2017年07月31日

岐阜県羽島市の金宝寺 「八神城主毛利氏歴代の墓」 (武将のお墓参り22)

★「美濃国ゆかりの武将」のお墓参り

2017年6月、岐阜県羽島市の金宝寺にある八神城主毛利氏歴代の墓所を訪れた。
(住所は、羽島市桑原町八神2221)

桑原町誌には、
「八神城主毛利氏は、鎌倉時代から尾張国長岡庄の司職として、この地方の地頭あるいは領主として
羽島市下中町石田や桑原町八神に居城を構え、幕末まで居住してきた。
土岐頼芸、織田信長、織田信雄、豊臣秀吉、池田輝政、織田秀信らに仕え、徳川家に仕えた。

八神毛利氏歴代の墓が金宝寺にある。高さ160cm前後の墓が13基。
尾張藩の家老格世臣として仕えた八神城主13人の墓碑群で、
境内にはこの他にも毛利家にかかわりのある墓碑が大小50基。

ほとんどは花崗岩の墓石で、表に院号法名、左右に没年が刻んである。
墓碑の並びは、歴代順になっていない。
西口がコの字形で、そこから東の方に並列に並んでいる。

寺は慶長元年(1596)の創立で、毛利広次の開基。」とある。

ナビで住所検索して向かったところ、境内北側の細い道に案内された。
境内の入口は南側だったので、水田の間の細い道を遠回りすることとなった。

境内南側に山門が建ち、その左側に文化財標柱や案内板がある。


標柱は右から順に、「円空仏如来像」、「八神毛利氏歴代の墓」、「金宝寺の駕籠」と記されている。


案内板には次のように記されているが、簡単すぎて物足りない。
「岐阜県・羽島市史跡 八神毛利氏歴代の墓 八神毛利氏は三千石余を領有し、
市内桑原町八神に居を構えて名古屋藩に仕えたが、

その初代(毛利掃部介広次・元和二年十二月十四日没・八十四才)より版籍を奉還した。
十三代(毛利源内広貫・明治二十一年六月に二十五日没・六十一才)の墓碑が
菩提所である当寺の墓地に建てられており、史的価値は極めて高い。」

山門を潜ると正面に本堂があり参拝。


境内の左方に鐘楼があり、その右側が墓地の入口である。


墓地は少し低くなっている。階段を降りて墓地に入り、すぐ右に進む。


正面奥の一画が、毛利氏歴代の墓所だった。
墓所の南側中央が入口になっており、コの字形(長方形)に墓碑が並んでいた。


墓所には、高さ160cm程の特大から小型まで多くの墓碑が立ち並ぶ。壮観だ。合掌
右側の墓碑群。後ろに本堂がある。



墓所内右側の南側の墓碑群。




墓所内右側の北側の墓碑群。



墓所内左側の墓碑群。奥の南側にも小さな入口がある。





墓碑には、番号を書いた紙片が置かれているものもあった。お名前は書かれてない。
ほとんどは花崗岩の墓石である。
正面に院号法名、左右に没年が刻まれているが、摩耗して読みずらいものもある。

この中に初代から十三代までの歴代城主の墓碑があるらしいが、墓所には何の案内もない。
どれがどなたの墓碑かわからず、残念だった。

以上


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Posted by ふなチャン(Y)  at 19:34 │Comments(0)武将のお墓参り

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