2017年11月09日

岐阜県可児市<天龍寺> 「明智氏歴代之墓所」と「明智光秀公ご位牌」 (武将のお墓参り29)

<美濃国ゆかりの武将のお墓参り>2017年11月
★★天龍寺  「明智氏歴代之墓所」と「明智光秀公ご位牌」
岐阜県可児市瀬田1242
近くの山には、明智氏が築城し、斎藤義龍公により落城したと伝わる明智城(明智長山城)跡がある。



◆境内入口の左側に案内板が立つ。


案内板には、次のように記されている。
『天龍寺 山号 青雲山

天龍寺は永平寺を本山とする曹洞宗のお寺で、「聖観世音菩薩」をご本尊としています。
このお寺は寛永2年(1625)武儀郡下有知村(現関市)龍泰寺の末寺として
同寺20世鰲山正雪禅師を招請して開山した由緒あるお寺です。

大正12年3月の焼失以前は、本堂、開山堂、明王堂、鐘楼門などを有する堂々とした
一大伽藍のお寺でした。本堂は昭和45年10月に落慶、その後庫裏、山門、開山堂などを
再建し現在に至っており、可児新四国36番札所ともなっています。

また、明智一族の菩提寺として毎年光秀公の法要が営まれており、
本堂には日本一といわれる大きな光秀公の位牌が祀られています。
境内の東北部には、日本では3つしかないという北向地蔵がみられます。以下略』

◆右側にも案内板があり、次のように記してある。
『●日本一大きな明智光秀公の位牌 六尺一寸三分(184cm)をお祀りしております
●明智一族のお墓があります  ●瀬田おたすけ観音  写経・納経ができます』

石柱もあり、「明智光秀公縁寺 瀬田 天龍寺」と刻まれている。

◆境内に入り、突き当りにある鐘楼の右側が参拝者駐車場である。
駐車場の南側に「明智氏歴代墓所」がある。しかし、本堂にお参りしてからの参拝とする。

◆山門を潜る。


◆山門先の正面に本堂がある。


◆本堂前には、普賢菩薩と文殊菩薩の石像がある。この位置の菩薩像は珍しい。
(左後方に見えるのは、「瀬田おたすけ観音」)


◆庫裏でチャイムを鳴らすと、ご夫人が出てきて、快く本堂内を案内していただけた。(感謝)
ご本尊と、ご本尊前の普賢菩薩像と文殊菩薩像に合掌。

◆本堂に入って左手に「子育て観音像」が祀られている。
かわいい赤ちゃんを抱いた観音様である。


◆ご本尊の左方に明智光秀公のご位牌がある。大きくて新しい。
サイズは、命日6月13日にちなみ六尺一寸三分だそうだ。合掌。


◆ご位牌の右隣には、光秀公の木造坐像がちょこんと座っている。合掌。
地元の彫刻家樋口文雄氏の作品だそうだ。
ご本尊前の普賢菩薩像と文殊菩薩像、子育て観音像も樋口氏の作品で、優しい仏様たちである。


◆紅葉の樹の下に明智氏歴代墓所がある。


墓碑群の右前に石柱「明智氏歴代之墓所」が立つ。合掌
裏山に散在していた墓石や石仏などを集めて整備したもので、
明智氏のどなたの墓碑かはわからないそうだ。


◆お寺の方の明るく快活なご案内のお陰で、心地よい時間を過ごさせていただいた。
ありがとうございました。

以上


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Posted by ふなチャン(Y)  at 20:37 │Comments(0)武将のお墓参り

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