2018年06月09日

岐阜県恵那市岩村町<乗政寺城主墓地>岩村城主丹羽家廟所&松平家乗公廟所 (武将のお墓参り37)

美濃国ゆかりの武将のお墓参り
2018年6月5日訪問

岐阜県恵那市岩村町殿町122、恵那特別支援学校の北側
≪乗政寺城主墓地(大名墓地)≫の岩村城主丹羽家廟所と松平家乗公廟所


◆NHK朝ドラ「半分、青い。」で注目を浴びている岩村を訪れた。
その日は、ちょうど本町商店街で俳優の佐藤健君らが撮影をしているところだった。
ロケ地を遠巻きに見てから、商店街で五平餅を食べた。その後で岩村城主の墓参に向かった。

◆坂に沿って商店や飲食店が立ち並び、坂の上は岩村城跡に繋がっている。
岩村城跡の麓、商店街の外れに乗政寺城主墓地がある。
乗政寺城主墓地は、案内パンフレットには「大名墓地」と載っている。
そして、山の斜面にある墓地の下方入口には、「乗政寺山墓地」と刻んだ石標がある。


◆道路から坂を少し上ると、案内板「岩村町指定史跡 乗政寺城主墓地」があり、
次のように記してある。
【慶長六年(一六0一年)松平家乗(大給松平本家)が岩村城主となり、この地に龍巌寺を建立した。
寛永十五年(一六三八年)に松平氏は浜松(静岡県)へ移り、
三州伊保(愛知県豊田市)から丹羽氏がきて妙仙寺とした。

元禄十五年(一七0二年)に丹羽氏は越後高柳(新潟県)へ移り妙仙寺も同地へ移った。
丹羽氏の後へ信州小諸(長野県)から大給分家の松平氏が移り、
小諸城内にあった乗政寺をここへ移した。

この地は由緒ある地で城主や家臣の墓が多い。
乗政寺は明治四年(一八七一年)に廃藩置県となり住職も死んだのを機会に廃寺とし、
寺佛等を縁の深い隆崇院へ移管し建物も壊した。

城主の墓は、松平家乗、丹羽氏四代、分家松平氏の乗薀嫡子で林述斎の兄の乗国ほかがある。
特に丹羽氏の墓は巨大であるが、若くして死んだ丹羽氏明の墓は六地蔵を配してある。

分家松平氏家臣の墓も多く、役家の丹羽瀬、大野、佐藤家等や講談で知られた小兵の居合抜きの
名人「美濃の小雀」こと井野猪左衛門の墓、東京の実践女子学園の創設者で、
愛国婦人会長となった明治、大正の女傑下田歌子女史の墓もここにある。

この墓地一帯の山を今も乗政寺山と呼んでいる。】

◆岩村城主丹羽氏の廟所は、案内板の左にある階段を上り、突き当りを右に上った所にある。


◆入口に「岩村城主 丹羽家廟所」の石柱が建つ。廟所は山腹に横に広がっている。合掌。


◆右方に氏信公(左側)とその母(右側)の墓碑が並ぶ。


案内板に次のように記してある。
【丹羽氏信墓 丹羽氏初代岩村城主 三河伊保(現豊田市)より転封し、正保三年(一六四六年)没。
●●当初の御霊屋が朽ちたので、約百年後に法名と経過を刻んだ石柱を西川玄益が建てた。】

【丹羽氏次室 丹羽氏信母墓 長久手の戦いで大功たてた丹羽氏次の室で岩村城主丹羽氏信の母である。
当初の御霊屋が朽ちたので約百年後に法名と経過を刻んだ石柱を西川玄益が建てた。】一部判読不可

◆石柱「岩村城主 丹羽家廟所」の後方に、丹羽氏定公の墓碑があり、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏定墓 丹羽氏二代岩村城主 明暦三年(一六五七)没。桃蕚山妙法寺を開創した。
当初の御霊屋は朽ちたので、約八十年後に法名と経過を刻んだ石柱を●●】一部判読不可


◆その左方に四基の巨大な墓碑が並ぶ。右端「實相院殿・・・大姉」は三代氏純公の室、
右から二番目「曹渓院殿・・・大姉」は初代氏信公の室の墓碑である。


◆さらに左方には、丹羽氏家臣の墓が七十基ほどが積まれた無縁供養塔がある。
無縁供養塔の左奥にお地蔵さんがあり、その後方にも丹羽氏の墓碑が並ぶ。


◆右方には丹羽氏春公の墓碑があり、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏春墓 丹羽氏初代岩村城主氏信の三男で分家した。四代岩村城主丹羽氏明が急死したので、
氏春の次男氏音が養子し五代岩村城主となった。元禄九年(一六九六)没。】


◆その左は丹羽氏明公の墓碑で、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏明墓 丹羽氏四代岩村城主 貞享三年(一●八六年)疱瘡により二十歳で没す。独身。
若くして没した●●、地蔵、灯籠等を配し大●●かで、もっとも立派で●●】一部判読不可


◆お地蔵さんの真後ろは丹羽氏純公の墓碑で、案内板に次のように記してある。
【丹羽氏純墓 丹羽氏三代岩村城主 明暦三年(一六五七)家督相続。延宝二年(一六七五)岩村にて没す。
三十八歳。氏純は大将陣に五仏寺を建て秋山信友夫妻らの霊を弔った。】 


◆その左方「芳春院殿・・・大姉」は、二代氏定公の室の墓碑である。


◆岩村城主松平家乗公廟所は、案内板「岩村町指定史跡 乗政寺城主墓地」を右に進み、
緩い坂を上った奥にある。合掌。


◆石垣の上に墓碑があり、案内板に次のように記されている。
【松平家乗墓 大給松平本家初代岩村城主 慶長十九年(一六一四)岩村城にて没。
当初は大きい御霊屋を建て、位牌等を安置していたが●●朽ちたので、石柱を建て墓●刻●】一部判読不可



もうひとつの案内板「岩村城主松平家乗公廟所」には、次のように記してある。
【松平家乗公略歴 
天正三年  三河国大給(現豊田市大内町)に生まれる。父真乗。幼名源次郎。
天正十年  八歳にして父の遺領を継ぎ、大給を領す。
天正十五年 徳川家康の御前にて元服、家康の家の字を賜り家乗と名乗る。
天正十八年 小田原の陣に従軍。家康公関東入国のとき、上野国那波(現群馬県伊勢崎市)一万石を拝領。

慶長五年  関ケ原の戦には、三河国の吉田城を守る。
慶長六年  美濃国岩村二万石を拝領。
慶長十九年 二月九日 岩村城にて卒、四十歳。 法名「大聖院殿乗誉道見大居士」 
嫡男乗寿が後を継ぎ、寛永十五年岩村から遠江国浜松に移され三万六千石余を領す。

後、上野国舘林に移され六万石余を領す。慶安四年老中となる。その子孫は、奏者番・寺社奉行・大坂城代・
京都所司代など幕府の重職を勤め、特に乗邑・乗完・乗寛・乗全は老中として幕政に活躍した。
所領は美濃国岩村ー遠江国浜松ー上野国舘林ー下総国佐倉ー肥前国唐津ー志摩国鳥羽ー伊勢国亀山ー
山城国淀ー下総国佐倉ー出羽国山形と替り、三河国西尾で明治維新を迎えた。】

◆松平家乗公廟所の上方左に松平家供養塔がある。(写真の中央の坂を上り、突き当りを左奥の方へ上る。)


◆大きな五輪塔が四基、お地蔵さんが一基並んでいる。合掌。


右端の五輪塔の案内板に次のように記してある。
【松平真乗供養塔 大給松平本家初代岩村城主松平家乗の父で、天正十年(一五八二)没。
三十七歳であった。家乗が岩村在城中の慶長十五年(一六一O)に父の冥福を祈って建てた。】

右から二番目の案内板には【松平乗国供養塔 乗国は大給松平分家三代岩村城主松平乘薀の長男で、
明和七年(一七七O)九歳で没した。林述斉の兄である。実母は供養塔を建て、法華経一千部を手書きして埋めた。】

三番目は「乗友公(大成院殿、四代乗保公の長男)供養塔」であるが、案内板は朽ちていた。
左端「松樹院殿供養塔」の案内板は見当たらない。

◆後日、図書館で調べたところ、「岩村町史」に次のように記載されていた。
【乗政寺経塚 
松平家供養塔が四基ある。盛塚はなく石垣で囲まれた地域内に四基が行儀よく並んでいる。
それは左の如くである。

梅香院殿清岸道翁大禅定門 (松平真乗) 慶長十五年七月
松樹院殿栄誉盛吸大信女 (松平家乗室) 寛永九年八月一日
大成院殿仁雄知道大居士 (松平乗友) 享和元年六月十八日
玄達院殿踏雲幼光大童子 (松平乗国) 明和壬辰十一月大祥日

これは塚はないが、やはり経塚であって埋経して建てた石供養塔で、決して墓ではない。
それは銘記の文章で明らかである。

先ず松平真乗は岩村初代城主松平家乗の父で、天正十年三月に没した人である。
慶長十五年家乗が岩村在城中に父の冥福を祈って建てたものである。

次の松樹院の供養塔は、寛永九年に松平乗寿が実母松樹院のために逆修として供養したものである。
松樹夫人は松平家乗の正室であり、大垣城主石川康道女である。
寛文元年十月に没したのであるが、この塔の建てられた寛永九年はまだ存生中である。
生前中に仏事供養をすることを逆修という。塔前に逆修也とある。

大成院殿は松平乗友で、松平乗保の嫡男である。享保元年六月十八日、二十歳で江戸で没した。
まだ相続していなかったので世代に入らないが、任官もし正室を迎えていた。
時期さえ来れば当然乗保の後を受けて藩主となるべき人が早世の故に部屋住の内に終わったことは、
父乗保も実母も悲歎が深く、上野春性院に墓を建てると共に岩村に供養塔を建てたのである。

玄達院は松平乗国で城主松平乘薀の嫡男である。三男は乗衡で後の林述斎である。
乗国は長男として生まれ、幼名永之助といった。成長すれば当然城主となるべき人であったが、
僅か九歳で明和七年十一月九日没したのである。
嫡男であったから上野春性院の墓地に歴代当主と列べて葬られたが、実母はその悲しみに耐えず、
国元岩村に供養塔を建てたのであるが、自ら法華経一千部を手書きして埋めた。
五輪塔の礎石に長文の銘文を刻した。】

以上


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Posted by ふなチャン(Y)  at 19:53 │Comments(0)武将のお墓参り

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