2017年11月16日

岐阜県本巣市<照空寺> 「旗本文殊戸田氏歴代墓所」 (武将のお墓参り30)

<美濃国ゆかりの武将> 2017年11月
★照空寺 旗本文殊戸田氏歴代墓所
 岐阜県本巣市大字文殊1197


◆加納藩主松平光永公は、父光重公の遺領7万石のうち1万石を
弟の孫十郎光澄(のち光正)公と孫七郎光直公に五千石ずつ分け与えた。
これが、旗本文殊戸田氏と旗本北方戸田氏の始めである。

◆照空寺は、応永二十八年(1421)寺井氏により長福寺として建立された。
その後、元禄二年(1689)旗本(文殊)戸田光正公が、
母・照空院の菩提所として今の地に移し、照空寺と改称した。

◆通りから細い道を入っていくと、突き当りが寺の石階段になっている。(山の麓に寺がある。)
階段の両脇には、椿が植えてある。
そして、左脇に石碑「史蹟 徳川幕府旗本戸田氏菩提寺」がある。


◆階段を上ると、美しい唐破風の山門がある。

門には、ウサギや龍、力士の素敵な彫刻がある。いいね。


◆山門の先に本堂があり、外から参拝。


◆山門を潜ってすぐ左が、墓所への参道になる。(木々の下で、少しわかりづらい)


◆墓所は、山の中腹にある。森の中の坂道を上って行く。石の階段だ。


◆途中の階段両脇に、古い墓碑が配置されている。

上の方は少し急だ。


◆階段を上り、最上段が「旗本戸田氏歴代墓所」だ。
正面の上段に、墓碑が6基並んでいる。合掌 
右から順に「照空院殿」「四代光典公」「初代光正公」「二代光輝公」「二代光輝公」「勇心院殿」。



◆右から3番目の「初代戸田光正公」の墓碑が一番大きい 


◆光正公の母「照空院殿」の墓碑 


◆「二代戸田光輝公」の墓碑


◆「三代戸田光政公」の墓碑 


◆「四代戸田光典公」墓碑


◆初代はじめ6基の墓碑がある区画を右の奥へ進むと、
上段に4基の墓碑が並んでいる。合掌 
右から順に「八代光幽公」「五代光智公」「六代光陽公」「十代光利公」だ。


◆右「八代戸田光幽(こうひん)公」、左「五代戸田光智(みつとし)公」の墓碑 


◆右「六代戸田光陽(みつはる)公」、左「十代戸田光利公」の墓碑


◆「大野町史」に歴代のお名前・法名・没年が記載されており、
墓碑と照らし合わせることができた。感謝

なお、九代光田(みつつら)公・十一代光顕(みつかげ)公は神葬のため照空寺に墓はなく、
七代順次郎公の墓はないそうだ。

寺に案内板がなく、残念だった。

以上


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Posted by ふなチャン(Y)  at 22:07 │Comments(0)武将のお墓参り

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