張徳川家家老 千村家」 (武将のお墓参り21)
同じカテゴリー(武将のお墓参り)の記事
 「中津川市苗木遠山史料館」&「苗木遠山家廟所」 (武将のお墓参り26) (2017-10-17 20:11)
 京都<本禅寺> 「加納藩主大久保忠職公」&「大垣藩主石川忠総公」の墓所 (武将のお墓参り25) (2017-09-28 20:58)
 京都<大雲院>「織田信長公・織田信忠公墓所」 (武将のお墓参り24) (2017-09-26 19:09)
 岐阜県各務原市の少林寺「旗本坪内氏墓所」 (武将のお墓参り23) (2017-08-03 15:14)
 岐阜県羽島市の金宝寺 「八神城主毛利氏歴代の墓」 (武将のお墓参り22) (2017-07-31 19:34)
 <岐阜県可児市>ゆかりの武将 その3 「直参旗本&尾張徳川家家老 千村家」 (武将のお墓参り21) (2017-06-01 18:52)

Posted by ふなチャン(Y)  at 22:34 │Comments(0)武将のお墓参り

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。